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第三章 辺境伯の娘

 大陸のどの地方領主の館にもワイバーン等の翼竜が降りられる場所が用意されている。エルレヴェ半島を含む沿岸一帯に広大な領地を持つアーベントロート辺境伯の館には二つもあり、それは辺境伯の権力の大きさと比例していた。現在の辺境伯家の当主ディートヘルム・ベルゲマンは魔力はないがそれを差し引いてもお釣りのくるやり手で、先代から受け継いだ領地を栄えさせていた。

 その長女レナーテはギルベルタ王女の新米侍女として、王女の傍らで高名な魔法師の到着を待っていた。一番に一行の来訪を感じ取った妹のズージは頭から掛布を被ってベッドで震えている。傍にいてやりたかった。しかし何をしでかすかわからない王女から離れる訳にはいかなかった。

 人々の頭上に影が差して、見上げるとワイバーンが旋回していた。風が人々の衣服や髪を乱す。一行が彼女の知る醜いワイバーンとは比べ物にならない雄々しいワイバーンで館に降り立つと、父のディートヘルムが前に出て、背から降りた一行を歓迎した。

 話したこともある三人の魔法師と見知らぬ魔法師の内、灰色のローブを着た初老の男が片腕を高く上げると、ワイバーンは強い風を残して飛び立った。

 好奇心旺盛な王女が紹介されるのを待ってうずうずしているのがわかる。早く紹介されなければ、作法を無視して父に紹介される前に飛び出しそうだった。それなのに人の無作法には敏感なのだ。自分は王女であるから作法を無視しても許されると思っている。

 ようやく父の案内で一行が王女の前に来た。

「ウィクトル殿こちらはギルベルタ王女、側室に上がった姉の娘です」

「御機嫌ようウィクトル殿、ご助力頂けて有難く思います」

 ギルベルタとしては最高級の歓迎の言葉だったが、手を差出し顎を上げて澄ます王女に、あろうことか大魔法師は興味無さ気な視線を送っただけだった。

 一同が息を呑んだその次の瞬間、もう一人の魔法師が目深に被っていたフードを捲ると、誰もが眼を奪われて非礼を忘れた。同じく背の低い老人かと思いきや美貌の少女が現れたのだ。

 そつなくディートヘルムが、

「少女と見紛う程の美しい少年ですな」

と人々の誤解を修正した。予め知らされていたが、彼にしても思いも掛けぬ美貌だった。

 短く切られた髪は輝くような金色で、琥珀色の瞳が臆することなく周囲を睥睨している。その態度は王侯貴族のようだった。彼も王女に興味がないようで何かを感じ取ろうとしているように周囲を見回していた。だが出迎えた人々を見ている訳ではない。その腕に抱かれるのは、大きな瞳が空の青ではなく海の青の素晴らしく可愛らしい、長い飾り毛の真っ白な超小型犬であった。足元には大型犬が二頭いる。大魔法師は犬が好きらしい。犬好きの者は、頭の中で似た犬種を脳裏で探した。

「ウィクトル疲れたろう?一先ず部屋に案内してもらって休んだらどうだろう」

 アルトドルファーが館を指した。

「プロスペロ疲れた?」

「いえ、ワイバーンの旅は爽快でした」

「だよね」

「でも師匠はお疲れでしょう」

「何故?」

「アドリアンに……」

 みなまで言わせず声を被せる。

「そうだね、疲れちゃったね。じゃあ荷物整理もあるし先に休ませてもらおうかなぁ」

 結局子弟は共に出掛けることになり、辺境伯領地までは馬でも丸二日かかる距離だと、ウィクトルがワイバーンを呼んのだ。パロロとイスファーンとツチラトの犬モドキたちも一緒だ。

 三間続きの部屋は一間が従者用でプロスペロの部屋らしくベッドが置かれている。応接間があり寝室兼書斎がある。

 運び込まれた荷物から早速茶器を取出す。長期になるかもしれないと告げられ、今度は忘れなかったのだ。

「お待ち下さい、わたくしがさせて頂きます」

 横から白い手が伸びる。

「?誰?」

 エプロンドレスに結い上げた頭髪をすっぽりと頭巾で包んだ女性が微笑んでいた。

「部屋付き女中のアデリーネと申します」

 紹介したのは成人したばかりに見える品の好い青年だった。

「私は当家の次男でカスパルと申します。アデリーネ共々、ウィクトル様のお世話を申し付かりました」

「自分たちで出来るのに」

 そうでしょうね、とカスパルも思うが、仮にも大陸に名高い希代の魔法師ウィクトルとその弟子である。粗略に出来はしない。しかし貴族の子息の眼から見て彼らは見窄らしい身形だった。特に弟子は。洗濯はしているようだが、それ以上は身形に気を使わないらしい。

