私のお見合い相手が能面王子でした
「アンジェラ。お前に見合いの話がきた」
重々しい口調でそう言ったのは、私の父親。グウィン侯爵領を統治する、れっきとした貴族だ。
立場にふさわしい威風堂々さを持ち合わせているはずの父親が、何故か目をさまよわせている。
「……お見合い、ですか?」
「ああ、王家から是非にと頼まれ断りきれず、受けることになった」
我が国において、貴族の子供はそれぞれの家庭で教育を受ける。これまでの集大成をお披露目――もとい社交パーティーに出られるようになるのは十六歳から。
普通は、社交パーティーでこれはという結婚相手を見つける。若いうちに婚約を結ぶのは、ないわけではないが珍しい話だ。
そして私は今、十五歳。社交デビューまで一年はある。
「わざわざ話を持ってくるということは……難がある、ということでしょうか」
王家から、ということは――第二王子との縁談だろう。
第一王子はすでにお披露目をすませ、婚約者が決まっている。もうすぐ結婚するのだと聞いたので、彼と、ということはないはずだ。
そして第二王子は、私と同じ十五歳。お披露目をする前に婚約者を決めておこうとしているのなら、お披露目の場で相手が見つからない可能性が高い――つまり、難のある相手と考えられる。
「うむ……まあ、なんというか、奇抜な方でな」
口ごもり、先ほどよりもせわしなく視線を動かすお父様。
お父様が奇抜ということは、そうとう奇抜な方なのだろう。常時逆立ちしているのか、紅茶を口からではなく耳から飲むのか、でんぐり返しで移動するのか。
だけどどれほど奇抜な方でも、王家からの申し出となれば断れない。
どんな相手が出てきても平常心を保てるように、見合いの日まで淑女教育を徹底して行った。どんな時でも笑顔を保てるように。
そうして出向いた先にいたのは――それは見事な仮面を被った第二王子だった。
「このたびは、お招きいただき、光栄、です」
仮面の上部は髪を表現しているのか、左右にわかれるように黒く塗られ、その下にはぽってりとした眉のようなものが、髪よりも薄い黒で描かれている。
さらにその下には薄らと開かれた目と口。
「ご足労いただき感謝する」
そう言って、第二王子は椅子をずらして私に座るように促してきた。
恐れ入りますと言って椅子に座るけど、どうしても視線は第二王子の顔――ではなく、仮面に向いてしまう。
「私はクリストファー・ルドリック。君の名前も聞いていいか?」
「え、あ、はい。アンジェラ・グウィンと申します」
この国にも仮面はある。だけどそれは、仮面舞踏会に用いるものがほとんどで、蝶を象ったものであったり、豪奢なものだったり、白塗りで顔全体を覆うものもあるにはあるけど、少なくとも仮面に顔が描かれているものはない。
「あの、クリストファー殿下……無礼であることは存じているのですが、そちらの……仮面についてお伺いしてもよろしいでしょうか」
なんでそんなものを。
という言葉を必死に呑み込みながら問いかける。本当は聞かないでやり過ごすのが一番なのはわかってる。だけど駄目だ。どうしても気になって、何も目につかないし耳に入らない。
「ああ、これか……。恥ずかしながら、私はどうにも感情を隠すのが苦手でな。王になる立場ではないとはいえ、いずれは王弟として兄を支える身。思っていることがそのまま顔に出るのでは、国を担う一員にはふさわしくない……そう考えた結果、私は気づいた。顔に出てしまうのなら、顔そのものを隠してしまえばいい、と」
「それで、そちらを?」
「ああ。これは遠い異国にある能面というもので、ほんのちょっとした仕草や角度で感情を表現できる優れものだ」
何故か自信満々。多分自信満々。顔が見えないので予想でしかないけど、声色だけなら自信満々にそう言い放つ第二王子。
「……感情を隠せない――いわば、王子としては不適格な私との縁談に、君が乗り気でないのはわかっている」
いや、王子として以前の話だ。
「だがどうか、私にチャンスをくれないか。君が十六歳になるまでの時間を私と共に過ごしてほしい」
懇願するように、多分懇願するように言うクリストファー殿下。
声だけはすごく真摯で、首を傾げる。
「どうして、私なのですか?」
「それは、その……恥ずかしながら、以前お忍びでグウィン侯爵領を訪ねた際に、君を見たんだ。お披露目前の淑女を見たと公言するのがはしたないことは重々承知している。だがどうしても、抱いた気持ちを隠せなかった」
