白夜の先の朝露の水面
♯3 白夜の先の朝露の水面
世界が一瞬、真っ白な光に覆われた。その瞬間、吾輩は死ぬと思ったのだ。
必死に生きていた。突然起こった世界の異変によって、家族や友人とは離れ離れとなってしまったが、吾輩はめげなかった。
この世は、競争社会だ。この世界に命を受けた時点で、競争が始まっている。
何も心配せず、悠悠自適に生活出来る個体はごく少数だ。
皆、生きるために必死だった。勿論吾輩もだ。
それは、吾輩を取り巻く世界の状況が一変したところで同じだった。
世界が、謎の植物で覆われ、それに感染した仲間が変貌を遂げて得体の知れない化物へと変わり果て、我らに襲いかかってきた。
仲間だけではない。この世界に存在する生物が無差別に感染し、化物へと変貌してしまった。
競争ではない。化物を排除するための戦争が勃発した。
そんな状況に陥ったとて、吾輩には関係ない。生きる。生き抜いてみせる。
感染してしまった父、母を殺し、謎の疫病に発症した弟、妹を何も出来ずに見殺しにしてしまった時点で、吾輩は生きると誓った。死んでしまった仲間のために、生き抜くと誓ったのだ。
そう誓ってから、どれくらい経っただろうか。気付いたら、周りは何も存在しない荒野へと変貌していた。感染した化物も存在しない。ただ蔓延するのは無と、死のみ。
だけど、そんなことどうでもいい。吾輩は自分を奮い立たせて、変わり果てた街を今日もゆく。そんな中、我は出会ったのだ。
焼け落ちた瓦礫の隅で泣きじゃくる、一人の人間の幼子と。
どうした。そんなところで何をしている。親はどうした。
近づいて尋ねてみるものの、返事は無い。ただ吾輩に酷く怯え、泣きじゃくるのみ。
泣いてばかりでは何も分からないではないか。そう思ったのだが、これだけは理解出来る。
こやつも、孤独の存在なのだ。吾輩と同じく、大切な存在と逸れ、小さい身体一つで、寂しいながらも闘い抜いてきたのだ。
……そうか。貴様も、孤独なのか。小さい身体で、よくここまで戦い抜いてきた。
ならば、安心するがよい。……吾輩が、貴様を守ってやろうではないか。
決めた。吾輩は、この幼子の盾となろう。父も母も、常日ごろから口酸っぱく言ってきた。どんな状況であれ、弱き者は守らなければならない。例え、立場や種族が違ったとしても。
怯える幼子に、そっと近づいて、警戒心を解いて寄り添う。
攻撃する意図はないことが直感で分かってくれたのか。幼子は安心して、吾輩に手を伸ばす。
もう、誰も死なせない。例え自分を犠牲にしてまでも、守り抜く。
※ ※
窓の外で雨がシトシトと降り注ぐ中、キャンパスに向かって一心不乱に筆を走らせていた。
パレットのポケットに出してある絵の具の一つに絵筆を付けて、縁に押し付けて余計な水分を取り除いてから、キャンパスにペタペタと塗り重ねてゆく。
既に下書きは描き終えている。後は自分の感性に任せて合う色を塗ってゆくだけだ。
……ゆくだけなんだけれど。
「……なんか、ちょっとなぁ……」
何とも言えない違和感があった。描きたいモチーフは決めている。描こうとしている風景も決めていて、それに合わせた下書きも終えている。
だというのに、モヤモヤしていた。物足りないというか、別の切り口でもっと良くなりそうというか、思っていた物とは違う作品になりそうというか。
こんな時に限って悩んでいた。残された時間は少ないというのに。ただでさえ、身体の調子は日に日に悪くなって来ているというのに。
だけど、やっぱり納得いかないでいた。一応、自称芸術家を名乗っているからだろう。
全く、難儀なことこの上ない。ウンウンと悩み続けるものの、答えは全く見つかりそうもなかった。悩めば悩む程に頭がズキズキと軋むように痛くなる。
「……コーヒーでも飲むか」
パレットを置き、絵筆も筆洗いに置いて、よっこらせと立ち上がる。
酷い立ちくらみがしたけれど、どうにか耐えてインスタントコーヒーを作ろうとした。
「ほー、それなりに良い出来なんちゃうん? 坊主、そんなへんちくりんな格好して描いとる作品は繊細で綺麗やなー。芸術とかよく分からんわいも感心してまう程や」
インスタント―コーヒーの袋とお気に入りのマグカップを取ろうとすると、後ろから声がした。……どうしてだろう。そこまで驚かなくなってしまった。
「……いつから居たんだよ。ヴェネ公」
「あれ、驚かんのやな。不感症か?」
「慣れただけだ。……てか最近ちょっかい出してくるけど、防衛はどうしたんだよ。昼夜関係なくひっきりなしで敵と殺り合ってたってのに」
「そんなん分かっとるやろ。最近暇なんや。あの物騒なもんここいらにぶつけてきてから攻撃もサッパリ止んでしもうたんやからな」
「……物騒なもん……なぁ……」
コーヒーをマグカップに少量入れて、電気ケトルからお湯を注ぎつつ、窓の外を眺める。
そこに広がっていたのは、地平線の先まで続いている死の世界だった。
城が聳え立つ佐金山以外、見事に荒れ果てた荒野に成り果てている。
街も、川も、畑も、人も、何もかもが見当たらない。
あったのは【無】だけだった。あんなにごちゃごちゃしていて嫌いだった街なのに、いざ何も無くなったとなると少し寂しい気分になった。
こうなることを覚悟して、人類はあんな物騒なものを決死の覚悟でぶち込んできた。
こうでもしなくちゃ、あの地球外生命体を排除することは出来ないと判断した上で。
だからこそ、虚しかった。最終手段を行使しても、結果的には生き残ってしまったのだから。
そんな状況を目の当たりにしても、然程驚いていない自分がそこに居たことにも虚しさを感じていた。どんな状況でさえ、死ぬ運命の俺が出来ることなんて一つしかないんだから。
絵を描くことしか、出来ないのだから。
出来上がったコーヒーを啜ると、思ったより熱くて少し唇の皮がめくれてしまう。
「……坊主。何を考えようが坊主の勝手や。やけどな、坊主が色々悩んだところで何も解決せぇへん。……坊主は、坊主自身のことだけ考えればええんや」
「分かってる。……分かっては、いるんだけどな……」
分かっていた。考えるだけ無駄だ。だけど、考えてしまうのは、俺にまだ他人を思いやる心がまだ残っていたらしい。……なんだかなぁ。
「ジュリアに頼んで、なんかおやつでも食べるか」
「おっ、それええな。丁度小腹空いたとこや。じゃあ早速嬢ちゃんのとこへ」
「お楽しみの所申し訳ないんだけど、それはちょっと難しいかもしれないわね」
急に別の声がして、流石にびっくりして振り返る。そこには、呼ぼうとした当の本人が存在していた。
「なんや嬢ちゃんかいな……ビックリさせんといてぇな。……てか何や。ちょっと難しいってどういう……」
「そのままの意味よ。……食料の備蓄が尽きそうなの」
※ ※
「……マジかよ」
正しく、その一言に尽きた。その一言しか出てこない。
それもそうだった。目の前には、すっからかん状態の、食糧備蓄棚の光景だったのだから。
残っているのは、段ボール二箱分のレトルト食品や缶詰類、米俵三俵、大型冷蔵庫の中身に至っては冷凍食品数個にヨーグルトとプリン数個のみときた。
ここの管理はジュリアにまかせっきりだから二ヶ月近く立ち寄らなかったのだけれど、まさかこんな状況になっていたとは……。
「残念ながらいたってマジよ。一か月くらい前からこんな状況が続いていたの。消費を抑えるために量を減らしたりして節制していたんだけど、流石にそろそろ限界ね」
「あー、最近質素なメニューが多かったんはそーいうことなんか」
「……備蓄が無いのは食料だけなのか?」
「えぇ。水はまだあるし、ろ過装置も問題無い。電力も自家発電機能がまだ生きてるわ」
「菜園があっただろ。電力も生きてるんだったらそこもまだ生きてるんじゃ……」
「実ってる野菜や果物はもう取りつくしてるのよ。そもそも、育ててる種類が少なすぎるのよ。個人規模だから仕方ないってのはあるけれど。特に穀物類の不足が著しいわね。下手すれば一週間持たない可能性も……」
血の気が引いてゆく感覚に陥った。いきなり打ち明けられた危機的状況に、素直に受け入ることが出来ない。正直、冗談じゃないかと思っているほどだった。
「い、いやいや、そんな訳ないだろ。何かあったとしても一年以上は暮らせるように備蓄はキチンと確保してたんだぞ? それがこんな早く底が尽きるとか……」
「それはヴァルハラ一人で過ごすことしか想定しなかったからじゃないデス? 一人だったら一年以上持つかもしれないデスけど、ここに住んでいるのは二人と一体と一匹なんデスし」
困惑して動揺している俺に対して、後ろから冷静かつ的確な一言が胸に刺さった。
振り向くと、いつの間にかアウルドルネが存在していた。パーカーにショートパンツというラフな格好だ。ポケットに手を突っ込んでいて、頭の上の蕾は俺の心を見透かすようにみょんみょんと揺れている。だけど、その一言に俺はハッとしたのは言うまでもなかった。
「おっ、ボスがここに来るんの珍しいやん。ラボに居らんでもええんか?」
「えぇ。研究もある程度目処が立ったデス。なんにせよ暇でしたし」
「色々言いたいことはあるけど、大体アウルドルネの言う通りよ。アキラの見通しが甘かっただけの話。……で、どうするの。このままここで籠城続けた所で飢え死にするだけなんだけど」
「それは、そうだけどよ……」
その通りだった。正直、俺はいずれか死んでしまう。のだけれど、飢え死だけは勘弁だった。
病魔と戦いつつもどうにか絵を完成させて、満足して死にたい。そうなんだけど……。
「どうするべきかは決まってるんじゃないデスか。外に出て探しにいくしかないかと」
「簡単なこと言ってるけど、外は一面死の世界なのよ? 食料の確保以前の問題じゃない」
「せやでボス。向こうの自爆とはいえ、人っ子一人おらん状態なんやで? それにわい達は侵略者や。むやみやたらとこの拠点を野ざらしにする訳には……」
「ふっふっふっふ、そう言うと思ったデスよ。……これを見てください」
わざとらしい不敵な笑みを零したアウルは、パーカーのポケットから特製の小型デバイスを取り出してこっちに見せてくる。
映し出されていたのは、街の周辺を綿密に記されているエリアマップだった。その幾つかにマーカーで印が付いている。
「ここら辺の地図じゃないかよ。そんなのもう意味が……」
「意味が無いと思ってるデス? 考えが甘すぎるデスね。……爆弾を落とされてから、造譲獣達に周辺の探索を行って、情報収集に努めてたんデスよ。敵の攻撃もやっと収まったってのもありますし、そろそろ色んな問題に目を向けないとと思いましてね。……そのマーカーが付いているエリアの地下に、広大な空洞があることが判明したんデスよ。元々そこには大型の複合施設が建っていたみたいんデス。そういった施設には万が一に備えての備蓄がまだ残っていると思うのデスよね。……どうデス? 確認しに行く手もありだと思うのデスけど」
その提案は、アウルにしては現実的な内容だった。ラボに籠って何してるんだろうと思ったのだけれど、思ったより色々考えてたのか。
「複合施設……アキラ。知ってた?」
「しばらく引き篭もって俗世と隔離された世界で生きてたんだぞ。知ってる訳ないだろ」
「胸を張って言うようなことじゃないでしょ。……その施設ってここからどれ位の距離なのよ」
「そこまで離れてはないデスよ。造譲獣のパスが届く範囲内デスし。ざっと五十八ザウロネルってとこデス」
「聞いたことない単位言われても分かんないわよ……」
「この星の距離単位で例えると、十二キロ? ってとこやな。そんなに遠くは無いやろ」
「十二キロ……確かに遠くはないわね。車で小一時間位か。でも、問題はどうやってそこまで行くかよね。徒歩で行くのは流石に遠いし……アキラ、何かいい方法無い?」
「いや、そんなこと俺に言われてもだな……」
話を振られたはいいものの、俺自身何も思い浮かばなかった。
頼られても正直言って困るだけた。……んっ? あれ。そういえば……。
「……良い方法、あったわ」
※ ※
廃墟となった街を、ランドクルーザーが唸りをあげて進んでゆく。
オフロードなんてなんのその。何もかもを蹴散らす凄まじい勢いで、酷道を切り開いている。
そんなスリルドライブを、助手席で縮こまりつつ眺めていた。視線の先には、鼻歌混じりで楽しそうに運転しているアグレッシブなメイドの姿が。
「……なぁ、もうちょっとスピード緩めてくれねぇか。ちょっと怖い……」
「大丈夫よ安心して。こんなご時世なんだから、交通規制で捕まることなんて無いわ」
「揺れが半端なさ過ぎて酔いそうなんだよ! てか既に気持ち悪いんだっての!」
「えぇ? 何? エンジン音うるさくって聞こえないんだけど! スピード上げろ?」
「スピード落とせっつってんだよ! 一応こちろら余命宣告受けてるんだぞ! 身体を労われ少しは! 死ぬぞ!」
「そんな大声出せるんだったらまだ大丈夫大丈夫! 道のりは長いんだからしっかり掴まってなさい! もっとスピード出すわよ! ひゃっほうううううううううう!!」
「少しは人の話聞けよ! どうしてそうなる! てかテンションおかしいだろ! 少しは落ち着けって! おい! ちょ、まっ、やめれえええ!!」
「黙ってなさい! 舌噛んでもしらないわよ!」
さぞかし楽しそうに叫ぶと、アクセルペダルを踏み込んで、うねりをあげて車が加速する。
いつもに増してアグレッシブ過ぎた。まるで人が変わったかのような豹変ぶりだ。普段はクールぶっていた筈なの。恐らくこれがこいつの本当の顔なのだろうか。
正直言って、あまりの豹変っぷりに付いていけないでいた。
もう一方の同乗者は、逆にとても楽しそうではあるけど。
「はっはっはっはっはっは! もっと加速するんかいな! この星の移動手段もええもんやな! ええぞええぞ嬢ちゃん! もっとやったれ飛ばしまくれええええ!」
俺の膝の上に収まる形で座っているヴェネ公は、素直にこの状況を楽しんでいた。高いテンションが、更に高くなっている。正直言ってうざったい事この上なかった。
とはいえ、オフロードカーってこんなに乗り心地最悪だったとは。
「にしてもこんな良い車隠してたなんて早く言いなさいよね! しかも十台以上保有していたなんて知らなかったんだけど!」
「仕方ねぇだろ忘れてたんだからよ。爺さんの趣味だったんだ。特に四駆が好きだったみたいでな。オフロードレースに何回も出る程に嵌ってたっぽいし。まぁでも、燃料は残ってたし、使えるみたいで良かったよ。ずっと地下のガレージで眠ってたし」
「良かったも何も最高よこの車! 部品の一個一個が一級品だし、メンテナンスがきちんと行き届いてるんだもの! 二年近く走っていないなんて信じられないくらい!」
「はー、坊主の爺さんは中々に多趣味やったんやなー。どうして坊主ははまらなかったんや」
「免許取るのが面倒臭かっただけだ。人と会うのが嫌だったから教習所行くのも嫌だった。後運転するの怖いし……」
「うっわしょーもな。性根が腐っとるんちゃう? これやから小僧は」
「おい、今すぐ窓からぶん投げるぞ」
「おーおーやってみぃ。小僧にそんな力あるとは思わんけどなー。逆に放り出したるがな」
『ほらほら、喧嘩は止めるデスよー。無益な争いほど価値が無いものなんてないのデスからね』
下らない言い争いを繰り広げていると、備え付けのカーナビから声がした。
紛れもない、アウルの声だった。詳しく言うと、ヴェネ公の頭部から伸びているコードのような蔦に繋がれたカーナビから声がした。
アウル曰く。ザウロネスエネルギーと地球の電子機器の仕組みを応用してカーナビに改造を施し、ベースキャンプからでもリアルタイムでナビが出来るようにしたらしい。
出来れば全員で食料調達に出向きたい所だけれど、本丸を開けっ放しにするわけにはいかないということで、俺達二人と一匹が駆り出され、アウルが万が一に備えてバックアップに回っることになった。
なんであれ、色々と応用利きすぎだと思う。そりゃ簡単に侵略されるに決まっていた。
『それはそうとジュリア、周りの様子はどんな感じデス? あと二、三キロ程度でマーカーしている目的地が見えてくると思うのデスが』
「見渡す限りの焼野原ね。ザウロネスの植物による浸蝕も焼け払われっちゃっているし、舗装されている道路も爆弾の影響で所々崩れてるし、瓦礫で塞がれている部分もあったわ。人の姿は見えないわ。本当にこの先に巨大な商業施設なんてあるの? 建物のたの字も無いんだけど」
『安心してください。造譲獣達による偵察によると、もうそろそろ見えてくる筈デスから』