「さもありましょうが、当家に居ります間は雑事はお忘れになって、魔法に専念されてお過ごし下さい」

 何か言いた気な弟子を師匠が遮った。

「ご厚意を受けちゃいなよプロスペロ。それだけの事はするんだからさ」

 カスパル品の好い笑顔が身内だからわかる程度、微妙になる。気持ちはわかる。傲慢だが子供の様な物言いだ。アデリーネから見ても幼児体系の三頭身は威厳の欠片もない。

「有難うございます。この度のご助力に当主たる父並びに一族、領民たちも深く感謝致しております」

「まだ何にもしてないよ、してからにして、そういうの」

「はい、晩餐で我が家の者共を是非ご紹介させて頂きたいので、夕食は是非大広間においで下さい」

 大魔法師の表情は苦い。

「大したものでなくていいから部屋で食べるよ」

「お疲れでもありましょうが、今日だけは晩餐にご出席下さい」

 深々と頭を垂れる。慌てた様子はないから事前に偏屈だと含められているのだろう。

「俺は行きますよ。ご馳走食べたいし」

 弟子は師の顔色を窺わなかった。

「儂に合わせないの?」

「え、用意してくれるんだし、夕食位いいじゃないですか別々でも、師匠はアデリーネさんの給仕で食べてたら」

 カスパルの目には稲妻に撃たれる大魔法師が見えた気がした。

「一緒に食べようよ」

「じゃあ師匠も一緒に行ったらいい」

 けんもほろろである。折角のご馳走を逃す気はないのだ。大魔法師はもうしばらく粘ったが、弟子に取り付く島はなかった。

 見守る二人は師匠と弟子の構図に「?」を付け加えた。さり気なくアデリーネは話題を変える。

「あの、茶器や茶葉はこちらでもご用意出来ますから、茶葉は何になさいます?」

 持参の茶器には欠けがいくつもあった。恥ずかしいとは思わなかったが、変えようと思って随分そのままになっていた。

「その時の気分で適当に香草を淹れてるんですけど」

「香りが良くて濃い目のお茶がいいな」

 師匠の注文に畏まりました、と出来る部屋付き女中は笑顔で応じた。

「あのねカスパル。弟子のプロスペロは幼い位年若いけど、もう一人前の魔法師だからね。お父さんたちにもそう伝えておいてくれる?」

「畏まりました。他にご要望は?」

「有難う、ないよ」

「今夜の晩餐は魔法師様を歓迎して、領地の自慢の海産物を当家の名に懸けてご用意させて頂きました」

「ほらやっぱり師匠、絶対逃がしちゃダメだって、折角のご厚意ですからね。何時もは俺が作ってるんだけど、我慢して食べてるのはわかってるんですよ。美味しい物が好きなのは一緒なんです」

 整理に時間が掛かる程の荷物はないが、書斎の机に師匠の筆記具や本を並べる。

「プロスペロ殿が作られておられるのですか?」

「プロスペロでいいです。料理の出来るゴーレムや使い魔もいるにはいるんですけど、それぞれ癖があって結局俺があるもので適当に作ってます。本当に適当なんですよ」

「え、ゴーレムが本当にいるんですか?」

 父が魔法が使えない為、誰もが遠慮して使い魔もここには連れて来ないのだ。家族も大した魔力を持たない者の方が多いから、魔法が身近になくて馴染みがない。カスパル自体がそうだった。

 動きを止めた美しい顔がじっと自分を見て、思わずドギマギしてしまった。歳の割に背が高い。

「植物の栽培を手伝ってもらってるんですけど、菜園がバラージュとチャバ、薬草園はアリーズとヤンカなんです。土の人形なのに俺に感化されたらしくて、日増しに人に近い形になってて。俺が知ってる人になるらしいんで、誰に似てくるのか楽しみなんですよ」

 嬉しそうに話すので、カスパルも最初の緊張が解れていった。高名で気難しい魔法師と聞いていたが、弟子は気持ちのいい少年なのだ。男子にしておくのは惜しい美貌なのだが。

「それは一度見てみたいね」

「師匠が許してくれれば稽古がてら作ってもいいです」

 一応リップサービスだった。軽々しく魔法を使用するのは耳にタコが出来る程戒められていたので、絶対に師匠は承諾すまいと思ったが、意外に気軽に許した。

「構わないよ」

「いいんですか?」

 どういう風の吹き回しなのだろう。

「そうね、頑丈なゴーレムがいいよ。荷物を運搬するしっかりした構造の。長持ちしないと駄目だよ。一週間位で壊れたりしたら、それ相応の課題を出しちゃうからね。二体作りなさい」

(うわお、課題来た!)

