第186話 恋人の証
——土曜日の夕方。
バイトを終えると、蓮は凛々華の部屋に上がり込んでいた。
「そろそろ終業式だし、春休みの予定立てるか?」
「そうしましょう」
凛々華がスマホのカレンダーアプリを立ち上げた。
「まず……二十七日は、空いてるわよね?」
そう問うてくる瞳は真剣そのもので——ほんの少し、不安げに揺れていた。
蓮は思わず笑みを浮かべた。
(俺の誕生日じゃん……)
「もちろん。絶対空けとくよ」
「っ……!」
彼女はパッと表情を緩めたが——すぐに咳払いをして、スマホのカレンダーに目を落とした。
「……じゃあ、二十九日はどうかしら?」
「その日、一日バイトじゃね?」
「あっ……」
凛々華の頬が、じわじわと熱を帯びていく。
(意外と、テンパるとポンコツになるんだよな)
そう密かに笑みを漏らした蓮は、無事に制裁を受けることになった。
「よし、これで大体決まったな……明日は、初音ん家に四人で集まるんだろ?」
「えぇ」
凛々華がふっと微笑み、ふとスマホを指差した。
「ちなみに、この日はどうかしら?」
「ん、ちょっとなら大丈夫だ。なんかあるのか?」
「い、いえ、特にはないけれど、その……この辺って、あんまり会えなそうだから」
「っ——」
ぽつりとつぶやかれたその言葉に、蓮は息を呑んだ。
目をやると、彼女の頬はほんのりと紅潮している。
「そうだな。もちろん、時間作るよ」
蓮は微笑みながら手を伸ばし、凛々華を抱き寄せた。
「来年からは別のクラスだし、今のうちにいっぱい遊んどかないとな」
「……えぇ」
囁くような声とともに、凛々華がほんのり微笑む。
顔を近づけると、彼女はそっと目を閉じた。
「ん……」
ついばむようなキスは、すぐに熱を帯び、深くなっていく。
蓮が凛々華の背中を撫で始めると、彼女も遠慮がちに蓮の胸元に手を添える。
蓮はしばらく服越しの感触を楽しんだ後、裾に手を差し入れた。
ほんのり汗ばんだ素肌が、しっとりと手に吸いつく。
「っ……」
胸が高鳴る。いつまで経っても、慣れることができない。
(でも、それでいいんだろうな)
自然と微笑みながら、指先で、感触を確かめるようになぞっていく。
「ん……」
凛々華が小さく声を漏らした。
蓮がくすっと笑うと、彼女は恥ずかしそうに頬を染め——シャツの中に手を忍ばせ、脇腹の辺りを弄ってきた。
「ひゃっ、ちょ、やめろって……!」
蓮はこそばゆさに耐えられず、凛々華の手を掴んで止めさせた。
「ふふっ、蓮君でも、弱点はあるのね」
「当たり前だろ……お返しな」
「きゃっ⁉︎」
蓮は凛々華の体を引き寄せ、向きを変えて自分の膝に乗せた。
背後から両腕を回し——同じように、くすぐりを仕掛けた。
「や、ちょっと……!」
凛々華が身をよじるたびに、シャツがずり上がっていく。
気づけば、細いウエストが露わになっていた。
「あっ……!」
「——待って」
慌ててシャツを整えようとする凛々華を、蓮は反射的に制止していた。
「な、なにっ?」
「このままじゃ、ダメか?」
「えっ——」
凛々華が、目を見開いた。
「これ以上は、めくらないからさ」
「え、えっと、それは……っ」
彼女は、しばらく迷うように目を泳がせていたが、やがて観念したように力を抜いた。
真っ赤な顔で、ちらりと振り返り、上目遣いで見上げてくる。
「……約束よ?」
「あぁ」
蓮はその後ろ姿に視線を戻し——唾を飲み込んだ。
抜けるような白肌に、ほんのり汗がにじんで光っているのが、やけに色っぽい。
(……綺麗すぎる)
気づけば、そっと唇を背中に押し当てていた。
「っ……!」
凛々華の体がびくんと震える。見れば、耳まで真っ赤に染まっていた。
しかし、瞳を潤ませながらも、健気に耐えてくれている。
(その表情、やばい……っ)
体の奥底から湧いてきた衝動に突き動かされるように、蓮は凛々華を力強く抱きしめると、再び背中へ唇を押し当てた。
今度は少し強めに吸い付き、キスマークを残す。
「っ……!」
凛々華が息を呑む。
ほんのり汗の混じった凛々華の匂いと、自分がつけた赤い恋人の証に、蓮は頭がくらくらした。
(もっと——)
半ば無意識に、めくれたシャツの内側に指先を滑り込ませようとした、そのときだった。
「ただいまー! って、あれ、凛々華ちゃん来てる⁉︎」
遥香の明るい声が、階下から響いた。
「っ……!」
凛々華が猫のように体を跳ねさせ、膝の上から飛び退いた。