「まぁ、心配することは無いやろ。大船に乗ったつもりでいたらええんちゃう? もし見えてこなかったら、そこの役立たずの坊主を造譲獣の餌にするということで」
「おい。ふざけんな。マジで止めろ」
「……ったく。仕方ないわね。じゃあそれで手打ちにするわ」
「手打ちにするじゃねぇよ! おい。勝手に決めんな! 俺はまだ死なねぇからな! 意地でも絵を描き続けてやるからな! おい、無視すんな! おい!」
「はいはいそうですねうるさいうるさい。……あっ、もしかして、商業施設ってあれ?」
俺の訴えを適当にあしらっていると、前方に何かを見つけたジュリアが指をさして促す。
そう言われて確認すると、崩れ去った瓦礫の街並みの奥の方に、コンクリートむき出しで崩壊しかけているやけにバカでかい流線形の建造物が目に入った。
『あっ、おそらくそこで間違いないと思うデスよ。そこの地下に、緊急避難用のシェルターも存在している筈デス』
「へー、思ったより大きいやないか。これなら色々期待できるかもや」
「よっしゃそうと決まればもっと飛ばすわよ! しっかり掴まってなさい!」
「いやだから飛ばさなくてもいいって言ってんだろおい聞いてんのかやめろおおおおお!!」
目的地が見えて安心したのか、ジュリアは目を輝かせて更に加速するのだった。
……もう勘弁して。
※ ※
「……はぁ……はぁ……おい、ちょっと待てって、休憩しようぜ休憩……」
所々崩れているアウトレットモールエリアを突き進む中、息も絶え絶えになりつつ立ち止まってへたり込む。
「はぁ? おいおい坊主、またかいな。さっき休憩したばっかやろ。もうちょいきばりぃや」
「もう十分きばったっての! 勘弁してくれよ、ただでさえこの大荷物なんだぞ……」
大型形態になっているヴェネ公が苦言を呈してくるもののスルーして、大量の食糧を乗せているカートを邪魔にならないように隅に寄せた。
大型複合施設【レグノ・ラグーナ】。ランドクルーザーで無理やり乗り込み、探索し始めてから一時間半は経った。結果的に言うと、アウルの目測は大当たりだった。
爆心地からそれなりに離れてるから被害自体もそこまでではなかったのが功を奏したのか、地下のシェルターは無事だった上に、食糧の備蓄も大量に残っていた。
それだけじゃなく、衣類やタオル類のアメニティや家電類、更には薬類も無事な物も多くあったのも幸運だった。色々と足りなかった物資が大量に手に入ったのは嬉しいものの、その弊害で凄まじく大荷物になってしまった。
海外の観光客の爆買いどころのレベルじゃないほどの多さだ。
ヴェネ公も手に入った大量の物資を抱えているし、先頭を歩いているジュリアも物資山盛りのカートとバッグを背負って探索を進めていた程だった。
病人だから加減してくれているものの、そりゃヘトヘトになるのも無理はない。
『ヴァルハラ、大丈夫デス? もう四度目の休憩デスけど』
「あ、あぁ……大丈夫大丈夫……ちょっと休んだら動けるから……」
「ちょっと休むってあんた、息も絶え絶えじゃないの。少し荷物貸しなさい」
「いや、大丈夫大丈夫……ジュリアもかなり荷物持ってんだから、無理すんなって……」
「それあんたが言う? ……いいからその荷物一つこっちに移しなさい。車までもうちょっとだし。戻ったらゆっくり休んでいいから」
「あ、あぁ……すまん……」
「だから何度も謝るのは止めなさいって。なんかこっちが無理やり連れて来たみたいになってるじゃない……」
ヴェネ公が持っているタブレット型のナビから発せられているアウルの声も含めた皆に謝りつつ、所持していた痛み止めのカプセル錠を服薬して、不規則気味な鼓動をどうにか落ち着かせて呼吸を整える。
止められつつ、無理矢理付いてきたんだ。せめて少しは役に立たないと。珍しくそんなことを思いつつ、ゆっくり立ち上がった。
「……にしても、人どころかクリーチャー一体も見当たらないのは想定外だったな。てっきり動物園並みに跋扈してカオスな状況だと思っていたのにな……」
『多少なりとも、あの爆撃の影響はあったかもしれないデスね。栄養分である造譲花や造譲樹を焼き払ってしまう程の衝撃でしたし』
「その影響もあるやろうけど、それにしては不可解ちゃう? 人が居った形跡が無さ過ぎるで」
「爆撃以前にここで何かがあったんじゃないの? 造譲獣がらみじゃない、人と人とのいざこざか……それ以外の第三者からの干渉があったとか」
『第三者の干渉……デスか』
「ん、どうしたんだよアウル。なんか気になることがあんのかよ」
『いや、何でもないデス。個人的な問題デスよ。……ん?』
ジュリアの言葉に何かひっかることがあったのだろうか。聞いてみたものの、見事にはぐらかされた。……まぁ、これ以上聞いた所でこいつが何か話してくれるわけでもないだろうから、気にしないでおこう。
そう思ったのもつかの間、二人が何かに気が付いて俺を囲むように警戒態勢を取った。
「……どうしたんだ? 怖い顔して」
『ヴァルハラ、ジュリアとヴェネティの陰で隠れてるデス。……その先に、何かが居ます』
「えっ何かってどういうことだよ」
「ええからお前はワイらの後ろに隠れとけ。……嬢ちゃん」
「分かってるわよ。一瞬で仕留めるわ」
さっきまでの穏やかな雰囲気は何処へやら。両方ともに尋常じゃないほどの殺気をダダ漏れしつつ、恐る恐る先に進む。
アウルが示しているそこは、バリケードで封鎖されたドラッグストア跡だった。
何も気配は感じない。だけど、二人の様子を見るに、何かが居るのは間違いないらしい。
アウルも押し黙る中、両方ともに目配せをして、バリケードを破壊して、瞬く間に中に突入する。そして、唖然となった。。
「ワン! ワンワンワンワン! グルルルルルル!」
一匹の子犬がいた。こっちに来るなとばかりに、威嚇しまくっている。だけど、それ以上に気になることが。
子犬の奥に、血を流して気を失ってた子供が倒れていた。
「……おい、これってどういう……」
「私が知りたいわよ。……ヴェネティ」
「わいに聞くなっちゅーねん。ボス、もしかしなくても……」
『はい。そのもしかしてなんデスけど……う、うーん……』
倒れていたのは、男の子だった。見た目的には、多分五歳か六歳くらいだろうか。
そしてさっきから吠えまくっている子犬は、黒と白の斑模様に覆われていて、目つきが異常に鋭かった。多分、シベリアンハスキーか。とにかくキャンキャンうるさ過ぎる。
とはいえ、ジュリアもヴェネ公も見事に困惑していた。おまけにアウルまで。
それもそうかもしれない。絶対に、武装しているゲリラ兵士とか暴走している凶暴な化物とか想像していたのだから。
まさか、犬と子供だなんて思いもしなかった。そもそも、どうしてこんな所に。
「嬢ちゃん、聞いてええか。……この状況、どない思う」
「物的証拠が無さ過ぎるわ。判断に困る。けど……男の子は危ないのは間違いないわね。死に掛けてる。あの様子からして、栄養失調で何かしらの合併症引き起こしてる可能性は高いわ」
「お、流石の状況判断能力やな。……ボス」
『ジュリアの言う通りデスよ。その男の子の脈拍が今にも途絶えそうデスもん。……そこの小動物くんはむちゃくそ元気デスけどね。さて、どうするデス? ヴァルハラ』
「はぁ? いや、どうするって言われても……」
後ろからこっそり様子を眺めていると、何故か、判断を任されてしまった。
……任された所で、答えなんて一つしかないと思うんだけど。
「……犬と一緒に保護して介抱するしかないだろ。ここに居たら絶対に危ないと思うし」
「保護するのは別にいいと思うわ。だけど、そもそもここに来た理由を思い出しなさいよ。食糧難だったのよ? それなのに、更に食い扶持を増やすつもり? 本末転倒じゃない」
「どうとでも言えよ。……後悔したくねぇんだよ。助けなかったら、死ぬほど後悔しそうだって思っただけの話だ。やらなくて後悔するよりかは、やって後悔する方がいい。それに……子供と動物を無視して見捨てるような人間に、俺はなりたくねぇ」
思った事を素直に伝えると、二人共生温かい目でこっちを見つめてくる。
「……なんだよ」
「いや、何も無いで。坊主ならそう言うやろなって思っただけや」
「奇遇ね。私も」
『奇遇デスね。実は私も』
「おい、それどういうことだよ。おい」
「まぁええか。坊主の言う通りにするとしようやないか」
はぐらかしたヴェネ公はそう告げて、子犬と男の子の元に近付く。
子犬は近づくなとばかりに、更に騒ぎ立てるように吠え続けた。十倍以上の体格差はあるというのに、勇猛果敢に威嚇をしている。
まるで、男の子が実の我が子のようだ。そこまでして、守りたい理由があるのだろうか。
しかし、ヴェネ公はそんなこと気にすることはなく、近づいてしゃがみこむ。
「……大丈夫や。安心しぃ。そこのチビを取って食うことは無い。……わいらは、味方や」
「ワン! ワンワン!」
「嘘やない。嘘ついてどうすんねん」
「……ワン」
唸っている子犬に対して、まるで通じ合っているかのように会話のキャッチボールを続ける。
そして、無事に和解したのか。子犬は吠えるのをやめて、横にずれて伏せの体勢を取った。
「ふっふーん。交渉成立や」
「……ヴェネ公、犬語分かんのかよ」
「なんとなくな。フィーリングやフィーリング」
当たり前のように子犬と和解しているヴェネ公に言葉を失いつつ、気を失っている子供と子犬を抱きかかえて一旦その場を後にする。
……俺も、少しは変わったんだろうか。
※ ※
古城内のエントランス。何とも言えない奇妙な緊張感が周囲に蔓延していた。
長テーブルを挟んで、俺とアウルは何を話すことはせずに黙り込んでいる。
ジュリアとヴェネ公は、その場を離れていてここには居ない。
大型商業施設から物資と子供と子犬を連れて帰ってきてから三時間ほど経った。
ジュリアは子供の治療を行うために個室に引き篭もっており、ヴェネ公は子犬と話があるといってどこかに行ったきり戻ってきていない。子犬と話って何だよ。
故に、この空間には二人しかいないのだけれど、さっきからアウルはずっと黙ったっきりだった。何かをずっと思案しているのか、話し掛けてくんなオーラが半端ない。
沈黙を切り裂くように、グルルと腹がなってしまう。ふいに時計を確認すると、既に夜の二十時を回っていた。そりゃ腹が減る筈だった。
「……なんか食うか」
久方ぶりにボソッと呟いて、ゆっくりと席を立ってその場を後にしようとすると、ふいに袖を掴まれる。振り向くと、アウルがこっちを見つめていた。
「……何だよ」
「……少しだけいいデス? 小耳に入れてもらいたいことが……」
「ふぅ……ごめん。待たせたわね。どうにか落ち着いたわ……ん? どうかした?」
何かを話そうとした瞬間、それを遮るように後方の扉が開いた。
そこに居たのは、子供の治療にあたっていたジュリアだった。少し疲れたような表情で額に掻いている汗を拭いつつ、傍にあった椅子に座る。
「……いいえ、何でもないデスよ。子供の様子はどうデス? 安定したデスか?」
「えぇ、どうにかね。ウイルス性の風邪だと思う。しかも軽い肺炎まで発症していたわ。手持ちの薬とか病院でくすねてきたワクチン類で一応対処は出来たけどね。症状は軽かったから一命は問い止めたけど、一週間ほどは安静ってとこね」
「おぉ、助かったんだなあの子。良かった……」
「奇跡みたいなものだけどね。帰りに寄った廃病院で色々取ってきて正解だったわ。……病状が安定するまで寝かしてる個室には近づかない事。近づいたら頭かち割るから」
「言われなくてもそうするデスよ。無事で何よりデス」
総合施設の帰り道、廃墟と化していた救急医療センターを見つけていた。万が一のために寄り道をしておいて本当によかった。
子供が無事ときいて、アウルも素直に安心したらしい。強張っていた顔が少し綻んでいる。
「まぁ、それは置いとくとして……アウルドルネ。補充した食糧の備蓄率はどこまで回復したの? ランドクルーザーに乗せれるだけ持ってきたけど」
「問題はそこなんデスよね。……正直言って、そこまで回復はしていないデス。よく見積もって、回復量は二割弱ってところデスかね。危険水域なのには変わりないかと」
「となると、また補充に走り回る必要はあるか。まぁ、それに関しては大丈夫ね。移動手段は見つかったんだし。明日にでもまた探して回ってみるわ。アウルドルネもそれでいい?」
「えぇ。お願いするデス。私も微力ながらナビは続けるデスよ」
「あ、だったら俺もついて行くぞ。ジュリアばっかりに面倒事押し付けるわけには……」
「あんたは大人しく絵でも描いてなさい。また倒れられたら面倒だから」
「あ、はい、そうしまーす……」
見事に論破されてしまった。ごもっとも過ぎたから大人しく食い下がることにする。
……人に迷惑掛け過ぎるのも良くないな。また倒れたら元も子もない。もどかしいけど、我慢しよう。大人しく、絵を描こう。描ける助力があるうちに、描いておかないと。
「では、明日以降はジュリアが周辺の探索、私はラボからサポート、ヴェネティは小動物からの情報収集、ヴァルハラは大人しく絵を描くということで。そうと決まればジュリア、ご飯にするデス。もうお腹がペコペコデスよ」
「ん、そうしましょうか。私もお腹すいたし。カレーでいい? まだ残ってる筈だし」
「おおっ! カレー! 賛成デス! やった!」
カレーと聞いてよっぽど食べたかったのか、アウルのテンションは一瞬でハイになった。
そんな様子を眺めつつ、ふいに気になったことがあった。
「あれ、なぁ。ヴェネ公は呼ばなくていいのか?」
「ん、ヴェネティはまだあのワンコロと話してるわよ。なんか意気投合したみたい」
● ●
久方ぶりのまともな飯を前にして、吾輩は一心不乱に食べ続けていた。
いつもなら小さいハルを優先して、自分の分の食料も分け与えていたからだろう。そのご飯の美味しさは涙が出そうになる程だった。
そんな吾輩を、人の形を成していない謎の生物がこっちを覗き込んでいた。
危害を与える様子はない。彼奴らの根城に来てから、今までの境遇を話していたのだが、否定することもせずに同情することもしない。
同じ目線で大人しく話を聞いて、ウンウンと頷いているだけだった。
敵意が無いことだけは確かだと思う。だが、分からないことが多すぎるのが今の現状だった。
「なるほどな。わいらがこの星に来てドンパチが始まってから、親と家族と死別して、ずっと流浪の旅をしとったら、あのチビッ子に出会ったと。色々あったんやな。えーっと……」
シュナイデン・ウェインドラウドだ。さっきも名乗ったぞ。いい加減覚えて欲しい。
「おお、せやったせやった。シュナイデなんとかやな。ちっこいなりにやけにカッコいい名前やな。覚えづらいけど」
失礼な。父と母から授かった大事な名だぞ。それに名乗れといったのはそっちではないか。
「まぁそんな細かいことはえぇやないか。これも何かの縁や。同じ獣同士仲良くしようや」
顔を上げると、屈託のない笑みを浮かべながらこっちに手を差し出してくる。
……仲良くしようと言ってくるのは勝手だが、貴様はこの土地を崩壊せしめようとする侵略者で、吾輩はその被害を受けた被害者だ。仲良くなれる要素なんで皆無だと思うのだが。
そもそも、どうして吾輩とハルを助けたのだ。助ける義理も理由も無いだろう。ハルの面倒を見てくれるのはありがたいとは思うのだが、そればかりは理解が出来ない。
「あ? あー、そう思うのも無理はないか。そもそもの話や……わいらは敵かもしれんけど、殺そうとは思うてない。訳あってこの星に来て侵略を始めて、めちゃくちゃにしてしもうたんは事実やけど、何でもかんでも殺すつもりはないんや。言い方は悪いけど、向こうが勝手に喧嘩を売ってきて自爆しただけの話や。基本的には平和主義やし、できれば争うことなく平穏に解決したいとも思っとるほどやで。助けた方がええと思ったから助けた。それだけの話や」
そんな単純な理由で、我らに助けの手を伸ばしたというのか。種族も、思想も、価値観も、惑星も違うというのに。
「そんなもんやろ。助けるんにそんな大層な理由なんざいらん。ボスが助けようって提言したから助けた。そんな難しく考えることは無いんや。まぁ今は食っとけ食っとけ。その様子やと、あのチビッ子に飯譲って自分の分はあまり食うてないパターンやろ。無理すんなって」
