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第138話 これからもずっと

 ——夏休みが終了してから、数日後。

 放課後の教室には、ほんのりと汗とチョークの匂いが混ざった空気が漂っていた。


 いよいよ明日は文化祭本番。昨日と今日は授業も行わず、全てのクラスが丸二日間を準備に費やした。

 (れん)たちのクラスも装飾や道具、机の配置などをひと通り整え、あとは本番を迎えるだけの状態になっている。


「私が連絡を忘れて混乱させたりしちゃったけど、夏休みの間もたくさんの人が協力してくれたおかげで、無事に準備を終えることができました。今日まで、本当にありがとう」


 教卓の前に立っていた文化祭実行委員の亜里沙(ありさ)が、深々と頭を下げた。

 クラスのあちこちから拍手が起こる。


「それでさ、このメンバーでもう準備することってないわけじゃん? だから——最後に、みんなで写真撮らない?」

「賛成ー!」


 すぐさま夏海(なつみ)が手を挙げ、心愛(ここあ)亜美(あみ)莉央(りお)たちも口々に「撮ろ撮ろ〜」「黒板の前で良くない?」「そしたら飾りも映える」と賛同の声を上げた。


「じゃあ並んで〜。男子、そっち詰めて〜」


 わちゃわちゃと生徒たちが動き出し、自然と中心に集まっていく。


「おい蓮。お前、(ひいらぎ)と並ばねーの?」


 江口(えぐち)がからかうように言えば、宇佐美(うさみ)も「そっち、カップル枠だろ?」と追い打ちをかける。


「いや、別に俺らは……」


 蓮が遠慮がちに言いかけたところで、結菜(ゆいな)が腕を組んで溜め息をついた。


「そういう新手のイチャイチャ、いいから。いつもみたいにさっさとくっついて」


 呆れたような口調に反して、目元は柔らかい。


「逆にそこが離れてたら、私たちが困るよね」

「うん、そこはもうセットだよー」


 苦笑混じりの玲奈(れいな)に、日菜子(ひなこ)も楽しそうに同意する。


「それに、二人だってどうせイチャイチャしたいっしょ?」

「おとなしく欲に従うべき」


 亜美と莉央も、ニヤニヤと笑いながら続いた。


「欲ってな……」

「蓮、諦めろ」


 蒼空(そら)がニヤリと笑いながら、ぽんと蓮の背中を押した。


「……わかったよ」


 蓮は観念すると、気恥ずかしさを覚えつつも凛々華(りりか)の隣に立った。

 チラリと横を見ると、ちょうど目が合った。彼女は耳元を赤らめつつも、「仕方ないわね」とでも言いたげに口元を緩めている。


(ま、凛々華が嫌がってないからいいか)


