第六章 弟子、置いて行かれる
鴉に入って遠見をしている無防備な背中を、愛剣で刺し貫く誘惑に駆られたが、ランデスコーグ王国第四王子ヘンミンキは堪えた。彼の弱味を握って無理強いした遠征を、それで止めることが出来る筈だが、剣が背に届く前にイルマリ子飼の魔導士に止められ、報復を受けるのは眼に見えていた。ヘンミンキと同じ姓を有するイルマリではあったが、一族というだけで血族ではなかった。三年前に会うまでは存在すら知らなかったのだ。
ランデスコーグ王国はヒルシ王朝に替わってから急速に勢力を拡大していた。現在は五代目王の時代であり、もう幾歳かで六十代を迎える。魔力で寿命が決まる世界にあって、年代は余り役には立たないが。ヘンミンキも第四王子として、自軍の先頭で剣を取って父の征服事業を支えていたのだが、イルマリと出会ってから変わった。変わらざるを得なかった。
イルマリは『不死の軍団』の力を試す為に二つの街を攻めさせた。そしてそこで戦死した敵兵たちを『不死の軍団』に編入させたのだ。それに手を貸したヘンミンキのこれまで築き上げてきた名声が地に墜ちていった。それでもイルマリには逆らえなかった。
エウリュシア大陸に『不死の軍団』の総力を挙げての遠征を強要された時、不愉快であったが不快な『不死の軍団』をウラースロー大陸から一掃出来ることだけが救いだった。父王もそれが為に遠征を許したといってもいい。
「ヘンミンキよ、余の自慢の息子の一人よ。だが余はそなたの使う『不死の軍団』が不快じゃ。エウリュシア大陸から凱旋する折には向こうに置いて、生きた人間だけで帰ってくるがいい」
父に同感だった。二度と『不死の軍団』に祖国の土を踏ませたくはない。
イルマリはエウリュシア大陸を支配したいらしい。中々本心を見せないが聖ルカス皇国まで進軍する考えなのは話していてわかった。そこでヘンミンキは解放されるらしい。自分なら『不死の軍団』に穢された土地など欲しくはない。穢された不毛の土地で、イルマリが何をなそうとしているのかは知る由もないが、なるだけ早く離れられればよかった。エウリュシア大陸の人々に恨みはないが、奴と『不死の軍団』を厄介払いさせてもらうつもりだ。
遠見から帰ったイルマリが手をひらひらさせて自分を呼んでいた。王子である自分を下男でも呼び寄せるような態度を、叱ることも出来ずに応じねばならないのはヘンミンキの誇りを傷つけた。
何処か険のある顔の痩せぎすのイルマリが訊いた。
「大魔法師ウィクトルはご存知か?」
エウリュシア大陸きっての魔法師である。知らない訳がない。誰もが魔法を使える世界では大魔法師を敬うように教えられた。
「グナエウスからブルー・ナ・ノウスを引き継いだ魔法師だな」
「正確にはその間に何人か入っているがね。彼が乗出して来たよ」
「使い魔は奴の差し金か。負けそうか?」
嫌味に素直に反応する。
「口の利き方を覚えない男だな。私を侮辱すると後悔するぞ」
「わかった赦せ」
屈辱的だが許しを請うしかなかった。
「きっとウィクトルにはわかったんだろう。先ずはブルー・ナ・ノウスが攻略されると」
なる程それでアーベントロートから侵攻するのだ。情報を出し惜しみして勿体ぶって公開してくるのには何時も苛立たせられた。
船団の周囲を飛び交う魔物たちの鳴声がうるさい。
「ブルー・ナ・ノウスは世界有数の龍穴の上に建つ、建築者グナエウスの建てた屋敷で力は増幅されているという。魔術師、魔法師、魔導士、呪術師だのおよそ魔法で名のある者皆が欲しがっているんだブルー・ナ・ノウスを」
それ位は講釈されずとも知っている。