……年端もいかない幼い子供は守る義務があるのは当たり前だろう。昔から弱き者は助けるように教育されてきたのだ。ハルはまだ幼い。怪我もしている上に、一人で生きていくのは不可能だ。だから吾輩は今まで守ってきたのだ。
無理をした覚えは無い。そうするのが当たり前だったのだからな。
「おぉ、ちっこいのに中々肝が据わっとるな。殊勝なこっちゃ。尊敬もしてまうレベルやで」
嘘だ。上辺だけの返事ではないか。吾輩を馬鹿にしているのか。
「そんなことないって。ほんまやほんま。疑ってまうんは分かるけどやな」
……余計に分からぬ。助けた理由については置いておく。しかし、虐殺目当ての侵略ではないというのであれば、どうしてこの土地を選んだというのだ。矛盾しているではないか。
「ん。それに関しては簡単な理由やで。実はやな……」
「おい、ヴェネ公。飯食わねぇのか? 冷めちまうぞ」
話を遮るように声がして、扉が開け放たれる。
そこに居たのは、一人の背の高い人間だった。痩せており、髪がボサボサで顔色がとにかく悪い。その分かりやすい特徴から、助けてくれた際に具合が悪そうにしていたあの人間だとすぐに理解した。……ヴェネティ。あの人間は。
「ここの主やで。侵略者であるわいらにこの住まいを提供してくれてるんや。すまんが、込み入った話はまた今度やな。わいも腹減ったし」
そう言うと、ヴェネティは席を立ってその場を後にしようとする。
おい待て。まだ話は途中ではないか。せめて質問に……。
「そういうのはまたいずれかにキチンと話すわ。今はゆっくり体休めるとええ。また来るわ。……あぁ、今いくわ。ちょっと待っててくれ」
問い質そうとしたのに、スルーして捨てセリフを吐いて彼はその場を後にする。
扉が音を立てて閉まり、吾輩だけがただっぴろい部屋に取り残される。
……仕方ない。今日ばかりは我慢をしよう。事実、少し疲れていた部分もある。
だけど油断は禁物だ。保護されたとはいえ、相手はこの星を崩壊せしめようとする侵略者なのだから。気を引き締めていかなければ。
それにしても、ハルは、大丈夫なのだろうか。治療を受けている彼の身を案じつつ、残っている飯を平らげる。……ふむ。美味だな本当に。
※ ※
「……また、雨か……」
朝十時前。小雨が降り続く外の景色を眺めながらポツンと呟く。三日連続だったと思う。
ここまで雨が降り続いていると、気分的にもどこか憂鬱になってしまう気がした。
作品制作も、体調不良が続いてしまっているせいかあまり進んでいない状況だった。
全体的に身体がしんどいものの、特に頭痛が酷かった。何秒かおきの一定周期で襲い掛かってきて、全く集中が出来ないでいる。
周りのことは考えるな。絵を描くことだけに集中しろ。時間は有限だ。いつ死ぬか分からないんだから、とにかく描き続けないと。
そんなやる気だけが、空回りしていた。こればかりはどうしようも出来ない。
さっきからキャンパスの前でボーっとしているのだけれど、アイデアもさっぱり思い浮かばないでいた。
「……薬飲も」
結果、そうせざるを得なかった。筆を置いて一旦席を立ち、アトリエを出る。
個室が並んである長い廊下は、シンと静まり返っていた。ミサイルが落とされてからというものの、政府がこっちに大きな喧嘩を吹っ掛けてくることなくなったからだろう。
それに、今日はジュリアもヴェネ公も出払っている上に、アウルもラボに引き篭もって研究を続けているものだから、余計に静かに思えた。
三日間程そういう状況が続いているけど、まだ慣れていない自分が居ることが不思議だった。
雨が打ち付ける僅かな音だけがただっぴろい城内に響く。
……孤独には慣れていた筈なのだけれど、どこか寂しい気分になった。最近ずっと騒がしかったからだろうけど。俺も大分毒されてしまったらしい。
そんなことをしみじみ思いつつ、エントランスへと続く階段を降りる。
すると、誰も居ない筈のエントランスに小さな物陰が見えた。
……子犬が居た。憮然とした態度で、チョコンと大人しく座っている。相変わらずの怖い顔をしていた。ただ、居たのは犬だけじゃない。
子犬の側に小さな子供が、椅子にチョコンと座っていた。
明るい栗色の天然パーマで、大きな目がクリっとしていて大人しそうな可愛らしい男の子だ。
不安そうにキョロキョロとしていている中、安心しろとばかりに子犬が傍に座っていた。
三日前に商業施設で見つけて保護してから、体調不良だった子供は個室で療養中だった筈だ。
……どうしよう。この状況、全く想定してなかったんだけど。
ジュリアが治療に当たっていて子供が寝ている個室には絶対入るなと言われていたし、子犬に至っては近づこうとしたら威嚇されまくって近づけなかった。
聞いてないぞこれは。どうすれんば……あ、そっか。逃げればいいのか。回れ右して。
そう思いたって、足音を立てないように回れ右をして立ち去ろうとする。が、こういう時に限って持っていたスマホがスルリと手から落として物音を立ててしまった。
当然ながら、それに気付いてビクッとなった男の子が怯えた表情でこっちを向いた。
子犬も同じように気付いて、耳を立てながら立ち上がって、ウーッと威嚇をしつつ男の子の前に立ち塞がる。
……くそ。逃げれなくなってしまった。仕方なく諦めて、一つ息を吐いて階段を降りる。
「……えーっと、おはよう?」
「……おじちゃん、だれ?」
「おじちゃん!?」
怯えながらのまさかのおじちゃん発言に、思わず大声が出てしまった。その声にビクッと驚いてしまい、半泣き状態になってしまう。
「あ、いや、ごめんな、その、うん。おじちゃんが悪かったから、な? ほ、ほら、お菓子! お菓子食うか! ジュースも飲むか! ちょっと待ってろ!」
「ワン! ワンワンワン! ウーッ!!」
「はいはいはいはい! ワンコも餌だな! 待ってろって!」
まだ二十五なのにおじちゃん呼ばわりされたことは、かなりショックではあったけれど、どうにか我慢して急いでキッチンに向かう。
戸棚からストックのあったスナック菓子と、オレンジジュース、ドックフード、空の大皿に水を入れてエントランスに戻った。
怯える子供と威嚇を続ける子犬に対して恐る恐る差し出して少し距離を取ると、やっと落ち着いてくれた。チラッとこっちに目をやって、スナック菓子をモサモサと食べ始める。
子犬も警戒を解いて、ドックフードを口に含んだ。ふぅ、その場しのぎにはなったか……。
テーブルを挟んで少し離れた椅子に座って、しばらくその様子を見守っていると、ある程度スナック菓子を食べ終えた所で思いだしたかのようにこっちを見てくる。
「……えっと、どうした? おかわりか?」
「……おじちゃん、誰?」
「おじちゃんじゃないけどな……春原晶。この家の主なんだ。一応絵を描いて暮らしてる。えーっと、君の名前は?」
「……望月波留。五歳。そして、この子はわんたんだよ」
「ワンワン!」
「波留君な。……で、わんたん?」
「うん。ワンワンって鳴くからわんたんだよ」
「ワン!」
「あぁ、そういうこと……」
安直というか何とも言えなかったけれど、深く追及はしないでおこう。
気のせいか、子犬の方もわんたんで呼んで欲しくない的な目でこっち見てる。
多分、本当の名前はもうちょっとカッコいいんだろう。ドンマイ。わんたん。
「で、波留君。もう動き回って平気なのか? かなり具合悪そうだっただろうに」
「うん。沢山寝たし、エプロンのお姉さんにお薬もらったし、大丈夫だよ。ねぇ、お姉さんはどこ? ずっとみてくれたから、ありがとうって言いたいんだけど、どこにも居ないの……」
「お姉さん? あ、ジュリアか。外に出掛けてると思うぞ。夕方辺りまで帰ってこないと思う」
「お外?」
「あぁ。俺達のご飯とか水とか色々探してるんだよ」
「でも、お外何もないよ? わんたんががんばってごはん探して波留に持って来てくれたけど、いつもちょびっとしかなかったもん」
「あー、確かに何も無くなっちゃったからな……でも、大丈夫だ。あのお姉さんが色んな所を探し回ってるからよ。……ところで、波留君。聞きたいことがあるんだけど、どうしてあんな危ない所で、わんたんと二人っきりだったんだよ。親御さんはどうした?」
どうにか心を開いてくれたからホッと安心しつつ、気になったことを聞いてみる。
すると、少し明るくなりかけていた波留君の表情が、親御さんというワードを聞いた途端、段々と暗くなった。……あっ、ヤバい。これってもしかして。
「……お父さんとお母さん……波留をおいていなくなっちゃった……がんばって探したけど……どこにも……ううう……ううぇええええ!!」
「ワン! ワンワンワン!」
「あ、あー、そうだったんだな! ごめんな! 聞いてごめんな! お兄さんが悪かった! ほ、ほら、オレンジジュース飲もう! 落ち着こう! な!」
やっぱり地雷だった。こればかりは失敗した。迂闊だった自分の口を思いっきり恥じる。
泣き出したことに反応し、わんたんがキャンキャンと俺に吠えたてる。
そしてどうにかオレンジジュースで落ち着いてくれた。流石オレンジジュース。万能だ。
「じゃあ、お父さんとお母さんと逸れちゃった後に、わんたんに出会ったってことなのか」
「うん。お空がピカってなって、ドッカーンってなって、お父さんとお母さん居なくなっちゃったから探してたの。そして、疲れて、座って泣いてたら、わんたんがよしよしってしてくれた。それから、寂しかったけど、わんたんが頑張れーってしてくれたから頑張った」
「おぉ、そうか。わんたん様々だな……お前も頑張ったんだな」
「わん! ううー!!」
「いやまだ懐いてくれないのかよ!」
優しくなでようとしたのに、危うく噛みつかれそうになった。くそ、波留君泣かせたから敵と判断されてしまったかもしれない。こいつ、小さい癖にやるな。
とはいえ、こんな状況でよく生き残ってこれたなと本当にびっくりはしていた。
話からするに、一か月近くは二人であの商業施設で生活をしていたらしいし。
そして、複雑な心境だった。まだ五歳の子供をこんな大変な目に遭わせてしまった根本的な原因が、近くに存在しているのだから。俺がモヤモヤしたところで何も解決はしないんだけど。
「ねぇ、おじさん」
「おじさんって言うのは止めて欲しいけどまぁ、いいか……なんだ。おかわりか?」
「おじさん、大丈夫? 気持ち悪そうな顔してるよ? オレンジジュース、飲む?」
逆に話し掛けてきたと思いきや、まさかの心配をされてしまった。この子、鋭いな。
「あ、あぁ。大丈夫大丈夫。いつもこんな感じなんだよ。元気元気」
「本当?」
「あぁ。本当だとも。ほら、元気だろ?」
こんな小さな子供に、余計な心配をさせる訳にはいかなかった。正直言って全然元気ではないものの、無理矢理元気そうに見せた。
不思議そうな目をしてこっちをジーッと見つめられているけど、どうにか誤魔化せた。
「……おじさんは絵を描いてるの?」
「ん? そうだぞ。ここでずっと絵を描いてるんだよ」
「絵を描くお仕事をしてるの?」
「仕事……んー、そういうことにしとこうか」
「楽しい?」
「え、楽しい? うーん、楽しいって訳じゃないけど、俺は描くことしか道が残っていないからな。頑張って描いてるかな。どうしてそんなこと聞くんだ?」
「だって、おじさん、辛そうだもん。なんか、楽しくないのに、むきーってなってる気がするから。楽しいのかなって」
子供からの鋭い言葉に、見事に言葉を失う。見事に見透かされていた。というより、見事に本心を突かれてしまった。この子、マジで侮れなさ過ぎるだろ。
「……あぁ、そ、そうだな。大丈夫だ。キチンと楽しんでるぜ? 心配しなくても大丈夫だ」
どうにか誤魔化したけど、変な笑いしか出てこなかった。どうにか落ち着かせるために、キッチンへと戻って冷蔵庫からドクターペッパーを取り出して一気飲みをした。
楽しいという感情なんて、今の俺には全く無かった。そんな余裕も無いし、いつ死ぬか分からない状況だ。だからこそ、見事に何も言えなくなった。返すべき答えが思いつかない。
「ゲフォッ! ケホッ! ケホケホッ!」
無理矢理ドクペを飲み干したからか、見事に咽てしまった。血反吐までまき散らしてしまう。
そんな哀れすぎる俺を、近づいてきていたわんたんがジーッとこっちを見つめてきた。
「……お前は、分かってくれるのか?」
「わん! わんわん!」
血反吐を拭いつつしゃがみ込むと、そんな訳ねぇだろとばかりに吠えてきた。
……そうか。それもそうだよな。諦めつつ、空になったドクペの缶をゴミ箱に捨てる。
……楽しむことが、やっぱり大事なのだろうか。楽しむ心を忘れなければ、もっと良い作品が出来るのだろうか。……そんなわけないか。
「おじちゃん、あそぼ。辛い時は、あそんで忘れよう」
「あ? いや、遊んで忘れようって言われてもだな……」
「だめ?」
「いや、ダメじゃねえけど……」
「やった! あそぼ! プロレスごっこ! おじちゃん悪役レスラーね!」
「ワンワン! ワン!」
「はっ!? いやいやちょっと待てちょっと待て! プロレスは聞いてねぇぐっへぇ!?」
俺の意志なんて無視して、波留君は笑顔で思いっきりフライングボディプレスをかましてくるのだった。おまけに俺も混ぜろとばかりに、わんたんも乗っかってくる。
……ジュリア、ヴェネ公。早く帰ってきてくれ。本当に。確実に身体が持たない。
♭ ♭
「なぁ、嬢ちゃん。チビッ子の調子はどうなんや? 峠は越えたんやろ」
まだ残っているであろう物資を探し求めて、荒れ果てたオフロードを百キロ超のスピードを出して走っていると、助手席に座っていたヴェネティはそんなことを訊ねてきた。
「あんたが人間の子供を気に掛けるなんて珍しいわね。どうしたの。情でも移った?」
「んな訳あるかい。あのわんころがしつこく訊ねてくるからうるさくてかなわんだけや。で、どうなんや。具合」
嘘だ。すっごい気に掛けてる。全く。アキラと同じで嘘が下手なんだから。
「……心配しなくても大丈夫よ。昨日から安定してる。目が覚めて元気一杯に動き回るのも時間の問題だと思うわ。むしろ、現在進行形でアキラ相手に遊びまくっていたりして」
「はっ、それやったら良かったけどやな。坊主はまぁ、頑張れということで」
「あんた、アキラには結構目を掛けてやってるわよね。むしろそっちの方に情が移っちゃったんじゃないの?」
「うっさい。んな訳あるかいな。……あいつは放っておけないだけや。気に掛けておかないと、道を踏み外してあっという間におっちんでしまいそうやからな。んなこと言っとる嬢ちゃんも、あいつに御執心なんちゃう? もしかして、恋心も芽生えちゃったりして」
「今すぐここから放り投げて撥ねるわよ」
「はっ、じょーだんやじょーだん。からかっただけや。大人しくしときまーす」
睨んで脅し文句を吹っ掛けると、それだけは勘弁とばかりにヴェネティは大人しくなった。
正直言って、図星だったかもしれない。恋心云々ではなく、あのボンクラ男、少しでも目を離したら自ら死を選んでしまいそうな程に精神状態が危ういのだから。
余命宣告を受けて、早々に死ぬ運命なのだから、精神的に不安定になるのは仕方ないとしても、本当に危うい。そりゃあ、常にご執心になってしまうのも仕方なかった。
……それに、あいつは私に生きる意味をくれたのだ。勝手に自滅して死なれては困る。
あいつには、後悔一つ残さずに、満足して死んでほしいのだから。何を言われようが関係ない。私は、あいつのサポートをするだけだ。
そんな人前には口に出せない思いを心に秘めつつ、ランドクルーザーのスピードを更に上げていると、勝手に飛び出してきた腐植人間をひき殺してしまった。
『お二人共、お互いにからかい合うのは別に咎めませんけど、運転に集中してくださいデス。特にジュリア、あなたは少し落ち着いて運転してください。これでウイルスに汚染された人間をひき殺すのは三十人を超えたデスよ』
咎めるように、ナビをしていたアウルドルネの声が届いた。……しまった。私としたことが。
「えぇ、ごめんなさい。運転に集中するわ。次の回収ポイントまでは後どれくらい?」
『後五分もしないと思うデス。巨大な物流倉庫群が存在してる筈かと。……あっ、あと、ちょっと頼みがあるのですが、構わないデスか』
「……何よ。頼みって」
「倉庫群で散策した帰りに、寄ってもらいたい所があるのデス。気になることがありまして」
♭ ♭
回収ポイントで物資の回収を終えた後、アウルドルネの希望で向かった場所は、男の子と子犬を保護した大型商業施設【レグノ・ラグーナ】だった。
別に気にはしないけど、どうしてまたここに……?