「わかりました。明日にでも。連れて帰りますか?」

「置いて帰るよ。補修のやり方を誰かに教えてあげれば長く使ってもらえるじゃない」

「補修の仕方位知ってる人がいるんじゃないですか?」

「難しくないでしょ君が誰かに教えてあげるんだよ。わかった?」

(それも課題か)

 誰を選ぶかも、どう教えるかも採点の対象なのだ。

 見せてもらうのはいいが、残されるのは我が家の場合不味いかもしれない。カスパルは断ろうとした。

「それはいいですね。しかし当家では……」

「そうやって当主に気兼ねして魔法を遠ざけちゃうから妹さんが苦しんでるんじゃないかな」

 カスパルはハッとする。

 アルトドルファーが告げたのか。

「ご存知でしたか……」

「妖蚕だってここまで繭は紡がないよ」

 兄弟でも妹だけが魔力らしい魔力をを持っているらしい、しかも強力な。家族が理解してやれなかった所為で自分の魔力に雁字搦めになってしまっていると、妹の成長が止まった時、診てくれた魔法医師が説明してくれた。その医師には解けなかった。

 だからカスパルの妹ズージは十五になるはずなのに、七、八歳程にしか成長しておらず、居室に閉じ籠って滅多に姿を現そうとしなかった。そんな末子を家族の誰もが案じていた。

「魔法医にも診せたのですがどうにもならなくて」

「患者の魔力が強過ぎるね。治すのは難しいよ」

「ウィクトル様なら治せますか?」

「このままでは遠からず彼女は自分の魔力で死んじゃうよ。放ってはおけないからどうにかしてみるよ」

 ノックの音がしてアデリーネの声が聞こえると、何事か言おうとしていたカスパルは機会を逃した。

「父に伝えて来ます」

 入違えにアデリーネがお菓子や軽食が乗ったワゴンを押して現れた。プロスペロが少年らしい歓声を上げる。

 同じ位の身長の子弟は、仲良く足をぷらぷらさせながら、お茶もお菓子も早いペースで空にしていった。

 息せき切ってカスパルは事の次第を父に報告した。

 これは吹っ掛けられるかもしれん、それがディートヘルムの頭に最初に浮かんだことだった。以前の魔法医は高額を要求して治せず仕舞いだったのだ。治せるならば更に高値を吹っ掛けられるのだろう。

 だが、愛娘なのだ、いくら吹っ掛けられても稼いでみせる気だった。

 今回の侵攻を防ぐ為に集った魔法師で、評判の者に娘を診せもしたが、誰も良い返事どころか悪い返事も出来なかった。

 ズージは放っておけば自分で自分を殺してしまうかもしれない。それはこれまでも予想出来た最悪の結果だった。ウィクトルにならどうにか治せるかもしれないそれも確かだろう。娘の苦しみを救ってくれるというなら、靴の裏だって舐めてやれる。彼は末娘の部屋に向かった。

 

 俯いて反省の色を装いながら、ギルベルタは彼女に唯一お説教出来る人物乳母からずっとお叱りを受けていた。

「よろしいですか、例え一国の王女とはいえ、大魔法師ウィクトル様にあのような口をきくことは許されないことでしたよ。わたくしはくどい程に注意致しましたよね」

 それに、大魔法師ウィクトルといえば大昔から偉大な大魔法師として名を馳せていた方なのです。手を差し出すのではないく、差し出された手を受けるのが本来なのですと続くのだ。その上あのちび禿デブは服従を求める国王軍を撃退したことがあるという。信じられなかった。

 傍らで聞いていてレナーテは溜息が出た。

 そんな風に上から言えば跳ねっ返りのギルベルタは余計に意地になって、大魔法師に自分を認めさせようと躍起になるに決まっている。この女は乳母というだけで、我が乳で育てた娘のことをまるで解っていなかった。

