第102話 間接キス
文化祭準備は強制参加ではないが、蓮と凛々華は、バイトがない日は基本的に参加していた。
ある日、再び買い出しが必要になると、結菜が当然のように蓮の腕を軽く引いた。
「私たちが行くよ。前にも行ったし、どこに何が売ってるかもわかってるからさ。黒鉄君、また付き合ってもらっていいかな?」
「……あぁ」
蓮は一瞬だけ迷ってから、うなずいた。
また二人で行くのか——。
内心ではそう思ったが、筋は通っていたし、断る雰囲気でもなかった。
「あの二人、最近仲良くない?」
「めっちゃ一緒にいるよねー」
「もしかしてさ……」
そんなヒソヒソ話を背に、蓮と結菜は教室を後にした。
帰り道。
結菜の提案で、途中のタピオカ店に立ち寄った。
「流行りはとっくに過ぎたと思うけど、今さらちょっとハマってるんだよねー」
「俺は初めてだな」
「ホント? なんか黒鉄君らしいかも」
結菜はクスッと笑ってから、蓮の顔を覗き込んで、少し首を傾げた。
「美味しい?」
「あぁ」
「よかったー。じゃあ、一口ちょうだい!」
結菜はサッと身をかがめ、蓮のストローに口をつけた。
「あっ、おい……!」
「ん、なに?」
口を離し、結菜は不思議そうに首を傾げた。
「そういうの、よくないだろ」
「えっ、なんで? お互いフリーなんだし、黒鉄君なら全然平気だよ」
蓮がやんわりと注意するが、結菜は意に介した様子もなくニコニコ笑っている。
「それより、それ美味しいね! あっ、私のも飲む? 黒鉄君なら全然いいよー」
「……いや、遠慮しておく」
蓮は静かに首を振った。
結菜はわずかに目を見開き、ほんの一瞬だけ視線を外した。
「……うん、やっぱり黒鉄君らしいね!」
そう言って蓮を見る顔には、すでに笑みが戻っていた。
しかし、それはどこか作り物のように見えた。
◇ ◇ ◇
教室に戻ったとき、蓮はすでに飲み干してカップを捨てていたが、結菜は手に持ったままだった。
女子たちがすぐに反応する。
「あっ、タピオカ!」
「いいな〜!」
「結菜ちゃん、ずるーい!」
「ふふ、暑い中の買い出し特権ってやつだよー」
さらっと結菜は笑い、そして——
「黒鉄君が飲んでたやつもおいしかったね!」
「……そうだな」
蓮はため息を堪えてうなずいた。
凛々華の視線を、なんとなく感じながら。
蓮は居心地の悪さを感じつつも、その隣に腰を下ろした。
ややあって、凛々華は視線を手元に落としたまま切り出した。
「……藤崎さん、あなたのタピオカを飲んだのね」
「……俺が飲ませたわけじゃねえよ。向こうが勝手に飲んだだけだ」
「それでも、あなたは拒否しなかったのでしょう? ああいう人と二人きりなら、少しは警戒すべきだと思うけど」
まるで、責任を問うような口調だった。
「っ……」
蓮は拳を握りしめた。胸の奥がざわついて、感情が言葉を追い越しそうだった。
だが——、
「……悪かった」
それらを全て飲み込んで、ただ謝罪のみを口にした。
「……別に、あなたの自由なのだけれど」
それだけ言い残し、凛々華はそれ以上の会話を拒むように、手元の作業に集中し始めた。
蓮はしばしその横顔を見つめていたが、かけるべき言葉は見つからなかった。
そっと息を吐いて、作業に意識を戻した。
並んで作業をする二人の間に重苦しい沈黙が流れる中、凛々華が「あっ……」と小さく声を漏らした。
蓮が振り向くと、彼女が手にしていた画用紙をじっと見つめていた。
隣に並べたものと比べて、明らかにサイズが小さかった。わずかなミスだ。
それでも、凛々華はまるで自分を責めるように、唇を噛んでいた。
「柊さん、どうしたの? ——あっ、ちょっとちっちゃくなっちゃったんだ。でも、全然大丈夫だよ!」
近くにいた結菜が軽やかに笑いながら、そっと凛々華の二の腕のあたりをポンポンと叩いた。
彼女はニコニコと笑いながら続ける。
「ミスは誰にでもあるし、気にしなくていいからねー! あっ、あれだったら今後は私も一緒にチェックしてあげるけど、どうする?」
凛々華は一瞬だけ結菜を見たが、すぐに視線を下げた。
「……ありがとう。でも、大丈夫よ」
「ホント? わかった! じゃ、この後もお互い頑張ろうねー」
結菜は小さく拳を握りながら凛々華にエールを贈り、自分の作業に戻っていった。
「やっぱり、結菜ちゃんって頼りになるよねー」
「それな。私もめっちゃ助けられてるし」
「さすが、クラス会長だよな」
「俺も励まされてえ……」
近くのクラスメイトたちが、自然にそのやりとりに反応する。
凛々華は何も言わず、手元の画用紙をそっと重ね直した。