「ねぇ、あんたの頼みでここに来たはいいけど、なんか忘れ物でもあるの?」
『いいえ、忘れ物というより、気になっていることがあるのデスよ。いまちょっとサーチしてるとこなんで、ちょっと待っててくださいデス』
広々としたフードコートエリアを突き進みつつ聞いてみたものの、見事にはぐらかされた。
というより、最近何かアウルドルネの様子がおかしい気がした。ミサイルを落とされて、政府からの攻撃の手が弱まってからというものの、ラボに籠って研究に勤しむことが多くなったし。私でも分かる。確実に、何かを隠している。
気になるのは、横で大量の荷物を抱えてノシノシと歩いている従者はそのことについて気付いているのかどうかだった。
「……おっ、嬢ちゃん。あそこにある店、まだ食べれそうな食糧ありそうやないか? えーっと、クレープ? なぁ、クレープって何や。甘いんか?」
「……クレープは甘いわね。材料がまだ残ってるんだったら作れると思うわ。そういえば甘いの好きだったっけ」
「おぅ。好きやな。少なくとも辛いのよりかは好きやな」
聞いてみるか悩んでいると、不意に声を掛けられる。目をやると、崩壊を免れている店舗があった。大体崩れ去って瓦礫の山になっているから中々珍しい。
……今はその時じゃないということか。聞いてみても確実にはぐらかされそうだし。
諦めて、クレープ屋へと寄ってみて、中を確認してみる。盛大に散らかっていたものの、業務用のクレープ生地やホットケーキミックスやらフルーツ類が冷凍庫内に放置されていた。
まだ中は冷えているから、腐ってはないみたいだ。
「……多分大丈夫そうね。作れるかもしれないし持って帰る?」
「せやな。クレープとかいうのも喰ってみたいからな。それにあれやん。チビッ子も好きそうやし、距離を詰めるのに役立ちそうやん」
「あ、それは確かにいえるかもしれないわね」
ヴェネティにしては名案だった。まだ残っている物をかき集めて、持って来てあった大きなカートへと入れてゆく。
「……それにしても、この施設内だけ衰退具合が全く違うわよね。生きている人間は置いといて、感染した人間も徘徊していないし、植物の浸蝕も見当たらないし。アウルドルネがまたここに来たのも、それと関係しているの?」
『流石ジュリア、勘が鋭いデスね。その通りデス。そういえばデスけど、そもそも私とヴェネティがこの星に侵略するきっかけはまだ話してなかったデスっけ』
「え? え、えぇ。確かに聞いたことは無かったけど……私に言っていいの? てっきり言えないことだと思っていたんだけど」
「別にそんな隠してるつもりはなかったんや。最近までドタバタしていたし、やっと落ち着いたところで話さなあかんなぁって思っとったしな。ボスもそうやろ?」
『えぇ。ヴェネティに言う通りデス。ジュリアにもそうですし、ヴァルハラにもそろそろ言うべきかなって思ってましたしね。……んっ?』
てっきり聞いてはいけないことだと思っていた。気になってのだけれど、それを遮るように、ナビから急に不穏なアラーム音が鳴り響いた。
「おぉ、何や何や! どないしたんやボス!」
ヴェネティも想定外だったらしく少し慌てる中、アラームは少ししたら鳴りやむ。
「……何か見つけたの?」
『すいません。お話はまた後の機会デス。今からナビするので、言う所まで行ってくれませんか? 見つけた物資は一旦車に寄って全部置いてからでいいんで』
「そ、そう。まぁ別に構わないけど……」
ナビからの声も、どこか緊張感が漂う。ヴェネティもそれが何を示しているのか理解したらしく、慌てて車に戻って物資を全部押し込んだ。
そして、少し急ぎ足でアウルドルネが示す場所へと向かうと、着いた先は三日前にも着た地下のシェルターだった。
「ボス。やっぱここなんか」
『えぇ。やっぱり、前ここに来た際に気になった違和感は間違いなかったみたいデス。探してもらえます? 何かしらの痕跡がある筈デス』
私を置いといて、ヴェネティはアウルドルネの指示に従う形で周辺の探索を始めた。
「ねぇ。その痕跡って何なの? 何が何だか分からないけど、何を探せば……」
『あ、すいませんデス。ざっくり言うと、発光してて、禍々しいオーラを発している物を探してくれます? ここら辺にあると思うのデスよ』
「ザックリし過ぎじゃない? まぁ、探してみるけど……」
多分、説明が難しいのだろう。もっと聞きたいけど、仕方なく言われるがまま探し始める。
瓦礫で散乱しているただっぴろくて薄暗い空間内をウロウロしていると、足元に何かぶつかった。何だろうと思い手に取ると、それは薄汚れた巾着袋だった。
恐る恐る確認してみると、中に入っていた物に思わず驚いて目を見開いた。……これは。
『どうしたデス? ジュリア。何か見つけたデスか?』
「え、えぇ。あんた達が探し求めている物ではないと思うけど、一つ……」
「ボス! ジュリア! こっち来てくれ! これやないか!? ザングライドの残滓!」
見つけたものを見せようとすると、遮るかのようにヴェネティの声がした。
手に持っているナビと共に慌てて駆けつけると、そこにあった物体に少し驚いた。
うっすらと点滅発光している鉱石のような何かだった。
それどころじゃない。ドクンドクンと脈動していて、まるで生きているようにも見える。
私でも分かる。これは、確実に地球の物じゃない。
「……ねぇ、これってどういうことなの? 何よこれ……」
「ボス、これは間違いないやろ」
『えぇ、間違いないデス。あいつは、もうこの星のどこかにもう存在していますね』
「え、いや、それってどういう意味よ? そもそもこれって……」
『単刀直入に言いますね。……これが、私達の星を壊滅に追いやった原因デス』
※ ※
「……つ、疲れた……もう動けねぇ……」
ヘトヘトになりつつ、ソファに倒れ込んだ。壁時計を確認すると、既に午後五時を回っている。気付いたら三時間以上、あの子供と子犬の相手をしていたらしい。そして、今も。
「おじちゃんみーっけ! 波留の勝ちい! えへへへー!」
「わんわん! わん!」
「ぐへぇ!? だから乗っかるのはやめてくれって……てか何の勝負だったんだ……」
俺の体調なんてスルーするように、純粋な笑みを浮かべつつ波留君は思いっきり俺にフライングボディプレスをかましてくるのだった。おまけにわんたんも。
この三時間で、俺のHPは既にゼロを下回っていた。もう動く気力さえない。
打ち解けて、警戒を解いてくれたのはいいとしよう。怯えた様子も無くなったのも嬉しい。
だけど、流石子供だ。加減を全く知らないでいる。ここまでくると恐怖さえ感じていた。
もう勘弁してくれと叱咤したいのだけれど、そんなことしてまた怯えたり泣いたりされたらたまったものじゃない。それにこいつ……。うぐぐ、マジでこれはどうすれば。
「お、なんやチビッ子元気になったんやな。良かった良かった」
頭を悩ませていると、聞き慣れたエセ関西弁が耳に届く。扉の方を向くと、手のひらサイズのヴェネ公に、何故か気難しい顔をしたジュリアの姿があった。
良かった……やっとこの拷問から解放される。
「わん! はっはっはっはっは!」
「おーおー、ワン公も元気そうやん。あ? 名前なんざ気にすんなて。いや怒るな怒るな」
わんたんもヴェネ公の姿に気付いて、我先にとばかりに尻尾を振りつつ掛けよる。
「遅いだろお前ら……どんだけ待ったと思ってるんだか。確かに物資調達は大事だけどよ……」
「……ごめんなさい。調査に色々と手間取ってて」
「調査? 何のだよ」
「それは……」
「まぁまぁ、話はご飯を食べつつでいいじゃないデスか。ヘトヘトデスよー」
何故か言い淀むジュリアを宥めるかのように、いつの間にか居たアウルが割って入ってきた。
こいつマジでいつの間に居たんだと思った矢先、袖をぎゅっと掴まれた。下を向くと、あんなにはしゃぎまくっていた波留が怯えた表情で陰に隠れていた。
……当たり前か。ずっと寝ていたんだし、知らない人間とよくわかんない獣に明らかに人間じゃない何かが居たら、そりゃ怯える。
「あー、そうだな。飯にしようぜ。俺もヘトヘトだよ……」
「せやなー、飯にしよかー。嬢ちゃん、早速手に入れた食糧で美味しいもん作ってーなー」
「……そうね。同居人も増えたし、久々に何か手を込んだ物作るわ」
「おー! やったー! 良かったなぁチビッ子。今日はご馳走やでー」
「ひっ、うっ……ううぅ……」
怯えていた波留君に対して追い打ちをかけるようにヴェネ公が近付くと、余計に怯えて涙目になってしまう。……そりゃそうなるわ。
「え、いやいやちょっと待てって、わいなんかした?」
「ヴェネティ、流石にそれは擁護出来ないデスよ」
「……最低ね」
「わん! わんわんわんわん! うううぅ!」
「……とりあえず飯だ飯。ヴェネ公は飯抜きな」
「えー! ちょっと待ってぇなー!」
泣き出しそうな波留の頭にポンと手を置いて、よっこらしょと立ち上がる。
……仕方無い。こればかりは、俺がどうにかしないと。
※ ※
「……あー、食った食った……なんか久々にまともなもん食った気ぃするわ……」
「確かに美味しかったデスね。ジュリア。これはカレーという料理デスよね? 私が知っているカレーでは無い様な気がするのデスが」
「まだ残っていたカレー、ビーフストロガノフ、ビーフシチュー、ハヤシライスのルーをごちゃ混ぜにして、残って腐りかけていた野菜も粗方入れて煮込んだだけよ。そんなに褒められたものじゃないわ。美味しいって言ってくれるんだったら嬉しいけどね」
すっかり日が暮れて、各々がジュリアが作ったなんちゃってカレーに舌鼓を打っていた。
周りの雰囲気に怯えていた波留君も、さぞかし美味しそうに頬張っている。わんたんも、専用のご飯をあっという間に平らげている。ちょっと一安心したのは言うまでもない。
「どう。波留君。美味しい?」
そんな中、ジュリアが恐る恐る波留君に尋ねる。一旦手を止めて、伏し目がちに顔を上げる。
「……うん。美味しい」
「……そう。良かった。沢山作ったから、ゆっくり食べてね」
ボソッと聞こえたその言葉に、ジュリアは見せたことないような優しい笑みを浮かべた。
その表情からは、母性すらも垣間見えた。こいつも、こんな顔出来るんだな。子供は苦手だと思っていたんだけど。
「おっ、じゃあお言葉に甘えてわいもおかわりもーらおっと!」
「いや、ヴェネティは食べ過ぎだろ。何杯目だよ。自重しろ自重」
「えー、ちょっとわいの扱い酷くない? もうちょい労わってーなー」
「ヴェネティ。たまには空気を読んだ方が良いデスよ。前々から思っていたのデスが、あなたは空気が読めなさ過ぎデス」
「いやいや、そんなことないやろ! なぁ!?」
ヴェネ公が同意を求めて俺やジュリアの顔を見るものの、見事に総スカンされていた。
「……同意せんのかーい!」
少しの沈黙の後、虚しい突っ込みだけが響き渡るのだった。ごめん。ヴェネ公。それはマジで同意出来ない。悔い改めて欲しい。
「まぁ、ヴェネティのどうしようもない性格は放っておくとして……今後の行動指針について提案があるのですが、ちょっといいデスか?」
ブツブツと文句を呟き続けているヴェネ公は放置する方向で、ふいにアウルは俺達に向けて話を振った。……よし、このタイミングを待っていた。
「すまんアウル、先に俺もいいか。相談があるんだ」
アウルの話の腰を折るように、俺は割って入った。想定外だっただろう。当の本人は少し驚いたような表情をして、頭の蕾がぴょこんと動く。
「……えぇ、構わないデスよ。……そこの幼い人間と小動物のことデスよね?」
「あぁ。その通りだ。……波留君の親探しを最優先にしたいんだよ」
俺の提案に、ジュリアもヴェネ公もキョトンと顔を見合わせる。
「……一応、理由を聞いてもいいデス?」
「この子……波留君の親が、まだ生きている可能性があると思うからだ」
「いやいや、坊主、そんな訳あるかいな。外の様子見とったら分かるやろ。人の気配なんざ無い死の土地に成り果て取ったんやぞ。あの商業施設内にも、チビッ子とワン公以外は見当たらなかった。感染した人間共や動物も居なかったんやぞ。言っちゃ悪いけど、諦めた方が賢明や」
「残念だけど、ヴェネティの言う通りだと思うわ。その子の話を聞いてる限り、生きている可能性は限りなくゼロに近いと思う。厳しい事を言うけど、現実を見なさい」
「でも、周りに人間の死体も見当たらなかったじゃねぇかよ! だったら、離れ離れになっただけでどこかで生きている可能性だって……」
「見当たらなかった理由は単純やろ。焼死したんや。摂氏何百度かはしらんが、凄まじい熱風で、人間共は抵抗できずに焼け死んで灰になったんや。それに、わいらが外に出て探索開始したのは、ミサイルが投下されてからある程度日が経っていたやないか。……その間、ずっと坊主は子犬と一人と一匹で生きてきたんやろ。親が見つからない時点で、諦めた方がええ」
「それは、そうだけどよ……でも」
「……ヴァルハラ。言いたいことは分かるデス。そこの子供に同情そて、少しでも役に立ちたいとでも思ったのでしょう。分かるデス。だけど、それは希望的観測でしかならないし、偽善的行動でしかないんデスよ。結果がハッキリ見えてしまってる。その現実を、ヴァルハラは純粋な子供に見せることが出来るのデスか。……そもそもの話。あなたに余裕があるんデスか? そんな無理を強要する体力が、あなたにはもうほとんど残っていないじゃないデスか」
「……あぁ、分かってるさ。分かってるけど……」
皆から責められることは分かっていた。自分自身に余裕なんてないのは充分分かっていた。
体力は日に日に著しく低下の一途を辿っている。歩くのもやっとだし、息切れも不整脈も酷い。脂汗が止まらない。走ることなんてもっての他だ。
……だけど、これだけは譲れなかった。だって。
「……良い絵が描けないんだよ。スルーしてもいいと思う。俺自身、それどころじゃないのも分かってる。矛盾しているのも充分分かっている。分かっているけど、頭がモヤモヤしているんだよ。この問題を解決しないと、満足して絵も描けないし、納得して死ぬことも出来ないんだよ。……どうせ俺は死ぬ。だからこそ、絵に命を全部捧げて死にたいんだ。全てを燃やし尽くして、絵だけ残して死にたい。心の中にあるモヤモヤを放置したくないんだ。……頼む。この子の親を探す手伝いをしてくれないか」
言葉をつまらせながら告げて、土下座をする。他人のために頭を下げるのは、初めてだった。
惨めかもしれない。ただのわがままかもしれない。自己満足でしかないかもしれない。だけど、それをするだけの理由がそこにはあった。
「おいおい坊主、そこまでせぇへんでも……」
ヴェネ公が戸惑っているような声が降ってくるけど、そんなこと気にせずに土下座を続ける。
きっと、馬鹿にしているに違いない。軽蔑もしているだろう。だけど、そんなこと気にしていられない。こうでもしないと、俺は俺自身を憎んでしまいそうだった。
何とも言えない沈黙が、その場を包み込む。
「……ったく。あんたは相変わらず不器用過ぎるのよ」
「えぇ、本当に。まさか頭を下げてくるとは思わなかったデスよ。……ヴァルハラ。顔を上げて下さい。流石に見苦しいデス」
「わふっ」
恐る恐る顔を上げると、そこには、何とも言えない表情で三人が見下ろしている姿だった。三人だけじゃない。波留君も心配そうにこっちを見つめている上に、わんたんに至ってはドンマイとばかりにポンと手を置いてきた。……え、何その表情。どういうこと。
「……な、なんだよ。別におかしいこと言ってないだろ!」