「代々の所有者は世界を支配することが出来る強大な力を持ちながら、それを行使しないない。理解出来ないよ、私には」
代々の所有者は支配ではなく魔法を極めることを選んで、それ故に人々から畏怖と尊敬を受けているのだ。
「そんな話をしたくて呼んだのか。世界を支配出来るような強大な力に貴様は勝てるのか?」
イルマリは鼻を鳴らした。
「勝てるさ、策は考えてあったんだ。それなのにブルー・ナ・ノウスを空にしてくれるとはね。有難い話さ。無傷でブルー・ナ・ノウスを手に入れられるんだから、笑いが止まらないよ」
挑戦的な眼差しで真っ向から見据えて来る。
ヘンミンキも人よりは魔法が使える。より良い師に学びたとも望んでいるから、倒すよりは教えを請いたかった。
「恐らく『不死の軍団』の穢れを恐れて、近いうちに仕掛けて来るだろうから備えてくれたまえ」
「承知した」
「後ろの船に戻ってよいよ。魔法戦では君らは足手纏いだ。精々後ろの船で我が身を守っていてくれたまえ」
「了解した。船に戻らせてもらう」
下がってよいと手を振って合図する。歯軋りする。イルマリへの憎悪が膨れた。
「殿下」
背後に控えていたカホネン将軍に声を掛けられてハッと我に返った。
「船に戻りましょう」
頷いた。小姓が広げた魔法陣を踏むと一瞬光に包まれ、彼らの身体は旗艦にあった。
弟というのは大抵兄よりも柔らかい顔をしているものだが、風の魔法師クルトも例に洩れず、凛々しいが領主である兄よりも表情が柔らかい。魔力の所為か成人間際の息子がいるのに、二十代後半の容姿だった。傍らにいる息子も領主の息子たちと兄弟のように似ていた。
クルトは魔法を使って長旅を戻ったばかりだというのに疲れを見せず、男らしい笑いで大魔法師と弟子を歓迎した。
「ようこそ、お噂はかねがね聞いておりましたぞ。お会い出来て光栄です」
老成した口調がアンバランスだ。師匠は何時も通り握手を拒否し、プロスペロは受けた。
招待客のない館の内々だけの晩餐だった。師匠は予告通り目の前のご馳走を平らげている。
「丘の上でご帰還を見ていました。凄い速さで船を走らせていましたね」
プロスペロは海も船も見るのは初めてだったから、風を孕んで走る船の速さに驚いたのだ。
「難しそうに見えるかもしれんが簡単な魔法なんだ。何日だって走らせられる」
「船長がいたら凪知らずで有難い」
乗員の一人がエールのジョッキを掲げた。今夜はワインだけでなくエールも用意されていた。エールは下層階級の飲み物として、高貴な館で出されることはないモノだ。だが船長と呼ばれたクルトもエールのジョッキを手にしている。
久し振りにプロスペロも食事に手を付けていた。いきなり濃い味付けは苦しい。パンに野菜と肉や魚を挟んでよく噛んで食べる。ワインと違ってエールは子供も飲んでよいので、彼や隣に座るズージの前にも大きなジョッキが置かれていた。
幾度かの元気の良い乾杯の後、クルトは師匠に向き直った。
「船を速く走らせられても魔法合戦は苦手でな。見つかってしまって、ランデスコーグの魔物には参りました。ウィクトル殿の使い魔には助けられましたぞ。あの使い魔はどうなりました?」
「怪我が腐っていて酷かったのよ。私たち丘の上で帰るのを待っていたの、叔父様。薬湯とか用意してウィクトル様が手当てされたのよ。今は治癒魔法に包まれてるわ」
すらすらズージが喋るのでプロスペロは吃驚した。
クルトの大きな手が姪の頬を愛しそうに触れる。
「お前の事も聞いたよ。良かったな。この瞳で見るまで信じられなかったが、言われなければお前だとわからなかったぞ。すっかり娘らしく成長して。血色もいいし食べっぷりもいい。叔父は嬉しいぞ」
