第1話 陽キャの幼馴染からの接触
「おっ、陰キャ来てんじゃん。朝からぼっちで読書とか、寂しすぎるだろ!」
……またかよ。
黒鉄蓮は漏れそうになるため息をなんとか堪えた。
正直うんざりだが、反応しなければもっと面倒くさいことになるのは目に見えているため、仕方なく手元の本から顔を上げる。
予想通り、目を細めたくなるほどの金髪が、目の前に出現していた。
金閣寺だったら歓迎するのだが、残念ながらその正体は、クラスのガキ大将的な存在——金城大翔だ。
「おいおい、クラスメイトが挨拶に来てんだぜ? 無視とか失礼じゃね?」
大翔が口元を歪めると、周囲を囲う取り巻きもこぞって、「そうだそうだ!」と援護射撃を放つ。
「……あぁ、おはよう」
蓮がそう言ったその瞬間、どっと笑いが起こった。
「相変わらず、非モテ陰キャ街道まっしぐらだなぁ!」
「大翔相手だから、ビビってるんじゃない?」
「マジ〜? 同学年相手にビビるとか、ダサすぎなんですけどぉ」
無難に挨拶しただけなのに、返ってくるのは罵倒の嵐。
まるで不祥事を起こした芸能人のような扱いだ。ならば大翔たちはさしずめ、ネットのアンチといったところだろうか。匿名ではない分だけ、潔いといえなくもない。
クラスメイトは一様に視線を逸らし、あたかも何も起きていないかのように振る舞っている。
蓮が目をつけられたのは、入学して少し経った頃のこと。それまでだって、クラスに馴染んでいたとは言い難い。
発言力のある大翔に逆らってまで助けようとする人間がいないのは、何も不思議なことじゃないだろう。
「そんなんだから、女子から話しかけてもらえねえんだろ!」
「いや、こいつそもそも、男子からも話しかけられてなくなーい?」
「確かに!」
大翔一派とでも呼ぶべき集団は、大声で笑いながら互いを指差して騒いでいる。
(もはや俺、必要ないんじゃねえか? 一応話題の中心のはずなんだけどな)
蓮がいないにも関わらず、ひたすら悪口を言いながら、手を叩いて騒ぎ立てる大翔たち。想像してみると、シュールで少し面白い。
そんな現実逃避をするくらいには、ストレスを感じてしまっているらしいが、今の状況は覚悟していたことだ。
元々、大翔に目をつけられていたのは、クラスメイトの桐ヶ谷樹だった。
何か特別なことをしたわけでもない。単に大翔が気に入らなかったというだけで、入学当初から理不尽な扱いを受けていた。
口出しをすれば、今度は自分が新しいターゲットになるのは目に見えていた。
それでも樹を庇ったのは、ヒーロー気取りでも正義感でもない。ただ、ああいうのを見過ごすと、自分まで腐っていく気がしたというだけだ。
それに、こういうやつらは相手にしなければいずれ飽きる。これまでもそうだった。
だったら、耐性のある蓮が少し我慢すればいい。適材適所というやつだろう。
「はぁ〜、やっぱり非モテ陰キャと話すのはつまんねーな! これ以上話してると、俺まで陰キャになっちまうぜ」
「おいおい、こいつウイルスかよ!」
「何それ、ウケるんですけど〜!」
最後まで小馬鹿にしながら、彼らは定位置——大翔の席とその周辺——へと戻っていく。
しかし、蓮は大翔がちらりと時計を気にしていたことを見逃さなかった。
彼女に蓮へのご挨拶、もといイジメの現場を見られたくないのだろう。
意中の相手に見られてはいけない類のことをしているのは、理解しているようだ。
その少女——柊凛々華が姿を見せたのは、それから程なくしてからだった。
サラサラと揺れる紫陽花みたいな髪。同じ色を映した切れ長の瞳、雪みたいに白い肌。そしてスラリとしたスタイル。まさにマドンナだ。
彼女の魅力はそれだけではない。授業でも間違えているのを見たことがないし、男女別なので詳細は知らないが、体育でも活躍しているそうだ。
「やっぱりかわいいよな、柊さん」
「まさに凛としてる、って感じだよねー」
文武両道、容姿端麗を地で行く彼女には、男女問わず多くのクラスメイトが、憧れにも似た感情を向けていた。
しかし、
「やっぱり、ちょっと怖い……」
「なんせ、氷の女王だもんな」
誰が呼び始めたのかは不明だが、そのあだ名は妙にしっくりきていた。
実際、彼女に気安く話しかけられる者はほとんどいない。