「いいえ。別におかしいことは言っていないデス。ただ、あなたの口からその言葉が出て来るとは思わなかっただけデスよ」
「いやそれ馬鹿にしてんじゃねぇかよ! てかお前らもしかしなくても俺のこと試したな!」
「馬鹿にしとらんって。坊主も成長したんやなって思っただけや。試したんは事実やけどな」
「まあ、思った以上に面白いものが見れたわね。まさか土下座するなんて……ぷっ」
「いやいやジュリア、笑ってあげたらダメですって。ほら、本人だって笑われたいために言った訳じゃないデブフッ」
「わふっ、はっはっはっは」
「やっぱし馬鹿にしてんじゃねぇかよ! 吹きだしてんじゃねぇ!」
どうやら、こいつらの掌の上で見事に踊らされていたらしい。さっきのエセシリアスな雰囲気も、演技だったということか。
何だろう。恥ずかし過ぎて顔が熱い。出来れば今すぐ帰りたい。何だよこの仕打ち……。
俺の繊細な心がずったずたに傷付けられたような気分だった。泣きたい。蹲って泣きたい。
ワンタンが泣いていいんだよとでも言いたげな声色で吠えて、顔をペロッと舐めてくれた。
ワンタン、君だけが味方だよ……。
「まぁ、冗談は置いておくとするデス。……ヴァルハラ。あなたが考えていることと同じで、私達もそこの子供の親の安否を明らかにした方がいいと思っていたんデスよ。ヴァルハラ自身がそれに対してどう考えるかが懸念材料だったのでちょっとカマかけてみたのですが、それは杞憂に終わったみたいデスね。……それに、先程それに対する手掛かりを見つけましてね」
「手掛かり? なんだよそれって」
アウルの言葉を受けて、ジュリアが持っていたバッグの中から何かを取り出して、波留君に近付いてしゃがみ込む。そしてその何かを差し出した。
「……波留君。これ、君のだよね?」
子供用の小さなリュックサックだった。ボロボロではあるものの、ネームプレートに【HARU】と書かれている。
それを視認した途端、怯えていた波留君は途端に目を大きく見開いて、そのリュックを思いっきり奪い取るのだった。
慌てた様子で乱雑に中を空けて、ゴソゴソと何かを取り出す。目的の物が見つかったのか、ぎゅっと抱きしめて涙を浮かべた。
「……パパ……ママ……」
それは、フォトフレームだった。パネル部分にひびが入っているものの、写真が一枚大事にパッケージされている。
一軒家の前で、笑顔の大人の男女に囲まれて、幸せそうな笑みを浮かべている波留君の姿が、そこにはあった。既に消え去ってしまった大切な思い出が、そこに詰まっていた。
ずっと大事に持っていたのだろう。それを思い返しているのだろう。あふれ出した涙が止まらず、脇目もふらずにワンワンと泣き続けていた。
「くぅん……くぅん?」
急に泣き出した波留君が心配になったのだろうか。わんたんが近付いて、顔を覗いている。
その光景を見て、不思議と胸を締め付けられた俺がここに居た。そんな心なんて俺には無いと思っていたのに。
「……あー、これはあかん。こんな光景見てしもうたら助ける以外の選択肢見当たらん……」
「え、えぇ……ちょっとこれは私も効くわ……」
……俺だけじゃなかったらしい。何故かちょっとだけ安心した。
「……なぁ。これってどこで見つけたんだ」
「レグノ・ラグーナの地下シェルターよ。その子たちを保護した所から少し離れた所の瓦礫に埋もれていたわ。多分この子のものなんじゃないかと思って回収しておいたの。……どうやら、持って来て正解だったみたいね」
「そうか、良かったな波留君。大事な物が見つかって」
「いや、何を言っているのデスかヴァルハラ。大切な物はまだ見つかっていないデスよ」
「えっ、あぁ、そうか、手掛かりが見つかっただけだったな……」
てっきり大切なことを忘れていた。リュックサックが見つかっただけだというのに。
「……ねぇ、パパとママは?」
「安心するデス。必ず、見つけるデスよ」
涙を拭い、不安そうに見上げてくる波留君を、優しい笑みを返してポンと頭に手を置く。
「見つけるって言うけどよ、どうやってだよ。車で虱潰しに探しまくるのか?」
「それだと時間が掛かりすぎます。……すいません。それ貸してもらっていいデスか」
「……うん」
怯えていた波留君が、優しく見つめてくるアウルに少し心を開いたのか。大事そうに両手で庇うように持っていたフォトフレームを渡した。
受け取ったそれを両手で囲うように覆った途端、アウルの全身が淡く光出すと同時に、頭にある蕾が急激に成長し、小さくてきれいな花がポンと咲く。全身から蔦のようなものが伸びて、フォトフレームを繭のように包み込んだ。
まるで、フォトフレームから何かを吸収しているように見えた。
「……なぁ。何やってんだ?」
「見ての通りや。この物体から情報をスキャンして分析て解析しとる。蓄積しとったザウロネスエネルギーをちょいとばかし応用して残留しとるデータを読み取っとって吸収しとるんや。まぁ黙って見とれ。直ぐに終わるさかい」
「えっ? 吸収?」
「そのままの意味デスよ。……ヴェネティ。ポータルを」
何の事か分からない俺を置いといて、蔦が解除されて、繭状態も解けると、ヴェネ公は持っていたタブレットを渡す。
代わりにフォトフレームを返して、タブレットを手に持つと、ハブの挿入部分に指先から伸びた蔦が差し込まれた。
それに反応するように、タブレットにデータが読み込まれていく。その様子は、花の養分が蔦を伝ってタブレットに伝わってゆくかのようだった。
ヴェネ公が言っていた説明の意味がやっと分かった。確かにそのままの意味だ。
「……ふぅ、お待たせしたデス。データの解析が出来たデスよ」
そう言われて、俺とジュリアが近付いてタブレットに反映されているデータを見る。
映っていたのは、この街の広域マップだった。
そのマップの幾つかに、赤くマーキングがされているのが見えた。……これはもしかして。
「便利な能力ね相変わらず。これあれでしょう? そこの写真に写り込んでる場所の候補ってとこじゃない?」
「流石ジュリア、すぐに分かっちゃいましたデスか。その通りデスよ。今まで分析していた周辺の広域マップは既にこのポータルに解析済みデス。そのデータに、先程スキャンしたそのアイテムに残されていた残影を重ね合わせたのデスよ。百パーセントとはいきませんが、それに写り込んでいる建造物が存在している可能性があるポイントがいくつか絞り込むことが出来たデス。……そこの幼子が求めている父や母が見つかるかどうかは分かりませんが、少なくとも、真相へ近づくことは出来る筈デスよ」
その言葉に、嘘偽りはなかった。優しい笑みを浮かべて、不安そうに見つめる波留君の頭にポンと手に乗せる。その姿は、まるで子供をあやす母親そのものだった。
「……ママ……?」
「ふふふ、残念ながら私はあなたの母ではないデスね。ただのしがない偏屈な研究者でしかないデス。でも、望めばきっと見つかるかもしれないデスよ。可能性はゼロではないデスしね」
「本当? パパとママ……見つかるかな……」
「えぇ。きっと。君が居ると信じていたら、会える筈デスよ。少なくとも私はそう思います」
「……分かった。ぼく、頑張ってパパとママ、探す!」
「わん! わんわん!」
アウルの言葉に、波留君は目を輝かせて宣言する。それに鼓舞されるように、わんたんも元気に吠えて駆け回るのだった。
……こいつ、子供を手懐けるの案外うまいんだな。素直にちょっと見直した。
「ということでヴァルハラ。一つ頼みがあるのデスが」
感心していると、後ろを振り向いて話しかけられた。……なるほど、嫌な予感が凄いする。
「……探すのを手伝えってことだろ。そんなこったろうと思ったけど」
「えぇ。そもそも、自分で蒔いた種デス。そういうのはキチンと自分で回収しなければ」
「それは分かるけどよ、俺、多分役立たずだぞ? いつ倒れるかも分からねぇし……」
「大丈夫デス。ヴァルハラ一人に任せるつもりは無いデス。ヴェネティも同行させますよ。私もこのポータルナビでサポートはしますし」
「そーゆーこっちゃ。安心せぇ。倒れてしもうてもわいが付いとる」
「ヴェネ公が付いているんだったら大丈夫か。……あれ、じゃあジュリアはどうするんだよ」
「私は留守番よ。このアジト、流石にアウルドルネ一人に任せる訳にもいかないでしょ。今回はサポートということで」
「お前がサポートって珍しいな。大体前線で真っ先に突っ走る方だろうに」
「失礼な。たまには私だって裏方に徹するわよ」
嫌な予感は的中したけど、想定の範囲内だったからまだ大丈夫だった。
自分の体調は心配ではあるけれど、この問題を解決しない限り、絵に集中して取り掛かることは出来ないのだから。
出来る限り、努力しようじゃないか。万が一の場合ヴェネ公に任せればいい。
波留君のためだ。命を削ってでも、探し尽くしてやろうじゃないか。
だけど、気のせいだろうか。ジュリアがどこか何とも言えない表情をしていたようにみえた。
● ●
夜の帳に浮かぶ掛けた月を眺めながら、物思いに耽っていた。
我ながら運が良かったのかもしれない。
両親と死別してしまい、この世の地獄を渡り歩いてハルと出会ってから、よもやこうなることは想定していなかった。
運命とは分からないものだ。よもや、この星を壊滅に陥れた張本人に拾われるとは。そして、
これを運命と呼ばずして何と言えよう。
しみじみと実感しつつ、皿に盛られた餌を食べて小腹を満たす中、ベッドでスヤスヤと眠っているハルが、ううんと唸り、寝返りを打つ。
環境が変わり、不安そうに怯えていたハルも、ようやく緊張がほどけたのだろう。幸せそうな寝顔を浮かべているのが確認出来、吾輩自身もホッと安心したのは言うまでもない。
しかし、まだ吾輩自身の心の中で葛藤があるのは事実だった。
吾輩達を受け入れてくれたのは素直に喜ばしい。だけど、どうして受け入れてくれたのかが未だに納得いかない部分があった。それだけではない。ハルの父と母の捜索まで願い出てくるとは。……何を考えているのだろうか。彼は。
「どないしたんやー。難しそうな顔しとるで。もーちょいリラックスせんかいリラックス」
咀嚼している中、後ろから声を掛けられた。いつも間にか、隣にヴェネティが座り込んでいた。その手にはポテトチップスが握られている。
……吾輩は、そんなに気難しい顔をしていたのか?
「せやな。なんか納得いっとらんみたいなビミョーな顔しとるで。どうせあれやろ? 坊主のことでなんか思うことがあるんやろ? ……あ、これ食う? おいしいで?」
食べていたポテトチップスを勧められたが、興味はそそられなかったから断る。
……全く。抜け目が全く無いな貴様は。一言も言葉を発していないというのに。
「なーんや食わんのかい。つまんないの。……まぁ、誰しも思うわな。あの坊主の行動原理なんざ理解出来んやろうし。わいもやけど。自分が死にかけとるっちゅーのに、他人の心配事に首突っ込んどるんやからな」
……やはり、彼は病人だったのだな。
「余命宣告受けていつ死んでもおかしくないからな。やのによーわから主義主張ぶっ放して、自分のことなんて後回しにしとる。どうしてそんな意味のない行為をしているやって思っとるんやろ? まぁ、気持ちは分かるで。わいでも理解出来んもん」
やれやれといった表情で、チップスをまた一枚食べる。意外だった。何でもお見通しな貴様でさえ分からないことがあるとは。
「なんやそれ貶しとるんか? まぁ別にえぇけどやな……てかなぁ、別に無理くり理解せんでもええんちゃう? あいつがお前らを保護したのも、チビッ子の親御さんを探そうと提案したのも、坊主が自分でやらなきゃあかんって思って勝手に起こしたことや。そこには百パーセントの善意でしかないんちゃうかな。そういうのは深読みとかせずに素直に受け入れるべきやで。……多分。坊主もそれを望んどる」
……そんなものなのか。
「そんなもんやろ。わいはそう思っとる。考え過ぎても疲れるだけや。……ほら、もう寝た方がええんちゃう? 明日から忙しくなるで」
そう告げると立ち上がり、食べ終えたポテトチップスの袋をゴミ箱に捨てる。
……人の善意は、喜んで受け入れるべきということか。それに、ハル自身が喜んでいるのだから、それ自体は喜ぶべきだろう。
吾輩は、ハルが喜んでくれればそれでいいのだから。
だけど、やはり吾輩は思うのだ。
病人である彼にとって、それは身を削る行為でしかないのではないだろうか。
分からない。やっぱり、分からない。理解しようにも理解出来ない。
そんなことをしたところで、何も得しないというのに。
きっと、それが人間という生物なのだろうけど。……ただ、一つだけ分かる。
彼はきっと、今という時間を無駄にしないように、必死にもがき苦しみつつ生きているのだろう。
……だとしたら、何も言うまい。愚問でしかない。
また寝返りを打つハルを尻目に、眠たくなってきたから欠伸を一つして丸まった。
うつろう景色の中、ヴェネティの顔が何かを決意したような表情をしているように見えた。
♭ ♭
「うーん、汚染されたサングライド鉱石から抽出したアルミデウス因子を混ぜても、反応は芳しくないデスね……でも、こっちのジャルデラミンワクチンを加えたら……沸騰して消滅するデスね。うーん、これはどういう意図が……?」
ロケット内部に存在するラボ。独り言をつぶやきながら、アウルドルネは解析を続けていた。
進めているそれは、先日商業施設から持ち出した謎の鉱石だ。サングライドだっただろうか。
勿論、聞いたことはない。机上に置かれたそれは、相変わらず不規則に点滅と脈動を続けていた。気持ち悪いことこの上ない。
とはいえ。鉱石の分析を行っているアウルドルネの方が気持ち悪いのだけれど。
身体から幾つもの蔦のような触手が伸びていて、それを駆使して様々な実験やら分析やらを並行して行っているのだから。器用にも程があると思う。でも、それ以上に疑問に思うことが。
「ねぇ。どうして私をここに呼んだの。ここあんたとヴェネティ以外立ち入り禁止でしょ?」
ここに呼び出されてからというものの、私をスルーしてずっと研究に没頭していた。
かれこれ一時間近く。……馬鹿にしているのだろうか。
「……おっ! へジル銅石の残滓を加えたら鼓動と明滅の間隔が短くなったデス! この反応はもしかしてもしかするかも……いやでもここで採掘出来ないし……」
「いや話くらい聞きなさいよ! 聞いてる? 意味もなく呼び出したんだったら帰るけど」
「ジョーダンデスよジョーダン。意味も無くここに呼び出したりはしないデスって」
我慢出来ずに突っ込むと、ようやく反応して面白そうにこっちを小馬鹿にするのだった。
「はぁ……結局何。わざわざここに呼び出したってことは、それなりの理由があるんでしょ?」
「その通りデスよ。でも、理由自体はジュリアも感付いているんじゃないデス?」
「はぐらかさないでくれない? ……あんたが今解析しているそれについてでしょ? わざわざアキラに隠して私だけ呼び出したってことはそういうことだってくらい分かっているわよ」
分かっていた。先日その鉱石を見つけてからというものの、より一層ラボに籠りっきりになっていたのだから。行動があからさますぎる。
だからこそ、嫌な予感がした。人類をいともたやすく蹂躙してしまう侵略者が、ちっぽけな石一つに御執心になっているのだから。
「冗談はこれくらいにしとくデスか。ジュリア、折り入ってあなたに頼みがあるのデスよ」
「面倒事じゃないでしょうね」
「そんな嫌そうな顔しないでくださいデスよ。……この石の欠片を、かき集めて欲しいのデス」
見せてきたそれは、例のサングライド鉱石と、もう一つの別の鉱石だった。……なにこれ?
