第135話 彩絵の懺悔と、凛々華の決意
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凛々華にメールを送った時点で、彩絵は公園に到着して、落ち着きなくベンチに座っていた。
(やばい、緊張する……)
膝の上で指を絡めては、何度もほどく。そのたびに、爪が手のひらに食い込んだ。
意味もなく、スマホの画面を開いては閉じるを繰り返してしまう。
(本当に、何してんすかね。他人の彼氏奪おうとするとか……)
昨日の自分の行動を思い返すたび、後悔と恥ずかしさが胸を突いた。
言い訳をするつもりはない。ただ、謝りたかった。
(許されようとは思ってないっすけど……結局、どこまで行っても自己満足っすよね)
彩絵が自嘲気味に笑った、そのとき。
「っ——」
紫がかった長い髪が風に揺れ、静かに公園に入ってくる影があった。凛々華だ。
姿を見た瞬間、胸の奥がギュッと締めつけられた。
同時に、冷や汗が背筋を流れる。しかし、逃げるわけにはいかない。
彩絵は急いで立ち上がり、凛々華の前に進み出ると、深く頭を下げた。
「昨日は、本当にすみませんでした!」
凛々華はその様子を静かに見つめ、やがて周囲に視線を巡らせた。
公園には数人の親子連れがいて、ちらりとこちらを見ている人もいる。
「……目立つから、座りましょう」
凛々華はそっとベンチを指し示す。
その声は、どこまでも冷静だった。
「あ、うす……」
彩絵は少し戸惑いながらも、促されるままに腰を下ろした。
凛々華は何も言わない。ひとまず、話を聞いてくれるつもりのようだ。
彩絵は膝の上で拳を握りしめ、ぽつりと口を開く。
「もう黒鉄君から聞いたと思うすけど……昨日、私は話を聞くって呼び出して、自分なら絶対に悲しませたりしないからって、告白しました。魔が差した、なんて言うつもりはないっす。最初から、そのつもりで呼び出したんで」
昨日、蓮が凛々華にデートをキャンセルされたと聞いた時点で、彩絵は告白をする意思を固めていた。
恵たちからの話を聞く限り、仲直りしてしまったら、もう付け入る隙はないと思ったから。
「聞いているわ。……蓮君を好きになったのは、元カレが来店したときかしら?」
「……そうっすね」
伊藤みたいな子のほうが好きなやつだって、いっぱいいる。絶対、いつかちゃんと出会えるよ。だから、そんなに自分を卑下するな——。
蓮のその言葉が、ただの同僚に対する励ましであることはわかっていた。
でも、傷心中の彩絵は、温かすぎる言葉だった。
これ以上、彼に近づいてはいけないと思って、最初は距離を取った。
しかし、想いは膨らむばかりだった。仲直りの兆しを見せない二人を見て、次第に今なら奪えるんじゃないかと考えるようになった。
「凛々華さんが黒鉄君と喧嘩しちゃったのって、たぶん……女の子のアレっすよね?」
「えぇ」
凛々華がわずかに目を見開き、うなずいた。
「ウチ、薄々わかってたんすよ。それでメンタルやられてるんだなって。なのに、黒鉄君にはそれを言わずに告白したんす……。凛々華さんが来たときだって、ウチが釈明すれば一発で解決したのに、ややこしくなるからって自分に言い訳して、追いかけようともしなかった……。ほんとに卑怯だなって、自分でも思うっす。こんな女、フラれて当然っすよね。黒鉄君、一ミリも揺れてなかったっすから」
彩絵は、唇をきつく噛み、地面を見つめた。
何も言わない凛々華に、もう一度、深々と腰を折る。
「本当に、迷惑かけてすみません。それと、今までありがとうございました。このあと、辞めるって言いに行こうと思います」
店長にも、真実を伝えるつもりでいた。数日で辞めるなど迷惑甚だしいだろうが、事情を聞けば認めてくれるだろう。
(みんなに迷惑かけただけじゃないすか……)
ここ最近の自分の醜態に呆れていると、凛々華は静かに口を開いた。
「別に、その必要はないと思うけれど」
「……はっ?」
彩絵は何を言われたのかわからず、瞬きをして凛々華を見つめた。
「伊藤さんが居心地悪いなら、引き留めはしないわ。でも、私への気遣いだと言うのなら、そんなものはいらないわ」
「えっ……でも、凛々華さんの彼氏を卑怯な手で奪おうとしたんすよ?」
「腹が立ったのは事実よ。もしもこれで蓮君を取られでもしたら、たぶん、私はあなたを一生許していなかったでしょうね。それに……正直、今も怒りは消えていないわ」
凛々華がすっと瞳を細めた。
「っ……」
鋭い眼差しに射抜かれ、彩絵は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
凛々華はそっと瞳を伏せた。次に顔を上げるころには、目元はいくぶん和らいでいた。
「でも、蓮君とは無事に仲直りできたし、あなたはこうして反省している。そもそも、あなたは不仲になったところにつけ込んだだけで、無理やり奪おうとはしていないし……人は反省して成長できるんだってこと、私はこの数ヶ月で学んだから」
