第18話 陽キャの幼馴染とお出かけ① —本屋と無邪気—
蓮との初めての接触以降、芽衣は度々彼と凛々華に話しかけてきたり、移動教室を一緒に行こうと誘ってくるようになった。
凛々華と大翔に絡んでくるときは決まって登校中だったようだが、逆に今は学校でしか声をかけてこない。登校時間が異なっているからだろうか。
ただ、何か仕掛けてくるそぶりは見せなかった。
交わした言葉はすべて、クラスメイト同士の他愛のない雑談だ。
大翔たちも相変わらず侮蔑の視線こそ送ってきているが、直接絡んでくる気配はない。
そのため、一抹の不安を抱えたままではあるが、蓮はおおむね平和な学校生活を送ることができていた。
そして、来たる土曜日。
バイトがないときはお昼過ぎまで寝ていることもあるが、その日は朝八時には目が覚めていた。
妹の遥香を起こすため、ではない。彼女の部活は午後からだ。
午前中から用事があるのは蓮自身だった。凛々華と出かけることになっているのだ。
「兄貴っ、デート頑張れよ〜!」
「だからそんなんじゃねえっつーの」
遥香は中学一年生らしくキラキラと瞳を輝かせているが、あいにくと蓮と凛々華の間にそんな甘ったるい空気は流れていない。
今回も近所の本屋に西野圭司の特集コーナーが組まれたため、一緒に見に行くことになっただけだ。
「き、キスとかしちゃうのっ?」
「アホなこと言ってねえで、部活遅れないように準備しておけよー」
興奮気味の妹は放っておき、蓮は鏡で自分の姿をチェックしてから家を出た。
約束の午前十一時ぴったりに、柊家のインターホンを押した。
——ピンポーン。
軽快な音が響くのとほぼ同時に、ガチャっと玄関の扉が開いた。
「うおっ」
「……ずいぶんなご挨拶ね」
蓮が驚いた声を上げると、現れた凛々華が訝しげに眉をひそめた。
「悪い。タイミング良すぎてびっくりしたんだ。玄関の近くで待ってたのか?」
「た、たまたま時間だったからちょうど出ようとしていただけよ。迎えに来てもらう立場で待たせるなんて失礼だもの」
「そ、そうか」
凛々華は、どこか言い訳をするように早口だった。
しかし、蓮の意識はそこではなく彼女の服装に向いていた。
当然だが、普段の制服姿ではなかった。
控えめなレースが飾られたVネックの黒いブラウスに、グレーのプリーツスカートを合わせ、黒のショートブーツを履いて肩に白いトートバッグをかけているその姿は、清楚でありながらも女性らしさを兼ね備えていた。
普段の凛とした制服姿とは少し違う、柔らかさを帯びた姿に、蓮は一瞬だけ息を呑んでしまった。
「……今度は何かしら?」
凛々華が視線を逸らしつつ、どこか不機嫌そうに眉を寄せた。
蓮は慌てて手を振った。
「い、いや、制服じゃねえのがなんか新鮮でさ。めっちゃオシャレだし、偉そうかもだけど似合ってるぞ」
その言葉に凛々華の動きが一瞬止まった。
「……これくらいは普通よ。何も特別なものではないわ」
口調は淡々としているが、どこかぎこちない。その唇は微かに緩み、耳の先がほんのりと染まっていた。
どうやら、拙い語彙ながらもファッションを褒めたことは正解だったようだ。
そういうところはちゃんと女の子らしいんだな、と蓮は思った。
知ってるふうに言えるほど、女の子のことは詳しくないが。
「普通がそれって大変なんだな」
「おしゃれは嫌いじゃないから、苦ではないわ。……そういうあなたも、ちゃんとした格好をするのね」
凛々華がサッと蓮の全身を見て、意外そうに眉を上げた。
蓮は首元を軽く掻きながら返した。
「あまりダサいと、柊に恥をかかせちまうからな。変じゃないか?」
「……そうね、まあ悪くはないと思うわ」
凛々華がどこか素っ気なく返しながら歩き出した、その瞬間。
「——きゃあっ⁉︎」
「危ねぇ!」
玄関前の石段につまずきかけた彼女を、蓮は反射的に腰に腕を回して抱き留めた。
腕にお腹のしなやかな弾力を覚えた直後、ふわりと爽やかなシトラスの香りが鼻腔をくすぐった。
目の前にはいつもより近い彼女の横顔があり、長いまつげがかすかに震えているのがわかる距離だった。
「柊、大丈夫か?」
蓮が立たせてやりながら尋ねると、凛々華は肩を小さく震わせながら、かすれた声で答えた。
「え、えぇ。ごめんなさい……」
蓮の腕の中で顔を少し伏せたその頬は、春の桜のように赤く染まっている。
普段はヒールではなくローファーを履いているため、歩き慣れていないのだろう。
「っ……⁉︎」