 王女への非礼に見えて実は大魔法師への非礼。

 魔法師たちだってそれを解っていない者が多いようだった。

 妹のことが気になって仕方がないというのに、ギルベルタから目が離せない。厄介な従姉妹だった。

(こんな事だから侍女も居つかないのよ)

 いくら国王に顧みられない王女とはいえ、侍女が三人とは少な過ぎるではないか。そのくせ荷物だけは多いのだ。館が広いとはいえワイバーンまで連れて来られて大迷惑していた。

 ギルベルタはウィクトルの乗騎していたワイバーンを見て何とも思わなかったのだろうか。比べれば彼女の連れて来たワイバーンは人前に出すのも恥ずかしい位見窄らしかった。ろくに食べず、皮膚も病気でいやらしい。

 父王からの側室である母への愛が冷め、人一倍プライドが高い為に王女であることを示そうと焦っているのだろうが空回りなのだ。叔父でありレナーテの父であるディートヘルムは強大な辺境伯でやり手だが王女を利用しようとは考えていない。王の寵愛が他の女性に移ってしまうことはままあることで仕方がないのだが、親族からの同情は王女としての自分を見放されたように感じてしまうらしい、プライドの高い跳ねっ返りだけに言葉選びが難しかった。

 どうすれば、例え王女でなくなっても大切な従姉妹に変わりはない、愛は変わらないのだと伝えられるのだろう。妹や弟たち同様愛しているのに。

「晩餐には大魔法師様もご出席されるそうです。今度こそ粗相をなさらないようにして下さい。ウラースローからの侵攻防衛にご助力して下さるのですからね」

 等とクドクドと何度も同じ事を繰り返し注意して、ようやく気の済んだ乳母が行ってしまうとギルベルタは姿勢を崩した。一頻り乳母をこき下ろす。

「本当にあのちび禿デブが偉大な大魔法師なの?」

 疑わしそうに訊かれても、レナーテとて伝聞でしか知らないのだ。だが敵が外道の術を使って侵攻しようとしている今、兵士ではなく魔法師たちが頼りなのも確かなのだから、機嫌を損ねることは絶対出来ない。

 噂では『不死の軍団』が侵攻した土地は汚れて作物が実らず、水は腐って飲めなくなるという。そうなったらもうこの土地には住めなくなるのだ。先祖代々からのこの地に。

「他の魔法師たちが大人しくなったでしょう?こそっと逃げた方もいるそうよ。それにワイバーンに乗って来たのは彼だけよ」

「これ見よがしに乗って来たわよね」

「急いで来て下さったのよ」

「レナーテったらお人好し」

 ムッとするがスルーしておいた。

「そういえばお弟子さんの男の子は凄く綺麗だったわね。魔法師なんて勿体ないかも」

 ギルベルタは鼻を鳴らした。

「乙女ねぇ、レナーテは。どれ程綺麗でも男じゃ宝の持ち腐れよ。男に必要なのは美貌じゃないわ。そりゃあだからって不細工な男は嫌だけど、男は結局実力よ」

 自分とて見惚れていたのに知った風な口を利くものだ。長く弟子を取らなかった大魔法師が、久し振りに受け入れたと聞く、実力がない訳がない。

「あんな爺さんを有難がるなんて、地方だものしょうがないわよね。宮廷魔法師の一人でも連れて来て上げたかったわ」

「そうね、貴女のお父様が一人位寄こして下さればよかったわね」

 痛い所を突かれて黙った。

 元々政治は側近任せだった上に臆病風に吹かれた王は、側室や娘の懇願も退けて王都周辺の防備に兵力を集結させていた。魔法騎士団の一支隊さえ割いてくれないどころか、この地方を防衛していた軍も退かせてしまったのだ。

 噂では父が魔力のない貴族だから嫌がらせをされているらしい。祖国の防衛よりも嫌がらせとは、宮廷には出仕したくはないものだ。

 負けるものかと変なことに負けず嫌いな従姉妹は早々に気を取り直した。

「大丈夫よ、私がワイバーンに乗って指揮を執るわ」

「王女が活躍し過ぎると、部下が手柄を立てられなくなるわ。それは上に立つ者として慎まないと。それに父が自領の防衛さえ出来ない領主だって馬鹿にされてしまうわ」

 あのワイバーンが飛べるかどうかさえ疑わしい。ここへは飛んで来たのではない。魔法の鎖に繋がれて無理矢理連れて来られたのだ。

 無暗に彼女を凹ませたい訳ではない。無用な手出しをして面倒を起こさないで欲しいのだ。叔父の評判が落ちると自身の評判も落ちると、わかっていてくれるだけでも有難いかもしれない。