蓮も数回しか言葉を交わしたことはなかったが、おそらくまだ一回も話していないクラスメイトもいるだろう。
話したことがあるのも、ただ席が近くて、グループワークで一緒になるからというだけの話だ。
そもそもお近づきになりたいと思っていないので、凛々華を狙う男子からすれば、歯痒く感じられるかもしれない。
せっかくカラオケに来たのに、ドリンクバーを飲むことすらせず、ただ寝ているようなものだろうか。
それでも、何事にも例外は存在する。
凛々華に話しかけるという側面では、彼女の幼馴染である大翔がそれだった。
「凛々華、また図書室で勉強してたのか?」
「えぇ」
凛々華は目を合わせるどころか、会話のために足を止めるそぶりすら見せない。
こんな対応が許されるのは、クラスの中で彼女ただ一人だろう。少し羨ましい気もする。
「はっ、相変わらず真面目だなぁ」
その皮肉にも、彼女は表情ひとつ変えなかった。
ただ一瞬だけ大翔に視線を向けると、そのまま自席——蓮の斜め前へと歩を進める。
大翔は取り巻きに見せつけるように肩をすくめて、わざとらしく首を振った。
しょうがねえやつだ、とでも言いたげな、大袈裟なリアクションだ。
「しょうがねーやつだよな」
言っていた。
その声が聞こえたのか、凛々華がそっと息を漏らす。
(大翔の幼馴染とは、なかなか大変そうだけど……ま、俺には関係ねえか)
蓮は本に視線を戻した。国民的な人気を誇る作家、西野圭司のミステリー小説だ。
最近は少し離れていたが、やっぱり何度読み返しても面白い。
だが、すぐにかすかな視線の気配に気づき、顔を上げる。
——凛々華が、こちらを見下ろしていた。
「それ、探偵流川シリーズよね? 西野圭司、好きなの?」
彼女の視線は、じっと蓮の手元に注がれていた。
幽霊でもいない限り、話しかけてきているのは間違いない。
「……中学でハマってさ」
口にした瞬間、ちょっと素っ気なさすぎたか、と自覚した。
いくら氷の女王が相手とはいえ、相手から話しかけてきたのだから、せめてこちらもワンラリーくらいは打ち返すべきだろう。
「柊も好きなのか?」
「えぇ。ちょうどさっき、最新刊の二週目を読み終えたところよ」
「あー、最近発売されたやつか」
「買っていないの?」
「あいにくと金欠でな。ちょっと迷ってる」
「シリーズを追っているなら、多少無理してでも読むべきだと思うわ。あっ、それなら——」
凛々華はぴたりと言葉を止め、サッと周囲を見回した。視線を集めていることに気づいたようだ。
クラスメイトが注目するのも無理ないだろう。凛々華が自分から誰かに話しかけたことなんて、ほとんど記憶にない。
「……まあ、それだけよ」
彼女はそうポツリとつぶやくと、蓮から視線を外して席に腰を下ろした。
その横顔は、どこか気まずげに赤らんでいる。
氷の女王は、どこか演じている部分もあるのかもしれないな。
蓮が大翔に絡まれるようになる直前——ちょうど樹を庇った翌日だ——に話しかけてきたときも、あまり壁のようなものは感じなかった記憶がある。
とはいえ、自分が特別視されている、などとは考えなかった。たまたま、同じシリーズを読んでいたから気になっただけだろう。
しかし、大翔はそうは捉えなかったようだ。
凛々華と話した直後も睨みつけてきていた彼は——
次の休み時間、すれ違いざまに肩をぶつけてきた。
「いてっ……」
思わずよろめく。ここまで露骨にやってくるとは、さすがに予想外だった。
「——ハッ」
大翔は勝ち誇ったように口の端を吊り上げて、去っていく。
そのとき、視界に紫色が映った。
凛々華が、大翔の背中をじっと睨むように見つめていた。トイレにでも行っていたのか、ハンカチを持っている。
——その指先に込められた力が、彼女の感情を雄弁に物語っていた。
(……絡まれてるところ、見られたのは初めてか)
正義感の強い凛々華には見られないよう、大翔も彼なりに気を遣っていたのだろう。
——その程度に考えていた蓮は、日常の一コマに過ぎなかったはずのこの出来事が、文字通り今後の人生を変えることになるなど、想像もしていなかった。
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