第105話 クラス会長の吐露
目を見開いて固まる結菜に、英一はただ真実を伝えるように、淡々とした口調で告げた。
「僕らは間違いなく、同じ穴のムジナだよ」
「っ……ふざけないで!」
結菜はわずかに息を詰めたが、次の瞬間、感情的に叫んだ。
「私はステータスのために黒鉄君を取り込もうとはしてたけど、柊さんに勝つためなんかじゃない!」
「じゃあ、なんで柊さんとの会話を無理やり断ち切ったりしたんだい? あれが悪手なことは、君ならわかってたはずだけど」
「……!」
結菜は手元に力を込め、英一を睨みつけた。しかし、反論は出てこない。
憎悪を込めた眼差しの奥で、言葉を探しあぐねる沈黙が、彼女の本心を物語っていた。
視線を結菜に向けたまま、英一の声は静かに熱を帯びる。
「でも、同類ではあっても、君は僕よりずっと優秀だよ。単純な成績もそうだし、空気を読む力も社交性もね」
「……なに、今さらご機嫌取りでもしようっていうの?」
「違うよ。ただの僕の意見だ」
鼻を鳴らす結菜に対して、英一は自嘲の笑みを漏らした。
「悔しいけど、僕とは違って、君はみんなの中心になれる能力を持ってる。周囲の観察くらいしかやることがなかったからこそ気づいたけど、このクラスのバランスを取っているのは、間違いなく藤崎さんだよ」
「っ……」
一瞬だけ、結菜のまつげが揺れた。
英一は淡々と言葉を重ねる。
「不本意かもしれないけど、さっき藤崎さんが言ってたのは事実だ。君がバランサーとして土台を支えているから、黒鉄君や柊さんがより活きるんだよ」
「……!」
結菜はまるで何かを押しとどめるように、唇をキツく噛みしめた。その肩が、わずかに揺れる。
張り詰めた静寂の中で、結菜の呼吸だけが妙に大きく聞こえていた。
「……そんなのっ、不平等じゃん……!」
やがて絞り出されたその声は、震えていた。
「こっちはずっとクラスの空気を読んで、雰囲気が悪くならないように気を回してるのに! 私がどれだけ頑張っても、結局は何の努力もしてないやつがチヤホヤされるなんてっ……そんなのおかしいよ!」
結菜は堰を切ったように、言葉を溢れさせた。
——ずっと胸の奥で燻っていた感情が、一気に噴出したようだった。
「みんなだって、最初は柊さんのこと避けてたくせに、ちょっと球技大会で活躍したからって持ち上げ始めてさ! 黒鉄君だって、私がどれだけアピールしても柊さんばっかり気にして、私なんてまるで眼中にない! なんでっ……なんで誰も、私を見てくれないのよ……!」
泣き叫ぶような声が、教室に響いた。
ほとんどの者が何も言えずに結菜を見つめる中、二人の女子生徒が近づいた。
「……藤崎は、柊が羨ましかったんだよね」
そう静かに切り出したのは、亜美だった。
「わかるよ、その気持ち。だって——」
莉央が凛々華に目を向けた。
「私たちも、柊のこと、ちょっと妬んでたから」
「……え?」
凛々華の瞳が揺れた。予想外の言葉だったようだ。
亜美と莉央が、揃って苦笑する。
「私たちが弱いだけで、柊が悪いわけじゃないんだけどね」
「うん。私たちにはわからない苦労もあるんだろうけど、やっぱり柊って『持ってる側』だからさ、妬ましく思っちゃうこともあるんだよ」
二人は一瞬だけ蓮に目を向けてから、結菜に視線を戻した。
「だから、藤崎の気持ちはよくわかるよ。けどさ、さすがにちょっと捻くれすぎじゃない?」
亜美が言葉を強めた。
「柊は自然体かもしれないけど、好き勝手やってるわけでも、何も努力してないわけでもないよ。少なくとも、黒鉄に関しては、藤崎と柊では決定的な違いがあるしね」
「……なに、過ごしてきた時間が違うとでも言いたいの?」
「違うよ。まあ、そことも繋がるけどさ」
「……意味わかんないんだけど。なにが言いたいわけ?」
腹立たしげに眉を寄せる結菜に、莉央が静かな、しかし力強い口調で続けた。