 ウラースロー大陸からの侵攻など久しくなかった。エウリュシア大陸を代表する聖ルカス皇国と、ウラースロー大陸のサーリ帝国は長く友好関係を保っていたのだ。それがランデスコーグ王国が急速に勢力を拡大し、ウラースロー大陸をほぼ掌中にしているらしい。侵攻してくるのは王国の第四王子である。

 外道の術を好む第四王子は、侵攻に『不死の軍団』と称するいやらしい死人の軍団を使うのだ。アーベントロート辺境伯領で生きる誰もが、ウィクトルが噂通りの大魔法師であって欲しいと祈っていた。

 だからギルベルタにはなるべく気を逸らしていて欲しかった。気分を害した大魔法師に見放されればお終いだ。

 エウリュシア大陸は聖ルカス皇国皇帝のカリスマによって長く勢力均衡が保たれていたから、大規模な戦闘は無くなっていた。魔法師たちもそもそも戦争を知らない世代が多くなっていて、馴れない攻撃魔法を今から訓練する始末なのだ。

 シェファルツ王国の国民で、ブルー・ナ・ノウスの大魔法師ウィクトルを知らない者は赤子だけだ。

 泣く子も黙る忌み地の近くに、巨大な宮殿を古の大魔法使いから受け継いで、千年以上生きているとも語られている。どんな姿なのかと恐ろれながらも好奇心で一杯だったのに、実際はちび禿デブの人の好さそうなおじいさんなのだ。ワイバーンに乗って来ていなければ信じられなかった。

 根っから大魔法師を見くびっている従姉妹は、晩餐の席でどんな風にマウントを取ろうとするだろう。乳母も当てにならないし、妹の様子は女中たちに見に行かせるしかない。

「詰まらないわ。苦労してワイバーンを手に入れたのよ。乗ってるところを披露出来ないなんて」

 そう、乗るだけで満足してくれないのだ。颯爽とワイバーンに乗る姿を群集に見せびらかしたいのだ。軍を指揮する姿は更にいい。王宮では忘れ去られた姫だったから、承認欲求が並外れているのだ。兵法を勉強したこともなく、剣の重みも知らず、自身でワイバーンを召喚出来もしないで、努力もせず望みだけは高いのだ。従姉妹ながら呆れる娘だった。せめて何か努力する姿勢でもあればよかったのだが。

 だがレナーテは立派に教育された、アーベントロート辺境伯ベルゲマン家の総領娘だ。様々な人々を扱うのには馴れている。だからこそ父は我儘姫の侍女に当てたのだ。期待には応えて見せる。

 我がベルゲマン家の者たちは困難に果敢に立ち向かい、決して屈することはない。

 我儘姫にも『不死の軍団』にも。

「乗馬と同じよ。きっと練習がいるわ。ウィクトル様だってワイバーンに籠をつけてらっしゃったじゃない」

「そうよ、ダサいわ~。私だったら…」

「でも乗った事はないでしょう?」

「だって召喚士が人に馴れてなくて気が荒いからまだ駄目だって」

 従姉妹の発言は矛盾だらけだ、それで人前で颯爽と乗れるつもりでいたというのか、従妹ながら痛い性格に眩暈がしそうだ。

「無理に乗って貴女が怪我したら、王女に怪我をさせたとして父が処罰されてしまうわ。どうかしら、ウィクトル様に私がワイバーンを扱うコツを訊いてみてあげるわ」

 ギルベルタが瞳を輝かせた。良い反応だ。プライドが高いから自分では絶対人に教えを請うたり出来ないのだ。

「ほら、何にだってコツってあるじゃない?裁縫だって乗馬だってね。訊いてみて練習すればワイバーンだって乗りこなせるわよきっと」

「試してみてあげても、いいわね」

 気乗りしないけど、あなたがそういうなら試して上げてもいいわよ、という素振りだ。

「それがいいわよ。私もあなたが凶暴なワイバーンなんかに乗って怪我しないか心配だもの。お話しする機会があれば、絶対に訊いてみてあげるわ。だから大魔法師様の機嫌を損ねるような事はしないでね。偏屈で有名だそうだから、意地悪して教えて下さらなくなるかもしれないわ」

