第130話 すれ違いと、新入り
樹と心愛が無事に付き合ったという報告を受けて、蓮はまた平穏な日常が戻ってくると肩の力を抜いていた。
——しかし、実際はそうはならなかった。
他ならぬ蓮自身が、凛々華と仲違いをしてしまったのだ。
その日は蓮が柊家にお邪魔していたのだが、最初から少し凛々華の雰囲気がピリピリしていた。
蓮が靴を脱ぎっぱなしで家に上がると、彼女は「そういうところ、本当に雑よね」と眉をひそめつつ、不機嫌そうに靴を直した。
「きちんと並べてって、いつも言っているのだけれど」
「……あぁ、悪い」
蓮は素直に謝ったが、いつになく棘のある言葉に違和感を覚えると同時に、「そんなに気にすることか?」と思ってしまった。
それが伝わってしまったのか、凛々華はそのあとも不機嫌そうなままだった。
そして、蓮が羽織っていたシャツをソファに脱ぎ捨てた瞬間、彼女の目がすっと細まった。
「どうして、そんなにだらしないの?」
そう詰問する声は、いつになく冷たかった。
「あとでまた着るからいいだろ」
蓮は咄嗟に反発してしまい、軽く言い合いになった。
すぐに蓮が謝って、一応は和解したが、そのあとも二人の空気はぎこちなくなってしまった。
「「……あっ」」
バイト中、注文を取ってきた凛々華とぶつかりそうになる。
「……悪い」
「いえ」
短い言葉を交わして、目も合わせないまますれ違う。
勤務時間中の、初めての会話だった。
距離を置くほどの軋轢は生じなかったが、ここ数日、緊張状態が続いている。
凛々華が奥に入って行ったのを見届けて、先輩である恵がすすす、と近寄ってきた。
「ちょっと、まだ仲直りしてないの?」
「はい。話し合おうとはしてるんですけど……」
謝罪とともにこれから気をつけると伝えれば、凛々華も許してくれると思っていた。
しかし、蓮がそのことを話題に出そうとすると、彼女は頑なに避けるのだ。
「そっか……。それなら仕方ないし、無理してさらにこじれてもアレだけど、早く仲直りしてね」
「ご迷惑をおかけして、すみません」
「それはいいんだけどさ、最近甘さが足りなくて、お菓子欲しくなっちゃうんだよね〜。太ったら、二人のせいだよ?」
恵はそうウインクを残して、去っていった。
……と思いきや、すぐに踵を返して戻ってくる。
「あっ、そうだそうだ。明日から新しい子が入るから、よろしくねー」
——翌日。
「はじめまして、伊藤彩絵っす! よろしくお願いします!」
元気いっぱいにそう言って頭を下げたのは、小柄でエネルギッシュな雰囲気をまとった少女だった。
第一印象の通り、朗らかで軽快な性格の持ち主で、すぐに雰囲気に溶け込んだ。
そして、彩絵が入ってきてから数日後。蓮は珍しく、凛々華とシフトが被っていなかった。
あえてずらしたわけではない。前から決まっていた。他の人の予定もあるため、全てのシフトが重なるわけではないのだ。
夕方、勤務終了時間になり、蓮が着替えを終えて出てくると、ちょうど彩絵も女性用のスタッフルームから出てきたところだった。
「黒鉄君、お疲れっす!」
「おう、お疲れ」
「いいっすねー、ここの雰囲気。前のバイト先に似てて、なんか落ち着くっす」
談笑する客に視線を送り、彩絵がどこか懐かしそうにスッと瞳を細めた。
「そういえば、前もカフェだったんだって?」
「っす。ここよりちょっと狭かったっすけど、同じ個人経営で。常連さん多くて、結構居心地よかったんすよー」
じゃあ、なぜ辞めたんだろう。
喉元まで疑問が浮かんだが、事情があるのかもしれないと思い、蓮はそのまま口を閉ざした。
「……黒鉄君」
「ん?」
隣を向くと、彩絵が普段の陽気な笑顔とは異なる、真剣な表情を浮かべていた。
「凛々華さんと付き合ってるって聞いたっすけど、喧嘩でもしてるんすか?」
