第33話 バイト帰りに陽キャの幼馴染を家まで送った
「お疲れ様でしたー」
蓮は他の店員に挨拶をしてから、凛々華の元へ向かった。
「お待たせ。そっちの区切りはどうだ?」
「大丈夫よ」
「じゃあ帰るか」
「えぇ」
凛々華が素早く参考書をトートバッグにしまい、肩にかけて立ち上がった。
周囲からの生暖かい視線——一部嫉妬も混じっているように感じられた——を背中に受けながら、蓮と彼女は並んで退店した。
明日もシフトが入っている。
まず間違いなく、問い詰められることになるだろう。恵がいればなおのことだ。
もしかしたら、先程のように常連客にも詰められるかもしれない。
多少は億劫に感じられるが、凛々華を送らない理由にはならない。
蓮は隣を歩く彼女の様子を、横目で観察した。
鼻唄を歌いそうだとかスキップしそうだとかいうほど上機嫌ではないが、入店時や注文を取ったときに比べれば、表情は朗らかなものになっていた。
「なぁ、柊」
「何かしら?」
「俺の勘違いだったら悪いんだけどさ、入店直後ちょっと機嫌悪くなかったか?」
「っ……」
凛々華は肩を震わせて、顔を背けた。図星だったようだ。
髪の毛先を指でくるくると弄びながら、絞り出すように言った。
「……別に大したことではないし、あなたが気にする必要はないわ」
「そうか。ま、それならいいんだけどさ」
「バイトが終わるのは、いつもこのくらいの時間なのかしら?」
凛々華が唐突に尋ねてきた。話題を変えたいのだろう。
「そうだな。高校生は色々制約あるし」
「なら、これからも今日くらいの時間に来ようかしら。無料で用心棒も雇えるみたいだし」
凛々華が様子を窺うように、流し目を向けてきた。
軽い口調とは裏腹に、どこか不安そうだった。眉が下がり、トートバッグの肩紐を強く握りしめていた。
「この時間帯限定だぞ。他は有料だからな」
蓮がおどけてみせると、凛々華がそっと息を吐き出した。
「そう。ならまた利用させてもらうかもしれないわ」
「おう。俺は一向に構わねえけど、夕食は大丈夫なのか?」
「えぇ。お母さんの帰りが遅いときは一人で早めに済ませるから、デザート感覚よ」
「ケーキとジュースは、デザートにしては重いんじゃねえか?」
「黙りなさい」
「待て待て、悪かったって!」
凛々華が拳を振り上げたのを見て、蓮は慌てて謝罪した。
彼女は渋々と言った様子で、ファイティングポーズを解除した。
(なるほど。体重に関わる話だから御法度なのか)
蓮が内省していると、凛々華が再び尋ねてきた。
「そういうあなたこそ、バイトのときの夕飯はどうしているの?」
「今日は学校帰ってから作り置きしてきたぞ。それができないときは妹に作ってもらうか、どっちも面倒くさくなったときは、それぞれ弁当でも買うって感じだな。たまに仕事が早く終わったときは、父さんが作ってくれることもあるけど」
「そう……大変ね」
凛々華がしみじみとつぶやいた。
蓮は笑みを浮かべて、首を横に振った。
「そうでもねえよ。俺だけが頑張ってるわけじゃねえし、妹も父さんも美味しいって言ってくれるから作り甲斐もあるしな。だから前も言ったけど、こうやって柊を送るのとかはまったく迷惑じゃねえから、そこは変に気負うなよ」
「安心しなさい。その分は、授業中に寝ているあなたを叩き起こしてあげることで返すから」
「迷惑ありがただな」
蓮は苦笑いを浮かべた。
凛々華が眉をひそめた。
「感謝の気持ちのほうがわずかに強いということかしら?」
「よくわかったな」
ありがた迷惑だと迷惑のニュアンスが強いイメージがあるため、入れ替えたのだ。
凛々華の口角が、わずかに得意げに持ち上がった。
「ニュアンス的に伝わるわ。それにしても語呂が悪いわね、迷惑ありがたって」