「わかったわ、それまでは精々あのチビの機嫌をとってあげるわ」

 いや、何もしないでいい、一番いいのはそれなのだ。

「そうね、でも口数が多かったり機嫌をとったりすれば王女としての価値が下がるわ。ツンと澄まして適当に笑顔を向けるだけで十分よ」

「それもそうね。レナーテは頼りになるわね」

 その場その場でいうことが違う。

 機嫌の直ったギルベルタは晩餐用の服に着替える時も周囲に愛想良く振舞った。それなりに見栄えのいい少女でもあったから、機嫌良くしていれば周囲の舌も軽くなって、罪悪感なく社交辞令で褒めそやしてくれる。更に上機嫌になったギルベルタはウィクトルに上品な笑顔さえ向けたのだ。

 レナーテはホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、父に張り付く様に妹がいるのを見て、驚きと心配で胸が一杯になった。

 広間は来訪者で充満していた。魔法師たちや将軍などの軍の関係者たちに家臣たちとその家族、出入の高位の商人たちまでが偉大な魔法師を一目見ようと集まっていたのだ。

 内輪の親族の集まりでさえ嫌がる妹なのだ、こんな大勢の人間が集まる場所は苦痛でしかないはずである。心配で堪らず妹から目が離せなくなっていると、件の美貌の弟子がそっとレナーテの側に立った。

「師匠からの伝言です。妹さんに意識を向けるのを止めろって」

「急に…なに?」

 十二と聞いていたが、その割には背が高い。平均的な身長のレナーテを追い越すのももうすぐだろう。

「あなたの気持ちに妹さんは感応してしまうから、妹さんを思うなら妹は強い子だから大丈夫だと思え、だそうです」

「大丈夫じゃないわ、あの子は」

「うん、その考え方が伝わって彼女を不安にさせてるんだよ。あなたの魔力は弱いけど、一点集中してるから強くなるんだ。無理してでも妹は大丈夫だと思い込んで」

(私が妹を苦しめているというの?)

 弟子はそれだけ言うと返事を待たずに師匠の隣に戻っていった。

 

 師匠の下に戻る途中、長卓に並べられたたくさんの料理にプロスペロの胸は高鳴っていた。きっと美味しい筈なのだ、方々から胃袋を刺激する良い匂いが漂う。ウェーバーさんのフルーツタルト以上に彩りのある料理を見たことがなかったから、手の込んだ料理は食べ方からして不明であったのだが。

 それにしても人が多い。村人全員を集めても今広間にいる人数に敵わないのではないだろうか。

 カスパルが忙しそうに立ち働く兄アレクサンダーを師匠に紹介していた。

「プロスペロ、良かった。兄のアレクサンダーだよ」

 よく似た顔だが将来一族を背負って立つ覚悟があるのだろう、甘えた雰囲気がない意志の強い眼は真っ直ぐにプロスペロを見た。挨拶も早々に呼ばれて行ってしまったが、嫌な感じはしなかった。

 大魔法師ウィクトルが広間に現れたと知れると、様々な人が挨拶に来て鬱陶しく、晩餐に出席したことを後悔した。

「今日だけだよ、珍しいからね」

 そう師匠は言うが、好奇心丸出しで隠そうともしない人も多くて少年を不安にさせた。カスパルが誰もを上手にあしらってくれて、その様子を観察しているのも勉強になるが自分の席までが遠く感じられた。

 大勢の人と一緒に食事を摂るだけだから何処に座るのも自由だと思っていたのに、主賓席が設けられているという。これまでは多くても村祭りで食事しただけで、大抵は師匠と二人切りだったから、広間の雰囲気には圧倒されてしまう。

 とうとう席に着けたが、ウィクトルが言い出しっぺのくせに何処かの片隅に逃げようとする弟子を放したがらなかったので対面に着席する。

 そこは領主夫妻とも対面になる席で、夫妻の間には小さな娘が俯いて座っていた。繭の子ズージだ。なる程魔法を透して見ると彼女は繭に包まれているようだった。栄養失調が一目でわかる程痩せて、眼が落ち窪んだ顔を茶色い髪が薄く縁取っていた。

 父に命じられるとズージは大魔法師ウィクトルに挨拶する為席を離れた。

 苦しくはなかった。父の説得で晩餐に出席すると決めてから何故だか身体が少し楽になっていたからだ。ワイバーンの声なき憎悪の雄叫びも聞こえなくなっていた。大魔法師に近付くと更に軽くなるのを感じる。彼が何かしているのは明らかだ。