彼には姪を羽交い絞めにしていた魔法が、粗方消えているのがわかった。自分にはどうにも出来なかったものだ。クルトの姉に似た美しい女性に成長していっている。
顔中で笑ったズージは余程叔父が好きらしい。
「プロスペロが治療してくれているのよ。その為に今夜までずっと断食していたの」
「十二といえば成長期でしょう?断食させるのは申し訳なかったわ」
母のツィスカが涙ぐむ。何度か食べるように促されていたのだ。
「俺ではどうしようもなかった魔法を、ここまでキレイにしてくれたのは君か!若いのにやるな!ふむ、では今夜は我らの誇る地場の味をとっくり楽しんでくれ」
「ふふ、師弟で遠慮なんて知らないから大丈夫よ叔父様。――どうかしたプロスペロ?」
少年の視線が自分に向けられているのに気付いた。
「うん、笑って喋るのが可愛いね」
一瞬で真っ赤になってしまった。稀に見る美貌の少年に可愛いと言われたのだ。どんな顔をしていいかわからなかった。
「まあ、プロスペロったら正直ね」
夫人が笑う。ズージが狼狽えている間に、そんなことは気にしないプロスペロは先に話題を移した。
「偵察はどうでした?」
「臭いが酷かった」
とっても嫌そうな顔である。
「『不死の軍団』は要するに死人の軍団だろう。先頭の十三隻に満杯の死人が載ってるんだが、これがまた嫌になる程臭ってな。鼻が曲がりそうだったぞ。その後ろに正規軍の三十隻がいたんだが、よくも耐えられるともんだと感心するぞ」
「師匠、臭いって」
「何で儂に振るの?ご飯が不味くなっちゃうじゃない」
「近付くのは容易ではないぞ。ワイバーンが二頭、飛獣が二十六頭で交代しながら常に警戒している。ウィクトル殿どうやって迎え撃つ?何か策はおありか?」
「一応あるけど面倒臭いんだよねぇ。これを皆でやるとなると……。分担考えないと協調性がないとか、手柄独り占めとか言われてちゃうしねぇ」
太く短い指で食べるでもなく魚を弄ぶ。
「何処で迎え撃つんですか?」
「明日作戦会議があるからその席でね。プロスペロも出るよ」
「なんで俺まで」
「君が一応一人前の魔法師だから」
美貌のしかし少年らしい会心の笑顔でズージを振り返った。柄にもなくちょっと照れている。
「ゴーレムはまだ出来てないけどね」
しかし結局翌日の作戦会議は行われなかった。思わぬ来訪者が予告もなく空から現れたのだ。
シェファルツ王国第六魔法騎士団の騎士団長アヒム・バッケスホーフと配下の数騎である。
視察に出ていた領主ディートヘルムは至急呼び戻され、寄宿していた魔法師たちも召集された。
集まった人々を睥睨して、魔法騎士団長は威丈高に国王からの命令を読み上げた。
「一つ、魔法師ウィクトルは一刻を争って王宮に参集せし事。一つ、アーベントロート辺境伯邸に集いし魔法師の内、第六魔法騎士団長アヒム・バッケスホーフの認めし者は、王都の魔法師庁に出廷し命ぜられた防衛拠点に配属されし事」
大広間はざわついた。王に見捨てられたアーベントロート辺境伯領を故郷とし、防衛の為に参集した者も多かったのだ。
「そんな、酷いお父様……」
ギルベルタは両手で口を覆った。幾ら臆病風に吹かれたといえ、側室の実家で娘の母方の家なのだ。実の父の仕打ちとは思えなかった。
「魔法騎士団長殿、我が領に駐屯していた魔法騎士団も侵攻が判ってすぐに召し上げられている。今彼らを召し上げられたら、アーベントロートを『不死の軍団』から守る者がいなくなってしまう、それは考え有っての事か」
領主ディートヘルムの異議を騎士団長は黙殺し、大声で宣言した。
「これは王命である」
重々しい太い声は大広間を一瞬にして静かにさせた。
