表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
172/195

第172話 樹のプライドと、心愛の懸念

桐ヶ谷(きりがや)君。せっかく寄ってもらったところ悪いんだけど、ちょっとシャワー浴びてきてもいい? 汗かいちゃったから」

「あっ……うん。もちろん」


 (いつき)は一瞬だけ言葉に詰まり、すぐにコクコクと首を縦に振った。

 心愛(ここあ)のバレエの練習終わり、二人は初音(はつね)家に直行していた。


「ありがと! じゃあ、ゆっくりしててね〜」


 その言葉に、樹は曖昧に笑ってうなずいた。

 こうして練習後に家で過ごすとき、彼女がシャワーに入るのはもう何度目かだ。

 けれど、未だに慣れることはできなかった。


(僕だけが、お風呂って言葉にドキドキしてる……)


 自分が脳内お花畑すぎるのか、それとも、彼女に男として見られていないのか——そんな考えが頭をよぎり、落ち着かない気分になった。

 気を紛らわせるように、テスト用紙をカバンから引っ張り出して睨めっこしていると、しばらくして脱衣所の扉が開いた。


「お待たせ〜」


 心愛はゆったりとした部屋着に身を包んでいたが、それでもなお、輪郭の柔らかさや身体の曲線が、目を惹いた。

 加えて、ほんのり上記した頬と、しっとりとしている銀色の髪の毛が妙に艶かしい。


 樹は慌てて視線を手元に戻しながら、「お疲れ」とだけ口にした。

 心愛は気にした様子もなく、近づいてくる。


「テスト直し? 偉いね!」


 心愛がそう覗き込んできたその瞬間、樹の鼻先をシャンプーの甘い香りがくすぐった。

 同時に、シャツの隙間からピンク色が視界をよぎって、慌てて顔を背けた。


「は、初音さんっ。見えちゃうから……!」

「ん? あぁ、ごめんね〜」

「……もう」


 悪びれる様子もなくニコニコ笑う心愛に、樹はそっとため息をついた。


「——ねぇ、桐ヶ谷君」

「ん?」


 樹が何気なく、振り返ると——、

 

「……見たいの?」


 心愛が頬を赤らめながら、自分のシャツの襟元をくいっと引っ張った。


「えっ……⁉︎」


 動揺で言葉にならない。

 思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。


 そんな樹を見て、心愛はくすっと笑った。


「ふふ、冗談だよ〜。もう、かわいいなぁ!」


 樹に何かを言う隙を与えず、心愛がぎゅっと抱きついてきた。

 

 樹とて男子高校生だ。スキンシップは好きだし、密着されればドキドキはする。

 けれど、そのときは反射的に心愛の肩を押しやっていた。


「それ、やめてよ」

「……えっ?」


 心愛が意味がわからないというように、目を瞬かせる。


「なんかペット扱いされてるみたいで、そういうの、嫌なんだけど」

「っ……!」


 心愛の深海のような青色の瞳が、動揺を表すように揺れ動いた。


「あっ、えっと……」


 強い口調になっていたことに気づき、樹が謝ろうとした——そのとき。


「桐ヶ谷君。手、貸して」


 心愛が樹の手を取る。

 そして、少しだけためらうように唇を噛み——それでも、意を決したようにグイッと自分の胸元へと導いた。


「えっ、ちょ、ちょっと……⁉︎」


 柔らかい弾力が手のひらに伝わり、樹は声を裏返らせた。


「ね、ドキドキしてるの、わかる?」

「あっ……う、うん」


 鼓動が、思った以上に速くて、それだけで胸が締めつけられた。

 心愛は樹の手を両手で包み込み、そっと見上げてきた。


「確かに桐ヶ谷君のこと、かわいいなって思うけど、犬とか猫みたいじゃないよ。……好きだから、そう思うの」

「えっ……」


 樹が目を見開くと、心愛が照れくさそうな笑みを浮かべる。


「なんだろう。ドキドキはしてるんだけど、落ち着くっていうか、そんな感じなんだけど……わかるかな?」

「あっ……うん。それは、なんとなくわかるかも。ぎゅってしてるときとか、ちょっとホッとするし……」

「そう、まさにそんな感じ!」


 嬉しそうにうなずいた心愛は、申し訳なさそうに瞳を伏せた。


「伝え方、悪かったね。ごめんなさい」

「いや……僕のほうこそ、ごめん。勝手に被害妄想してた」

「ううん、言ってくれて嬉しかったよ」


 そう微笑んで、胸元に飛び込んでくる。

 樹も、今度はしっかりと抱きとめた。


「えっとね、言い訳みたいになっちゃうんだけど……」


 腕の中で、心愛がためらいがちに口を開く。


「うん、なに?」

「女の子が男の子に対して『かわいい』って言うのは……好きの、裏返しなんだよ?」


 その一言に、樹の胸がじんわりと熱くなった。


(初音さんは、ずっと好きだって伝えてくれてたんだ。それなのに、僕は……)


 ついネガティヴ思考に陥りそうになり、樹はそうじゃないと思い直した。

 今自分がすべきことは、自己嫌悪に陥ることではなく、想いに応えること。


 心愛の頬に手を添えると、心臓が跳ねた。

 こんなの、らしくないことはわかってる。やっぱりやめようかと思ってしまう。

 

