第五章 ゴーレム作りは難しい
「助けて~」と襤褸衣を裂くような声を上げて庭師が走っていく後ろをゴーレムが追い駆けている。
どう見ても襲われている格好だ。魔法陣で錬成されたゴーレムには、用途別の基本知識が仕込まれている。つい話し掛けてしまったのを主人と判断してしまったのだろう。その証拠にゴーレムの方が足が長いが追い抜いたりしない。
「ええ、ッとガーボル。お前はガーボルだ。止まれガーボル。俺が主人だ」
慌てて名付けると、大人しくガーボルは止まった。
「助かった~~。喰われるかと思った~」
棒切れのように細い老庭師は荒い息でへたり込んだ。
「何処に喰う部分が残ってるよ」
思わず呟いてしまう。少年の見るところ出汁が精々である。
「お弟子様が作られたですか?動くと思わなんだですよ。きちんと鎖でも付けといて頂かんと…」
「ごめんなさい。名付もせずに置いておいたから、話し掛けた人は主人だと判断したんです。不注意でした。決して危害を加えるつもりじゃなかったんです。赦してやって下さい」
殊勝にも素直に謝った。
「いや、儂もパニックを起こしてしまって…。ゴーレムを見たことはあるんですがな、使役したことがありませんでな」
動くなら堆肥を運んでおくれよ、と言ってしまい、立ち上がったゴーレムは中背の老庭師の1.5倍はあったから、分厚く頑丈な体で見下ろされて怖くなってパニックを起こしてしまったのだ。
「何か力のいる仕事はありますか?細かい仕事は出来ないけど、重い物を運ぶのは出来ますよ。よかったら使ってみて下さい」
「それは助かりますな、堆肥を運んでもらえれば有難いです」
名前を呼んで具体的に指示すれば従う。簡単にゴーレムの説明をすると、老庭師にゴーレムを託した。ガーボルは指示通り手引きの荷車に堆肥を盛り、庭師の後ろについて荷車を曳いていく。
「…そうか…ガーボルを手本にして構成を考えればいいんだな。流石に動きが滑らかだよな」
もう一体魔法陣で小型のゴーレムを錬成するとファンニと名付て考え込んでいる。ファンニはプロスペロの格好を倣って同じ姿勢で体面に座りズージを笑わせた。
ズージは怖くなくなった超小型犬モドキのパロロと遊んでやりながら、派手な顔の少年が考え込むのを横目で時折窺がった。
これまでになく身体が楽になって、周囲のモノに眼を向ける余裕が出て来た。その余裕を作ってくれた大魔法師と弟子はかなり面白かった。しかも弟子の方は観賞物として見飽きることのない美貌なのだ。
ブツブツ呟きながら地面に書いた数式の様なものは、微量の魔法を発していた。
「こういう感じかな……」
立ち上がるとゴーレムを錬成する。ふむ、という感じで首を傾げ、ゴーレムの周囲を回って出来上がりを検分する。
「手を見せて」
ゴーレムが差出した手の質感を確認し、指を屈伸させる。その後は全体の動きを確認し、そして土塊に還した。
「今日はその位にしたら?ズージ、アフタヌーンティーにしようよ」
庭先に現れた師匠が手招きする。
かつてない食欲を表して、少々飽食気味なのが、弟子の身としては心配させられた。
「師匠、食べるのはいいですけど、服のサイズは死守して下さいね。俺、裁縫出来ないですよ」
(萌え~~)
アデリーネは少年の憎まれ口を聞きながら、内心を悟られないように精一杯平静を装った。
アラフィフでこの異世界に転生して二十三年。何処かのこの国では極平均的な家庭で成長した。特別なスキルもなく、身の程知らずな王子様が現れることもなく、元の世界同様に世を憚るBL&TL好きとして生きていた。
(やっと報われた様な気がする…)
どちらの人生でも初の超絶美形少年が目の前にいて、部屋付き女中としてお世話出来るのだ。こんなこともあろうかと、必死に難関を突破してご領主様のお館に奉公しに来た甲斐があったというものだ。性格の悪いお貴族様に貞操の危機を感じながらも奉公を続けていて良かったと本気で思う。この一瞬の為に生きて来たのだ。――いや違う。