「王命に逆らうつもりはないが、私は家族がこの地にいる残らせて頂く」
アルトドルファーの穏やかな声は広間が静かでなければ届かなかったかもしれない。
「王命に逆らう反逆者となるか?家族は誰にでもいる。それでも王命に従い参陣しているのだぞ」
ウィクトルは弟子がゾッとする程冷たい瞳を魔法騎士団長に向けていた。意外なことに自ら前に進み出て対峙する。
風采の上がらない老人と美貌の少年を、騎士団長は威圧するように見据えた。
大魔法師はニコッと顔を崩した。
「儂はね、誰に臣従した覚えもないのだけどね」
「誰だ、貴様?」
領主がウィクトルの名を告げると、意外さを隠さずに、だが見た目だけは丁重に対応した。
「御高名はかねがね…、しかし発言は気を付けられますように、今のは聞かなかったことにしておきましょう。すぐに王宮にお出で下さい」
「儂が王宮に行ったら、誰がここを守るの?君?」
「領主としてベルゲマン殿が何とかなさるでしょう」
「それを第一魔法騎士団長のディッペルは知ってるのかな?」
「個人的な交流はありませんので存じ上げませんな。ディッペル殿の妹御の件は存じ上げておりますが」
思わせ振りで、あからさまに見下している。
「そう、でも儂は弟子に唆されてここを守る為に、ブルー・ナ・ノウスを空けたくもないのに空けて来たんだよ。『不死の軍団』から守れる代わりの者もいないのに、ここを離れられると思う?」
「それはベルゲマン殿が考えます。どうぞ王命に従われますように」
「屍人の穢れを知ってるかな?上陸させてしまえば、大地も海も穢れてしまうんだよ。穢れを払うのはそこらの魔法師では荷が重いよ」
「はい、知識としては、しかしそれは…」
「領主が考えるなんて御託はいらないよ。一度聞けば十分じゃないかな」
再び師匠の瞳が冷やかになった。
「王は一体何を恐れてるの?どんなに兵隊を集めても獅子身中の虫に寝首を欠かれたらお終いだよ」
「誰が獅子身中の虫だと…?」
魔法騎士団長は不思議なことにぎくりとする。
「権威を笠に着る愚か者も、虚ろな玉座にしがみつく愚か者も、体制に盲従する愚か者も嫌いだよ。プロスペロ、後は好きにおし」
弟子も魔法騎士団長も顧みず、大広間の一角にスタスタと歩を進める。
「師匠、どうされるんですか?」
「家に帰る」
そうして弟子が止める間もなく大広間の一角にあった姿見の中に消えてしまった。
「待てウィクトル?」
アルトドルファーやマイエなどの数人が姿見を叩いて名を呼んだが、鏡からは何の返答もなかった。
プロスペロは余りにも意外で呆気に取られた。
「俺…もしかして置いてかれた…?」
努々置いて行かれるとは思いもしなかったから、派手な顔の弟子は現実を受け入れられなかった。鏡の魔法の移動法は学んでいたが実践したことはないし、師匠はきっと自分の居室の姿見を塞いだ筈だ。アドリアンのように噴水の水鏡を代わりに使う方法は、試してみるには危険だった。それになにより師匠は明確に自分を置いて行ったのだ。
呆然とする少年の背をパロロは勢い良く登り肩への登頂に成功すると、肉球叩きで少年を正気に戻した。我に返った少年と犬モドキの目が合う。
「パロロ……俺といてくれるよな」
パロロは大きな青い眼をしっかりと開けて強く頷いた。ふわふわした体をきつく抱きしめる。
こちらも意外な成り行きに気を取られていたバッケスホーフも我に返って肩を怒らせた。
「偉そうなことをほざいて逃げおったかウィクトル。大魔法師と敬っていれば王を恐れぬ暴言を吐きおって、この事は陛下に包み隠さずご報告申し上げる」
魔法騎士団長は全身に怒気を漲らせる。見かけが逞しくて厳めしいので、怒気を発すると人を恐れさせるかなりの迫力があった。
