第15話 わかっているから
「……ごめんなさい」
昇降口を抜けたところで、凛々華が眉を下げた。
「えっ、なにが?」
「注目を集めてしまったわ。もう少し、さりげなくやれば良かったわね」
「あぁ、そのことか」
二人で教室を出るまで、いや、もはや出てからも好奇の視線を浴びていた。
決して気分は良くなかったが、それが嫌なら、そもそも凛々華とは行動しなければいいだけだ。覚悟していたことで罪悪感を覚えられるほうが、居心地が悪い。
「気にすんな。どうせ誰か一人にでも見られれば、噂が広まるのは止められねえんだから」
「でも、誤解されたら困るんじゃないかしら? 初音さんとは、仲が良さそうに見えるけれど」
流し目を向けてくる凛々華の瞳には、どこか探るような光があった。
どれだけのオーラを放っていても、まだ高校一年生だ。恋バナには人並みに興味があるのだろう。
「向こうが人当たりいいだけで、ただのお隣さん同士の域は出てねえんじゃねえか? 別に狙ってもねえし」
「へぇ、意外ね。あなたは、彼女のような素直な子に惹かれると思ったのだけれど——自分が捻くれているから」
もったいぶって、余計な一言を添えてくる。
しかし、この話題であれば、こちらにも切り札があるのだ。
「そういう柊こそ、早川とかいいんじゃねえか? けっこう素直だぞ?」
「ふざけないで。多少強引なのはともかく、空気を読めない人は無理だわ」
「そ、そうか」
予想以上の剣幕に頬を引きつらせつつ、蓮は心の中で合掌した。ドンマイ、早川。
「というより、それは私も捻くれていると言いたいのかしら?」
「そうじゃなきゃ、今ここにいないだろ——ま、思ってたよりは素直だったけど」
凛々華の手がスッと持ち上がるのを見て、慌てて付け足す。
「……そう」
彼女は小さくつぶやき、静かに腕を下ろした。
それからしばらく、沈黙が続いた。
勢いを削ぐことには成功したが、逆に削ぎすぎてしまったようだ。
(瞬発力も火力も高い分、防御弱いんだよな……)
氷の女王という呼び名、そして猫っぽい性格や吊り目も相まって、なんだかマ○ューラのように思えてきた。
ほんのりむず痒さのようなものを覚えつつ、自宅を横目に通り過ぎると、パッと腕を掴まれる。
「ま、待ちなさい!」
「ん、どうした?」
「どうした、じゃないわよ。あなたの家、ここよ?」
「知ってるよ。家まで送るから」
「えっ?」
凛々華の手から、力が抜けた。
「大翔を警戒してんのに、一人の時間ができたら意味ねえだろ」
「……そう遠くはないから、そこまではしてもらわなくてもいいわよ」
そう言って、彼女は視線を逸らした。何やら気まずそうだ。
「あっ、もしかして嫌だったか?」
「——そういうわけじゃないわ!」
ここ数分の静けさを取り返すような勢いに、蓮はたじろいでしまう。
凛々華としても、咄嗟の反応だったのだろう。その頬がほんのり染まっていく。
「……ただ、さすがにあなたも面倒だと思っただけよ」
「そんなことねえよ」
即座に否定すると、凛々華の瞳に迷いが浮かぶ。
どうやら、本当に嫌がってはいないらしい。ならば、やることは一つだ。
「それに、柊と話すのは楽しいって言ったろ? ほら、行こうぜ」
返事を待たずに歩き出すと、背後からため息まじりの声が聞こえる。
「……意外と強引なのね」
「強引なのは嫌いだったっけか?」
「そういうわけじゃないわよ。それに、その……」
「ん?」
振り返ると、凛々華は胸元に手を当てるようにして足元を見つめた。
躊躇うように唇を噛んだあと、ほんの一瞬だけ上目遣いになり、囁くように言葉を紡いだ。
「……優しさだって、わかっているから」
「っ——」
蓮が息を呑むころには、彼女は顔を背けていた。
だが、その潤んだ瞳、淡く色づいた頬、そして震える唇。それら全てを脳裏に焼き付けるには、充分だった。
「お、おうっ……」
ほとんど意味をなさない言葉を絞り出すのが、やっとだった。
体中の熱が、一気に頬に集まった。とても顔を合わせてなんていられなくて、慌てて正面を向く。
「えっと、ここから歩いてどれくらいなんだ?」
「本当に遠くないわ。五分もかからないんじゃないかしら」