それから少し経つと、結菜が別の生徒に呼ばれ、「はーい!」と返事をして足早に教室の隅へと向かっていった。
「っ……」
蓮はしばし迷ってから、ぐっと唇を噛みしめ、凛々華の元へ近づいた。
咳払いをして、ぽつりとつぶやいた。
「……まあ、誰でもミスくらいはするだろ」
「っ……」
聞こえたのか、凛々華が手を止めて、蓮に視線のみを向けた。
「別に大したことじゃねえし……それだって、他の場所に使えるだろ。切り方自体は綺麗なんだから」
「っ……そうね」
凛々華は顔を上げずに、つぶやいた。
蓮は気まずさを感じてその場を離れようと、身体を半歩だけ動かした。
「……黒鉄君」
呼び止める声に、思わず足が止まる。
凛々華は、手元に視線を落としたまま、
「その……ありがとう」
囁くようにそう言った直後、ふと顔を上げた。
彼女はほんの一瞬だけ蓮の横顔に目を向けて、そっと頬を緩めた。
「っ——」
蓮の心臓が跳ねた。
思わず目を逸らすと、ちょうど夏海と亜里沙が教室に入ってきた。
「ん、黒鉄君?」
「どしたの?」
二人は怪訝そうな表情を浮かべた。
蓮は慌てて首を振った。
「な、なんでもねえよ」
「……柊さん、なんか黒鉄君が変なんだけど」
「脇腹チョップした?」
亜里沙に続いて、夏海がイタズラっぽく尋ねる。
「……どうして、それが真っ先に思い浮かぶのかしら」
苦笑混じりだったが、凛々華の声はどこか明るさを取り戻していた。
「あはは、ごめんごめん」
「手伝おっか?」
夏海と亜里沙が笑いながら凛々華に近づく。
「そうね。お願いするわ」
「らじゃー」
「任せて」
三人の軽快なやり取りを聞いて、蓮はそっと息を吐き出した。
◇ ◇ ◇
帰り道。
蓮と凛々華は並んで歩いていたが、言葉は少なかった。
「……あ」
ほんのり気まずい沈黙が続く中、凛々華がふと足を止めた。
「どうした?」
「バイト先に忘れ物をしたのを思い出したわ。寄ってもいいかしら?」
「もちろん」
蓮はうなずいた。
二人のバイト先であるカフェは、通学路からさほど離れていないため、大した寄り道にはならない。
程なくしてカフェに到着すると、凛々華は「少し待っていて」と言い残して入っていった。
しかし、なかなか出てこない。
(遅いな……恵さんとでも話しているのか?)
そんな予想を立てていると、ようやく凛々華は姿を見せた。
「……ラテ?」
蓮は眉をひそめた。
忘れ物を取りにいったはずの凛々華は、なぜかアイスラテの入った透明なカップを両手に抱えていた。
「お待たせ。これ、よかったら」
「……え?」
差し出された一つを見て、蓮は戸惑う。
「今日、疲れたでしょう?」
「あぁ……サンキュー」
それで、遅かったのか——。
蓮は納得すると同時に、わずかに胸が高鳴るのを感じた。
「あっ、じゃあお金——」
蓮は言いかけて、言葉を止めた。
財布を出そうとしたところで、凛々華がそっと手を添えてきたからだ。
「柊?」
「頼まれてもいないのに買ってきたのだから、お金はいらないわ」
「えっ、でも——」
蓮が遠慮しようとすると、凛々華がわずかに意地悪そうな顔をした。
「藤崎さんには、前にジュースを奢ってもらっていたようだけれど?」
「あ、あれは、買い出しと、前に数学教えたお礼ってことで……っ」
慌てて答えると、凛々華はふっと微笑んだ。
「冗談よ。わかってるわ」
「……おい」
蓮がじっとりとした目線を向けると、彼女は口元を緩めながら言った。
「ごめんなさい。じゃあ、これはお詫びとしてあげるわ」
再び差し出されたカップを、蓮はしばらく見つめてから——
「……前に、感情と直感に委ねろって言ってたな」
「っ……!」
凛々華は瞳を大きく見開いた後——、
ふっと、頬を緩めた。
「えぇ。論理ばかりでは答えが出ないこともあるものよ?」
凛々華は少し得意げに、片方のカップを掲げる。
「……じゃあ、悪いな。もらうよ、それ」
「殊勝ね」
ようやく蓮が受け取ると、凛々華は満足そうにうなずいた。
そして、さらりと続ける。
「でも、私は一口もあげないけれど」
「いや、同じものじゃねえか」
蓮は反射的にツッコミを入れた。
「「……ふふ」」
一瞬の間のあと、二人は小さく吹き出した。
ツボに入ったのか、凛々華は口元に手を添え、静かに肩を震わせている。その笑顔は、どこまでも自然で、肩の力が抜けていて——
「っ……」
蓮はハッと息を呑んだ。
まるで潮が引くように、長らく胸にまとわりついていた靄が消えていく。
「あぁ、そうか……」
——晴れやかになった心に残ったものは、あまりにも明確だった。
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