「さあ、選別だ。魔法師共別室で部下の選別を受けよ!アーベントロート辺境伯殿、私は陛下のご命令を遂行させて頂く。後はご随意にされよ」
本来ならば下位である魔法騎士団長が頭ごなしに吐き捨てた。
「待たれよっ」
ディートヘルムの抗議には聞く耳を見せず、領主としての体面も尊重することなく部下に命令する。部下たちは広間の長卓を使って聞取りを始めようとしていた。
「領主として私は認めんぞ!ここを防衛する魔法師は残してもらう」
執拗に食い下がる。当然だ。先祖代々彼ら一族はここを本拠地として守り栄えさせてきたのだ。
「ここを去りたい者は連れて行ってもいいだろう。しかしこの地を守る為に残る意志のある者は残してもらおう」
騎士団長は更に険しい表情で領主に向き直った。片手を挙げると途端に領主の表情が苦痛に歪む。身体が縛り上げられたように動かず、頭が絞めつけられた。
悲鳴が上がる。
「魔法も使えぬ半人前が、領主だと大きな面をして陛下の代理人たる私に逆らうか?」
ディートヘルムの身体が浮き上がる。
弟の風の魔法師が助けようとするが、部下の遠当てを受けて壁に叩きつけられた。
集った魔法師たちが退いて、領主兄弟の周りには人がいなくなる。
クルトの息子ロタールが走り寄って父を助け起こす。
「お止め下さい。父は領主として当然の……」
総領息子のアレキサンダーが抗議の声を上げるが、クルトのように壁に叩きつけられる。
アルトドルファーを始めとする幾人かが攻撃魔法を使ったようだが全てバッケスホーフに跳ね返された。魔力は確かな男らしい。
「田舎魔法師共が、名誉ある魔法騎士団長に逆らうとは、皆捕らえて反逆者として処分してくれるぞ」
「お止めなさい?何てことをするのバッケスホーフ。わたくしの叔父に乱暴は許しませんよ?」
ギルベルタは王女としてバッケスホーフに命じたが、彼は王命を盾に応じなかった。
「姫申し訳ございませんが、王命には逆らうとあらば叔父君でも許されはしませぬ。姫は王の側に立って叔父君を説得なさるべきなのです」
「母の故郷が屍人に穢されようとしているのよ。黙って見ていろというの?」
「忍び難き思いはあるでしょうが、一国の王女ならば母の故郷といえど、一地方ではなくシェファルツ王国全体の事をお考え下さい」
流石の我儘姫も魔法騎士団長の正論に言葉を失った。
「そうではありませんかなアーベントロート辺境伯殿」
浮き上がったままの辺境伯に同意を求める。辺境伯の身体が跳ね上がったのは、彼を苦しめる魔法が一段ときつくなったからだ。
「確かに貴公の領土は穢れてしまうでしょう。ですが王国全体で見れば些少な犠牲といえるでしょう。陛下に忠誠を誓い、姉君を側室に差出した貴公こそが、率先して陛下の王命に従わずしてどうします」
都合のいい正義は詭弁でしかない。
脳裏に人生最初の記憶を呼び覚まされていたプロスペロは、その上のバッケスホーフの詭弁にむかっ腹が立った。普段言いたい事を言っている所為か、彼がムッとするのは珍しい。
「私たち一族は、…先祖代々からこの地を王に…任されてきた」
苦しみながらも領主は言葉を絞り出した。
「この地を守り…栄えさせる事…こそが忠義だ。…騎士風情にはわかるまい」
最後の言葉が勝ち誇っていた騎士団長の気に障った。領主を苦しめる力を更に強める。
頭を絞めつける力が増し今にも割れてしまいそうだった。心臓も手で握られたかのように苦しい。胸が熱い。
「私への侮辱は陛下への侮辱と見做します。謝罪がなければこの場で処罰させて頂きますぞ」
謝罪しようにも声が出せる状態ではなくなっている。
「止めて?叔父様を赦して」