「明滅しているそれはサングライド鉱石よね? じゃあもう一つのそれは?」
「へジル銅石デス。ザウロネスにあるへジル鉱山で採掘出来る特有の鉱石デス。この二つをなる早でかき集めて欲しいのデスよ」
「集めるってそれ無理に決まってるじゃない。あんたの住んでた星の鉱山でしか採掘出来ないんでしょ? 今からロケット作ってその鉱山行けっての? 無茶にもほどがあるでしょうに」
「確かにそうデス。この鉱石は、私がザウロネスから持ってきた研究資料デスし。この辺境の星で採掘はまず不可能。ですが、これに似た材質の鉱石なら、この星に存在するんデスよ」
「……何よ。似た材質の鉱石って」
「ふっふっふっ、ちょっと待ってくれデス」
そう言ってアウルドルネは一旦席を立ち、後方にある収納棚から何かを取り出して戻ってくる。……それは、確かに見覚えのある石だった。
「これって……」
「ラピスラズリ。この星で採掘できる宝石の一種デスよね。この地域に点在していた宝石店から拝借してきたデス。調べたところによると、様々な鉱石が入り混じって出来た混合物だとか。その混ざっている鉱石の成分が、へジル銅石と似ているんデスよ。偶然デスけどね」
ラピスラズリ。人類に認知されて利用された最古の宝石で、パワーストーンとしても重宝されているのは知っている。
まさか、それが偶然他の星が原産の鉱石と似ているのは普通に驚きだった。偶然の産物といったところだろうか。
私が知らなかった裏で、彼女はラボに閉じこもって虱潰しに地道な分析を進めていたということがよく分かった。
きっと、大変だっただろう。助けを求める訳でもなく、この結果が判明するまで一人でずっと調べていたのだから。……全く。そういう所が、あの大馬鹿と似ているんだから。
「……分かったわよ。かき集めればいいのね。で、どこにあるとかはもう目星とかついてる訳? 流石に私、どこにあるかは分かんないんだけど」
「ご安心を。目星はキチンとつけれるデスよ」
笑みを浮かべて、自身から伸びた蔓を利用して小型の端末を取り出して、投げて寄越す。
広域マップだった。ポイントが幾つもマッピングされている。用意周到にもほどがある。
「……いつまでに集めればいいの。あとどれくらいの量が必要?」
「三日以内に、出来得る限り大量に」
「大雑把過ぎるわね……アキラには秘密?」
「勿論デス。ヴェネティにはヴァルハラにバレないように根回ししているのでご安心を」
「……どうして私をそんなに信用しているのよ。未遂に終わったけど、一度は裏切ったのよ? そんな信用に値するような人間じゃないわよ。私は」
「またまた御謙遜を。あなたは裏切ってないデス。あなたは、あなた自身の心に負けて飲み込まれそうになっただけの話。だけど、自らの心を打ち破り、乗り越えた今のあなたなら信頼できる。なんやかんや言いつつ、必ず完遂してくれる。少なくとも、私はそう思っていますよ」
「……信用云々はいいとして、それって危なくないでしょうね? 誰か護衛してくれる訳じゃないんでしょ?」
「それに関してもご安心するデスよ。ザウロネスの技術の結晶を費やした特製の防衛ギアを準備したので。探索前にお渡しするデス」
「ギア? まぁ、あんたがそれで大丈夫って言うんだったらいいけど……」
意地悪な質問に、言い淀むことなく淡々と答えた。ギアというのが何なのか気にはなるけど。
とはいえ、本当にこいつは侮れない。自信満々に言われたら断る事なんて出来なかった。
言われるがまま、端末を手にして去ろうとする……けど、一つ気になって立ち止まった。
「……ねぇ、そういえばなんだけど。そのサングライド鉱石も、ザウロネス特有の鉱石よね? どうしてそれがこの星に存在していたのよ」
「単純明快デス。……ザウロネスを滅ぼした原因が、隠れ蓑としてこの星に逃げ延びただけの話デス。サングライド鉱石は、その原因が纏っている鎧のようなもの。私の目的は、この星の侵略じゃない。この星に逃げ延びて隠れている元凶を殲滅するために来たのデスから」
※ ※
「ねぇねぇおじちゃん。どうしておじちゃんはずっとお絵描きしてるの?」
荒れ果てた一本道を四駆でかっ飛ばしていると、助手席に居た波留君がふと訊ねてくる。
「どうしてって言われてもだな……今の俺に出来るのはそれしかないから、かな」
「おじちゃんは、お絵描きが好きなの?」
「んー、どうなんだろうな。とても好きって訳じゃねぇし、大嫌いって訳でもないな」
「好きじゃないのに、お絵描きしてるの? 変なのー」
「変なのーって言われてもだな……」
子供の素直な反応に、返答に困ってしまう自分が居た。確かに変って言われても仕方ないかもしれないけれど、それが事実なのだからそうとしか言えないし……。
後おじちゃんって言うの本当に止めて欲しい。そう言いたい気持ちを堪えつつ、交差点を右折してスピードを上げる。
「じゃあ、おじちゃんは、お絵描きしてて楽しい?」
「……楽しくはねぇな。苦しいよ。こう描きたいのに描けないから本当に苦しい。だけど、苦しいの先に出来上がる絵のためなら、俺は幾らでも苦しむさ」
「楽しくないのに?」
「あぁ。……知ってるか。苦しみまくった先に出来た絵ってのは、ピカピカに輝いてるんだぜ?」
「ピカピカ? お星さまみたいに?」
「むしろお星さま以上にピカピカしてるんだぜ? ビッカビカだビッカビカ。それを見ちまうと、あぁ、描いてよかったなぁってなるんだ。それに、皆が凄いなーって褒めてくれる。俺というちっぽけな絵描きの存在を脳に刻んでくれるんだ。楽しくないのに絵を描くのはそういうことだ。……俺が居たということを、覚えていて欲しいんだよ」
「存在? 刻む? うーん……?」
質問に答えると、何故か波留君は押し黙る。……難しかっただろうか。話が。少し心配になりつつ、亀裂が入っている幹線道路を更に突き進む。
「ふぁーあ。坊主、もうちょい分かりやすく説明したりぃや。チビッ子困っとるやん」
「ワン! ワンワン!」
どう補足するべきか悩んでいると、後方座席に座っていた小動物二匹が割って入る。
「いや、これでも分かりやすく説明したんだけどよ」
「どこがやねん。あんな、回りくどすぎるんやって。ウダウダ言った所でチビッ子に分かる訳ないやん。チビッ子相手にカッコつけんな。言っとくけど坊主、むちゃくそダサいで」
「ダ、ダサくねぇし! かっこつけてもねぇし!」
「動揺しとるやないかい。目も当てられんわ。ええから前見て運転せぇ。危ないでー」
「ワン! ワンワンワン!」
「る、るせぇ! 黙ってろ! ……ったく、どいつもこいつも馬鹿にしやがって……」
見事に弄ばれていた。ぶつくさと文句を垂れ流しつつ、ハンドルを握って前を向く。
正直言って、異様な光景だった。
なにせ、ごっついオフロードカーを俺が運転しているのだから。
いつもなら運転を辞退するのだけれど、今日は調子も良かったから引き受けて今に至る。
正直言って無茶苦茶緊張していた。免許証は持っていたものの、運転自体久々だったし。
目的地は、波留君が住んでいたとされる家だ。アウルナビが示すポイントに向けて運転を始めて二時間は経ったものの、見えてくるのは人っ子一人も見当たらない廃墟ばかりだった。
ポツポツと感染したゾンビが徘徊している程度だ。生きている人間が本当に見当たらない。
そもそも、建物自体も見当たらなかった。……ここまでくると不安になってくる。
爆心地からそれなりに離れている筈なのに。
「……なぁ、本当にここら辺であってんのか? ナビさんよー」
『安心するデスよー。順調に目的地に近付いている筈デス。私のナビに狂いはないデスよ』
アジトのラボ内からナビをしてくれているアウルの自信満々な言葉が届く。
「そんなこと言ってる割に中々つかないんだけど……なぁ波留君、なんか見覚えないか?」
「ん? 知らないよ。分かんない。ここどこ? おじちゃんは分かんないの?」
「わかんねぇから聞いてるんだよなぁ……」
分かっていたら、こんなに苦労はしていない。子供に責任を押し付ける時点で人として駄目な気はするけど。
「ん、おい坊主、なんか見えてきたで。ポイントの一つってあれちゃう?」
そんなことをうだうだと思っていると、割って入るように後方からヴェネ公の声が届く。
それに流されるように前方を確認してみると、瓦礫で囲われていた路地を抜けた先に、視界が急に開けた。隠れるように聳え立っていたそれに、少し茫然とした。
「……なんやここ。えらい場違いなとこに出たやんけ」
そこにあったのは、広大な土地に建てられた独特なデザインの施設の数々だった。
周辺を青々とした大樹で囲っていて、中には二階立てのコンクリート製の小奇麗な施設が独立して点在している。それぞれ丸みを帯びていたり、角ばっていたり、流線形を描いていたり、中には星の形を模した建物もあった。統一性がまるでない。
とはいえ、それぞれの施設に繋がる屋根付きの通路も整備されている上に、景観を損なわないように庭も手入が行き届いている。
多少荒れてはいたり窓にひびが入っていたりはしているものの、建物自体の損傷自体は少ないように見えた。
真面目に、ここがどこなのか分からなかった。娯楽施設じゃないことは何となく分かるけど。
「なぁ、波留君。ここってどこか分かったりするか? ……つっても分かる筈ないか」
入口付近にあった駐車場らしきスペースに車を止めて、助手席の波留君の方を向いてみると、ボーっと一点を見つめていた。何かを思い出したかのように、キュッと俺の服の袖を握って離さない。その先には、ガラス張りの一際目立つ施設が。
「ワン! ワンワン! ワンワンワンワン!」
「え、ちょ、ちょっと待てって! おい! ワンタン!?」
それに呼応するように、何故かワンタンが吠えだして一目散に敷地内へと走り去っていった。
急いで追おうとするものの、流石にスピードが速すぎてあっという間に視界から消えてしまう。何が起こったのか今一理解出来ない。
「おいおい、一体何だって言うんだよ……」
「ママ……ママのおうちだ!!」
「え、お前も!? おい待てって! 危ないぞ! おーい!」
俺の制止を振り切って、ワンタンだけではなく、波留君まで後を追うように走り去ってゆく。
急な出来事に対処することが出来ず、ただボサッと立ち尽くすことしか出来ない。
「……坊主、ちょっとこっち来てくれ」
そんな中、いつの間にか外に出て辺りを見回していたヴェネ公から声を掛けられた。
車から降りて向かうと、そこには大樹に隠れて崩れかけている看板が目に入った。
そこに書かれていた文字を見て、余計に首を傾げる。
「聖エレガリア煉獄宗業院……?」
何か頭の痛い名前だった。危ない宗教施設臭がプンプンする。ここに、波留君のママが?
『ヴァルハラ、一つ残念な情報が分かったデス』
「……何だよ」
困惑していると、アウルから通信が届く。
『二人が向かった建物……セレモニーホールのようデス』
※ ※
「おーい、ちびっこ共どここやー、居ったら返事せんかーい」
三十畳以上はあるただっ広いエントランスに、胡散臭い関西弁が響いている。
大型形態に移行しているヴェネ公を先頭に進んでいく中、辺りを警戒しつつ見回していた。
敷地内は、思った以上に広々としていた。所々植物やら蔦の浸蝕は見られるものの、崩壊するまでには至っていない。
敷地内にあった施設は小型ではあるものの、病院やら行政施設、ショッピングセンター、畑やら田んぼなど色々乱立してあった。まるでここが小さな農村のようだ。
混乱する中、二人を追って入った施設は、ガラス張りのドーム状のセレモニーホールだった。
他の施設より数倍以上も大きい。エントランスだけでも何百人以上は入るだろうか。
というより、こんな場所にこんな大規模な宗教施設があったなんて知らなかった。
引き篭もっていたんだし仕方がないかもしれないけれど。……それにしても。
「……人気が全く無いな。汚染されたゾンビも見当たらねぇ。ここまでくると気持ち悪いぞ」
「人気が無いっちゅーより、捨て去られたような感じやな。今は収まっとるけど、ザウロネスの汚染が酷かったんやろ。生物が生きることが出来ん程にな」
「……なんかすまん」
「なんで謝んねん。ほら行くで。さっさと見つけて保護せんと」
謝ってしまった俺を軽くあしらい、そそくさと先に進み、とある扉の前で立ち止まる。
「……メインホール?」
「みたいやな。……ん、でもチビッ子共の気配は無いな……」
警戒をしつつ中に入ると、そこは円形のすり鉢状の奇妙な空間だった。奥にある大きなステージには豪勢な献花台が備えられている。そこには赤い彼岸花がびっしりと供えられていて、それが特別だということを象徴しているようだった。
エントランスホールというより、まるで教会とか礼拝堂みたいな感じに思えた。まるで神様でも祀っているのではないかと思ってしまう程だ。
なんか場違いな気がしてソワソワしているのは致し方ないことだった。落ち着かない。
「うーわなんやこれ趣味悪っ! おいおい坊主、ここって確か死んだ人類を弔う場所なんやろ? 弔うというより崇め奉っとるやん。これでもかって程にガッチガチやし。これじゃ死んだ人間も恥ずかしゅーてまた蘇てまうで」
「いや、これは流石にやり過ぎだと思う……この人、よっぽど慕われてたんだろうな」
「そうかもしれんけど限度があるやろ限度が……」
そんなことを思いつつ、献花台に飾られているやけに馬鹿デカい女性の遺影を眺める。
麦わら帽子を被って、白いワンピース姿をしている。笑顔がとても爽やかで、幸せそうにほほ笑んでいた。中々に美人なこともあるけれど、不思議な魅力があった。
まるで、吸い込まれるようだ。……この人は、何者なのだろうか。
そんな俺をスルーする形で、ヴェネ公は献花台の辺りを注意深く見回す。
「ん? なぁボス……これってもしかして……」
『えぇ、間違いないデス。回収して貰っていいデスか。ここ周辺にも残滓が散らばってますね』
「りょーかい。他にも無いか確認しとくわ」
俺を置いといて、ヴェネ公は何かを手に取り、ナビであるアウルと何かを交信していた。
その手に持っていたのは、淡く光輝いている小さな鉱石だった。……なんだそれ。
「なぁ、何だよそれ」
「ん? あぁ、こっちの個人的な案件や。気にせんでええ」
「いや、気にすんなって言われても気になるんだけど……」
気になって聞いてみるものの、何故かはぐらかされてしまった。……なんだろう。余計気になってしまうんだけど。
なんか少し虚しい気分になったけれど、そんな流れを遮るように、遠くから犬がキャンキャン叫ぶ声が聞こえてきた。
「……おっ、なんや意外と近くに居ったみたいやな。直ぐ向かうで」
「お、おいちょっと待てって! もうちょっとその石の説明してくれよ! おーい!」
俺の質問を見事にスルーして、そそくさとその場を後にする。
納得はいかないものの、仕方なく続いて後に出る前に、ふともう一度謎の女性の遺影を眺める。……何故か、女性の表情がどこか儚げに見えた気がした。
※ ※
ホールから出て、ワンタンの声を頼りに先に進むと、そこには豪勢な祭壇が聳え立っていた。
その祭壇をただただボーっと見上げている波留君の周りを、ワンタンがキャンキャンと吠えながら周りを走り回っている。良かった、怪我とかもしていないみたいだ。
「おっ、居った居った。おーいチビッ子共大丈夫かー」
「ワン! ワンワンワン! ワンワン!」
「あ? 今はそっとしておけ? いやそんなこと言われてもやな……あぁ、そういうこと……」
声を掛けようとしたヴェネ公が、何かに気付いて苦笑いをする。
それが何を意味するのか、俺も祭壇を前にして察するのだった。
そこに掲げられていたのは、さっきセレモニーホールにあった女性の写真だ。
名前の欄に【望月楓】と記されているのが見えて、やっと把握する。この人、波留君の……。
「……お母さんか」
「……うん。ママだよ。みんなから女神さまって言われてた」
「……えっ? 女神様?」
ヴェネ公を差し置いて、近づいて波留君に話し掛けてみたはいいものの、返ってきた答えに思わず聞き返してしまった。……流石に女神様は想定外なんだけど。
「うん。女神さま。沢山の人にありがとーとか、ばんざーいとか、なんかよくわかんないこといわれてて、いっつもニコニコしてたの。なんかね、神様の生まれ変わりって言ってた」
「あー、なんかすごかったんだなお前のお母さん」