しかも自分で自分を縛って幼い姿のままでいたお気の毒なお嬢様が、その美形ショタの手によって本来の姿に戻る、何てのを身近で見学出来るのだ。しかもしかも美形ショタは毒舌少年で、師匠との会話の度に心が高鳴った。
(何て眼福、何て尊いの)
本当に何かの手違いで転生してしまったとしか思えない、転生した意味のない転生だったが、これで少しは報われた様な気がする。
(これで後はTLかBLの要素があれば……)
現実でなくとも、美形ショタ弟子で妄想は膨らんだ。なんてったって今は不在だが、領主様の弟は風の魔法が使える、女も男もどんと来いの博愛主義者―バイ―なのだ。容姿だって悪くない。兄同様渋い大人の魅力を持ったおじさんなのだ。
(ああ、でも自作のホムンクルスにピーーされちゃう美形ショタもいいかも……)
妄想を膨らませて鼻の穴も膨らませちゃってると、当の美形ショタがアデリーネを見ていた。ニコッと笑いかけると何か言いたそうだったが思い止まったようで、読書に戻った。
(危ない危ない、邪な心を悟られちゃったかしら)
偉大なる大魔法師の弟子なのだ。油断してはいけない。チェンジを受けるのだけは今後の館での奉公もあるから避けなければ。
「プロスペロ、それ何読んでるの?ゴーレム専用魔法陣図鑑とかじゃないよね」
パロロも一緒に熱心に読んでいた。
「図鑑はもっと大きいですね。少年でも読める恋愛小説です。アルトドルファー殿が何冊か貸して下さったんです」
「早速借りたの?もっと他にも読むもの持って来てたよね。このお館にも図書室あるし、見て来てご覧、凄い蔵書だよ」
「図書室のものならいいんですか?サファイア文庫が置かれてましたよ」
それならズージも知っていた。レナーテや女中たちが胸きゅんして読んでいた。ズージは文字を追い駆けると頭が痛くなったから、読書は必要最低限しかしたことがなかったので内容をよくは知らない。
蔵書を見た時アデリーネは幸福に瞳を輝かせたものだ。
「サファイア文庫ってどんな感じ?」
「プエラアマレ文庫の一歩手前です」
プエラアマレ文庫は完全にTLで、アデリーネの愛読書でもある。この世界では本は高くて貴重なコレクションだったから、自作のカバーなどを付けて大切にしている。しかし一歩手前のサファイア文庫だってかなり性描写が過激だったりはする筈だ。
「アデリーネ、こんな十二歳おかしいよねぇ」
大魔法師が哀願するような視線を送った先には、キラキラした瞳の部屋付き女中がいた。
元の世界での十二歳当時、アデリーネは更に過激なBLを読んでいたのだ。どんな瞳で見られてもプロスペロをおかしいとは言えない。けれど男子としてはちょっと異色といってもいいかもしれないが。
「私も少女の頃から愛読してるんです」
恥ずかし気に告白する。
(ううん、恋愛小説を読む少年は貴重だわ。決して否定してはダメ)
「早熟に思われるかもしれませんけど、プロスペロ様は背も高いし賢い方ですから、特に問題はないかと……」
プロスペロの勝利のポーズにパロロも倣う。
読書をしないズージは仲間に入れなかったが、皆が読んでいる、という事は面白い本なのだろうと思う。そう夕食前に姉に告げると、その話は両親にしない方が良いと賢明な忠告を受けた。
ズージの身体が一段と楽になったのは、レナーテを指導する女封印師が来訪した時だ。老いても背筋のしゃんと伸びた女史は、ウィクトルが鏡の魔法を使って一瞬にして移動させたのだ。
「やれやれ、鏡の移動は何度やっても気持ちの良い物ではありませんね」
トゥアハ人で赤銅色の肌を原色鮮やかな民族衣装に包んだワヒーダ女史は、随分皺が刻まれていながら美しい人だった。トゥアハでも南エウリュシア大陸に近い島の出身だという。トゥアハでは北と南で肌の色も言葉も異なるのだ。