ギルベルタの悲鳴が響いたその瞬間、魔法騎士団長の左手は血も噴き出さず四散した。落ちる領主をガーボルの腕が受け止める。
「ごめんねぇ。初めてだったんで手加減がわからなくて。今の話からすると、謝罪したら赦してくれるんだよねぇ」
丸々棒読みでプロスペロは謝罪した。
「私に何をしたあぁぁぁぁ」
バッケスホーフは左腕を残る手で掴んで叫んだ。ショックではあったが痛みは全くない。
「何したんだろ?止めさせようとしただけなんだよ」
心底不思議そうだった。
「偉そうな団長さんさぁ、子供の頃習わなかった?魔法は凶器でもあるんだから濫りに人体に使ったらいけないって。辺境伯はその意味で丸腰なんだから。腐っても騎士なんだろ?その使い方は如何なものかな」
「ふざけるな孺子が!?」
ふざけてはいないのだ。プロスペロは怒っているのだ。
バッケスホーフが繰出した槍や雷、爆破などの攻撃魔法は悉くプロスペロに届かず消えた。唖然としたバッケスホーフの耳にプロスペロの言葉が届いた。
「俺、無効化魔法って得意なんだ」
無効化魔法は強い魔力と、魔法への読解力がなければ成功させるのが難しい魔法だった。
団長だけでなく部下たちも唖然とする。仮にもシェファルツ王国が誇る魔法騎士団長の攻撃魔法が瞬時に無効化されたのだからそれも当然だった。
見守る魔法師たちも息を呑んだ。
「手も無効化しちゃったかな?痛みます?俺孺子なんで手加減難しくって」
「プロスペロ、そんな冷静な」
アルトドルファーの表情が引き攣っている。
「魔法とは冷静に使うものだと、いの一番に師匠に教わったよ」
美貌の少年は靄ッとした仄かな光に包まれた。
何気なく話す間にも、今度は配下の者たちが魔法の槍を同時に放つが瞬く間に無効化される。遮二無二攻撃魔法を連弾するが全て無効化されてしまう。
「そんな、《盾》でなく……同時連弾を無効化させるなんて……」
騎士の一人が絶望的な声を出してそれは重く落ちた。
振り返れば領主一家はガーボルが盾になり、その前を如何にも一癖ありそうな魔物のツチラトが護っていた。人質に取ることは叶わない。
「だから得意だって言ってるじゃん。師匠は研究で要らなくなったものや、失敗作とかそりゃもう色々山ほど俺に無効化させたんだ。それに比べたら定型の攻撃魔法なんてどうってことないよ」
魔法師たちにしてみればどうってことない、事ではないのだ。本来無効化魔法というものは難しい上に時間が係るのが常識なのだ。
大魔法師の弟子とはいえ、まだ声変わりもしていない少年に手も足も出ないどころか手を消されてしまって、このまま退いたのでは第六魔法騎士団の団長としてバッケスホーフの立つ瀬がなかった。
呪文を唱えつつ手印を結ぼうとして左手が無い事を再認識する。
「その魔法ね、以前師匠に挑んて来た奴も使ってたよ。それ成功したら広間にいる人間が犠牲になるってちゃんとわかってやってる?王女様だって危ない位置だよ」
些か眉根を寄せる。
「難しくって俺、本人まで無効化させちゃって師匠にエラく叱られたんだよね」
その一言にバッケスホーフだけでなく、大広間に集った魔法師の誰もの背筋を凍らせた。
「団長」
部下たちに哀願するような眼差しを向けられる。
バッケスホーフは剣を抜いた。魔法がダメなら物理的な方法を取ろうという訳だ。振り被った瞬間、少年は手を音高く叩いた。剣だけでなく甲冑までもが塵となる。
「?何でかな?どうしても金属は手を叩かないと駄目なんだな。範囲設定も難しいし……音を出して共振させてるとか…?」
赤っ恥をかかされた団長は、真面目に考察している少年を放っておいて矛先を変えた。
「ア……ア、アーベントロート辺境伯殿」