「中くらいの親切中くらいのお世話でもいいけど」
「絶望的ね」
「辛辣だな」
蓮は思わず吹き出した。
凛々華が半眼になった。
「あなた、意外とくだらないノリも好きなのね」
「柊なら絶対にツッコんでくれるっていう安心感があるからな」
「そんなところで信頼されても迷惑なのだけれど?」
じっとりとした目線を向けてくる凛々華に、蓮は肩をすくめて答えた。
「ありがたくはないのか?」
「えぇ。ひたすらに迷惑だわ」
「なら用心棒代だとでも思ってくれ」
凛々華は驚いたように瞳を見開いた後、苦笑いを浮かべた。
「あなた、結構いい性格しているのね」
「照れるなぁ」
「褒めていないのだけれど?」
「ほら、ちゃんとツッコんでくれる」
「っ……!」
凛々華が虚をつかれたように息を呑んだ。ぷいっとそっぽを向いた。
白い街灯に照らされた頬は、わずかに赤く染まっていた。
「じゃあ、また明日な」
「えぇ。送ってもらってありがとう——あら?」
凛々華の戸惑った声が聞こえた。
蓮は足を止めて振り返った。彼女はトートバッグに手を突っ込んでいた。
「どうした? まさか、鍵がないのか?」
「いえ……もう一度探してみるわ」
凛々華は困惑したように眉を寄せ、バッグの中をまさぐった。
いつもの堂々とした雰囲気が薄れ、不安げな様子だった。
「落ち着いて探したほうがいいぞ。持ってようか?」
「えぇ、お願い。あっ、中はあまり見られたくないわ」
「わかった」
蓮は視線を背けつつ、持ち手を左右に引っ張った。
凛々華が中を覗き込むように探したが、結果は変わらなかった。
「鍵はいつもこれに入れているのか?」
「いえ、学校用のバックに入れているわ。そういえば、鍵を移した記憶がないわね……」
凛々華があごに手を当てて、眉を寄せた。
「家を出るときは鍵をしてないのか?」
「ちょうどお母さんが一度、家に帰ってきていたのよ。何か取りに来たと言っていたけれど」
「なるほど。それでお母さんが鍵をして出て行ったってわけか。一応どこか空いてないか調べてみたらどうだ?」
「……そうね」
しかし、玄関はもちろん、リビングや寝室の鍵も全て閉まっていた。
「仕方ないわ。お母さんが帰るまで待つしかないわね」
凛々華が肩を落とし、ため息混じりに言った。
「いつごろ帰ってくるんだ?」
「そうね。もうすぐ帰ってくるんじゃないかしら」
凛々華が腕時計に目を落とし、淡々と言った。
「嘘だろ」
「えっ?」
凛々華が目を瞬かせた。
蓮は繰り返した。
「もうすぐ帰ってくるっていうの、嘘だろ」
「ど、どうして?」
凛々華が瞳を揺らした。声もわずかに震えていた。
「柊の性格的に、もし本当にすぐ帰ってくるなら、十分後とか正確な時間を言うはずだからな。こっちを安心させるために」
「っ……」
凛々華が唇を引き結び、視線を逸らした。
蓮は語気を和らげて続けた。
「本当はどれぐらいに帰ってくるんだ?」
「……今日は十時をすぎると連絡を受けているわ」
凛々華が観念したように白状した。
蓮は腕時計に視線を落として顔をしかめた。
「一時間は帰ってこねえってことか。どうするつもりだ?」
「単語帳でも読んでいるわ」
「ここで?」
「えぇ」
凛々華が当然のことようにうなずいた。
「なら、ウチで待ってろよ」
「……えっ?」
凛々華がキョトンとした表情を浮かべた。
言葉の意味を理解しようとするように、何度か瞬きを繰り返してから、ハッと息を呑んだ。
彼女は瞳を真ん丸にして、口をポカンと開けたまま立ち尽くした。
ぼんやりと街灯に照らされた頬が、じわじわと朱に染まっていった。
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