「藤崎は、金城に対して何もしなかったじゃん」
「っ……!」
結菜がポカンと口を開けたまま、固まった。
その間の抜けた表情が、彼女が受けた衝撃の大きさを物語っていた。
「あいつと島田が退学した後に一応謝ったけど、あんな形式的なものには何の意味もないから」
「っ……そ、そんなの、あんたたちだって同じじゃん!」
「そうだよ」
莉央は間髪入れずに切り返した。
「……はっ?」
「私たちも、なにもしなかった。だからみんな、黒鉄に振り向いてもらえないんだよ」
亜美は静かに断言した。
呆然としている結菜に、彼女は諭すように語りかける。
「私たちは入学当初、保身のために黒鉄と桐ヶ谷を見捨てた。それは合理的だったかもしれないけど、間違ってた。柊だけが正しい行動をしたから、今の状況があるんだよ」
「まぁ……ほとんど事情を知らなかったお寝坊さんも、二人ほどいたみたいだけどね」
莉央に水を向けられ、心愛と蒼空がサッと目を逸らした。
くすりと笑ってから、莉央はふと真面目な表情に戻った。
「柊は、他にも色々やってるよ。球技大会で佐々木がミスって負けたときも、正直責める雰囲気になってたのに、ためらいなくフォローしてたし」
「あんときは正直、私たちもなにいい子ぶってんのって思ったりもしたけど……柊は飾ってないんじゃない。計算してないんだよ。損得とかじゃなくて、自分の信念に従ってる。だから、みんなに自然と頼られるんだと思う」
「っ……」
結菜が息を詰まらせ、思わずといった様子でうつむいた。
「……私も、結菜ちゃんの気持ちは理解できるよ」
教室が静まり返る中、心愛が穏やかな口調で切り出した。
「誰だって周りに認められたいし、自分よりも努力をしていないように見える人が成功してたら悔しい……でも、だからって、その人を攻撃したらだめだよ。悪口を言われるのって、すごく悲しいことだから」
実感のこもったその言葉に、亜美と莉央が気まずそうな表情を浮かべた。
心愛は二人を見て困ったように微笑んでから、結菜をまっすぐ見据え、少しだけ口調を強めた。
「——凛々華ちゃんだって、それは例外じゃないからね」
「っ——!」
結菜の瞳が大きく見開かれた。力の入っていた手がゆっくりと開き、膝の上で止まった。
唖然とした表情のまま、彼女はぎこちなく首を動かして、凛々華を見た。
「……」
凛々華は、どこか居心地悪そうに視線を逸らした。
心愛はそれを見て、微笑ましそうに目を細めた。
「クールに見えるけど、凛々華ちゃんってけっこう態度に出る子なんだよ? ちゃんと見てれば、多分結菜ちゃんも気づいたと思う。——さっきのあなたの言葉で、凛々華ちゃんが傷ついていたこと」
結菜の表情から、さっと血の気が引いていく。
凍りついたように、瞬き一つしない。
「他にも、黒鉄君が話に割り込まれて不愉快に感じていたことも、きっと結菜ちゃんなら察せられたはずだよ。凛々華ちゃんも言ったように、結菜ちゃんは人の感情やその場の雰囲気を読むの、すごい上手だから」
「っそんなの——!」
「聞いて?」
思わずといった様子で声を上げた結菜を遮る心愛の口調は、変わらず柔らかいままだった。
それでも、そこには言い知れぬ圧力があった。
「凛々華ちゃんや黒鉄君みたいなカリスマ性とか、特別な才能って、たしかに目立つし、羨ましいよね。私も何度も敵わないなーって思ったよ」
だけど、と心愛は続ける。
「だからって、凛々華ちゃんたちのほうが偉いわけじゃない。早川君が言ったように、結菜ちゃんは間違いなくこのクラスの中心で、扇の柄の部分だよ。いろいろな話し合いとか文化祭準備のときなんか、みんな結菜ちゃんを頼りにしてたもん。ね?」
心愛が周囲に問いかけた。
——まっさきに同意したのは、凛々華だった。
「初音さんの言う通りだわ。藤崎さんがいたから、私と黒鉄君は思い切った態度を取ることができたのよ。最後にはあなたがバランスを取ってくれるって、信じていたから」