彼女を見て顔を顰める者も少なくなかった。アーベントロート辺境伯領は海に突き出た半島を主な根拠地とする。貿易が盛んな土地だったから、南から来る船も多く多人種が住んでいたが、それは下層階級の話である。支配階級は地場の有力貴族との婚姻や一族との連帯が強く他人種を排斥する傾向があった。それ故に我らがお嬢様の師には相応しくないと判断するのだ。
プロスペロは他人種を初めてみるが、珍しくはあっても不快さなどまるで感じなかったから、師匠に後で説明されても今一つピンとこなかった。
エウリュシア大陸で彼女の右に出る封印師はいない、と師匠が紹介すると、アーベントロート辺境伯もその娘も拘りなく受け入れた。
あの場で嫌がられていたらどうするつもりだったのか問うと、
「ズージへのレナーテからの魔法は無効化させる。その後は知らないよ。儂は最良の師を選んだし、その選択以外はないからね」
こうしてワヒーダ・アル・ハーリドは故郷を遠く離れてレナーテの師となった。彼女の登場でエウリュシア北西沿岸地域では良質の封印師が多く誕生することになる。
マルク湾を見下ろす高台からは海と陸の両方の様々なものが一望出来た。
辺境伯ディートヘルムの弟にして、風の魔法師クルトを筆頭とする船団が飛ぶような速さで帰港していた。風が凪いで他の船は帆を膨らませていないのに、クルトの船団だけは帆に一杯パンパンに風を孕んでいた。
多くの人々が船が接岸するのを今か今かと首を長くして待ち、その中には兄のディートヘルム夫妻と二人の息子も含まれていた。
だが大魔法師ウィクトルの関心はそこにない。遠く海の彼方を見詰めてじっと何かを待っていた。何かを案じているようでもあり、パロロが慰めるように足に擦り寄っていた。
小さく平らに開けた空き地でアデリーネは荷物番をしていた。プロスペロはガーボルに手伝わせて大きめの敷布を敷き、魔法具の一つである簡易コンロを用意した。小さな黒い艶のある石は火を点けると大きく炎を上げたのでズージやアデリーネは驚いた。
弟子は薬草採集に余念がない。預かりものの少女はその後ろをついて回る。弟子は薬草を見つけると少女にその薬草の説明をしてやった。
「この薬草は花しか使わないんだ。咲いてしまったら駄目で、蕾の内に採集しないと薬効がなくなるんだ。乾燥させたら度の低い酒に漬けて咳止めにする」
その5歩後ろの距離を取ってガーボルが付き従っている。体力のないズージとピクニック道具一式を背負って登ったのはガーボルだった。彼女にとっては久し振りの外出で、ウキウキしてゴーレムの背に揺られた。
ズージは一段と成長していたが、その分手足だけでなく臓器や胴体部の骨も伸びて全身が痛かった。その苦痛は並みのものではないであろうに健気に耐えている。実際、闇雲に自分を雁字搦めにして、他人の魔法を感じては苦しんでいた頃に比べれば、痛みで動けなくなる時もあるが、希望もあるし耐え易くはあった。
鳩尾の痛みに顔を顰めると、プロスペロは籠から目立たない小さな花が無数についた野草の一枝を差出した。
「匂いを嗅いでいたら、痛みも少しは軽くなるよ」
「有難う」
少女の笑顔には無邪気なだけでなく、女の華やかさが混じってきている。辺境伯夫人は大喜びでピクニックだというのに少女を着飾らせたから、田舎の素朴な村の女性たちとは対極に、名門辺境伯家の姫は垢抜けて上品で時折少年をドキッとさせた。
「とてもいい匂い」
落ち窪んだ目の痩せこけた少女は瞬く間に天使のように可愛らしい少女に変わって少年を驚かせ、大魔法師と弟子となら少しは話せる様にもなった。
その間も空を凝視して師匠は微動だにしない。
ポットに湯を淹れると、残りを薬草を入れた盥に空けてもう一度湯をアデリーネに沸かしてもらう。
