第167話 バレンタイン前の女子会① —凛々華のぶっちゃけ—
——土曜日の朝。
「黒鉄君、凛々華さん。ちょっといいっすか」
蓮と凛々華が出勤すると、彩絵が小走りで近づいてきた。
いつもの軽い口調ながら、その表情にはどこか緊張が滲んでいる。
「どうした?」
「明日も明後日もシフト被ってないんで、ちょっと早いっすけど……ハッピーバレンタインっす」
弁明じみた口調でそう言いながら、彩絵は小さな紙袋を差し出してきた。
中には、市販とは思えないほど上品な包装のチョコが入っていた。
「え、これ……いいやつじゃないか?」
「本当ね、こんなに高そうなものを……」
蓮と凛々華は驚きの声を漏らした。
「二人には日頃からお世話になってるし、迷惑もかけたっすからね。一応、誠意を見せないとって思って」
「でも、前に猫カフェの割引券もくれたのに、悪いな」
「あれはただ横流ししただけっすから」
彩絵が照れたように頬をかいた。
凛々華が袋をカバンにしまい、別の袋を取り出す。
「えっと、私も一応、用意してきたのだけれど……」
「えっ……マジすかっ?」
彩絵が目を見開いた。
「えぇ。遅いよりは早めのほうがいいと思って。でも、こんないいものをもらえるとは思っていなくて、普通の——」
凛々華が言葉を止め、息を呑んだ。
——彩絵の瞳に、透明な雫が浮かんでいた。
「えっ、なんで泣いてるのよっ?」
「す、すみませんっ……!」
彩絵が鼻をすすり、目元を拭う。
「やっぱり、心のどこかでは、まだ許されてないと思ってたんでっ……前倒ししてまで用意してくれたのが、すっごく嬉しくて……!」
しゃくりあげる彩絵に、凛々華がそっと近づいた。
「……ばかね」
優しくそう言いながら、背中に手を添える。
その仕草には、どこか照れと、さりげない思いやりが滲んでいた。
しばらくして、彩絵の涙は止まった。
「……すみません。取り乱して」
「それは構わないけれど……私は、許してないなら許してないと言うわ。そんな器用ではないもの」
凛々華がふっと微笑むと、彩絵がごくりと唾を飲んだ。
「凛々華さん」
「な、なにっ?」
真剣な表情の彩絵に、凛々華がたじろぐ。
「よければウチを、嫁にしてくださ——うっ」
凛々華が無言でチョップを繰り出し、スタスタと更衣室へと歩いて行った。
彩絵が脇腹をさすりながら、蓮にそっと耳打ちする。
「こんなに優しいチョップ、初めてなんすけど」
「あいつ、プレゼントとかもらった相手には手加減するんだ」
「なんすかそれ、かわいすぎるでしょ」
蓮と彩絵がヒソヒソと言葉を交わしていると、
「なにか言っているかしら?」
凛々華がくるりと振り返った。
「い、いえ、後ろ姿が綺麗だなって話してたんすよ。抱きしめたくなるっすよね?」
「おう——って、誘導尋問すんな」
「……なにを言ってるのよ」
凛々華は呆れたようにため息をつきながらも、ふっと笑って更衣室に消えていった。
「俺らも着替えるか」
「そうっすね」
蓮が着替え終えて少しすると、女性更衣室から凛々華が出てきた。
続いて姿を見せた彩絵は、脇腹を押さえながら苦笑を浮かべている。
凛々華が恵と話している間に、彩絵がすすすっと近づいてきた。
「……黒鉄君」
「どうした?」
「柊さん、プレゼントもらった相手には優しくするんじゃなかったんすか?」
「あぁ——一回目だけな」
「ちょ、それ早く言ってくださいよ」
「ドンマイ」
蓮は思わず吹き出してしまった。
◇ ◇ ◇
——バイトの帰り道。
蓮はふと、口を開いた。
「伊藤、まさか泣くとは思ってなかったな」
凛々華はほんの少し視線を上げてから、静かに答える。
「感性が豊かなんでしょうね」
「そういうことだよな」
だからこそ、あのとき——元カレに再会して動揺していた傷心の中で蓮に慰められたことに、心が動いてしまったのだろう。
凛々華も同じことを考えていたのか、どこか複雑な表情をしていた。けれど、それを口にすることはなかった。
蓮は気分を切り替えるように、前を向いたまま話題を変える。
「そういえば、明日は朝から初音たちが来るんだろ?」
「えぇ」
凛々華は短くうなずくが、その声はどこか弾んでいる。
心愛、夏海、亜里沙——いつもの女子三人を自宅に招き、一緒にバレンタインのチョコを作るらしい。