蓮も反射的に身を引き、二人は咄嗟に顔を見合わせる。
しかし、次の瞬間には照れたようにそっぽを向き、同時に視線を逸らした。
「……まだ、帰ってこない予定だったんだけどな」
「ふふ、予定は未定よ」
「ま、そうだな……ありがとう」
蓮はホッと息を吐くと——そっと凛々華の頬に手を添えて、触れるようなキスをした。
「ん……」
凛々華の目元が柔らかな弧を描く。
少しだけ上昇した室温が、先程までの昂りの余韻を感じさせるが、部屋の空気はすっかり和らいでいた。
蓮はどこか照れくささを覚えながら、部屋の扉に視線を向けた。
「あいつも会いたがってたし、ちょっと降りるか」
「そうね。私も久しぶりに顔が見たいわ」
「よし、決まりだな。——あっ、凛々華」
蓮は思い出したように、凛々華の耳元に口を寄せた。
「続きは、また今度な」
「っ……!」
凛々華の顔が一瞬で火照る。
彼女はうつむき、何かに耐えるように唇を引き結んだ。
「じゃ、先降りてるぞ。ゆっくりでいいからな」
「う、うるさいわね……っ」
照れのにじむ返答に満足感を覚えながら、蓮は軽やかに階段を降りた。
「遥香、おかえり。早かったな」
「ちょっと予定が変わってさー。それより、凛々華ちゃん来てるのっ?」
「おう。ぼちぼち降りてくると思うぞ」
遥香の目が一気に輝いた。
「やったー! 久しぶりに、ゲームとかできるかな?」
「多分な。それよりお前、手洗いうがいしたか?」
「あっ、忘れてた!」
遥香がパタパタと洗面所に駆けていく。彼女が戻ってくるころ、階段のほうから足音が聞こえた。
蓮が振り返ると、凛々華が少し髪を整えた様子で降りてきた。
「久しぶりね、遥香ちゃん」
「凛々華ちゃん、おひさー!」
遥香が勢いよく飛びつくように駆け寄り、凛々華の手を取ってぶんぶん振る。
「元気そうね。最近、会えていなかったから、安心したわ」
「だよねっ。兄貴がずっと独り占めしてるから!」
「俺のせいかよ」
蓮が苦笑すると、遥香はふふんと胸を張った。
「ねぇ、三人でゲームしないっ?」
「えぇ、いいわよ」
「よっしゃ!」
遥香がガッツポーズをして、すぐにノリノリでゲーム機を準備し始める。
テレビの前に並んで座り、対戦型のゲームが始まった。
「うわっ、凛々華ちゃん強っ……!」
遥香が叫ぶと同時に、蓮のキャラクターが吹っ飛ばされる。
凛々華が薄く笑みを浮かべた。どう見ても、狙っていたとしか思えない。
「隙だらけよ」
「あっ……!」
次の対戦も、蓮と遥香が戦っているところに乱入してきた凛々華により、蓮は撃墜された。
「……凛々華。なんか今日、俺狙いすぎじゃね?」
「気のせいよ」
彼女は即答し、ぷいっと顔を背けた。
遥香が二人を交互に見て、ニヤリと笑う。
「あー、これは何かあったな〜?」
「な、なんもねえよ」
「ふ〜ん?」
遥香が瞳を細める。これはもう、察しているのだろう。
そして、次の対戦で彼女と凛々華の一騎打ちになり、凛々華が最後の技を決めようとしたところで——、
「ねぇ、凛々華ちゃん。さっきまで、兄貴と何してたの?」
「っあ……!」
操作を誤ったのか、凛々華の攻撃はあらぬ方向に繰り出された。
「へへーん、隙あり!」
遥香が凛々華のキャラを吹っ飛ばし、得意げに両手でVサインを繰り出した。
——その両脇に、左右から腕が差し込まれる。
「あ、あれ? 兄貴、凛々華ちゃん?」
遥香が口元を引きつらせる。
「今のは一線を超えてたな」
「えぇ。スポーツマンシップに反していたわ。教育上、見過ごせないわね」
蓮と凛々華は、遥香越しに目を見合わせ、イタズラっぽく笑った。
「ちょ、ちょっと待って! 謝るから! 調子乗ってごめんっ!」
遥香は途端に顔を青ざめさせ、ジタバタと抵抗するが、高校生二人の力に敵うはずもなく。
「問答無用だ」
「後悔しても遅いわ」
「ちょ、まっ——あははははは!」
リビングに、絶叫が響いた。
蓮と凛々華のくすぐり攻撃を受けてから、二分後——。
遥香は床に伏したまま、微動だにしなくなっていた。
「おーい、生きてるか?」
蓮がツンツンとつつくが、返事がない。
「まさに、ただの屍のようだ、ってやつだな。教育完了か?」
「えぇ。完璧よ」
蓮と凛々華は笑みを交わし、ハイタッチをした。
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