「まあ、ちょっとな」
あまり深く踏み込まれたくない話ではあったが、否定するのも不自然なので、曖昧に返した。
「よくするんすか?」
「いや、こんなに長いのは初めてだな。いつもはすぐに謝って終わるし」
「わぁ、羨ましいっすね、その関係」
彩絵が驚いたように目を丸くした。
「そうか?」
「男の人がちゃんと謝ってくれるって、めっちゃ大事っすよ。ウチら女の子は、理屈より気持ち優先しちゃうこと多いんで。怒ってるときに正論とか言われると、ついこう、ピキッとなっちゃうんすよね」
彩絵が頭をコツンと叩いて、照れたように笑った。
蓮は思わず苦笑する。
「伊藤が怒ってるのは、あんまり想像できないけどな」
「怖いっすよ〜? ま、それは冗談として……。でも、それだと余計不安っすよね」
「まあな」
蓮は重々しくうなずいた。こんなことは初めてで、対処法がわからない。
彩絵が軽い調子で切り出した。
「よければ、ウチが相談に乗るっすよ?」
「えっ?」
蓮は思わず、彩絵をまじまじと見つめてしまった。
「なかなか本人同士じゃ話しづらいこともあるでしょ。それにウチ、最近喧嘩別れしたばっかすから、いい反面教師になれると思うんすよ」
彩絵が自嘲気味の笑みを浮かべる。
蓮は答えに窮した。相談するべきか否かもそうだし、それ以上に、今の状況で女の子と二人きりで話すというのはどうなのか、と。
そんな彼の迷いを察したのか、彩絵がふっと笑みを浮かべる。
「もちろん、ここでっすよ。ちょうど空いてきたし、今からどうすか? 無理にとは言わないすけど」
「そうだな……」
蓮は視線を落とした。ここまで気を遣って言ってくれているのに、断るのはさすがに気が引ける。
彩絵はふざけたふうに見えて、芯はしっかりしていそうだし、むしろ距離が近くないからこそ、変に色眼鏡をかけずに意見をくれるかもしれない。
「じゃあ、悪いけど、ちょっと相談させてもらっていいか?」
「はい、お任せっす!」
彩絵がどんと胸を叩いたあと、ニヤリと口角を上げる。
「二人の甘々なやり取り、早く見たいっすからね〜」
「別にそんな節操なしじゃねえよ」
蓮は軽く肩をすくめた。
「えー、でも、恵さんが言ってたっすよ? 二人のイチャイチャを見ることこそが最強のダイエット法だって。全女子の味方っすよ!」
「知るか」
蓮がそっぽを向くと、彩絵がくすくすと楽しげに肩を揺らした。
それぞれ飲み物を注文し、向かい合わせに腰を下ろす。
「さて、聞かせてもらいましょうか」
彩絵がわざとらしく手を組みながらそう言った、そのとき。
カランコロンとドアのベルが鳴った。
蓮が振り返ると、見覚えのある少年が、一人の少女を連れて入ってきた。
ここ一ヶ月ほど、頻繁に来店しているカップルだ。蓮も何度か接客したことがある。
少年の視線がこちらを向く。その瞬間、彼は目を見開いた。
(俺が凛々華以外の女の子と話してるのが珍しかったのか? でも……驚きすぎだろ)
蓮が首を傾げていると、背後からガタン、という音が聞こえた。
——彩絵が、椅子を倒して立ち上がっていた。
「伊藤? どうした?」
蓮が声をかけても、彼女は呆然と固まっていた。その顔からは一気に血の気が引き、震える指先がぎゅっと服の裾を握っている。
やがて、唇がわななき、かすれるような声で——
「たっくん……?」
「面白い!」「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークの登録や広告の下にある星【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!
皆様からの反響がとても励みになるので、是非是非よろしくお願いします!