 しかし、樹は動きを止めることなく——、

 そっと、自分から唇を重ねた。


「っ……!」


 心愛が息を呑んだ。

 途端に、不安が樹を襲う。


「あっ、ごめん……やっぱり、いやだった?」

「う、ううん、そんなことないよ! けど……桐ヶ谷君からは、初めてだったから」


 心愛がうつむき、指先をもじもじとすり合わせる。

 樹も少し照れたように笑った。


「僕がヘタレだったのも悪かったし……ちょっとは、頑張らないとって思って」

「っ……」


 心愛が、ふいに顔を背ける。


「初音さん?」

「急にかっこいいのは、ずるいよ……」

「えっ?」

「ううん、なんでもない!」


 樹がおずおずとその体を包み込むと、胸に頬をすり寄せてくる。


「桐ヶ谷君、すっごくドキドキしてるね」

「しょ、しょうがないでしょ」

「ふふ——かわいい」

「っ……!」


 先ほどの告白を聞いてしまった今、樹はもう、その言葉を前に平常心など保てなかった。


「桐ヶ谷君、赤くなってるよ?」


 心愛がツンツンと頬を突いてくる。


「う、うるさいな」


 樹は視線を逸らしてそれを払いのけるのが、精一杯だった。

 勇気を振り絞ってキスをしたというのに、結局いつの間にか、主導権を握られている。


(でも、別にいっか)


 樹はふと、そう思った。

 だって、ちゃんと見てくれているんだから。




 ——ただ、それとは別に、男のプライドというものがある。

 どれだけ愛されていると感じても、それで満足してしまっていいわけではなかった。

 

 もっと自分からリードしたい。もっと、彼女をドキドキさせたい。照れさせたい——。

 そんな欲望が、胸の奥にくすぶっていた。


 だからこそ、樹は揶揄われるのを承知で、(れん)に相談してみた。

 すると、意外にも真剣に答えてくれた。


『意外性、じゃねえかな。普段とのギャップってやつ』


 その一言が、妙に胸に残っていた。


 ——そして迎えた放課後。

 樹は久しぶりに心愛とカフェに来ていた。

 

 少しだけ暖かみを帯びてきた陽射しが差し込む店内。窓際の二人席で、のんびりとした時間が流れている。

 だけど、樹の心は落ち着かない。


(今……? いや、唐突すぎるかな。もうちょっと自然な流れが……)


 あれこれと考えを巡らせていると、心愛が不思議そうに首を傾げた。


「桐ヶ谷君。どうしたの?」

「えっ?」

「今日、ちょっと変だよ。具合とか悪い?」


 その一言に、樹は肩をびくりと震わせた。


「あっ、いや、その……」

「ん?」


 心愛が優しく微笑む。

 それだけで、胸が締めつけられる。同時に、伝えたいという思いも湧き上がった。


「……変なこと言うけど、さ」


 言葉に詰まりつつも、樹は顔を上げて続けた。


「初音さんのこと、すごく……好きだよ」


 その瞬間、時が止まった。

 心愛はぽかんと口を開けたまま、固まっている。

 樹の胸に、一気に後悔の念が押し寄せてきた。


「ご、ごめんっ! なんでもない!」


 真っ赤になりながら、ブンブン手を振ると——、

 

「なんでも、ないの?」

「えっ?」


 樹が思わず視線を戻すと、心愛がはにかむように笑った。

 

「私、すっごく嬉しかったよ?」


 よく見ると、彼女は耳まで真っ赤になっていた。


「キモいとか……思わないの?」

「好きな人に好きって言われて、そんなこと思うわけないよ」

「そ、そっか……」


(思ってたのと違うけど……まあ、いいか)


 樹は達成感を覚えながら、照れ隠しに話題を変えた。


「そ、そういえばさ。蓮君と柊さん、ストバスの大会終わったあと、反動ですごいことになりそうだよね」


 蓮はお世話になった先輩たちとストバスの大会に出るため、バイトのない日の放課後は、電車で地元に戻って練習しているらしい。


「うん……でも、凛々華ちゃんがちょっと心配かな」


 心愛はふっと眉を下げた。

 

「寂しがっちゃうってこと?」

「うん。大丈夫だとは思うけど……たぶん、テスト終わってデートできるの、すっごく楽しみにしてたからさ。たしか黒鉄君、バイトも減らしてるんでしょ?」

「うん。そう言ってたかな」

「そうなると、学校以外ではほとんど会えなくなるんじゃないかな」

「まあね」


 バイトとストバスの練習、家事、そしてプログラミングの勉強と、蓮は多忙を極めている。二人きりの時間は、ほとんど取れなくなるだろう。

 しかし、樹はあまり心愛の懸念に共感できなかった。


「でも、二週間だよ? 柊さんってそういうの、わかってくれそうじゃない? 理屈っぽい人だし」

「ふふ、確かにね。でも、意外とああいう子が寂しくなっちゃったりするかもよ? 女の子って、基本的に感情の生き物だから」

「……初音さんも?」


 樹がためらいがちに尋ねると、心愛がにっこりと笑ってうなずいた。

 

「そうだよ〜。だから、定期的にさっきみたいなこと言ってくれないと、不安になっちゃうかもね?」

「ぜ、善処します……」


 樹は思わず背筋を正した。

 心愛が「よろしくね〜」と小悪魔じみた笑みを浮かべながら、軽やかな動作でマグカップを手に取る。


 その笑顔が、まぶしくて愛しくて——

 もっと照れさせたいと願った自分の気持ちも、少しだけ報われた気がした。

「面白い!」「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークの登録や広告の下にある星【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!

皆様からの反響がとても励みになるので、是非是非よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