ピクニックには理由があった、ズージの叔父クルトと別に偵察に飛んだイスファーンを迎える為だ。師匠との遠話でランデスコーグの魔法師に見付かり随分と痛めつけられたらしい。穢れているので館ではなく、マルク湾を見下ろす丘の上で迎えることにしたのだ。ツチラトに頼むとイスファーンを助けに飛んでくれた。
「この薬草はっ、……どうい、う調、合なの…です、か?」
風下に盥は置かれていたが、薬湯特有の匂いがきつい。教えを乞う時には丁寧になさい、と母に教えられていた。
「本でいうとね。図書室にもある『聖なる魔法の為の清拭』に載ってる、『穢れを拭う為の薬湯』の其之五で、強い薬湯なんだ。匂いが辛いかな?」
「そんなことない…」
匂いはきついが吸うと身体の中が清められる、そんな感じがするのだ。手で扇いで匂いを慎重にだが積極的に取り込んでみる。心が落ち着いて、頭が静謐になる。
盥は二つあり、更に大きな盥で違う薬湯を作る。
作りながら、ズージの魔法の繭で、何処にも繋がらない魔法の残滓の糸を、見えない魔法の触手で解して抜取っていく。繭を形作る魔法の糸をかなり識別出来るようになっていた。ようやく絡まったレナーテの封印の残滓を抜取れ、一つ大きく鼻で息をする。
気持ち良さげな溜息をズージが洩らす。
「い…ま、すごく、楽に、なった……」
キラキラと輝く瞳を向けられる。
「うん、お姉さんのはこれで全部外とれた。お姉さんは心配性だね」
ニコッと大人になる前のあどけなさでズージが笑う。
手袋を嵌めて分厚い革の小袋から緑のマーブル模様の石を取出し、大きな方の盥に沈めると仄かに輝いて溶けて消えた。妖蚕の糸で織った布を浸したら、二体の使い魔を迎える準備は整った。
ガーボルが背負っていた昼食をアデリーネが広げてくれる。
「ウィクトル様、お食事、です」
怖い顔で微かに頷いただけで動かない。何時もなら呼ばれる前に大喜びで席に着くのに。
プロスペロもまだ断食を続行しているので、食べるのは女子二人ととペロロの女子連だ。成長が著しいのでお腹がよく空いて人の二倍は食べてしまうズージが、でも今日は飲み込んだものが喉を上手く通ってくれない。
「毎年今頃はブルー・ナ・ノウスでは作物の世話とか収穫で忙しいんだよ」
気を使ってくれたのかプロスペロが話し出した。
屋敷の話は以前にも少ししてくれたことがある。薬草だけでなく、自分たちで食べる野菜や、妖蚕や小物妖魔の餌になる妖虫も育てるのだと話してくれた。
「薬草はね、乾燥させたりして売るんだよ。虫も餌用が余ったら乾燥させて薬として売ったりするんだ」
季節が過ぎて冬になる前に旅商人が来る。老い耄れ驢馬に牽かせた馬車を先頭に、二台の馬車で各地を回るのはアントネッロ三兄弟であった。ウィクトルも気に入っていて村での商売の間、屋敷への逗留を許していた。これは本当に珍しいのだ。一年間蓄えた薬草を売った金は、金貨三枚までを自分の取り分として、残りの金貨や銀貨、たくさんの銅貨を村に寄付していた。村人たちが師匠やプロスペロによくしてくれるのはそれもあってのことだ。
薬草は原料としても売れるが、調合するとさらに高値で売れるから、自然と秋は調合の季節になっていた。作業をしながら暗唱したり、難しい魔法陣の構成の講義を受けたりした。ただ机に座って教えられるより、手作業をしながら進める講義の方が好きだった。特に暗記物は頭に入りやすい。
「村の西に二本の楡の大木が生えててね、次の四ツ辻を左に小一時間も歩けばロミーナの家があるんだよ。何時も喉薬を買いに来る人ね。昔はとても良い声で歌ってたんだよ。風邪をこじらせて喉をやられるまでお祭りでよく唄っててね。優しくて清々しい歌声だったんだよ。薬草より快かったなぁ。だからロミーナの分だけは魔法で効き目をよくするの儂」