ガーボルの巨体を盾にして見守っていた辺境伯は慌てて姿勢を正した。そんな場合ではないのに、バッケスホーフの甲冑を消された間抜けな姿に、吹き出してしまいそうになる。クルトは息子や甥を共に風の魔法で巻いて笑い声を洩らさぬようにしていた。
「これが貴公の返答と受け取ってよろしいか?反逆と受け取ってよろしいのか」
辺境伯は気持ちを切り替えて、努めて厳かな表情をとった。
「反逆ではない。我が領地と民を守りたいだけだ」
「いずれにしても陛下には包み隠さず報告させて頂く」
そして魔法師たちを睨め回した。
「よいか、我らは魔法騎士団の営舎に移る。反逆者と見做されたくない者はそこに来て選別を受けよ、わかったな」
そして辺境伯に向かって「後悔なさるぞ」と何所でも定番の捨て台詞を吐いて足早に退場した。
ガーボルの背から飛び出したクルトは、共鳴か共振か考えあぐねていた少年を掴むと感激して揺さぶった。
「お前凄いなあ。第六魔法騎士団は実戦部隊なのだぞ、それをあっさり負かすとは大した奴だよ、貴様は。これなら『不死の軍団』も恐れるに非ずだな。船ごと炎で焼くか?無効化してくか?」
勢いよく揺さぶられて眩暈がしそうだった。
「屍人はその穢れへの対処が難しいんです~」
声がブレる。
歩いただけでも屍人はナメクジが通った様に穢れの跡を残していく。おぞましい屍人を倒すのは容易いが、倒れた場所に残される穢れを考えると、穢れた肉体を残せない。無効化魔法でも腐肉と化した身体は残り、身体が残れば穢れは残る。一番良いのは浄化だが、浄化魔法でも難易度の高い《聖なる焔》でないと浄化出来ないのだ。
「それに魔物やら魔導士やら敵は『不死の軍団』だけじゃないですよ」
弟に先を越されたディートヘルムの下に魔法師たちが思い思いに声を掛けて来ていた。ある者はグループを代表して、ある者は独りで、最も多いのが一端引き取って対応を考えたいというものだ。圧倒的な魔法騎士団の力を見せつけられ、反逆者の汚名も着たくはない。それは誰も同じだった。
それでも旗色を鮮明にして残ってくれた五指にも満たない魔法師たちにディートヘルムは感謝した。
「叔父様…」
涙目のギルベルタをそっと抱き寄せた。
「大丈夫、何とかしてみせるよ」
気休めでしかなかったが、それしか言えなかった。
アレクサンダーとカスパル兄弟が小声で話す足元近くに、ドスンと何かが音を立てて着地し転がった。音の発生した方向に眼をやると、姿見の鏡面から突き出した足が中に引っ込んでいった。
背中に足跡を付けた大魔法師が「いたたたたたた…」と起き上がる。
「師匠?」
弟子の視線が気まずく、少し縮こまってそっぽを向いた。
「アドリアンに弟子を置いてけ堀にするなって、蹴っ飛ばされちゃった。何でうちの弟子たちはこう…師を師とも思わないのばっかりなのか…儂の若い時と違って最近の子は……」
「当然でしょう」
そこから怒涛の言葉責めが始まった。
「十二の幼気な弟子を置いてったんですよ。保護責任者遺棄、世間ではネグレクトっていうんですよ、そういうの。そんな保護者は蹴っ飛ばされて当然です」
「プロスペロは自力で屋敷まで帰れるじゃない」
