第16話 クラスメイトからの接触
「ふぅ……」
柊家と書かれた表札の前に立ち、蓮は小さく息を吐いた。
(ただのボディガードのはず、なんだけどな)
苦笑しつつ、インターホンを押す。
ゆっくりと扉が開き、制服姿の凛々華が姿を見せた。
「……おはよう」
ほんのり気恥ずかしげではあるが、どこかホッとしたような表情になったのを、蓮は見逃さなかった。
思っている以上に、大翔のことは警戒しておくべきかもしれない。
「よう。約束通りの時間だろ?」
「この世には、三日坊主という言葉があるわ」
「朝から返す刀が強えよ」
苦笑とともに文句をつけると、凛々華が小さく鼻を鳴らす。
いつも通りのやり取りに、少し気が楽になった。
「じゃあ、行くか」
「えぇ」
——並んで歩き出す二人の頬は、少しだけ照れくさそうに染まっていた。
◇ ◇ ◇
「あれ〜?」
移動教室の準備をしている蓮の耳に、隣から間の抜けた声が届いた。
心愛が困ったように眉を八の字に寄せて、カバンの中を覗き込んでいる。
「初音、どうした?」
「次の授業で定規使うじゃん? 持ってきたはずなんだけど、見つからなくってさ〜」
「なら、俺の一緒に使うか?」
蓮は筆箱から定規を取り出した。移動教室でも、基本的には彼女と隣同士だ。
「えっ、いいの? ありがとう〜」
「おう」
(この子の笑顔を見てると、こっちも温かい気持ちになるな)
蓮がつられて笑みを浮かべていると——突然、二人の間にスッと定規が割り込んだ。
「初音さん。これを使って」
「えっ、凛々華ちゃんは?」
心愛が目を丸くさせると、凛々華がもう一本取り出す。
「問題ないわ。私は予備を持っているから」
「そうなんだ〜。さすがだね、ありがとう!」
「……これくらい、普通のことよ」
凛々華は少しそっけない態度だったが、頬をわずかに染め、視線をさまよわせている。
いつもよりも冷たく感じられたのは、緊張していたからなのかもしれない。
こちらはこちらで微笑ましく思っていると、視線に気付いたのか、凛々華は横目で鋭い眼差しを送ってきた。
「っ……」
「黒鉄君もありがとね〜」
「お、おう。困ったときはお互い様だ」
「だね〜」
無意識だろうが、心愛のナイスアシストで、凛々華のプレッシャーから逃れることができた。
ただ、どのみちすぐに解放されていただろう。なぜなら——、
「柊さん。一緒に行こ?」
クラスメイトの島田芽衣が、凛々華にお誘いをかけたからだ。
芽衣は大翔の取り巻きではないが、どちらかといえばイケてるグループに所属していて、あまり凛々華と絡んでいるイメージはなかった。
「……えぇ」
凛々華は一瞬だけ意外そうに眉を上げたものの、特に逆らうことはなくうなずいた。
「あっ、黒鉄君もどう?」
「えっ? いや、俺はいいよ。邪魔しちゃ悪いし」
凛々華とはこれからも仲良くしていきたいと思っているが、ひっつき虫にはなりたくない。
社交辞令の類だろうと思っていたが、意外なことに芽衣は引かなかった。
「えー、全然邪魔じゃないよ。ね、柊さん?」
「……別に、黒鉄の好きにしたらいいと思うけれど」
「じゃ、決定だね! ほら、早く行こうよ」
「おう。ちょっと待ってくれ」
三人で教室を出るとき、大翔とその取り巻きはまだ教室に残っていた。
大翔は一瞬だけ蓮を見やって、見下すような笑みを浮かべる。
(……またか)
明らかに状況に合っていない表情を向けられるのは、何度目だろうか。
「黒鉄君、どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
振り返った凛々華に声をかけられ、蓮は首を振って歩き出した。
——昼休み。
校舎裏のベンチで、蓮と凛々華は今日も並んで弁当を食べていた。
「島田とは、普段から仲良いのか?」
「他のクラスメイトに比べたら、話すほうだと思うわ」
気になっていたことを尋ねると、淡白な答えが返ってくる。
これが素だとわかっているので、特に嫌な気持ちにはならない。
「へぇ。あんまり一緒にいるイメージなかったな」
「登校中に、よく話しかけてきていたわね。最近はないけれど、たまに合流して大翔と三人で来たりもしていたわ」
「なるほど。そういうことか」
