第153話 凛々華の誕生日② —成長の証—
再集合した蓮と凛々華が向かったのは、水族館に併設するカフェだった。
かつて、バイトの先輩の恵に水族館のチケットを押し付けられ、二人で訪れたところだ。
「テラス席、空いているわね」
「寒くないか?」
「今日は少し暖かいから、大丈夫よ。蓮君は?」
「俺も大丈夫だ」
海の見える席に腰を下ろし、店員が持ってきたメニューを開く。
「値段とかは気にしなくていいからな。特別な日なんだから」
「えぇ、ありがとう」
「飲み物でもパフェでも、なんでも頼んでいいぞ。このページのもの全部、とかはさすがに困るけど」
「そんなに食いしん坊じゃないわよ」
凛々華が呆れたように笑う。
しかし、ドリンクを注文したあと、彼女は打って変わって静かに口を開いた。
「……蓮君。前に私がデートを断ってしまったこと、覚えてる?」
「っ——」
蓮は小さく息を呑んだ。向こうから話題に出してくるとは思わなかった。
デートを断られたのは、凛々華の生理が重かったあのときだけだ。デート先は、このカフェの予定だった。
「……覚えてるよ。まあ、あれは仕方なかっただろ」
「えぇ、でも……あのときは、ちゃんと説明しなくてごめんなさい。自分のことでいっぱいいっぱいになって、蓮君の気持ち、全然考えられていなかったわ」
「俺も気づけなかったから、気にすることはねえよ。それに、こうして記念日に来られたんだから、結果オーライじゃねえか?」
凛々華が驚いたように目を見開き、それからスッと瞳を細める。
「もしかして、あえてここを選んだのは、そのためかしら?」
「……まあ、そんなところだ」
凛々華ならば勘が良くても好きだが、良すぎるのも困ったものだ。
半強制だったとはいえ、付き合う前にデートをした思い出の場所で、凛々華も気に入っていた。
腫れ物扱いはしたくなかったし、楽しい記憶で塗り替えておきたかった。
「そういうことだったのね。……ありがとう、蓮君」
凛々華が照れたように微笑んだ。
蓮の心臓がドクンと跳ねる。いつもなら誤魔化してしまうところだが——、
(今日は、とことん甘やかすって決めたから)
蓮は意を決して、口を開いた。
「その笑顔が見られたなら、満足だよ」
「なっ……⁉︎ なにいきなりバカなこと言ってるのよっ」
「ただの本心だよ。……そうやって照れてくれるのも、かわいい」
「っ〜〜!」
凛々華が限界というように、顔を覆った。
「もう、なんなのよ……!」
「誕生日、だからな」
蓮自身も、頬が熱を持つのを自覚しつつ、肩をすくめてみせた。
指の間から、紫色の瞳がじっとりと睨みつけてくる。
「……そんなこと言って、揶揄いたいだけじゃないでしょうね?」
「違うって。今日くらい、ちゃんと伝えたいなって思っただけだから。嫌なら、やめるけど」
「い、嫌じゃないけど……ほどほどにしてちょうだい」
凛々華が瞳を伏せ、囁くように言った。
「……こっちの身が、もたないから」
「っ……おう」
蓮は気恥ずかしさを払うように、話題を変える。
「そういえば、前に来たとき、ペンギン見てめっちゃ興奮してたよな」
「うっ……だって、かわいかったじゃない。飛び込もうとして飛び込めないのとか」
「間違いねえな」
反論になっていない反論に、蓮は笑いながらうなずいた。
「また今度、来ましょう」
「そうだな。好きなだけペンギン見ていいぞ」
蓮が軽い口調でそう言うと、凛々華の瞳がギラリと光る。
「言ったわね? それだけで、一日が終わってしまうかもしれないわよ」
「好きすぎるだろ。別にいいけど」
「いいのね」
水面のように穏やかな笑みが、二人の間に広がる。
それからも、涼やかに吹き抜ける潮風に頬を撫でられながら、穏やかな会話を楽しんだ。
しかし、カフェを出て、隣接する公園の奥へと足を運び始めると、お互いに目に見えて口数が減った。
意識してしまっているからだろう。
——この先にある、あの場所を。
やがて視界が開けると、芝生の先には海と夕陽が一面に広がっていた。
「やっぱり、綺麗ね……」
「そうだな……」
二人はしばし、絶景に目を奪われていた。
「……あのとき」
凛々華がぽつりと切り出す。
「ん?」
「蓮君からツーショットを撮らないかって言われたときは、本当にびっくりしたわ。恵さんからの指令だって、最初に言いなさいよ」