「だからどうだっていうんです。もう一度言いますよ。俺はまだ幼気な12歳なんです。俺を拾ってから師匠は師としてだけでなく、保護者としての責任もあるんですよ。それが何です、「弟子に唆された」って幼気な弟子に責任転嫁ですか?人生の黄昏時でお忘れかもしれませんが、最終的に決断されたのは師匠ですよ。誰が愚かだこれが愚かだ言募って!お前が一番愚かだって言いたくなりますよね。言っときますけどね、この世界中の人間一〇〇%愚か者だらけなんですからね。12歳だって分かってる事実を大して重要でもないのに一々言う必要はありません。お陰で俺も辺境伯もエライ目に遭いましたよ。辺境伯に聞いてごらんなさい、殺されかけたんです。なのに決して屈しませんでしたよ。自分のしたことわかってます?「家に帰る」って子供ですか師匠は?帰るなら子供っぽい事しないで、ちゃんと責任果たしてから帰って下さい。その際は被保護者は忘れずに連れて帰るんですよ、解りましたか?団長さんは帰りましたよ。後は好きにって仰ってましたよね。好きって訳でもないけど適当にやらせてもらいましたよ。あいつムカつくったら上手く集中出来なくて左手消しちゃいましたよ。すごく怒ってたんで弟子のしたことには師匠が責任を取って下さいね。後ね喰い過ぎですよ。だから蹴っ飛ばされてコロコロ転がるんです。その内出掛ける時は転がしますからね」
弟子というのは師匠に対してもっと謙虚なものではないのか、ディートヘルムでさえ思った。
「わかったよ。置いてって悪かったよごめんなさい。ゴーレムはもう作らなくていいよ」
その上師匠が、かの有名な大魔法師ウィクトルが素直に謝っている。
「それならいいです、赦してあげます」
弟子は鷹揚に頷いた。
大魔法師は閑散とした大広間を見渡した。
「魔法師が少なくなってるでしょう。反逆罪って脅されて皆行ってしまいましたよ」
「いいよその方が役割を無理に振る必要がなくなってスッキリしたよ。プロスペロは攻撃魔法使わなかったの?」
「館がボロボロになるじゃないですか。今夜ご一家は何処に寝るんです?それに問題を暴力で解決するのは避けなさいって仰ってたのは誰ですか?やっぱり黄昏時ですか?」
「それで無効化魔法の連発?」
「防御魔法で弾けば、跳ね返った魔法で館が壊れます。団長さんは以前来た魔法師みたいに《次元転移爆裂》使おうとまでしましたよ。重ね重ねバカですねあの人。左手が無くなったんで手印が結べなくてダメでしたけど」
「派手なデビュタントになっちゃったね」
大魔法師の余裕なのか、弟子への愛しさなのか、不思議な陰影の苦笑だった。
ディートヘルムは大魔法師の帰還を感謝した。
「兎にも角にも帰って来て下さって有難い。これで少しは『不死の軍団』の上陸を防げる」
「少しは?ご領主殿、あんな厭らしいもの十海里にだって入れないよ儂。海老だの貝だの魚だの海老だの、こんなに美味しい物を食べられなくなるなんて在り得ないからね」
海老が好きらしく二度口にした。
ご領主殿は嬉しいが反応に困った。
「だから今日からクルトはスパルタ特訓だからね」
「はい?俺ですかな?」
突然の指名に面食らい、素っ頓狂な声を上げる。
「そうそう、我流でそれだけ風が使えるなら、一日二日特訓すれば船を空に飛ばせられるよ。海の上では風が重要だし、飛獣やワイバーンを牽制するのにも必要だからね。他に風の魔法の上手い者もいないから風専門でね」
「頑張れ弟」
戸惑う内に兄に力強く肩を叩かれてしまった。
「はいお兄さん油断しない」
相手がプロスペロでないと師匠は強気だ。
「は?」
「誰が君に魔力がないと言ったのかは知らないけどね。君の声には力があるよ」
晴天の霹靂とはこの事である。物心つく頃にはもう自分には魔力がないと信じ込んでいたのに。
ウィクトルはニッコリ笑った。
「詠唱師の特訓しようね。詠唱で浄化を助けるんだよ。兄弟で頑張って領地と領民を守ろうね。さあ特訓特訓。きっと代々語り継がれる物語になるよ」
「師匠」
兄弟を率いて行こうとする偉大なる大魔法師ウィクトルを、自称幼気な弟子が呼び掛けた。
「お腹空きました。先にご飯にしましょう」