 母に紹介されても口を利けずにいると大魔法師の方が言葉を掛けてくれた。

「儂らの登場は君を苦しめちゃったね」

 物言いも柔らかい。

「……………」

 そんなことはない。身体が軽い。お礼を言いたかったが、どうしても言葉が出ない。

「無理しなくていいんだよ。色んなご馳走があるからたくさん食べようね」

 本当に美味しそうなご馳走だった。ずっと食欲がなくて粥を食べるのも苦痛だったのにお腹が空いて堪らなくなっていた。席に戻るのを許されると、彼女用に用意された粥を一気に食べた。それでは足りず目の前の魚料理を皿ごと引き寄せた。

「食べるのかね。取分けてあげるから少し待ちなさい」

 大魔法師に挨拶だけしたら部屋に帰る許しを与えていたのに、娘は残って食欲まであるという。ディートヘルムは自分の木皿に少し取分けると娘の前に置いた。

「足りない」

 小さな呟きに思わず妻と目が合う。

 何年も粥もろくに口にしなかった娘が足りないというのだ。驚いたが嬉しかった。マルク湾特産の巨大海老や鵞鳥のもも肉、豚の冷製肉や野菜をペロリと平らげる。黒パンにジャムとポタージュを食べても足りないという。

「ズージ食べさせてやりたいが、絶食していたも同然だったろう。そんな時に急に大食いするとショックで死んでしまうことがあるんだよ」

 今度はドカ食いである。止めるなと言う方が無理だ。

「そうよ。急いで食べたら満腹がすぐに感じられないから食べ過ぎてしまうのよ。お夜食に甘いお菓子を用意してあげるわ。晩餐はそれ位にしましょう」

 夫人は嬉し涙を浮かべながら娘を諭した。対面に座った二人の兄も頷く。

 だが何時も聞分けのいいズージが不満顔を隠さなかった。

「食べさせてあげたらいいよディートヘルム」

 間延びした口調が割って入った。大魔法師だ。

「これから段々と本来の身体に戻るから、栄養がたくさん必要なんだよね。大丈夫、死んだりお腹壊したりしないよ。保証する。思いっ切り食べさせてあげて、血や肉になるだけだから」

「本当ですか?本当に娘は……」

 ディートヘルムは椅子を倒して立ち上がっていた。

「一度に戻ると身体に負担が掛かり過ぎるから段々とね」

 感激の余りアーベントロート辺境伯ディートヘルムは大魔法師の前に跪いていた。夫人もそれに倣う。ウィクトルの手を取ろうとしたが、ウィクトルがさっと手を上に挙げたので果たせなかった。

「感謝します。感謝します」

「立って立って~~。そしてまだ感謝しないで。これだけ入り組んでたら先はまだ長いからね。でもねえ、身体を本来でない姿のままに縛り付けてると命が危なくってね。だからそこだけは強引に解かしちゃったよ」

 確かにプロスペロの眼には、先程より繭がちょっと歪になって所々にほつれているのが見えた。ウィクトルがチラッと視線をくれる。

 兄のアレクサンダーもカスパルも喜んで妹に料理を取分けてやった。良い家族に恵まれているのだ。

「流石だなウィクトル。友人として鼻が高いよ」

 隣にいたアルトドルファーは素直に喜んで背を叩いて褒めていたが、魔法師の集まったテーブル方面からは険?な空気が流れて来ていた。

 優しく見守る家族の中でズージは順調に料理を平らげていったが、ルア鳥の胸肉を口に運んでいた身体がビクンと跳ねた。髪が茶色からストロベリーブロンドに流れるように変わる。そしてすぐにまた茶色に、またストロベリーブロンドに、また茶色にと何度も流れるように変わるのだ。周囲も気付いて言葉もなく驚く。

「止めて…」

 ズージは呟いた。食べる手が止まっている。

「止めてよ……」

 誰かが髪に掛けた魔法を無効化しようとしていた。魔法を掛け直してもすぐに無効化されて鼬ごっこで、ズージはパニックを起こし掛けていた。

「止めて」

「ズージ、髪が…」

 母の声が引き金となってズージは爆発した。

「止めてって言ってるでしょう!?」

 背後から飛んで来た豚の丸焼きが、プロスペロを抱く様にすっぽりと被さった。

「上手上手、ズージ上手だよ」

 誰もが唖然とする中、ウィクトルだけが手を叩いて喜んだ。

 豚は中まで火が通された後で、食べられる順番待ちをしていたから、プロスペロは火傷をせずにすんだ。意外と力持ちな少年は豚を被ったままその場で立ち、百八十度方向転換して豚をテーブルに降ろしてやった。