仮面被ってるのに隠せてないじゃないですか。
「あ、はい、そうなんですね」
思ったことは呑み込んで、こくこくと頷く。
「一目惚れ、というものなんだろうな。あれほどに胸が高鳴ったことはなかった。だが君ほど魅力的な人ならお披露目がすめば、きっと山のように縁談がやってくるだろう。……だからズルだということは承知のうえで、両親に頼みこんだ」
「それで、国王夫妻は、なんと?」
「見合いの席は用意するが、その先は私自身で解決せよ、と。だから、君がお披露目をすませるまでの時間をもらえると……とても嬉しく思う」
真正面から、仮面に描かれた目が私を見つめている。
多分この時、私はどうかしていたのだと思う。考えていた奇抜さではなかったからか、あるいはクリストファー殿下の真摯な態度に多少なりとも絆されてしまったのか、あるいは能面というらしい仮面が夢に出てきそうでそれ以上見つめられたくなかったのか。
どういった理由にせよ、私が頷いてしまったことに変わりはない。
私は十六歳までをクリストファー殿下と過ごすことになった。
だけど仮面を被っている以外は、クリストファー殿下はいたって普通だった。いや、普通とも違うかもしれない。紳士的で、仮面さえ被っていなければ見事な王子様なのだろうと思える態度だった。
「これを……君に似合うと思って」
そう言って、花を象った髪飾りを贈られたり。
「君のことを思い出したから」
そう言って、大きな花束を持ってきてくれたり。
一緒にボートに乗ったり、庭園を散歩したり。
クリストファー殿下と話すのは楽しいし、エスコートしてもらえるのはドキドキする。
だけどたまに、このドキドキがクリストファー殿下に対してなのか、能面に対してなのかわからなくなるだけで。
「……クリストファー殿下。ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
そう訊ねると、クリストファー殿下は金色の髪を揺らして首を傾げる。
仮面を被っている以外は、どこまでも普通だ。服もおかしな点はないし、髪を隠していたりもしない。
本当に、能面だけが浮いている。
「なんでも聞いてくれていいよ。私に答えられることなら」
柔らかな声で言われても、微笑んでいるのかどうかすらわからない。
「私にひと目惚れしたとおっしゃっていましたが……こうして過ごしてみて、想像と違った、とかはありませんでしたか?」
私がクリストファー殿下の仮面に不満を抱いているように、クリストファー殿下も私に不満を抱いたかもしれない。
どうにも能面の印象が強すぎて、クリストファー殿下と婚約するかどうか決められなかった。だから、クリストファー殿下に判断を委ねることにした。
卑怯だということはわかってる。だけどどうしても、判断がつけられなかった。
「君に……?」
「はい。思っていたよりもガサツだったとか、何かありませんか?」
「とくにはないかな。その……ひと目惚れとは言ったけど、一緒に遊んだりしたこともあったから」
ぱちくりと目を瞬かせる。遊んだ? 能面と?
まったく記憶にない。
「お披露目前の女性と話すのが礼儀に反していることはわかってる。だけど、遊ぼうと誘ってくれた手を断ることができなくて……君にひと目惚れした後だったからとくに」
「一緒に……え、ええと、いつ、ですか?」
「八歳の頃だったかな」
思い出す素振りもなく言うクリストファー殿下。すぐに出てくるということは、彼の中で強く印象に残っている、ということにほかならない。
だけどやはり、私は能面と出会った記憶がない。ましてや、能面に遊ぼうと誘った覚えもない。
「……やはり、覚えてないか」
しゅんと肩を落とすクリストファー殿下に慌てて記憶を探るけど、駄目だ。まったく思い出せない。
私の中にある能面は、クリストファー殿下とのお見合いが初めてだ。
「ちょ、ちょっと帰ったら両親や兄に聞いてみます! もしかしたらそれで思い出せるかもしれないので……!」
「うん、まあ、思い出せなくても気にしなくていいよ。七年も前のことだし、二人とも子供だったからね。それに……思い出してもらえないほうが私としては嬉しいかも……あの時の私は泣き虫で、情けないところばかり見せていたから」
泣き虫。七年前。
その単語で、私はようやく、ようやく、本当にようやく、クリストファー殿下――幼い頃に遊んだ少年を思い出した。いや、思い出したというのは正確ではない。覚えていたものと、クリストファー殿下が繋がった。
