転校生から始まるストーリー
その日、久住真梨奈にとって大きな一歩となる日だった。彼女は気づかぬまま、足を踏み入れている。
朝の出来事だ。珍しい季節に転校生が来たとクラスが沸き立っていた。真梨奈もほんの少しだが興味があり、どんな子が来るのか楽しみだ。教室は騒がしく、隣の席にいる琉斗も心なしか浮いている。
「真梨奈、男子と女子どっちだろうな」
「うーん。周りの声を聞くと女子っぽいね。何? 転校早々ナンパ?」
「んな事するか。だいたい、俺がいつナンパなんかしたよ」
思わず笑ってしまう。琉斗はいつもこうだ。無意識の内に女性を手助け心を奪っていく。まるでラブコメ漫画の主人公のように。
美人でスタイル抜群な生徒会長、可愛らしい妹。深夜何気なく見ていたアニメの主人公のような彼は見ているだけで面白い。
「どうした?」
にやつきながら見ていると不思議そうに首を傾げる。
「何でもない」
真梨奈はあくまで傍観者に徹している。何故なら自分はヒロインではないのを知っているからだ。彼に対して好意は抱いていない。嫌いではないし、あるのは友愛だけだ。
「そういえば今日は会長から手伝い頼まれてさ。副会長が真梨奈にも頼むって」
「いいけど。でも私も部外者じゃない」
「会長達が言ってんだし大丈夫だろ」
「……それもそうね。じゃあ卓巳には帰り遅いの言っておかないと」
卓巳、自身の弟の事を思い出しスマホを取り出す。
「卓巳のやつ、過保護だな」
「まあね。この前スマホ無くした時、連絡つかなくて心配かけちゃったから」
あの日の事は正直思い出したくはない。
そうしているとチャイムが鳴り担任の男性教師が入ってくる。彼の後ろには少女が一人続いた。
「九重ゆかりです」
(あの娘か)
長いポニーテール、身長は同じくらいだろう。目付きが少し鋭く見えるが、凛としていると思えばチャームポイントだ。
第一印象は良好。クラスからも歓迎するような声がちらほらと聞こえる。
「んだよ、まな板じゃねぇか。ゴミだな」
ただ一人、尾上だけ彼女を侮辱するように呟いていた。聞いていた生徒も数人おり、特に女子からは冷たい視線が向けられる。
誰もが彼を嫌悪していた。
何時もの日常に少しのスパイスが加えられた日のお昼。昼食時になりクラスの誰しもがゆかりの所に集まる。少しでも交流を、少しでも近づこうと彼女の周りに男女問わず話し掛けていた。
その様子を見ながら、真梨奈達も興味津々といった様子。
「なあ、俺達も行こうぜ。やっぱ転校生とも話したいし」
琉斗も同感なのだろう。クラスメート達と昼食にしようと誘ってくる。勿論真梨奈も断る理由が無い。
快く頷こうとした時ある事を思い出す。琉斗の妹、瑠璃の事だ。
「あれ? それじゃ瑠璃ちゃんどうする? いつもお昼一緒だし」
「朝に転校生がいるからって伝えてあるよ。今日は卓巳と二人でってな」
悪戯っぽくウインクする琉斗に苦笑い。
「あの二人お似合いだし、仲も良いしな。ちょっとお膳立てもしてやらないと」
「この鈍感……」
内心呆れていた。琉斗の妹、瑠璃は相当な、危ないレベルでのブラコンだ。そんな妹の気持ちを蔑ろにするのはどうかと思っている。勿論多少倫理観がおかしいのは解ってるが、彼女の事も思う所があった。
それを矯正する為にも、何より弟の幸せにも繋がるだろう。
「ま、いっか。じゃあ行こっ」
弁当を取り琉斗と共にゆかりの方へと向かう。そしてクラスメート達に混ざり話し掛けた。
「九重さん、私達も良い?」
「ん? 確か……」
二人に気づき真梨奈と琉斗を順に見る。
「久住さんと保村君だったっけ?」
「おう、よろしく」
琉斗も笑いながら前に出る。
が、その瞬間真梨奈の足に引っ掛かり転んでしまった。たったそれだけの事、それでもこの少年は大きな事件を起こしてしまう。
「「………………」」
教室が凍り付いた。完全に停止する者、またかと呆れる者、軽蔑や羨望の眼差しを向ける者もいる。
何故なら琉斗がゆかりの胸に顔面からダイブしたからだ。幸いな事にゆかりは鍛えられている。倒れる事もなく受け止めた。
「っつ……硬っ?」
だがワナワナと顔を赤くし震えるゆかり。逆に琉斗は状況を把握しておらず、手を付いておきあがった。
しかしそれも文字通り悪手だ。彼は顔を埋めていた場所に手を置いたのだ。
「お前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「ふべらっ!?」
全力のビンタが頬に炸裂する。理性がギリギリ能力を使わずにすんだが、ゆかりの一撃は琉斗を軽々と張り倒し回転しながら吹っ飛ばした。
「ほ、保村君! な、ななな何をするんだ変態!」
「九重さん、ストップ! ちょっと落ち着いて」
怒りに暴れそうになるゆかりを真梨奈が羽交い締めにし止めた。あっという間の出来事にゆかりも急速に冷静さを取り戻す。
止められたのだ。鍛えている以上その辺の女子高生より身体能力は上、なのに簡単に止められた事に驚く。
「取り敢えず琉斗はわざとじゃないから、手を出すのは止めてあげて。本当、ただの事故なのよ。てか私の足に引っ掛かって転んだんだし、寧ろ私のせいだから」
「…………」
周りも同意するように頷いている。
「保村君ってこういう事故よくあるよね」
「確か先月は転んだ拍子に会長のスカートの中に潜ったの見たぞ」
「…………成る程」
事故なのは事実だろう。息を整えながら身体の力を抜く。真梨奈もそれを感じとり手を離した。
周囲もホッと胸を撫で下ろすが、起き上がった琉斗が再びその空気を破壊する。
「いや、九重さんごめん。ちょっと肩にぶつかっちゃってさ……」
ゆかりは再び怒りに顔を赤くしながら真梨奈と自分の胸部を見比べる。圧倒的な差。例えるならスイカとまな板。侮辱としか思えない最悪の誤解。
真梨奈も琉斗の失言にため息を漏らす。
「ごめん九重さん。琉斗が百パー悪いや」
「へ? ちょ、そんな悪いか? 硬くて鼻が痛いけど……」
慌てる琉斗に手を差し伸べる者はいない。全員が呆れ苦笑している。
そしてゆかりからは止めを刺そうとする殺意に満ちた瞳が琉斗に向けられた。天罰だと皆が無言で訴えている。
「ちょ!」
もう一度ひっぱたかれそうになった瞬間、ガツンと何かを蹴る音に皆の意識が向けられた。
「クソが」
尾上が憎たらしげに机を蹴り、顎を親指で掻きながら教室から立ち去る。
急な事に誰もが唖然とする中、ゆかりは尾上の背中をじっと見ていた。琉斗の時とは違い、どす黒い敵意を胸に。