「ううん、凄くないよ。皆が勝手に言ってるだけって、ママ言ってた。ずっと疲れた疲れたって。全部ポイって捨ててここから逃げたいーって。神様なんて大嫌いって。死んじゃえばいいって。夜にずっと泣いてたもん」
「……お、おう……そうか……」
目を合わせずポツポツと語ったそれは、想像以上に混沌としていている上に闇を纏っていた。
当たり前だけど、反応に困る。俺でも分かった。これは、深く関わらない方がいい案件だ。いくら何でも闇が深すぎる。こんな小さな子が抱えていい問題じゃない。
そしてようやくこの施設が何なのか理解が出来た。
……ここは、波留君の母親を教祖として崇めている宗教団体の総本山だということに。
そして、見て分かるように、彼女は既に死んでいるということも。
どうしよう。容易に声なんて掛けるんじゃなかった。振り返ってヴェネ公に助けを求めようとしたものの、お手上げとばかりに目を逸らされる。……よし決めた。帰ったら今日はヴェネ公鍋にしよう。そうしよう。
「……お前も嫌いだったのか? そんなお母さんを」
「どうして?」
「え、いや、どうしてって言われても……」
「ママはママだよ? みんなに女神さまって言われてすごーいってなってるママも、嫌だ嫌だってずっと泣いてるママも、全部ママだもん。ぼくはママが大好きだし、ママも波留が大好きだったもん。どうして嫌いって思うの?」
「……そんなママ嫌だろ。女神様として勝手に崇められて、夜は後悔しながら泣いてるんだぜ? 母親らしいこと全然してねぇだろ」
「女神様のお仕事で忙しかったけど、ママは寝る前に絶対に絵本読んでくれたよ? お休みの日も、絶対に波留と遊んでくれたもん。パパも一緒にいろんな所行ったよ。遊園地も動物園も水族館も行った。お料理も頑張って作ってくれたもん。パパのお料理の方が美味しかったけど」
「……ママが好きなのは分かった。じゃあパパは何処だよ」
母親が、ここに居たということは分かったし、神様として崇められていたのも充分理解出来た。だけど気になることが。一方の父親が居たという証拠は全く見当たらなかった。
流石に気になってしまう。のだけれど、それを聞いた途端、純粋無垢な波留君の顔が暗くなり、影を落とすのだった。……えっ? 何その反応。
「……パパは、分かんない。ママと波留と一緒にここからバイバイしようとしたけど、パパは怖いおじさんたちにつかまっちゃったから。そこから見てないもん。パパ……どこだろう……」
「そ、そうか……パパは分かんない……か……」
……しまった。地雷踏んでしまった。踏み込んだらいけない一線を余裕で超えてしまった。
確実に、この子のトラウマほじくり返してしまった。泣きそうだ。涙腺決壊数秒前だ。
助け舟を出してくれと思いヴェネ公を鬼の形相で睨み付けるも、目を反らして口笛を吹いている。……こいつマジで後で覚えてろよ。
とはいえ、こうなってくると俺が出来ることなんて一つしかなかった。
こんな小さい子が、こんなでっかい闇抱えてるなんて想定していなかったのだから。
だとしたら、俺がするべきことなんて一つしかなかった。
「……なぁ、アウル。波留君の父親がどこにいるか予測できるのか?」
『データが足りないデスね。もう少し父親に関する詳細データを集めて貰えたら確率は上がるデスよ。生きているかどうかは別デスけどね』
「一言余計だけどまぁ、分かったよ……ヴェネ公、手伝って貰っていいか?」
「……別に構わんけどええんか? 個人のプライバシーに介入する覚悟出来とるんやろな?」
珍しく真面目な表情をして、ヴェネ公は訊ねてくる。……そんなこと言われなくても。
「……この子の親の行方探す時点でそんな覚悟は出来てるっての」
♭ ♭
所々崩れかけた幹線道路を、アメリカン・クルーザーをかっ飛ばして進んでゆく。
路面状況なんて関係ない。所々徘徊しているゾンビ共も蹴散らして、加速してゆく。
正直、とても心地よかった。色々あった有耶無耶な気持ちもきれいさっぱり流してくれる。
やっぱり車よりバイクだ。心地よさが本当に違う。
『フフフッ、楽しそうデスねジュリア。そんなに雑用が楽しいデスか』
鼻歌を口ずさんでいると、バイクに備え付けていたデバイスからそんな声が聞こえてくる。
「……バイク乗り回すのが楽しいだけよ。こうやって一人でブラブラするのも久々だし」
『なるほど、一人になりたかったと。ストレスたまっているんデスねー』
「誰のせいよ誰の。あんたは大人しくナビしなさい。次のポイントまで後どれくらいなの」
『そんなこと言わずに話し相手になって下さいよー。ずっと篭りきりなんで疲れてるんデスからー。あ、次の交差点を右デス。後三キロ程でポイントに着くデスよ』
「こっちだって疲れてるっての。はいはい、右ねー……」
アウルドルネの訴えはスルーして、スピードを少し緩めて言われるがまま交差点を曲がる。
それにしてもいい天気だった。暑い訳でもない上に、肌寒くもない。最高のツーリング日和だ。服もいつもの給仕服じゃなくって、久々に上下黒のライダーススーツに身を包んでいる。
ただ純粋に、ツーリングを楽しんでいた。
右も左も瓦礫やら廃墟やらの世紀末的状況じゃなかったらもっと最高だったのだけれど。
「……ねぇ、アキラの方はどうなの? 順調そう?」
『今の所順調デスかね。母親の安否は確認出来ましたし。今から父親の安否を確認しにいくみたいデスよ』
「生きてたの?」
『生きてたと思います?』
「……でしょうね」
『薄々感付いてたんじゃないデス? 趣味が悪いデスよー。あ、でもあの幼子の母親、神様だったみたいデスよ』
「……は? 何その冗談。笑えないんだけど」
『それが冗談じゃないんデスよねー。あ、証拠の写真見るデス?』
「いや、いいわ。何となく想像は出来るし」
神様と崇められている意味がちょっと理解出来なかったから気にはなったものの、深くは詮索しないでおこう。
関わったら、確実に面倒くさい奴だ。触れない方が良い。それが、あの子のためでもあるだろうし。……あいつは、そんな細かいこと考えずに突っ込んで後悔しているだろうけど。
そんな想像をしながら荒れ果てた道路を突っ走っていると、あっという間に目的地に着いた。
広々としたテーマパークだった。小高い丘を切りとる形で作られていて、色んなアトラクションやら所々崩れているものの、形はまだ八割くらい残っている。ランドマークであろう観覧車も、止まってはいるものの丘の上に聳え立っている。……のはいいけど。
「……こんなとこのどこにあんのよ。ラピスラズリ。まだ博物館とか銀行とか宝石店とか行った方がいいんじゃない? 確実に場違いじゃない」
『いや、そんなことはない筈デスよ? 反応はその先で間違いないみたいデスし』
「本当でしょうね?」
「本当デスって。嘘ついて何の得があるというのデス? ほら、時間は限られているのですから、早くいきましょう。ここから北に三百メートル進んだ先に、大きな反応があるんデスから」
「大きな反応って何か嫌な予感しかしないんだけど……」
何とも言えない不安感に苛まれつつも、行って確かめないことにはどうしようもないだろう。致し方なく割り切って、バイクを降りてヘルメットを脱ぎ、持参していた細長いガンケースの中身を開ける。
そこには、一丁のスナイパーライフルが眠っていた。幾千にも及ぶ戦場を渡り歩いてきた、大切な相棒だ。……ちょっとばかり魔改造されてしまっているけど。
「ねぇ、これ本当に大丈夫なんでしょうね? 確かに使い慣れた武器が良いって言ったけど」
「まだ疑うのデス? 心配しなくても、人が触れたら思考乗っ取られて暴走したりするようなカスタマイズは施してないデスよ。ザウロネスの技術をちょっとばかし応用したのデス。扱いう分には然程変わりはないデス」
「本当よね? なんかライフルにロケットランチャーとガトリング砲を混ぜたようなカオスな武器に仕上がってるんだけど」
「だいじょーぶデスって。ジュリアは意外と心配性デスよね。ストレスたまっちゃいますよ?」
「余計なお世話よ……まぁ、使ってはみるけど」
「安心してください。その防御ギアは、ジュリアが思っている以上に役に立つと思うデスよ」
それは、以前言っていた防衛ギアだった。元々私の所有物だったスナイパーライフルをモチーフとして、諸々のメンテナンスを行った結果、こんな悪魔合体した禍々しい物が出来上がったのだった。
正直、頼まなければ良かったと思った。まさかこんな魔改造を施されるとは。仕方なく割り切って、人の気配がないパーク内を歩き始める。そもそも、どうやって使えばいいのやら。
「……にしても、どこに行った所で人の気配がないのは変わらないわね。気味が悪いわ」
『確かに、なんともいえない違和感はあるデスね。ポイントからある程度離れているから、少しくらいは人間が存在していてもおかしくはないのデスがね』
「あんたでもそう思うのね。で、その違和感が何なのかは分かってるの?」
『分かっているように見えます? あ、次右デス』
「分かってたら何かしら対処するわよね……」
人の気配がないシンと静まり返っているテーマパーク程、気味が悪いものは無かった。当たり前ながら、電気系統などのライフラインは全滅している。
人の代わりに、ウイルスの感染している小型の動物達が徘徊してはいるものの、本当に人が見当たらない。まるで、人が何か別の物によって淘汰されたかのようだ。
……ナビをしている、こいつ以外の何かに。
『あ、その先に大きな反応があるデス』
「……えっ?」
アウルドルネの言葉を受けて立ち止まると、思わず聞き返してしまった。
それは、綺麗な青銅色に輝く巨大な時計台のようなモニュメントだった。
テーマパークの中央広場に聳え立っているそれは、軽く十メートル以上はあるだろうか。
多分、このパークのランドマーク的な役割を果たしているんだと思う。これ全体が、きっとラピスラズリで出来ているのだろう。
立派な時計台だった。きっと、人手賑わっていた頃は、さぞかし有名なデートスポットだったに違いない。……だけど、問題はそれじゃない。
その時計台の前に、謎の生命体がボーっと立ち尽くしていた。
一言で表すと、鉱石に乗っ取られた棒人間のようだった。
体長は五メートル以上。手足が枝のように細くて長い。頭部は幾つもの鉱石が折り重なってダイヤモンド状になっていてキラキラと乱反射している。どう考えても、普通の生物じゃない。
「……ねぇ、大きな反応って……これ?」
恐る恐る訊ねてみるものの、返事がない。困惑しているのがそれだけで分かった。
一方の謎の生命体はこっちに気付いている素振りは全く見せず、ただただ空をボーっと見上げていた。まるで、何かのお告げを待っているかのようにも見える。
喋ることは無い上に、敵対している様子も全くない。だからこそ、怖かった。何を考えていいるのか分からない。危害を加えていいのかも分からない。
そんな訳の分からない謎の生命体を前に、私はただ恐怖感に苛まれていた。
本能で理解している。こいつはヤバい。アウルドルネと同等かそれ以上に危険な生命体だ。
一歩でも動けば、私なんて微塵もなく殺される。そんな絶対的なオーラがとめどなく溢れ出ていた。言わずもがな、ラピスラズリの回収どころじゃなかった。
「……アウルドルネ。一旦ここから逃げるわよ。あれはヤバい。確実にヤバい。常軌を逸脱してる。どう足掻いても死ぬわ」
『……いいえ。ジュリア。これはチャンスデス。ほんの少しで良い、あの生命体から組織を剥ぎ取ってくださいデス』
「……はぁ? いやいや何言ってるのよ! 聞いてた!? どう考えても逃げるべきでしょ!」
『大丈夫デス。あれはまだ覚醒前デス。ただの監視役かと。動作が覚醒後より格段と落ちるデ
ス。こっちに気付いて攻撃を加える前に組織だけ剥ぎ取って逃げれば大丈夫デス』
「憶測で行動に移すのは愚の骨頂でしかないでしょ。……どうしたの、あんたらしくないわよ」
『仕方ないじゃないデスか。目の前に、故郷を滅ぼした元凶がボサッと立っているのデスから』
「確かにそうかもしれないけど……」
アウルドルネ自身の返答に、つい言い淀んでしまう。
目の敵が、無防備な状態で目の前に存在しているのだから、どうにかしてでも弱点を突き止
めたいのは致しかたない理由だった。
「……勝算はあるの? 確証もなく突っ込むのは流石に愚の骨頂でしかないと思うんだけど」
『大丈夫デスよ。そのための武器をあなたに与えたのデスから』
「いや、武器ってあんたこれ……どうやって使うのかもよく分かんないんだけど」
『大丈夫デス。あなたなら使いこなせる筈デス。それに、倒せという訳じゃなくって、敵を欺いてほんの少し構成組織を回収してくれればいいんデスから。それでも嫌というのでしたら無理強いはしません。。この後確実に後悔することになるデスけどね』
「……くっそ、好き勝手言って……」
ここまで言われると、何か癪に障った。どう考えてもここまで言われる筋合いはない。
「……分かったわよ、責任は取りなさいよね」
『分かりました。では、生きてかえってきてくれたあかつきには、あなたの要望を一つ叶えようではないデスか。どうです? 魅力的な提案だと思うのデスが』
「そこまでくるとただの脅し文句じゃないのよ……」
無茶苦茶だった。とはいえ、後には引けない。半ばやけになりつつ謎の生命体の前に覚悟を決め手立ち塞がる。手には、カスタマイズして貰った新型の武器を備えて。
「ったく、どうなってもしらないわよ!」
※ ※
「なぁ。坊主。本当にこの道で合っとるんよな?」
「多分な。ここしか道なかったし」
「いやこれ道やないやん、崩れてるとか舗装されてないとかそういう次元超えとるやんいって! ちょっ、頭ぶつかったんやけど! おい坊主!」
「うっせぇな! いいから黙っとけ! おい波留! あの風車に間違いないんだよな!」
「……うん。みたことあるよ。おうちの近くに、あれみたいなおっきいグルグルあったもん。波留覚えてるもん」
「いやこんなチビッ子の言う事なんかあてになるかいな! 坊主一旦落ち着けて!」
「ワンワン! ワンワンワンワン! ワン!」
「あぁ? ちびっこを馬鹿にすんな? まだ幼いけど記憶力は確かだ? いやそれとこれとは別問dいって! 噛みおったこいつ! やめ! やめい! 分かった! 分かったから!」
凄まじい勢いで揺れまくる車内は、それはもグチャグチャだった。
街中を抜けて、樹海化が進んでいる山道を突き進み、獣道に逸れた後、道なき道を絶賛爆走中なのだから。オフロードカーじゃなかったら確実に事故して大破してる。
だけど、そんなことどうでもいいとばかりに、アクセルを全開に吹かして進んでゆく。
そうなってしまうのも致し方ないだろう。何せ、この先には波留とその親が宗教団体にのめり込む前に住んでいた一軒家が存在している筈なのだから。
さっき、宗教団体の施設内にあった資料倉庫で個人テータを見つけたのだ。
それから約三時間。施設から百キロ以上は離れているものの、そんなの関係ないとばかりに爆走を続けている。脳内は色々な思いがゴチャゴチャしていて熱暴走の真っ最中だった。
正直言って今すぐ回れ右して家に帰って絵を描きたい。だけど、今この状態で絵を描いたところで納得できるものは描ける訳ない。これは波留のためでもあるし、俺のためでもあった。
正直いってここまで来たら意地でも見つけてやる。今は自分の身体のことなんてどうでもよかった。後でぶっ倒れようが死ななけりゃそれでいい。
「おじちゃん、大丈夫? 怖いお目目してるよ」
「あ? あぁー、大丈夫だよ。波留は気にすんな。もうちょいで着くからよ」
「いや、本当に大丈夫かいな坊主。目が血走っとるぞ。一旦落ち着いた方がええんちゃう?」
「大丈夫だっつってんだろ。いいから黙ってろ。別に周りに暴走してる化物共とか居ないだろ」
「確かに居らんけどやな……あっ、そこの角右……おいドリフトすな! 危なすぎるやろ!」
「あぁもう一々うっせぇなぁ! 時間短縮できてるんだからいいだろうがよ! てかナビはどうしたんだよ! さっきから全然反応ないじゃねぇかよ!」
「知らんがな! あぁそこの三叉路は真っ直ぐ……いや真っ直ぐゆーたやん! おい!」
「こっちの方が近い! ショートカットするぞ!」
「ワンワン! ワンワンワンワン! キャンキャンキャンキャン!」
