第30話 名前呼び
「にしても、桐ヶ谷もよくあんな会話録音してたよな。たまたまか?」
蓮が尋ねると、樹が首を横に振った。
「ううん。二人が何やらコソコソしていたから付いていって、念の為に録音しておいたんだ」
「元々怪しいとは思っていたのか?」
「うん。島田さんが大翔君に好意を寄せていたのはわかってたから、彼女が黒鉄君たちに近づいた時点でね」
「マジか。すげえな」
「陰キャな分、周囲を観察する余裕はあるんだよ」
樹が照れくさそうに頭を掻いた。
蓮にも理解できる感覚だった。凛々華と過ごすようになる前は、何の気なしに周囲を観察していたものだ。
「あと、あの……黒鉄君」
樹が一転して不安げな表情で、おずおずと切り出した。
「なんだ? 急にもじもじして」
「その、これで大翔君たちも終わっただろうから今後は普通に話していいのかっていうのと、あと、名前で呼んでもいいかなって……」
「付き合いたての彼女か」
蓮は苦笑しながら樹の頭をごついた。
「いたっ」
「呼び方なんて好きにしろよ——樹」
「っ……! うん、ありがとうっ、蓮君!」
樹が童顔に満開の花を咲かせた。
その無邪気な笑みはどう見ても小中学生のものだったが、さすがに失礼だと思って口には出さなかった。
しかし、樹はすぐに笑顔を引っ込めた。再び緊張した面持ちになった。
「あ、あと、もう一つお願いしたいことがあって」
「なんだ?」
樹は蓮の耳元に口を寄せ、チラッと凛々華を見てから囁くように言った。
「その、柊さんにも謝らせてもらえないかなって……」
「好きにすればいいんじゃないか? 俺を通す必要もないだろ」
「いや、ただでさえ女の子と話すの苦手な僕にとって、柊さんと一対一で話すのは難易度が高すぎるよ」
「私の名前が聞こえたのだけれど、何をコソコソ話しているのかしら?」
「ヒィッ!」
凛々華に顔を覗き込まれ、樹は悲鳴をあげて猫のように飛び上がった。
凛々華は不愉快そうに眉をひそめた。
「何?」
「あっ、ごめんなさいごめんなさい!」
「樹、少し落ち着け」
壊れたロボットのようにひたすら平謝りする樹の肩を叩きながら、蓮は凛々華に苦笑を向けた。
「柊も許してやってくれ。こいつ、女子と話すの苦手らしい」
「……別に構わないけれど、私に何か用かしら?」
凛々華が身を引いて元の立ち位置に戻り、樹に視線を向けずに尋ねた。
彼女なりの配慮だろう。
「あっ、は、はい! あの、ひ、柊さんに謝りたくてっ!」
「謝る? 桐ヶ谷君が私に?」
「はひ! えっと、大翔君をあそこまで追い詰めてしまってすみませんでした!」
樹が腰を直角に折り曲げ、何度も頭を下げた。その姿はさながら、ヘマをしたヤンキーが兄貴分に謝罪をするようだった。
凛々華が納得したようにうなずいた。
「あぁ、そういうこと。それなら何も気にする必要はないし、むしろ助かったわ。あなたのおかげで罪人が正しく裁かれたんだもの」
「へっ? で、でも、幼馴染だったんじゃ……」
「幼馴染というだけで、私は何一つ彼にかける情など持ち合わせていないわ。それともまさか、私と彼が仲良しのように見えていたのかしら?」
凛々華がジト目を向けた。
「ひ、ヒィ! ご、ごめんなさい!」
樹がペコペコと頭を下げた。
凛々華は、呆れたように息を吐いて肩をすくめた。
「……そこまで怖がられると、話しにくいのだけれど」
「だ、だって、ただでさえ女の子と話すの苦手なのに、柊さんオーラすごいから……」
樹が叱られた子供のように、泣きそうな表情で言った。
「それはわかるが、話してみると意外と話しやすいぞ」
「意外とって何よ」
蓮が口を挟むと、凛々華が間髪入れずに反応した。
「ほら、ちゃんとツッコんでくれるし」
「黙りなさい」
「ごふっ⁉︎」
脇腹にパンチをくらい、蓮はうめき声をあげて腰を折り曲げた。
樹がなんだか嬉しそうに微笑んで、言った。
「なんかあれだね。二人のやり取りって夫婦漫才みたいだね」
「はっ?」
凛々華が眉を吊り上げた。
「あっ、ご、ごめんなさい! 仲良さそうだったから、つい!」
樹が必死の形相で謝ると、凛々華は体中の酸素をすべて放出するかのように、長いため息を吐いた。腕を組み、大股で歩き出した。
樹が不安そうに蓮を見た。
「ど、どうしよう。怒らせちゃったかな」
「心配すんな。あれは多分、怒ってみせてるだけだから」
蓮は苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「そうなの?」
「あぁ。意外とピュアなところあるからな」
「そ、そうなんだ……二人ってお互いのことわかり合ってるんだね。なんかパートナーって感じがして、憧れるなぁ」
「別にそんなんじゃねえよ」
蓮は視線を逸らして後頭部を掻いた。
「蓮君も意外とピュアなんだね」
「うるせえ」
蓮が拳を振り上げると、樹は素早く「ごめんごめん」と謝った。
半笑いだったため、蓮は彼のふっくらとした頬を引っ張った。
「勘違いしないで——」
樹がトイレに向かったタイミングで、凛々華が唐突に切り出した。
「何が?」
「島田さんに言ったことよ。あなたと何ともないと言ったのは、本当に事実じゃない噂が広まるのが嫌だっただけよ。決して拒絶したわけではないから」
「わかってるよ。柊が多少は気の置けない友達だと思ってくれてるってことは」
「……そうね」
凛々華は考え込むそぶりを見せた後、ふっと微笑んだ。
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