金色の髪に、青い目をした男の子。能面ではなく、普通の男の子だった。いや、あまりに可愛くて女の子だと思ったりしたので、普通ではなかったかもしれないけど。
「クリス、ちゃん?」
そう、女の子と思った私はクリスと名乗られて、思いっきり女の子扱いして、泣かせた。
当時の私の周りには使用人や兄、それから両親と、それは見事な仮面(比喩)を被った貴族然とした人ばかりで、すぐに泣いたりと感情を露わにする彼のことが面白くて、泣かせまくった。
「うそ、でしょ。あれで!? あれで好きなままなの!? 私いじめてたことしか覚えてないよ!」
一喜一憂するクリスちゃんが大好きで、虫を持って行ったり蛙を持って行ったり花をあげると見せかけて花弁の中に虫を入れていたり。
私はとんだ悪ガキだった。
「たしかに、私は泣いてばかりだったけど……楽しかったんだよ。私の周りには王子だからと気を遣う相手しかいなくて……今は、目すら合わないし」
それは仮面のせいではないでしょうか。
だけどしょんぼりと肩を落とすクリストファー殿下にそれは言えなかった。というか、能面のせいだと考えもしないクリストファー殿下を可愛くすら思いはじめていた。
「それに、君を好きになったから、あのままじゃ駄目だと思って……王子らしく振る舞えないか模索したんだ。今はほら、泣いても誰にもわからない」
能面の下で泣かれるのも、それはそれで胸が痛む。
とんでもない罪悪感と、クリストファー殿下が大好きなクリスちゃんだったという事実で、頭が爆発しそうだ。
とりあえず、わかった。
私が悪い。どう考えても私が悪い。能面は悪くないし、クリストファー殿下も悪くない。
どうにかしないと。クリストファー殿下をどうにか方向転換させないと。
婚約について考えるにしても、とりあえずは口元ぐらいは出せるようにしないと。
莫大な責任感を抱いた私はその日から、必死に調べに調べ尽くした。
どうにかクリストファー殿下から能面を外せないかと。
そうして決戦。クリストファー殿下から能面を外せるかどうかはこれにかかっている。
私はそっと、この日のために用意した木箱を机の上に置いた。
「これは……?」
「クリストファー殿下にプレゼントです」
そう言うと、何度か頭が上下する。木箱と私を交互に見ているのだろう。わずかに傾いた顔が、まるで満面の笑みのように見えた。
「あれから、色々と調べてみたのです。クリストファー殿下が着けているそちらの仮面――能面について」
そう、まずは異国の文化とやらを学びはじめた。そこで私は衝撃の事実を知る。
「今殿下が着けている仮面は、女面と呼ばれているものです。つまり、女性を演じる方が被るもの。紳士服を纏っているクリストファー殿下にはふさわしくありません!」
「そんな……ドレスを着るしかないのか」
ふるふると体を震わせているクリストファー殿下。仮面があっても感情がただ漏れだ。
「ドレス姿も似合うと思いますが、そこはひとまず置いておきます。なので私は、こちらを手に入れました」
そう言って、木箱の蓋を開ける。中には、クリストファー殿下が被っているのよりもいかめしい顔をした仮面が一枚。
「こちらが男面。男性を演じる方が被るものです」
はっとしたようにクリストファー殿下の顔が上がる。そう、女面ではなく男面であれば、紳士服のままでもおかしくない。
クリストファー殿下の手が男面に伸びて、ごくりと喉が動いた。そして女面がクリストファー殿下の顔から外れる。
輝くような青い瞳に、それを縁取る睫毛。形のよい鼻や唇。それらをじっと凝視して目に焼き付ける暇はない。
私は仮面が入れ替わるその瞬間を逃さないように机から体を乗り出して、露わになった頬に口づけた。
「ですが、クリストファー殿下……。能面を着けていては、キスすることもできません。せめて私の前では、たまにでもいいので外してはいただけませんか?」
そこから少しずつ慣らして、日常生活でも能面を着けなくても済むようになれば。
だけどクリストファー殿下は顔を真っ赤にさせて、ふるふると体を震わせ、青い瞳が潤みはじめ――男面によって顔が隠れた。
「そ、そういうのは、結婚――いや、婚約関係になってから、で」
「わかりました。それでは、婚約いたしましょう。公然と口付けられる関係になりましょう」
これはまだまだ先が長そうだ。
何しろ、婚約を結ぼうと言っただけなのに、クリストファー殿下は耳まで真っ赤にさせて体を震わせているんだから。
お読みいただきありがとうございます。