おかえりなさい
時刻は夕方を過ぎた頃。何時ものように客足が皆無な店の中で光司は一人グラスを磨いていた。
暇なのは楽だが客がいないのは収入に障る。繁盛せずとも最低限の客は欲しかった。
自分用にコーヒーを入れようかと豆瓶に手を伸ばした時、店の扉が乱暴に開かれる。
「いらっし……」
「ふん!」
鼻息を荒げながら怒りの形相でゆかりが店に入って来た。ベルが大きく揺れながら音を鳴らし、扉を壊すような勢いで閉める。
光司は彼女の服装に見覚えがあった。近所の高校の制服だ。時々店に来る事がある。
「おうおう、随分と荒れてるな九重ちゃん。今日から学校だろ?」
「ゆかりでかまわないよマスター」
「マスターねぇ。間違ってはいないがむず痒いな」
ゆかりはイライラしながらソファーに座り鞄を投げ捨てる。そのまま背を預け深いため息を溢した。
相当な事があったのだろう。彼女の心労は遠目からも感じられる。
「で、ゆかりちゃん。どうしたんだよ、そんなにイラついて。学校でなんかあったか?」
「…………実は」
話しを聞いて欲しかったのだろう、顔色が目に見えて明るくなる。
「学校でとんでもない奴がクラスメートがいてね。不可抗力とはいえセクハラしてくるんだ」
「そりゃ聞き捨てならんな」
「転んでボクの……む、胸に顔突っ込んだ挙げ句、肩扱いだ。最低でしょ?」
「…………あー」
返答に困り言葉を詰まらせる。なんとなくだが状況は察したし、理解もした。ゆかりは良く言えばスレンダー、悪く言えば凹凸に乏しい体型だ。そういった誤解を招く様子が目に浮かぶ。
だからこそ彼女はコンプレックスに感じているのだろう。それを突っつくのは気が引ける。
「取り敢えず落ち着け。事故なんだろ? あんまり気にし過ぎてると禿げるぞ」
「だけどなぁ。それに……」
ふと何かを思い出すように口を閉ざす。考え込むように頬杖をつき店のインテリアを眺めていた。
光司も会話に困っていると再び店の扉が開けられる。
「っ! いらっしゃい!」
助かったとばかりに万円の笑みで客を出迎えた。
店に入って来たのは茜だ。更に彼女の後に紗奈と山崎が続く。
「茜ちゃん……と社長さん達か」
三人に気づいたゆかりも席を立ち姿勢を正す。
「どうも若林さん。それに九重さんもお疲れ様。学校どうだった?」
「それが……」
ゆかりは学校で何があったのか事細かく説明する間、光司は欠伸を我慢しながら話しを聞いていた。軽くあしらったものの、光司はゆかりの体験に嫌な予感があった。正確には既視感、デジャブだ。
頭を動かす度に苛立ちと頭痛がする。思い出したくもないトラウマを掘り返すような気分が近い。
そうだ、あれは能力に目覚めた事件、それを解決したクラスメートの事だ。転んで近くに女子がいれば漏れ無く絡み合い巻き込む。スカートに顔を突っ込んだりと、どうしたらそんな体勢になるのか問いたい転び方だ。当時は羨ましいと思っていたが今は違う。諦めたと言った方が正しい。
「解ります!」
茜の声に我に帰る。相当共感したらしく、ゆかりの手を取って振るう。
「最低ですよね。硬いとか侮辱以外の何でもありません。女の敵です、セクハラ野郎です」
「ですよね近藤さん!」
想像以上に気が合うようだ。茜の方が年下に見える奇妙な光景に笑いそうになる。
ゆかりはスレンダーと言えるが茜は幼いが適正だ。そんな体型にコンプレックスを持つ二人が意気投合するのも必然なのだろう。
二人がヒートアップしている所に紗奈が割り込むように大きく咳払いをする。
「その話しはまた今度にしましょう。所で九重さん、息子とは学校で会ったかしら?」
ゆかりの顔色が変わる。先程のような羞恥とは違い、嫌悪を表しているのが解る。
「同じクラスにいました」
酷く冷たい声。上司に対する口調じゃない。
「え? 尾上社長、お子さんいらしたのですか?」
驚く茜と違い光司は冷静だ。彼女の年齢を考えれば予想するのは容易。ゆかりくらいの年頃の子供がいてもおかしくない。
それよりも紗奈は息子がいる学校に意図的に転入させたように見える。子の事を聞きたいのが丸見えだ。
「ええ。ただ、その……学校ではどうだった? あの子、何も話してくれなくて」
言い難くそうにゆかりは口ごもった。数秒間視線を反らしていたが、決心したように紗奈の方を見る。
「周りの話しを聞く限り、嫌われ者ですね。誰も彼に好意的な言葉を言いません」
「…………成る程ね。家と変わらないんだ」
この応えを予想していたのだろう。やはりと肩を落とす。
そんな彼女の前に光司はそっとコーヒーを置いた。
「息子さん、グレちゃったんですか?」
「不良の方がまだ解りやすいかもしれないわ。私には今のあの子、純が何を考えているのか全く理解できないの」
コーヒーを一口飲む。
「純は変わってしまった。中学の頃は凄く良い子だったのに。サッカー部のキャプテンを務め勉強も真面目で、自慢の息子だったのよ。なのに高校に入ってからサッカーを辞めて学校以外では家に引きこもるようになり、どんどん太っていって……。今までとは生活がガラリと変わって、私の事も無視するようになったの」
「反抗期……とも違いそうですね。悪い友達でもできたんですかね」
「違うと思うわ。誰とも交流を持たなくなったもの。人が変わった、と言うしか無いのよ」
二人が眉をひそめているとゆかりも話し出す。
「彼は……正直ボクも嫌いです。生理的と言うか、言動がおかしいって話しを聞きます」
そんな中、茜だけは考え込むように口を閉ざしていた。何かを思い出すように天井を眺めている。
「どうした茜ちゃん」
「いえ、何か引っ掛かって。息子さんの変化……もしかして能力に覚醒したとか?」
「純が超能力者に?」
茜が大きく頷く。
「超能力者になったばかりの人って性格が変わる事が多いんです」
「あー、確かに。自分が超越者だと傲慢になったりな」
光司も納得したように手を叩く。
「そうです。中には化け物になったと自暴自棄になる人もいます。それに似ているんですよ。一度検査してみてはどうですか? 超能力者は特有の染色体があるので、DNA検査をすれば簡単に見分けられます」
「……そうね。近い内に診てもらおうかしら」
紗奈がコーヒーに再び手を伸ばす。その時また店の扉が開いた。
珍しい日だと光司は扉の方を振り向く。
「いらっしゃい!」
店に入って来たのは一組の若い男女、ゆかりと同じ学校の生徒だ。
「へぇ、先輩の言った通りレトロな雰囲気のお店だな」
「そうね…………あ」
「あ」
二人が立ち止まる。その声に気づいたゆかりも二人を見て目を見開いた。
「九重……さん?」
「…………久住さんに保村君」
店に訪れたのは真梨奈と琉斗だった。