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第160話 クリスマスデート③ —男の夢と、遥香の思い—

「そんなもの、準備してたのかよ」


 頭についた紙を払いながら、(れん)は苦笑いを漏らした。


「だって、せっかく凛々華(りりか)ちゃんが来てくれたんだよ? こっちも相応の準備しないと!」


 遥香(はるか)は得意げな笑みとともに、サンタ帽を軽く指で弾く。


「ふふ、似合ってるわよ。とてもかわいいわ」

「ほんと? ありがとっ! じゃあさ、凛々華ちゃんも被ってみる?」


 遥香が帽子を外して、ずいっと差し出す。

 凛々華は笑いながら首を振った。


「私は遠慮しておくわ。ちょっと恥ずかしいし」

「そっかぁ、残念!」


 遥香はそう言って笑い、帽子を被り直した。


(あれ、珍しくすんなり引き下がったな……)


 蓮は違和感を覚えた。

 普段なら、もう少し強引に食い下がるはずなのだが、遥香なりに気を遣っているのかもしれない。


(変なところで、ませてるんだよな)

 

 内心で苦笑しつつ、スマホを取り出す。


「じゃあ、ピザ頼んじゃうか」

「イエス! 私、バジル乗ってるやつがいいなー」

「あら、大人なチョイスね」


 凛々華が感心すると、遥香は照れくさそうに「えへへ〜」と笑った。


 注文を完了させると、蓮と凛々華は付け合わせのサラダを作り始めた。

 凝ったことはしない。少しだけ栄養を補う程度の、簡単なものだ。


「凛々華、トマト切ってくれるか?」

「えぇ」


 凛々華はサッと水洗いをすると、包丁を手にもつ。


(相変わらず、うまいな)


 蓮が感心していると、「トイレ行ってくるー」という遥香の声が聞こえた。

 扉が閉まったタイミングで、蓮はふと口を開いた。


「そういえば、凛々華の手料理って、まだ食ったことないな」

「……え?」


 凛々華が動きを止め、怪訝そうに眉を寄せる。


「どうしたのよ、急に」

「いや、食べてみたいなって思って」

「……蓮君のほうが、上手だと思うけれど」

「それでもやっぱ、男の夢ってやつだからさ。彼女の手料理は」

「なによ、それ」


 凛々華が呆れたように笑う。


「いや、これマジだから」

 

 蓮が真顔になると、凛々華がふいっと視線を逸らす。


「……気が向いたらね」

「おう。楽しみにしてるぜ」


 蓮はビシッと親指を立てた。


「まったく、調子がいいんだから……」


 凛々華は呆れたようにため息を吐くが、その口元はほんのり弧を描いている。

 この様子なら、いつか本当に食べられるときが来るかもしれない。


(あんまり催促しないようにしないとな)


 自分に言い聞かせ、蓮は料理に意識を戻した。




◇ ◇ ◇




「じゃあ、行ってくるな」


 蓮がひらりと手を振り、玄関を出ていく。ピザを受け取りに行ったのだ。


「寒いし、戻りましょう」

「うん」

 

 遥香は、凛々華に続くようにリビングに戻った。

 二人で並んでソファーに腰掛けると、静けさが広がる。


 遥香がチラリと横目で伺うと、凛々華はリラックスした表情を浮かべていた。

 負の感情なんて、少しも伝わってこない。


(でも、凛々華ちゃん、そういうの隠すのうまそうだし)


 凛々華は流されないタイプだけど、同じくらい気遣い上手なんだよな——。

 遥香はふと、いつしか蓮が言っていたことを思い出した。

 もしかしたら、内心では現状に不満を覚えているかもしれない。


(今しか、ないよね)


 遥香はうつむいたまま、おずおずと切り出した。


「あの……凛々華ちゃん」

「どうしたの?」


 何かを察したのか、凛々華の声は驚くほど優しかった。

 遥香の喉がきゅっと詰まり、思わず目尻が熱くなる。


(でも、ここで泣いたら、ますます迷惑かけちゃう)


 遥香はグッと涙を堪え、ぽつぽつと言葉を漏らした。


「せっかくのイブなのに、二人の時間、邪魔しちゃって……ごめんなさい」

「……元気がないと思ったら、そういうことだったのね」


 凛々華が柔らかい笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振る。

 

「謝る必要なんてないわ。みんなで過ごすのも楽しいし、ちょっとお兄さんぶる蓮君も見られて面白いもの」

「……うん」


 遥香はかすかに笑みを漏らす。けれど、気持ちはまだ揺れていた。

 そんな空気を察したのか、凛々華が改まったような口調になる。


「——ねぇ、遥香ちゃん。誰もいない家に一人でいるのって、ちょっと寂しいでしょう?」

「……まあ、うん」

「私も母子家庭で、お母さんが仕事で遅くなることも多かったから、その気持ちはよくわかるわ」

「えっ……凛々華ちゃんも、寂しかったの?」


 遥香は驚きに目を見張った。

 凛々華は寂しさとか、そういうものとは無縁の人だと思っていた。

 