 髪に干渉する力がなくなってズージは安堵した。

「ズージ貴女がしたの?」

 突然の出来事に夫人が訊いてきた。声の中に不安を感じ取ってびくりとする。

「私は止めてって言ったの…」

 俯いた口から、聞き取れるか取れないかのか細い声が答えた。

「うん、豚に抱かれる直前聞こえた」

 プロスペロは答えて、有難く豚肉に思い切り齧り付いた。

「ごめんねズージ、嫌な事しちゃったね。やっぱりズージの髪はストロベリーブロンドだったんだね」

 申し訳なさそうにウィクトルはズージに謝った。

 ズージの代わりに夫人が答える。

「お弟子さんは大丈夫ですの?そうなのです。その所為で揶揄われたり悪口を言われたりしまして…ある日突然茶色に変わってしまいましたの」

「そうね、赤毛とかストロベリーブロンドで魔力の強い子は、無意識に髪の色を変えたりするんだよね。よくあるよ」

「まあ、そうなのですか」

「うん、でもズージの場合は魔力の影響でストロベリーブロンドになってたから、それを無理矢理変えるのはかなり魔力を使ちゃうね。そのままにしておいてあげたいけど、こんがらがりの原因になっちゃってる部分があるからね、方法を考えないと」

「茶色がいいの」

 ズージは呟いた。ボソッとした声だったが大魔法師は聞き逃さなかった。

「そうね、それがいいよね。でもね、一度解さないとね」

「茶色がいいの」

 頑固に言った。

「ウィクトル殿、さっきのように魔法で何とか出来ないものですかな?」

 ディートヘルムが娘を懐に庇う。

「無理にするのは良くないんだよね…根本的解決にならないしね。プロスペロの無効化の魔法は儂でも気付けない程なの。それなのにちゃんと誰がしたのかわかったでしょう?魔力が強い証拠だよ。半端なことしたら、後々厄介な事にもなっちゃうんだよね」

「へー、プロスペロは無効化魔法がそんなに巧いのかい?」

 アルトドルファーが感心する。

「巧いなんてものじゃないんだよ、この弟子は!読禁本の隠し場所を見つけて、儂の知らない内に封印を無効化しちゃって読んでるんだから」

「ばれてる!?」

「ばれいでか!?いやらしい本ばっかり読みたがって、こんなにスケベな子に育つとは思わなかったよ」

「年相応ですよ。師匠が潔癖なだけです。それに文学界に名高い文豪の作品じゃないですか」

「文豪だからって書いてることがえげつないの!?」

「否定はしませんけどね~~」

 性描写で批判を受ける文豪ではあった。

 周囲にしてみれば希代の大魔法師の師弟の会話とは思えなかった。

 気を取り直してウィクトルは再びズージに語り掛ける。

「もう嫌な事はしないからお腹いっぱい食べてね。そして今夜もう一度静かな場所で会えるかな?誰でも一緒でいいよ。その時ちょっとお話ししようか」

「師匠だって女に甘い。俺そんな優しい物言いされたことない」

 ブーたれる。

「違います!彼女は謂わば患者なの」

 プロスペロは豚の丸焼きと格闘していたが、師匠がちょいと指を動かすと豚はいい感じに切り分けられた。

「師匠!?」

「独り占めしないよ。重ね重ね恥ずかしい」

「育てた人の責任もあるんじゃないんですか~?」

「君は割と勝手に育ったよ」

「優秀ですから」

 領主夫人が笑いを堪えていた。

 食事中も師匠は大勢の人に話し掛けられたが、同業者である魔法師は五指にも満たなかった。近くに座ったのはアルトドルファーのみである。怖がられているのか嫌われているのかどちらだろうと弟子は考えてみる。

 ちょい人嫌いだが思い遣りもある人物なのにな…、と思う。

 カスパルがご当地自慢の海産物を盛り付けてくれた。食べ難い物は食べ易いようにしてくれている。子供扱いは嫌だったが、初めて食べる物もあって、素直に礼を言って受取った。

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