「公会堂前のエイデンは足の古傷が痛むっていうじゃない?本当は痛まないの、心が痛むの、だから薬じゃ効かないの。昔哀しいことがあってね、その時付いた傷だから治ってくれないのよ。心の傷を治す魔法はないけど、少し心を軽くする魔法はあるからね。軽くかけて渡してる」
「エイデンのお祖父ちゃんはね……」
時には調合にまつわる話も聞かせてもらえた。師匠は人に構われるのは嫌いだが、全ての付き合いを嫌っている訳ではない。村祭りにはちゃんと行くし、呼ばれれば文句も言わずに遠くても往診に行った。
少年は人の役に立つ、ひたすら誠実に出来る仕事が好きだった。偉そうな魔法師にならなくても、作物を育て薬草を育て妖蚕を育て……、そういったことを生業としても全然良かった。
「虫って、虫…」
大半の女性と同じく、ズージも綺麗な蝶や蜻蛉以外の虫は、特に幼虫などは苦手だったから、魔法師になるのに虫を育てるのは必修かどうかが気になった。上手く伝えられないのがもどかしい。
「随分やってなかったんだって、俺が弟子になって久し振りに飼い始めたって言ってた。忌み地でイスファーンが卵や親虫を採って来てくれたんだ。妖蚕の糸はすごく綺麗だよ」
つまりあるのだ。虫を触ることを考えると気が滅入った。
「妖蚕や妖虫は、頃合いになると何故わかるのか使い魔が来て引き取ってくれるんだ」
「す……素手で、素手で触、る、の?」
「毒を放ったりする奴もいるから、専用の手袋を使う」
少しホッとした。素手で触らないでもいいのだ。
「妖蚕は人間が素手で触ると死ぬから、妖蚕の糸で織った手袋を使ってるんだけど、それがすごく高くて!師匠に聞いて吃驚したよ。でも一度の出荷で売れた繭の代金の方が高くて更に吃驚した。糸を採ってみたいけど猛毒が出るから人間には出来ないんだ。地中のコボルトが糸を紡いでくれる」
「コボ……いる、の?」
伝説や物語の中にだけいる架空の存在だと聞いていた。
「俺も会ったことはないよ。糸になれば人間も触れるんだ。コボルトはウラースロー大陸からエウリュシア大陸に住み着いたのが極僅か残ってて、完全に妖蚕の飼育の仕方を覚えたら、コボルトに会わせてくれるって師匠が約束してくれたんだ」
「会…う?」
凶暴で知られるコボルトと会うのか、しかし凶暴といわれるのも本当かどうかわからない。そういわれているだけだ。「悪いことをすれば、コボルトに地中に引き摺り込まれる」と。
「妖蚕の絹は何時でも不足してるから、良い稼ぎになるんだよ。個人契約でコボルトに紡いでもらって、織物にしたいんだ」
「その織物を売ったお金で、フレーズ文庫だかミエル文庫だかのいやらしい本をたくさん買う気なんでしょうね、プロスペロ君は」
唐突に口を尖らせた師匠が嫌味を繰出す。
「いいえぇ、ミカエル文庫を大人買いです」
「どれだけ種類があるんだか……。帰って来たよ」
師匠の視線を辿ると、フラフラしながら飛んで来る鳥がいる。翼の大きな鳥で餌となる小鳥を鉤爪でしっかと掴んでいる、弱肉強食の構図だ。小鳥はぐったりとしていて、生死がわからない。師匠が迎えるように両腕を伸ばすと風が起こって二羽を包み敷布の上に導いた。二羽が二匹の犬モドキに戻ると、身体の傷が鮮明になる。特にイスファーンの傷は酷く腐っていて禍々しく、穢れた気と悪臭が押し寄せて息が詰まった。
「ガーボル、ズージを二十歩離れた所に連れてって。アデリーネもね。プロスペロは足を持って」
師弟でイスファーンを大きな盥に入れる。傷に響くのだろうイスファーンが吼えた。盥から大分はみ出してしまうイスファーンに、もう一回り小さくなるように命じる。
「少しの我慢だからねイスファーン」
声からは長年を共にした妖魔を、気遣う気持ちがひしひしと感じられた。