「特に、小さかったころはね」


 凛々華がくすっと笑みを漏らした。

 柔らかい表情のまま、そっと遥香の頭に手を置いて続ける。


「それに、遥香ちゃんには色々とお世話になっているもの。蓮君と仲直りさせてくれたときだけじゃなくて、他にもたくさんね。だからこれは、恩返しでもあるのよ」

「そんなこと……私はただ、一人で勝手に楽しんじゃってるだけだし……」


 遥香がうつむくと、凛々華は「それがいいのよ」と笑った。


「今日は、楽しめているかしら?」

「……うん。正直、一人はやっぱり寂しかったから。凛々華ちゃんが来てくれるって聞いて、本当に嬉しかった。調子乗って、こんなのまで買っちゃったし」


 遥香は少し照れたように、サンタ帽のふちをつまむ。

 凛々華はふわりと笑った。


「それなら、何も文句なんてないわ。それに、ここだけの話、その……妹想いなところに、ちょっと……惚れ直したというか」

「えっ?」


 遥香は目を丸くした。


「あっ、いえ、別に変な意味じゃないわよ⁉︎ ……ただ、これがきっかけで喧嘩とか不満とか、そういうのはないって言いたいだけで!」

「——ぷっ」


 凛々華の慌てっぷりを見て、遥香は思わず吹き出した。


「わ、笑わないでよ……っ」


 凛々華が火照った頬を隠すように、両手で顔を覆った。


「だって、凛々華ちゃん真っ赤だもん……!」


 遥香はしばらく笑っていたが、それが収まると真剣な表情に戻った。


「でも、ありがとね。これで二人が微妙な感じになっちゃったらどうしようって、ちょっと不安だったから……」

「全然問題ないわ。……特別に、見せてあげる」


 凛々華がスマホを操作し、渡してくる。

 リンクサイド、プリクラ、クリスマスツリーの前——。

 そのすべてのツーショットが、幸せに満ちていた。


「二人とも、いい笑顔だね……」

「えぇ。これで、安心できたかしら?」

「うん……ありがとう」


 特に凛々華はどれも照れくさそうだったけど、さすがに今はイジるときではないと、遥香もわかっていた。


「それに、もしまたすれ違っても大丈夫よ。だって——」


 凛々華が再び遥香の頭に手を伸ばし、微笑んだ。


「——私たちには、心強いキューピットがいるんだもの」

「っ……うん!」


 遥香はぱっと顔を上げて、笑顔でうなずいた。


 ——そのとき、玄関の開く音がした。




◇ ◇ ◇




(二人とも、うまくやってるかな……)


 蓮は少々の不安を覚えながら、早足で帰路についていた。

 遥香の元気がないことには、気づいていた。


(ま、凛々華のことだから大丈夫だろうけど)


 そう自分に言い聞かせつつ、鍵を開けて玄関の扉を引く。


「ただいまー」

「おかえりー!」


 中に声をかけた瞬間、明るい声が返ってきた。

 トタトタという軽い足音とともに、遥香が姿を見せる。


(……さっきより、表情も明るくなってるな)


 変化に気づいた蓮は、続いて現れた凛々華へと視線を向ける。

 彼女は静かに微笑んでうなずいた。


(……助かった)


 蓮は小さく目礼を返す。


「わぁ、めっちゃいい匂い!」


 遥香がぴょんと跳ねるように近づいてきて、箱を受け取る。


「おぉ、うまそー!」


 食卓で早速箱を開けて、遥香は歓声を上げた。


「遥香、ますは手洗っちゃえ」

「はーい! あっ、そうだ、兄貴っ」


 遥香がイタズラっぽく、蓮を見上げる。


「さっき、凛々華ちゃんが——」

「——黙りなさい」


 背後から忍び寄っていた凛々華が、遥香の脇腹に手を伸ばした。


「ちょっ、ひゃっ……! や、やめっ……あはは、わ、わかった、わかったからっ!」


 遥香はくすぐったさに抗うように身をよじらせながら、必死に許しを乞う。

 ややあって手を離した凛々華は、やれやれと言わんばかりに息をついたあと——、


「……なんでもないから」


 じっとりとした視線を蓮に向けてきた。

 その頬はわずかに、けれど確かに赤く染まっていた。


「お、おう……」


 蓮が苦笑いを漏らすと、凛々華は頬を膨れさせ、逃げるように洗面所に向かった。


(遥香を慰めるために、何か言ってくれたんだろうな)


 胸がじんわりと温かくなるのを感じながら、蓮もその後に続く。


「……なんで、ついてくるのよ」

「いや、普通に手洗いうがいするためだけど」

「っ……!」


 ますます顔を赤らめる凛々華に、蓮はそっぽを向いて必死に笑いを堪えた。

 ——直後、凛々華の渾身の手刀が、彼の脇腹に炸裂した。

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