 蓮はそっと微笑み返した。


「……油断も隙もならないね、この二人は」


 結菜が呆れたようにため息を吐いた。

 蓮と凛々華は同時に赤くなり、クラスメイトがやいのやいのとはやしたてる。


「でも、この二人だけじゃないよね? ウチのクラス」

「あっ、そうじゃん! 桐ヶ谷(きりがや)初音(はつね)も並べー」

「そこも外せないよな!」


 (いつき)と心愛を揶揄う声まで上がり始めた。


「えっ、ぼ、僕たちはいいよ——」

「だめだ。樹も来い」


 蓮は有無を言わさず、樹の腕を引っ張り、心愛の隣に並ばせた。


「桐ヶ谷君、一緒にピースしよっ」

「あっ、う、うん……っ!」


 樹が真っ赤になりながら、少しだけ心愛との距離を縮めてVサインを作ったとき——

 ——カシャッ。

 軽快なシャッター音が、教室に響いた。




 蓮は帰宅後、凛々華の家にお邪魔していた。文化祭のスケジュールを決めるためだ。


「凛々華はどこ回りたい?」

「どこでもいいけれど……謎解きはしてみたいわ」

「お、俺もちょうどそれ言おうとしてた。やっぱそういうの、気になるよな」


 どこか照れくさそうにうなずくと、凛々華は目を細めた。


「蓮君は? 他に行きたいところ、ある?」

「んー……カジノ、かな」

「カジノ? 高校の文化祭で?」

「あるんだよ、ちゃんとクラス企画でな。トランプとかでミニゲームやって、チップ集めるやつ」


 蓮はパンフレットを開いてみせた。

 凛々華が覗き込み、興味深そうに瞳を細める。


「ふぅん、確かに面白そうね……。でも、将来ハマったらダメよ?」

「やらねえよ。こういうのは、遊びだから楽しいんだろ」


 蓮は肩をすくめた。

 