妖蚕の絹で傷を洗い、腐った部分を取り除いていく。プロスペロは小さな盥の薬湯でツチラトの全身を拭いて傷口に軟膏を塗ってやる。
〔申し訳ありません主様。見たもの遭った出来事を全てお見せします〕
人と犬の額がくっつく。記憶を渡すとイスファーンから力が抜け、師匠の腕の中でくにゃりとなった。
「有難うよく頑張ってくれたね。ゆっくり休んでね」
手当てが済むとイスファーンは治癒魔法で包まれ、見た目は大きな繭になった。
「師匠済んだらご飯食べて下さいね」
どちらの盥の水も真っ黒でヘドロ臭を漂わせていた。顔を顰めながらプロスペロは両方に手を翳して中身を固形化させると、一気に近くの木に留まっていた三羽の大きな鴉にぶつける。一羽は辛くも逃げたが遅れた二羽は消し飛んだ。
「相殺!逃がすか!?」
勢い込むプロスペロに師匠の制止の声が響いた。
「逃がして構わないから放っておきなさい」
「でも師匠ッ」
「戦争なんだから互いに探り合うものだよ。いいから放っておきなさい。それよりツチラトに魔石をあげて、でないと身体を回復させるのにズージかアデリーネを食べちゃいかねないよ」
確かにツチラトの視線は女子たちにあった。手袋を嵌めて革の小袋を探る。赤い魔石を取出すと同時にツチラトの大きな口が呑み込んでしまう。
「待った、俺の手も呑み込んでる!?」
慌ててツチラトの頭を押さえて手を取り戻した。
首筋にチリッと嫌なものを感じてプロスペロは振り返った。大鴉が舞い戻っている。真っ直ぐ自分を見ている。どうにかして消滅させてやりたくて堪らなくなった。ツチラトも歯を剥く。
「策に乗っちゃ駄目だよプロスペロ。攻撃させて実力をみる気なんだから」
マルク湾に入るまで、大鴉たちは執拗に攻撃してきた。ウィクトルに一刻も早く帰れと念を押されていなければ、イスファーンの怪我が酷くなければ返討ちにしてやったのに、とツチラトは悔しかった。五十年近く安寧な生活を送って久し振りの感覚だった。今もウィクトルがプロスペロを止めなければ、命じられなくても参戦するつもりだったのだ。外法で負った傷が痛んだ。
苛立つツチラトが吼えると、師匠は静かに語りかけた。
「人と家畜さえ襲わなければ、野の獣なら構わないから力が余ってるなら行っておいで」
ややあってから身を翻してツチラトは駆けた。
「さて、お昼ご飯にしよっと。アデリーネは何を用意してくれたのかな」
「夕食も近い時間だから、程々にしておいた方がいいですよ」
「アデリーネが用意してくれたんだよ。全部食べるよ」
「夕食もきっと大量に用意してくれてますよ。食べられるんですか?」
「食べられるに決まってる。待つのはお腹が減るんだよ。外法の術で受けた怪我への、治癒魔法だって使ったんだから」
骨付き鳥の唐揚げに齧り付く。
「師匠、ここんとこ急激に丸くおなりですよ。転がって移動する気がなかったら控えましょう」
言葉の暴力、という言葉がある。とするとプロスペロの言葉はアッパーカットになるだろうか、師匠は精神的に多大なダメージを負った。
「師匠、丸い、か、わい、い」
懸命に慰めるのズージをプロスペロは薄情にも容赦のない言葉で否定する。
「騙されたらいけません師匠。丸い物の多くは可愛いですけど、師匠が丸くなったって可愛くは絶対ありません。何処へだって出て保証します」
自信をもって胸を反らす。
この場合、保証されても嬉しくとも何ともないし、何処へ出るつもりだというのか。
「口、慎み、なさ、い、プロ、ペロ。師匠は、可愛、い、の」
十二にしては背の高いプロスペロを十五のズージはまだ抜かせていない。その高い背中をぽかぽかと叩いて戒める。叩き方がパロロと似ていて可愛いな、とプロスペロは気持ち良かった。
その可愛らしい光景にアデリーネは瞳を銀河のように輝かせた。
(魔法師の年下美形ショタの、しかし体格差ありの……)
脳内妄想が暴走する。