「そうでしょうね。彼女がいるときは、適当な相槌を打つ必要もなくなるから楽だったわ」
「お、おう」
なんとも清々しそうな表情に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「にしても、今日も綺麗にまとまってるな」
一段目には梅干しが中央に鎮座する白ご飯が敷き詰められ、二段目には彩り鮮やかな卵焼きやミニトマト、ほうれん草の胡麻和えが隙間なく詰められていた。
バイキングならまず見かけることのない、色鮮やかで健康的な配列だ。
「別に普通よ。冷凍食品も使っているし、あなたのように朝食は作っていないもの」
凛々華はサラリと答えたあと、ふいに箸を置いてこちらを見た。
「それより、黒鉄君に一つだけ言っておくけれど……他の人と過ごしたければ、好きにしてもらって構わないから。私といるのは、義務ではないのだし」
「……急に、どうした?」
発言の意図がわからなかった。特に不満を表したつもりはないし、実際にそんなものは感じてすらいないのだが。
凛々華は瞳を泳がせてから、探るように流し目を向けてくる。
「大翔が絡んでこなくなった影響が大きいのでしょうけど……特にあなたが訴えかけて以降は、クラスの雰囲気も変わってきていると思わない?」
「あー、まあ確かに、なんとなくみんなからの接し方は変わってきてるな」
まだまだ腫れ物扱いされている部分はあるが、大翔のご機嫌取りのために蓮に冷たくする者はいなくなったし、先程の芽衣のように、向こうから声をかけてくることも増えた。
「初音さんや島田さんとも波長が合うようだし、彼らに悪感情を抱いてはいないのでしょう? だったら、私とわざわざ一緒に過ごす必要はないということを伝えたかっただけよ」
凛々華の口調は、まるで教科書を読み上げるように抑揚がなかった。
なるほど、そういうことか。蓮は短く息を吐いた後、笑みをこぼした。
「マジで優しいんだな、柊は」
「えっ?」
「俺が他のやつらとも絡みやすいように、ってことだろ?」
凛々華は小さく息を呑み、そっと視線を逸らした。
どうやら、推察は間違っていなかったらしい。
「気遣いは嬉しいけど、一つ勘違いしてるぞ」
「なによ?」
「他に友達ができたところで、それが柊と話さなくなる理由にはならないだろ」
「っ……」
凛々華の肩がかすかに上下し、握りしめていた箸がほんの一瞬だけ手を離れそうになる。
予想もしていない答えだったのだろう。彼女は少し、考えが極端なのだ。
「そもそもの話、他のやつらのことも嫌いじゃねえけど、唯一味方をしてくれてたんだから、柊のことは一番信頼してるよ」
蒼空や心愛のような例外は除くとして、見て見ぬフリをしていたクラスメイトと凛々華。どちらがより好ましいのかは明白だ。
「……それは、そうかもしれないけれど」
凛々華は煮え切らない相槌とともに、瞳を伏せる。
(あれ、また何か気に障るようなこと言っちゃったか?)
蓮が不安になった、そのときだった。
一陣の風が吹き、凛々華の髪の毛がふわっと舞い上がる。
——あらわになった彼女の頬と耳は、まるで太陽の光に染め上げられたかのように赤く色づいていた。
「あっ……」
凛々華が慌てたように髪の毛を整えるが、時既に遅しだった。
彼女は様子を伺うようにチラッとこちらを見てから、すぐにそっぽを向いた。
「っ……!」
今度は、蓮が息を呑む番だった。今更ながら、小っ恥ずかしい言葉を口走ったと自覚する。
しかし、訂正する気にはならなかった。全部、紛れもない本心だ。
とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいため、誤魔化すように食事に集中する。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れるが、それも長くは続かなかった。
「——わぁ、本当に一緒に食べてるんだ」
軽やかな声が聞こえて、蓮と凛々華は揃って顔を上げた。
芽衣が驚いたように瞳を丸くさせて、こちらを見つめていた。
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