 それからも、互いに意見を出し合っていると、ふと静寂が訪れた。

 蓮は手を伸ばし、そっと凛々華の指先に触れる。


「どうしたの?」


 凛々華が困ったように微笑む。


「いや……また、こうして一緒にいられて、本当よかったなって思って」

「……そうね」


 凛々華もすぐに何の話かは察したのだろう。しみじみとうなずいた。

 彩絵(さえ)の一件で拗れてしまった、あのすれ違いの日々は、二人にとってはそう簡単に忘れられるものではないし、きっと忘れてはいけないのだろう。


「たぶん、これからもすれ違うことはあるけど……俺は絶対、凛々華のことを裏切ったり、嫌いになったりしねえから」


 その言葉には、自分でも驚くほど迷いがなかった。

 むしろ、言葉にすることで、この気持ちをちゃんと伝えたかった。


「ふふ、そんなこと、言い切ってしまっていいの?」

「あぁ」


 蓮は力強くうなずくと、ぎゅっと凛々華の指を握った。

 心臓の鼓動が早まる。蓮はひとつ深呼吸をしてから、静かに続けた。


「凛々華が凛々華でいてくれる限り、俺はずっと好きだよ」


 言った瞬間、顔が熱くなるのを感じた。けれど、それ以上に、彼女に届けたい気持ちがあった。

 凛々華がサッと頬を赤らめ、視線を逸らす。


「ま、また、そういうことをさらっと言って……っ」

「さらっとじゃねえよ」


 蓮は凛々華の手を、自分の心臓に持っていく。

 凛々華は目を見開いた。


「……ギリギリ心配が勝つレベルね」

「あんなの、平常心で言えるわけねえだろ。……で、凛々華はどうなんだ?」

「そ、そんなの……私も同じよ。こんなに人を好きになったのなんて、初めてだし……」


 彼女は恥ずかしそうに唇を噛み、少し視線を逸らしてから、再びまっすぐ蓮を見た。


「その……これからもずっと、一緒にいたいって思ってるわ」

「……そうか」


 もう、言葉は要らなかった。

 蓮は凛々華の頬に手を添えると、顔を寄せた。


 まぶたを閉じた彼女の唇に、そっとキスを落とす。

 顔を離すと、凛々華はゆっくりと目を開けて、照れくさそうにはにかんだ。


「っ……」


 蓮は途端に恥ずかしくなり、咳払いをして、話題を逸らした。


「でも、俺らもそうだけど、ウチのクラスもよくまとまったよな」

「そうね。仲良しというわけではないけど……学級崩壊してないだけでも、奇跡に近いと思うわ」


 二人が退学し、停学者だって何人も出た。今でも大翔(ひろと)の取り巻きは、肩身が狭そうにしている。

 しかし、彼らとて完全にハブられているわけではないし、結菜や英一(えいいち)に関しても、腫れ物扱いをされている節はあるが、再びクラスの輪に入ることができている。

 特に結菜に関しては、亜美と莉央の介入、そして玲奈と日菜子の頑張りが大きかっただろう。


藤崎(ふじさき)がちょっとずつ素を出すようになってから、みんないい意味で遠慮がなくなってきたよな」

「それこそが、彼女の本当の魅力なのかもしれないわね。前までは、親しみやすくはあったかもしれないけど、反面気後れしてた人もいるでしょうから」

「確かにな」


 蓮は携帯を取り出し、今日撮った集合写真を表示させた。

 黒板の前に並んだ全員が、思い思いのポーズや表情で笑っている。


「蓮君、ちょっと恥ずかしそうにしてるわね」


 凛々華がくすっと笑いながら言うと、蓮も負けじと画面の中の彼女を指差す。


「そういう凛々華だって、微妙に目逸らしてるぞ」

「し、仕方ないでしょ。あんなに煽られたら、堂々とカメラ目線なんて無理よ」

「間違いねえな。ま、樹よりはマシだしいいか」

「そうね。真っ赤だわ」


 首元まで赤くなっている樹を見て、蓮と凛々華は笑みを交わした。


「それで言うと、初音はさすがだな。赤くはなってるけど、ちゃんとカメラ目線だ」


 心愛は樹の袖をつまみながら、カメラに向かってにっこりと微笑んでいた。


「えぇ。経験が違うわね」


 凛々華がふっと笑うと、蓮もつられて口角を上げた。


「じゃあさ。もっと経験を積むために、月曜日、どうする?」

「月曜日……文化祭の振替休日ね」


 凛々華が少し考えた後、ゆっくりと言った。


「……猫カフェ、また行きたいわ」

「マジ? だいぶ気に入ってたもんな」

「……っ」


 凛々華が息を詰め、顔を背けた。

 蓮の中で、イタズラ心が芽生える。


「とろけそうな顔してたよな、膝に猫乗ってきたときとか」

「なっ……ちょ、ちょっと、それは言いすぎじゃないかしら」


 凛々華がほんのり眉を寄せる。

 蓮は写真フォルダからその瞬間を見せた。


「これとかさ」

「やめなさい。もう」


 凛々華がぷいとそっぽを向き、何かを操作し始めた。

 そして、おずおずと自分の携帯を差し出す。


「……蓮君だって、こんな顔してたわよ」

「え?」


 画面には、蓮が猫に囲まれて目を細めている写真があった。

 優しい顔で猫の頭を撫でているその姿は、自分で見ても少し気恥ずかしかった。


「……いつの間に撮ったんだよ、これ」

「隠し撮りよ。仕返し」


 凛々華は得意げに言いながらも、どこか照れくさそうに笑った。

 蓮も目を細めながら携帯をしまい、ふたりの間に流れる空気が、穏やかで柔らかいものに変わったのを感じた。


 ——しかし、そろそろ夕食の時間だ。


「……帰らなきゃな」

「えぇ。また明日、ね」


 凛々華がすくっと立ち上がるが、俊敏な動きに対して、その表情は少しだけ寂しそうだ。


「ちゃんと明日も迎えに来るよ」


 そう言いながら、蓮は凛々華の頭に手を伸ばし、ぽんぽんと優しく撫でた。


「っ……もう。子供扱いしないで」


 凛々華が軽く唇を尖らせて、頬を膨らませる。

 蓮はくすっと笑って、その体を抱きしめた。


「してねえよ」


 その言葉に、凛々華がゆっくりと顔を上げる。

 上目遣いで、ほんのり潤んだ瞳が蓮を見上げていた。


「……本当に?」


 その一言が、まっすぐに胸に届いた。

 蓮は言葉の代わりに、彼女の額に唇を落とした。


「子供相手に、これはしねえだろ」

「っ……ばか」


 凛々華は恥ずかしさを誤魔化すように、くるりと背を向けた。


「ちゃんと寝るのよ。明日、寝坊しないでちょうだいね」

「そっちこそ、子供扱いしてんじゃねえか」


 蓮がツッコミを入れると、凛々華がくすくすと笑った。

 二人の間に、柔らかな笑いが広がる。


「じゃあ、また明日な」

「えぇ。気をつけて」


 蓮は玄関の扉を開け、外の夕闇へと歩き出した。

 心の中には、ぬくもりと、穏やかな幸福感が静かに広がっていた。

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