凛々華の言葉には、確かな思いがこもっていた。
「私も、人の過ちを受け入れて許せる強い人間になりたい。だから、あなたを突き放したりはしないわ。それに、すぐやめられても困るし、人手はたくさんあったほうが楽だもの。……まあ、無理に引き止めるつもりもないけれど。伊藤さんのしたいようにしてくれればいいわ」
「……ははっ」
彩絵は、思わず笑ってしまった。
「ウチなんかが、最初から敵うわけなかったんすね……。彼氏奪おうとした相手と一緒に働くとか、普通は絶対できないっすよ」
「そ、それはその、蓮君がしっかりと安心させてくれたし……傷心中に彼に慰められたら、オチるのは仕方ないもの」
凛々華がほんのりと頬を染める。
彩絵は苦笑いを浮かべた。
「惚気っすか?」
「そ、そういうのじゃないわよ」
「わかってるっすよ」
軽く手を上げたあと、彩絵はもう一度、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。えっと、この先どうするか……ちょっと、考えてみるっす」
「えぇ。でも、もう蓮君と二人きりになるのは、許さないわよ」
「はい。それはもう、絶対に」
「なら、いいわ」
凛々華は澄ました表情でうなずくと、サッと踵を返した。
そのまま、一度も振り返ることなく、公園を出て行った。
彩絵はしばらく、その場に佇んでいた。
結果として、彩絵はもうしばらくバイトを続けることにした。
ここなら元カレにも会わないし、単純にお金もなかった。なにより、いきなり辞めるのはやはり無責任で、逃げな気がした。
店長や恵たちは、若いころの過ちは誰にでもあると許してくれた。
そして、蓮と二人きりにならないよう、シフトや作業配置の調整までしてもらった。
(迷惑かけた分、ちゃんと働かなきゃっすね)
彩絵はそれから、よりいっそう真面目にバイトに取り組んだ。
◇ ◇ ◇
——凛々華との話し合いから数日後の、バイト終わりの更衣室。
たまたま、彩絵と凛々華の二人きりになった。
「凛々華さん」
意を決して声をかけた彩絵は、制服のポケットから二枚の割引券を取り出した。
「これは?」
「知り合いに、猫カフェで働いてる子がいるんすよ。凛々華さん、猫が好きって聞いたんで……よかったら、どうすか?」
差し出した手が、少しだけ震えていた。
「いいの? きっと伊藤さんも猫好きだから、くれたでしょう?」
「いいんすよ。細やかな懺悔っす」
「……そう。じゃあ、ありがたくもらっておくわ」
「うす」
彩絵はホッと肩の力を抜いて、扉に手をかけた。
「それじゃあ、お疲れっす」
「——待って」
凛々華が、鋭く彩絵を呼び止めた。
「なんすか?」
「今のあなたなら大丈夫だとは思うけど、溜め込まないようにしなさい。蓮君にはもちろんダメだし、私に言われても困るけど……誰かに愚痴は聞いてもらったほうがいいわ。あなたみたいなタイプは、意外と暴発するから」
「……自分に対する解像度、高すぎないっすか?」
彩絵は肩をすくめた。元カレと別れるくらいの大喧嘩になったのも、溜め込んでいたものを一気に爆発させてしまったからだった。
凛々華がふっと小さく笑う。
「似たタイプの子がクラスにいるのよ。気遣い上手で、表面上はいつも明るく振る舞っていたわ」
(へぇ、そんな子が……)
彩絵は内心興味を覚えつつ、問いかける。
「その子、暴発したんすか?」
「えぇ。元々は誰にでも優しい会長だったけれど、今は毒舌会長になったわ」
「よく再ブレイク果たしたっすね」
彩絵が感心したように言うと、凛々華は微笑みながらうなずいた。
「それも、蓮君や他の子たちが、許す強さを持っていたからよ」
「なんか、大変そうすけど……退屈しなさそうなクラスっすね」
「そうね」
そう言って、凛々華がふっと微笑む。
「っ……」
彩絵は思わず息を呑んでしまった。
「……どうしたのよ?」
怪訝そうに眉をひそめる凛々華に、彩絵は照れたように頬を掻く。
「いや……ちょっと惚れそうでした」
「な、なんでよ?」
「ツンデレがデレたときの破壊力って、エグいんすよ——ぐふっ!」
彩絵の脇腹に、凛々華のチョップが炸裂した。
「あまり、調子に乗らないことね」
凛々華はそう言って微笑むと、更衣室を出て行った。
「……やっぱり、凛々華さんには敵わないっすね」
地面に伏して悶絶しながらも、彩絵はどこか清々しい気持ちになっていた。
そして、同時に思う。自分も、彼女のような誰かにまっすぐ向き合える強い人間になりたい——と。
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ヒロイン・夏希さん視点のスピンオフ『幼馴染に嫌われたと勘違いして不登校になりかけたけど、実は両想いだった件』の連載を開始しております!
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