「楽しそうだよな」
「にぎやかになるでしょうね。でも、蓮君は来ちゃダメよ」
「わかってるよ。お呼びがかかるまで、待機してればいいんだろ?」
「えぇ」
凛々華は瞳を細めてうなずいた。
バレンタイン本番は明後日だが、学校とバイトがあるため、蓮がチョコを受け取るのは明日のうち、という予定になっていた。
「楽しみだな」
「あまり期待しないでよ」
蓮のつぶやきに肩をすくめる凛々華の口元は、ほんのり弧を描いていた。
◇ ◇ ◇
——翌朝。
「おぉ、ここが柊家か!」
到着するなり、夏海が感動の声を上げた。
「普通の一軒家よ」
凛々華が苦笑しつつ、扉を開けて三人を招き入れた。
買ってきた材料——製菓用のチョコレートやココアパウダー、デコレーション素材などを並べると、ダイニングテーブルはいっぱいになった。
「ちぇ、私だけ作る相手いないよー」
夏海が材料を見回し、唇を尖らせた。
亜里沙が、デートをしていた相手に告白されて付き合ったため、恋人がいないのは夏海だけなのだ。
「青柳君とかには渡すんじゃないの?」
「もう買ってあるもん」
「でも、仲間外れは寂しいから来たんだ?」
「うるさいな」
亜里沙の意地の悪い問いかけに、夏海はふん、と鼻を鳴らした。
「大丈夫よ。水嶋さんにはどく……味見という大事な役割があるから」
「ちょ、柊さん⁉︎ 今毒味って言いかけなかった⁉︎」
「気のせいよ」
「気のせいだね」
「気のせいじゃないかな〜」
凛々華、亜里沙、心愛は揃ってすっとぼけた。
「くそぉ、リア充どもが結託して……!」
夏海は両手を握りしめて呻いた。
「でも、夏海ちゃんなら彼氏くらい、作ろうと思えばすぐ作れると思うけどな〜」
「そんなことないよ。それに、それってなんか不誠実じゃない?」
「でも、付き合ってみなきゃわからないこともあるでしょ。合わなきゃ別れれば良いんだし」
亜里沙の言葉は、どこか含みがあった。
「実際、そういうのあった?」
「あったよ」
「えっ、どんなの?」
夏海が瞳を輝かせて、身を乗り出す。
「まあ、なんていうの? 意外と大雑把に見えて気が遣えるなー、みたいな」
亜里沙の口元には、照れたような微笑みが浮かんでいる。
付き合い始めの幸福感が、自然とにじみ出ていた。
「ふむ、なるほど……二人は?」
「桐ヶ谷君は、思ったより負けず嫌いだったかな。それに、すごく頑張って楽しませようとしてくれるんだ〜。凛々華ちゃんは?」
「い、いえ、私はそういうのは……」
わずかに視線を逸らす凛々華に、夏海がずいっと距離を詰める。
「柊さん。せっかくのガールズトークなんだから、ぶっちゃけちゃおうよ!」
「でも、本当に思い当たらないのよ。思ったよりもスキンシップは多めだったけど、それ外は……鈍感なのも、ちょっとデリカシーがないのも……誠実で頼り甲斐があるのも、全部わかっていたもの」
「あー、まあ、確かにそっか」
「付き合う前から仲良かったもんねー」
夏海と亜里沙が、納得したようにうなずく。
すると、心愛が思いついたように尋ねた。
「逆に、自分の意外だったところとかはないの?」
「っ……」
凛々華は言葉を詰まらせた。
「あっ、これあるな!」
夏海の瞳がギラリと光り、再び凛々華に詰め寄った。
手をマイクの形にして、突き出す。
「さぁ、柊さん。発表してください!」
「いえ、そんな大したことではないのだけれど……」
「いいよいいよ! なに?」
三人に期待の眼差しを向けられ、凛々華は頬を染めてうつむいた。
「えっと、その……」
指先をもじもじとすり合わせ、しばらくためらうように視線を泳がせてから、覚悟を決めたように口を開いた。
「……キスとか、思ったより好きだったみたいで……」
「「「っ……!」」」
三人は揃って息を呑んだ。
「な、何よその反応っ?」
「いや……」
夏海が考え込むようにあごに手を当て、ふと凛々華を見上げた。
「柊さんもアリか」
「はっ?」
ぽかんと固まる凛々華の肩を、亜里沙がポンポンと叩いた。
「柊さん、両方いたほうが楽しいって聞くよ?」
「なんの話よ!」
——凛々華の予想通り、チョコ作りという名の女子会は、賑やかに進行していった。
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