蓮の腕に捕まりながら静かに呼吸を整えていた凛々華は、突然ハッと目を見開いた。
自分が掴んでいる蓮の腕と彼の顔を見比べ、一瞬固まった後、慌てたように距離を取った。
幸い、再び体勢を崩すことはなかった。彼女は慎重な足取りで石段を降りた後、胸に手を添えて深呼吸をした。
急に動いたためか、呼吸は再び乱れ、本来の白さを取り戻しかけていた頬は再び色づいている。
(そりゃまあ、高校生にもなってつまずいちゃ恥ずかしいし、混乱するよな)
蓮は凛々華が落ち着くのを待ってから、ゆっくり歩き出した。
彼女は借りてきた猫のように半歩後ろを付いてくる。バッグの持ち手を握りしめているのを見ると、転倒未遂が思いの外ショックだったようだ。
蓮はあえて明るい声で尋ねた。
「西野圭司特集って、具体的にどういうのが売ってるんだ?」
「えっ? あぁ、今回はそんなに大々的なものではないけれど——」
最初こそぎこちなかったが、会話が進むにつれて、凛々華は徐々に落ち着きを取り戻していった。
以前のように身振り手振りを交えてまくし立てるようなことはなかったが、本屋が近づいてくると自然と早足になっており、いつの間にか蓮の半歩前を歩いていた。
足取りも軽く、心なしか表情も普段より柔らかい。
(よほど特集が楽しみなんだろうな)
蓮はひっそりと笑みを浮かべた。
彼女に合わせるように、少しだけ歩幅を大きくした。
本屋に到着すると、真っ先に特集コーナーに向かった。
棚一面に並べられた著作とポスターが、ファン心をくすぐる。
「見て、このカバーアート。限定版らしいわよ」
凛々華が指さした先には、過去の作品の特装版が並んでいた。
「おお、いいな。表紙のデザイン、かなり凝ってる」
「えぇ。でも、やっぱりそれなりの値段はするわね」
凛々華が値段をチェックして眉をひそめるが、その目元は楽しげに緩んでいる。楽しんでいる様子が伝わってきた。
「凛」ではなく「華」の成分のほうが強いのは珍しいな、などとくだらないことを考えつつ、蓮も全体をざっと見て回った。
「確かに。これだけあると選ぶの大変だよな。俺もどれ買うか迷うな……」
真剣に比較検討していると、隣で小さく笑う気配がした。
視線を向けると、紫色の瞳とバッチリ目が合った。
「どうした?」
「い、いえ、なんでもないわ」
凛々華は慌てた様子で目を逸らした。蓮の追求を許さぬように、早口で続けた。
「それよりどれにするのかしら?」
「俺はまだちょっと決めかねてるけど……柊はこれなんかどうだ? 好きって言ってた二作目の特装版があるぞ」
蓮が手に取って差し出すと、凛々華は少し驚いた表情を見せた。
「……よくそんなのを覚えていたわね」
「そりゃ覚えるだろ。あんなに熱弁されたら」
「べ、別に熱弁はしていないのだけれど……でも、確かにいいわね。なら、あなたはこれなんかどうかしら?」
凛々華は蓮に視線を向けないまま、ややぶっきらぼうに一冊の本を差し出してきた。蓮が一番好きな作品だった。
今度は彼が驚く番だった。
「柊こそ、よく覚えてたな」
「前にあんなに力説してたもの」
「対抗してくんな」
蓮がツッコミを入れると、凛々華が口元に手を当ててクスクス笑った。
「っ——」
上品さを漂わせながらも今この瞬間を楽しんでいることが伝わってきて、蓮は息を呑んだ。
凛々華は自分が素直な感情表現をしていることに気づいていないのか、蓮にそれを手渡すと、二冊の本を見比べて何やらブツブツつぶやいている。
その左右に忙しなく揺れる瞳は、一つだけおもちゃを買うことを許してもらって「どっちにしようかな」と迷っている子供のように、キラキラと輝いていた。
いつもどこか冷たさを漂わせている彼女の無邪気な表情に見惚れてしまいそうになり、蓮は慌てて視線を逸らした。
結局、悩みに悩んだ挙句、どちらもオススメし合ったものを購入した。
自分に気を遣ったのではないかという不安が蓮の胸をよぎったが、凛々華は本の入った袋を大切そうに胸に抱えて口元を緩めていた。どうやら杞憂だったようだ。
「この後はどうする?」
「そうね。ちょうどお昼時だし、せっかくならどこかで——」
凛々華が提案を口にしようとした瞬間、
「——あれ? 二人とも!」
それを遮るように軽やかな声が聞こえた。
振り返ると、陸上部のジャージ姿の芽衣が駆け寄ってくるところだった。
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