斜め後ろから聞こえる声は、いつも通りの淡々としたものに戻っていた。やはり、特別な意味はなく、単にお礼を言うのが恥ずかしかっただけなのだろう。
微妙に肩透かしを食らったような気分になるが、おかげさまで肩の力は抜けた。
「なら、明日の朝からは俺が迎えに行くよ」
「気を遣ってくれるのはありがたいのだけれど、あなたを待っていたら遅刻してしまうんじゃないかしら?」
「さすがに大丈夫だって」
「私が不安なのよ。念のため、連絡先を交換しておきましょう」
凛々華が手早く携帯を取り出した。
「無理そうなら、連絡してくれれば私がそっちに行くから。クラスのグループから追加してしまってもいいわよね?」
「おう、頼む」
間もなくして、上品に澄ましている黒猫のスタンプが送られてきた。
紫色だったら、もはや凛々華の分身だ。
「届いたかしら?」
「おう。これ、かわいいな」
「猫は正義よ」
どうやら、猫好きだったようだ。
類は友を呼ぶ、というやつだろうか。相手は人間ではないが。
「今後の帰りはどうする? 柊がいいなら、やっぱり心配だし送って行くけど」
「……負担にならない?」
「問題ねえよ。時間的にも余裕あるしな」
バイトのシフトは、下校時間から少しだけ余裕を持たせている。
せいぜい、宿題をやる時間が少し短くなる程度だろう。
「なら、付き合ってもらおうかしら。共通の話題がある近所のクラスメイトと、別々に帰る理由はないもの」
「そうだな」
性格が合わなければ別々に帰るだろ、などという無粋なツッコミは、胸の奥にしまっておく。
「この際、ルールも決めておきましょう。万が一、認識の違いが生じたら面倒だし、しっかり約束をしておいたほうが何かと安心だもの」
「そうするか。じゃあ、何か事情があって一緒に登下校するのが無理そうなら、そのときはお互いに連絡するって感じでいいか?」
「えぇ。昼休みに直接伝えるのでもいいし、あなたが寝坊しない限りは、それで大丈夫そうね」
「朝メシ作らなきゃいけねえから、その辺は安心してくれ。その後うたた寝くらいはすることあるけど、アラームもかけてるし」
「朝食作っているの?」
凛々華が驚いたように瞳を丸くした。
「ウチ、父子家庭でさ。父さん忙しいから」
「そうなのね……ただのだらしない人だと思っていたわ」
「そこは素直に褒めろよ。かわいげねえな」
「私にそんなものを求めているなら、人を見る目がないと言わざるを得ないわね」
「確かに」
サラリと肯定すると、凛々華がじろりと睨んでくる。
ただし、チョップは飛んでこない。自分が言い出したことだからだろう。
蓮が密かに笑いを堪えていると、凛々華がぽつりとつぶやく。
「それに、一応ちゃんと見直したわよ」
「えっ?」
「……なによ」
じっとりとした眼差しを向けられ、蓮は軽く肩をすくめた。
「いや、まさか褒められると思ってなかったから」
「すごいものはすごいでしょう。高校生で朝食と弁当を自分で作っている人なんて、ほとんどいないのだから」
その口調は真剣だった。本気で認めてくれているのだとわかる。
「……なんか、ムズムズするんだけど」
「あら、素直に褒めろと言ったのはあなたよ?」
その楽しそうな笑みに、蓮は思わず見惚れてしまった。
「……どうしたの。急に黙って」
「い、いや、なんでもねえよ。それよりほら、着いたぞ」
「もう少し自然に誤魔化しなさいよ……まあ、いいわ」
視線から逃げるように、柊家と書かれた表札に目を向けると、凛々華がふっと息を吐いた。
近所でよかった、と思いながら、蓮はひらりと手を上げた。
「そんじゃ、また明日な」
「えぇ。また明日……ありがとう」
「おう」
凛々華が門の内側に入っていくのを確認してから、踵を返す。
蓮は一歩目を踏み出したところで足を止めたが——すぐに歩みを再開した。
「……アラーム、二個セットしとくか」
「面白い!」「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークの登録や広告の下にある星【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!
皆様からの反響がとても励みになるので、是非是非よろしくお願いします!