「はは、悪いな。俺も緊張しててさ。……でも、今思えば、あのときから凛々華のこと、好きだったのかも」
「えっ?」
凛々華がゆっくりと瞬きをした。
「外国人のカップルに煽られて、凛々華からくっついてくれただろ?」
「えぇ……そうだったわね」
「あれ、もちろんドキドキはしたんだけど、それ以上に嬉しくてさ。ただの友達だったら、ああはなってなかっただろうなって」
「そう……」
凛々華が噛みしめるように、つぶやいた。
穏やかな眼差しで、オレンジ色に染まる海を見つめている。
「じゃあ私たち、けっこう両片想いの時期が長かったということかしら?」
「そうなるよな。ごめん、俺がもっと早く気づいてれば……」
「いえ、責めたいわけじゃないのよ。蓮君の場合は仕方なかったし、ああいう時期もきっと必要だったもの。でも、それとは別に——」
凛々華は蓮に視線を向け、イタズラっぽく瞳を細めた。
「単純に鈍感よね、蓮君って」
「うるせえ」
一拍置いて、二人は同時に吹き出した。
ひとしきり笑ったあと、蓮は表情を引きしめる。
「予約の時間もあるし、そろそろ撮るか」
「えぇ、そうね」
緊張した面持ちでうなずく凛々華の肩を、優しく抱き寄せた。
「っ……」
凛々華の肩が跳ねるが、拒むことはなく、そっと蓮の腰に手を回して身を寄せてきた。
彼女の体温で、胸が満たされていく。
誰の指示でもなく、自分たちの意思でこうして寄り添っていることに満足感を覚えながら、蓮はシャッターを切った。
一緒に画面を覗き込む。
「……いい写真だな」
「……そうね」
微笑みながら身を寄せ合う二人は、どう見ても幸せなカップルだった。
ふと、凛々華が携帯を操作する。
「私たちも、ずいぶん成長したわね」
そう言って見せてきたのは、以前のツーショットだった。
肉体的な距離感こそあまり変わっていないものの、二人とも背後の夕焼け以上に顔を真っ赤にして、ぎこちない表情を浮かべている。
「とても同じやつらだと思えないな」
「そうね。次は、もっと自然になっているかしら」
「変に意識して、またぎこちなくなる可能性もあるぞ」
「ふふ、それはそれでいいじゃない」
楽しそうに肩を揺らす凛々華の紫髪が、夕陽を受けてキラキラと輝いた。
その横顔があまりに美しくて、蓮はふと口を開いた。
「なぁ、凛々華だけで撮ってもいいか?」
「えっ……ツーショットがあるのに?」
凛々華はどこか不満げに眉を寄せた。
「もちろん、今のも宝物だよ。けど、やっぱり凛々華って絵になるからさ。一枚だけでいいから」
しばし沈黙が流れた後、凛々華が小さく息を吐いた。
「そこまで言うなら、仕方ないわね。——その代わり、ちゃんと撮りなさいよ?」
「もちろん」
蓮はしっかりと角度を定めて、シャッターを押した。
風に揺れる流麗な紫髪と、柔らかな陰影の落ちた端正な横顔は、まるで映画のワンシーンみたいだった。
「マジで綺麗だな……」
「ま、またそういうこと……っ」
思わずこぼれた言葉に、凛々華が身じろぎした。耳の先まで赤くなっている。
蓮はブレていないか確認してから、スマホをポケットにしまった。
「ありがとな。めっちゃいいの撮れたよ。じゃあ、そろそろ——」
「待って」
歩き出そうとする蓮の腕を、凛々華が掴んだ。
「今度は、私が撮るわ」
「えっ? いや、俺は別にいいよ」
苦笑する蓮に、凛々華がまっすぐな眼差しを向ける。
「私ばっかり、ずるいわよ。それに、その……蓮君だって、絵になるのだから」
「なっ……!」
——そんなことを言われて、断れるわけがなかった。
「うん、悪くないわね」
写真を確認した凛々華が、満足げにうなずいた。
「なんか照れるな、こういうの」
「蓮君。撮っていいのは?」
「……撮られる覚悟がある者だけ、だな」
「そういうことよ」
凛々華が得意げに胸を張る。これからは、蓮が被写体にさせられることも増えそうだ。
恥ずかしいものは恥ずかしいが、それで凛々華の写真を撮れるなら安いものだろう。
「じゃ、行くか」
「えぇ」
蓮が手を差し出すと、凛々華はふわりと微笑み、手を重ねてくる。
どちらからともなく指を絡めて、夕陽を背に歩き出した。
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