結菜は迷子の子供のように瞳を彷徨わせ、かすれた声を漏らした。
「私は……別に……」
「受け入れるのは難しいよね。でも、気づいてなかったかもしれないけど、私たちはみんな、結菜ちゃんのことを信頼してたんだよ」
心愛の声は柔らかく、それでいて芯があった。
「黒鉄君や凛々華ちゃんに向けるものとは少し違ったかもしれないけど、どっちが上とか下とか、そういうのじゃないからさ。ここまでの数ヶ月、結菜ちゃんは間違いなく理想的なクラス会長だったと思う。他のクラスの子も、結菜ちゃんが会長だったらなーってぼやいてたよ?」
心愛がイタズラっぽく微笑んだ。
——その瞬間、結菜の顔が歪み、透明な雫が頬を伝った。
「……じゃあっ……私がしてきたことは……なんだったの……⁉︎」
教室の空気を震わせるような、喉の奥からこぼれた叫びだった。
「みんなに嫌われないように、頼られるようにって頑張っても、結局スポットライトが当たるのは柊さんや黒鉄君ばっかりで、それが悔しくて……! なのに……今さらそんなこと言われても、どうしろっていうのよ……っ」
結菜は全ての気力がぷつんと切れたように、ただその場に力なくへたり込んだ。
柔和な笑顔も、憎悪に満ちた眼差しも、もうそこにはない。ただ、感情のままにむせび泣く、一人の傷ついた少女だけがいた。
友人であるはずの玲奈や日菜子ですらも、戸惑うように顔を見合わせて立ちすくむ中、亜美がすすっと蓮に近寄ってきた。
「……黒鉄さ」
「ん?」
「よく、藤崎のアピールにやられなかったね。あの可愛さで迫られたら、ほとんどの男子は気になっちゃうと思うけど……本性に気づいてたの?」
頬を緩めながら尋ねてくる亜美に、蓮は肩をすくめてみせた。
「何かしら狙ってるのはわかってたよ。俺は鈍いけど……さすがに純粋な好意を向けられてるかどうかは、判断できるようになったつもりだし」
その最たる例は夏海だ。彼女との関わりの中で学んだことは多い。
亜美や莉央だって、凛々華への対抗心はあったにせよ、ちゃんと想いを向けてくれていた。
しかし、彼女たちから感じていた純粋さが、結菜からは伝わってこなかった。
だから、頼りにしていると言われても、間接キスをされても、心は揺れなかった。
「純粋な好意だったら、オチてた?」
「……さぁ、どうだろうな」
莉央の問いに、蓮は答えを濁した。
「そこは正直でもいいんじゃないの」
「うん、もう誤魔化す意味ないと思う」
亜美と莉央は呆れたように笑った。
「高城さん、橘さん」
そう控えめに声をかけた凛々華は、振り向いた二人に、ほんのり気まずそうな表情で頭を下げた。
「その、ありがとう。擁護してくれて」
亜美と莉央は、意外そうにパチパチと目を瞬かせた。
「……いや、むしろごめん。嫌だったでしょ、藤崎の気持ちわかるとか言って」
「構わないわ。誰を励まそうとも、あなたたちの自由だもの」
凛々華は淡々と答えると、すすり泣きを漏らす結菜にチラリと見やった。
亜美と莉央は驚いたように顔を見合わせた後、そろって苦笑した。
「……ありがと」
ポツリとお礼の言葉を残すと、二人は結菜に歩み寄り、その小刻みに震える背中にそっと手を添えた。
さするでもなく、慰めるでもなく。ただ「ここにいるよ」と、その存在だけで伝えるように。
それは、同じ道を辿ってきた者たちだからこその寄り添い方だったのかもしれない。
「「……うん」」
玲奈と日菜子も、決意のこもった表情でうなずき合い、結菜のそばで膝をついた。
右肩に玲奈が、左肩に日菜子が、そっと手を置く。
——結菜の体が、大きく震えた。
彼女は声にならない嗚咽とともに、静かに目元を濡らし続けた。
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