「知らん道やのにショートカットもクソもあるかいな! 落ち着けて! てか少しスピード落とせ! 頼むから! チビッ子も乗っ取るんやぞ! ……って寝とるやないかい!」
ふいに助手席を見ると、本当にいつの間にか寝ていた。……こいつ、将来大物になるな。
「ヴェネ公! 目的地まで後何キロ!」
「あぁ? えーっと、三十キロや! この峠超えたら直ぐなんちゃうか!」
「うっしじゃあもうちょい飛ばすぞ捕まっとけ!」
「えっ、いやまだスピード上げるんか!? ちょ、マジで落ち着けって! おい! 聞いとるんかいな! おい! おいいいいいい!!」
「ワンワン! ワンワンワンワン!」
ヴェネ公とワンタンの制止をスルーして、更にアクセルペダルを踏んで加速した。
もうちょっとだ。もうちょっとで、この子の家が見える筈だ。モヤモヤも、もう少しで晴れる筈だ。急かす気持ちをどうにか抑えつつ、蔦や植物に浸蝕されてる道路を爆走する。
ここまできたらもうヤケクソだ。いけるところまでいってやる。
※ ※
「はぁ……はぁ……こ、ここ……だ、よな……」
「あ、あぁ……あっとるはず、やで……チビッ子が持っとる写真と……同じ風車映っとる……」
「クゥーン……」
峠を越えて、爆走を続けること約三十分。ようやく、ナビで示していた目的地に到着した。
俺を含めてヘトヘトになる中、息を整えて外に出ると、目の前には崖の上に聳え立つ木製のコテージがあった。
辺りは樹木やら蔦に浸蝕されて荒れ果てつつあるものの、広めの庭も整備されていて、コテージより高い位置に風車も設置されてある。
周りに人の気配は全くない。ただ、それ以上に目を奪われる光景があった。
「……へぇ、無茶苦茶綺麗やん。景色」
「……あぁ、そうだな。しばらくボーっと眺めてたい程だよ」
広大な大海原が広がっていた。
遠くでカモメが鳴いていて、波が打ち付ける音が定期的に届く。どこまでも広がっていそうな、海が、一面に広がっている。時折吹く突風が、心地よい潮を運んでいる。
あんなにギャーギャーうるさかったヴェネ公も、素直に感想を述べてしまう程に、そこから見える景色は壮大だった。
「ワン! ワンワン!」
いつの間にか外に出ていたワンタンも、何故か分からないけど元気一杯走り回っていた。どうした。情緒不安定なのか。
ともあれ、今すぐ、コテージと風車をバックに絵を描きたい衝動に苛まれるのは言うまでもなかった。せめてスケッチブックくらい持ってくればよかった。
そんな邪念は振り払いつつ、波留から預かっている写真をポケットから取り出して、景色があっているかどうかをよく確認する。
風車の位置、庭の位置や生垣の形、色々と見比べてみた所、どうやらこの場所で間違っていないようには見える。
「……おうちだ」
「うおっ、ビックリした。起きたんだったら言えっての……」
確認をしていると、急に横から声がした。車内で寝てた筈の波留がいつのまにか横に居た。
宗教団体施設の時のように、急に走り出したりするような素振りは無い。
何かを感慨深げるように、ただボーっと見つめていた。……どうしたんだろうか。
「どないしたんやチビッ子。トイレか?」
「……わふ?」
ヴェネ公は置いといて、ワンタンもその様子が気になったのか。テクテクと近付いてきて、前足を膝に乗っかって波留の顔を眺めている。
「……波留。ここ、お前の家なんだよな?」
「うん。そうだよ。本当のおうち。居なくなる前のパパと、神様になる前のママと一緒にいた」
ポツリと告げて、膝に足を乗っけていたワンタンをのけて、テクテクと家へと近付き、扉の前で立ち止まる。
「ん? やっぱ鍵閉まっとるな。チビッ子、鍵とか……あっ」
ヴェネ公がガチャガチャとドアノブを弄っていると、思いっきり壊した。
「おい、ヴェネ公。人の家の鍵ぶち壊してんじゃねぇよ」
「いやいやいやいや! 勝手に壊れたんやて! わいのせいやない! 老朽化や老朽化!」
「ワンワン! ワンワンワンワン!」
「いやだからそんなんやないて! あっ、ちょっ、チビッ子!?」
想定外で慌てふためくヴェネ公を差し置いて、いつの間にか波留がそそくさと家の中へと消えていった。
慌てて続いて中に入ると、広がっていたのは、吹き抜けの広々としたエントランスホールだった。俺の家よりかはこじんまりとしてはいる上に植物やら埃まみれではあるものの、北欧のアンティーク家具を基調とした洒落た空間だった。
対面式のダイニングキッチンに、革張りのソファに、ローテーブルに四十インチ以上の薄型テレビ、観葉植物や、知らない絵が飾られた額縁やら、色々と揃っている。
どこにでもある、一般家庭のありふれたエントランスだ。
そんなエントランスを前に、ふいにある映像が脳内にフラッシュバックする。
父親と母親、小さな子供が楽しそうに団欒を囲んでいる、幸せそうな光景が。
……きっと、本当に幸せだったのだろう。その残滓が油汚れのようにこびれ付いていた。
「おーい、チビッ子―! どこやー!」
「ワン! ワンワンワン!」
ボーっとしていた俺を差し置いて、ヴェネ公とワンタンは室内を色々と散策し始める。
少し遅れて俺も探し始めると、リビングにある大きな窓が開いていて、そこから風が漏れていることに気が付いた。
外には芝生が敷き詰められた広大な庭が広がっていて、手作りの木製のブランコや蔦まみれの長テーブルやベンチ、特製のピザ窯や荒れ放題緒の花畑があった。
周りには様々な樹木が植えられていて、鬱蒼と生い茂るジャングルのようになっている。そんな中、奥の方に特徴的なクルックルの天然パーマの子供の姿が目に入った。
……間違いない。波留だ。
「波留!」
良かった。そんなに遠くに行ってなかった。ホッと一安心して慌てて庭に出て奥に向かう。
だけど、一つ気が付いたことがあって思わず立ち止まる。
波留の前に、手製の墓があった。そして、その前に波留以外の何かが倒れていた。
……えっ? これは……?
「おい、どないした坊主! チビッ子見つかったんか!?」
「ワン! ワンワンワンワン!」
「いや、見つかったけど……」
困惑していると、後から気付いたヴェネ公とワンタンが駆け寄ってくるものの、同じように立ち止まった。ワンタンでさえ、何かを察して吠えるのを止めて様子見をしている。
「……波留? 大丈夫か?」
声を掛けてみたものの、反応が無い。ただボーっと、目の前の墓と、墓の前で倒れている何かを見つめていた。恐る恐る近づいてみて、その倒れている何かを確認する。
一言でいうと、人間ではなかった。人間だったけど、ウイルスに感染してゾンビになってしまった人間の成れの果て。その息絶えた姿だった。
予測ではあるけど、感染して苦しんで、意識が混濁する中、どうにかこの墓の前まで辿り着いて、そこで息絶えたかのように見える。
感染して、白目を剥いているものの、どうにか意識を持っていかれない様に耐えて、歯を区縛っていたのか。口元と目から血が滲んだ跡もあった。
その死体を、波留は怖がることも泣き出すこともせずに、ただ黙って見つめていた。
正しく、異様とも言えるその光景を見て、正しく困惑していた。子供の考えていることは正直言って分からないし、理解も出来ない。
魂を抜かれたかのように茫然としている波留を前に、不安そうにワンタンがトコトコと近付いて周囲をウロウロと徘徊している。理解は出来ないけど……ん? いや、もしかして……。
「……波留、そこにいるのってもしかして……パパか?」
もしかしなくても、そんな気しかしなかった。
多分。この墓は、ママの墓だろう。恐らくだけど、パパの手作りだと思う。
……そうくると、自ずと答えは出ていた。
俺の問いに、波留は何も答えず黙ったままだ。そして沈黙の後、小さくコクンと頷いた。
……やっぱりだった。そしてどうしよう。どう声を掛けるべきか。
正直、こんな展開あんまりだった。母親は自ら命を絶ち、宗教団体を抜けた父親も後をおうように感染して死亡。小さな子供に課すにしては重すぎる運命だった。あまりにも酷すぎる。
今まで感じたことのないような重苦しい空気が、辺りに充満する。
しばらくの間何も出来ないまま時間だけが無情にも過ぎてゆく。
数時間後、古城に帰るまで一言もしゃべらなかったのは言うまでもなかった。
※ ※
アトリエに戻って、キャンパスと向き合ってみるものの、見事に何も描けなかった。
筆に手を取ってみるものの、脳内の整理が全くもってついていないでいる。
集中が出来ない。脳内が色々とゴチャゴチャしている。こんな状況で絵なんて描ける訳なかった。諦めてフ―ッと一息吐いて、筆とパレットを机に置いて項垂れる。
「くっそ、人のいざこざに関わるとろくなことねぇな……」
正しくその一言に尽きる。むっちゃくちゃ後悔していた。
一方のその原因はというと、帰ってきてからというものの部屋にずっと引き篭もっている。
話し掛けようにも一言も口を開いてくれないし。というより、どう話しかけたらいいのかも分からない。むしろ、ジュリア以上にややこしい過去だったし。
……こればかりはどうすればいいのかさっぱりだった。何も思い浮かばない。
とはいえ、これだけは理解出来る。このままにしておくわけにはいかない。俺のためでもあるけれど、波留のためにもならない。
波留がこれから生きていく上で、この問題は無視するわけにはいかなかった。
「……だーめだ。今まで以上に何も思い浮かばん」
自分のことで精一杯だというのに、他人の問題となると最早論外だった。
気分を変えようと思い、席を立つ。レコードを変えるついでにコーヒーで淹れ直そう……。
「ワン!」
「うおぅ!? びっくりしたぁ! いつの間に居たんだよワンタン……」
「ちょっと前から居ったでー。アチッ、ちょっと坊主―、舌火傷してもうたやないかー」
振り返るといつの間にか居たワンタンが俺に飛びついてきた。ヴェネ公も同じく、勝手にコーヒーを淹れて舌を火傷してしまっている。全く、毎回毎回俺を驚かすのは本当に勘弁して欲しい。
「いや、火傷は自業自得だろ……てか何だよ。ただでさえ時間が惜しいんだからよ」
「なに冗談抜かしてるんや。……ボスが呼んどる。チビッ子の処遇についてらしいで」
※ ※
「どーもどーもお疲れ様デス。いやー、心底テンション下がってるデスねー。今は放って置いて欲しいって顔に出てるデスよ? 大丈夫デスー?」
アトリエを抜けて階段を降りると、俺の精神状態なんてどうでもいいとばかりに、アウルはにこやかな笑みで寛いでいた。……こいつ、こっちの苦労なんて知りもせずに。
「……大丈夫そうに見えるんだったら眼科いけよ。こちとら面倒くせぇことに足突っ込んで心底かったるいってのによ……」
「はっはっはっ、冗談デスよ冗談。そちらの様子はリアルタイムで視認していましたし、ハルの事情も把握してるデスよ。とはいえ、困ったことになったデスね」
「他人事にも程があるだろふざけんな。てか途中からナビにも出なかったじゃねぇかよ。何してたんだよ」
「こちらも別件で調査しなければいけないことがあったんデスよ。通信が出来なかったことに関しては謝るデス。申し訳ない」
「あ? 別件? それって緊急の案件なのかよ。てかジュリアも見当たらねぇんだけど」
「えぇ。緊急の案件デスね。ジュリアにも手伝ってもらってるんデスよ。でも、安心してください。あなたはハルのことに専念してくださって大丈夫なので」
「あ? それって大丈夫なのかよ?」
「えぇ。大丈夫デス。余計なことを考えた所であなたに解決できる問題じゃないデスし」
アウルの声が、全くもって大丈夫じゃなかったのは明白だった。目がマジだ。マジすぎる。
確実に、ヤバいことが起こっている。多分、俺が関わったら余計に拗れるレベルの奴だ。
言葉にはしないけれど、関わらない方が俺のためだということもよく理解出来た。
……どうしてこんなにひた隠しているのか気にはなるけれど。
「まぁ、お前がそう言うんだったら気にはしないけどだな。正直言って、波留のことどうするか真面目に考えないといけないし」
「その調子デスよ。ちなみに、妙案は何かあるのデス?」
「あったらとっくにどうにかしてるだろ……もうあいつが閉じこもって一日近く経ってるんだぞ? 引き篭もりニートの息子を持つ親の気持ちが分かった気がするよ……」
「でも、これ以上時間を掛けるのは愚策だと思うデスよ。早急に認めさせるべきデス。……彼の親は、既にこの世には存在しないということを」
「分かってるっての。分かってるけど……」
どうすればいいのか、俺には分からなかった。なにせ、相手はまだ年端のいかない子供なのだから。子供に、現実を理解させる方法なんて、全くもって思い浮かばなった。
ただでさえ、子供の考えていることなんて全くもって分からないというのに。
「どう接すればいいのか分からない、デスか? 考え過ぎても意味なんてないデスよ。どんな事象であれ、トライアンドエラーが大事デス。考えるより、まずは行動に移すべきデス」
「……お前なぁ、他人事だと思って適当なこと抜かしてんじゃねぇっての。それ言うためにわざわざ呼び出したのかよ」
「そんなことないデスよ。最近あんまり話せてなかったんで、ちょっと心配になっただけデス」
「なんだよその理由……」
責任が無さ過ぎて怒りどころか情けなくなった。
とはいえ、考え過ぎても仕方ないのは一理ある。ただでさえ時間が無いのだし。
大きく溜め息を吐いて、波留が引き篭もっている部屋へと向かうことにする。
何も案は浮かんでない。浮かんではないけど。当たって砕ければいいか。
「ヴァルハラ、そんなあなたにヒントを一つ与えておくデス。……子供は、あなたが思っている以上に素直な生物なのデスよ。考えあぐねるだけ時間の無駄デス」
「なんだその役に立ちそうで立たなそうな情報。参考にはするけどだな……てか、俺よりお前の方が無理してないか? 俺以上に余裕が無いように見えるぞ」
「大丈夫デスよ。あなたはあなた自身のことを心配してください。……体はもう限界に達しているんじゃないんですか?」
「……うるせぇっての」
見事に見透かされて、素直に返す言葉が思い浮かばなかった。
正直言って、身体はもう限界に近かった。多分、さっきまで無理してはしゃいだつけが回ってきたのだろう。全体的に身体が重い上に、頭が痛いしクラクラする上に目まいも耳鳴りも酷い。少しでも気を抜けば、倒れてしまいそうな程だった。
だけど、倒れるわけにもいかない。そんな意地だけが、俺を突き動かしていた。
「……まだ死んでられるかよ。這い蹲ってでも生きてやる」
「おっ、その意気デスね。応援だけはするデスよ」
「だからお前も死ぬな。死を覚悟したみたいな顔してるぞ。どんだけヤバいこと隠してんだか」
「……さぁ? 何のことやらさっぱりデスね。考え過ぎじゃないデスか?」
気になっていたことを問い詰めてみると、見事にシレッと返された。……全く。こいつは。
「結局、どうするか決めたんですか?」
「決まってんだろ。あたって砕けてくるだけだ」
それだけ告げて、俺はとある場所へと一直線に向かう。……波留が閉じこもっている部屋だ。
一つ深呼吸をして、両頬を叩く。そして、思いっきり扉を蹴り破った。
「……えっ? おじ、さん?」
目の前には、部屋の隅で体育座りでキョトンとこっちを見ている小さな姿があった。
……しばらく食べてないからか。少しだけやつれてるように見える。
だけど、だからどうしたというんだ。心を鬼にしてズカズカと室内に入り込む。
そして、目の前で立ち止まって手を差し出した。
「……立て。ちょっとドライブするぞ」
♭ ♭
「……本当に良かったの? 最後まであいつに真実を言わなくて」
あいつが波留君を連行する形で強制ドライブへと出かけたことを確認して、キッチンの陰から出る。どうやらバレなかったらしい。
「……えぇ。いいんデス。言わないと決めたのは、私自身なのデスから」
そこには、満足はしつつもどこか悲し気に遠くを見つめる侵略者の姿があった。
……らしくない。この星を絶望に陥れた張本人が、一人のちっぽけな人間を思いやるなんて。
「顔とセリフが全然合ってないんだけど」
「……いいんデスよ。これで。口は悪いですし自己中心的で我が儘ではあれど、心は優しい彼の事です。このことを話してしまうと、確実に全部背負って無理をしてでも解決しようとするじゃないデスか。全部スッキリさせないと、良い絵が描けないとかそんな理由で。それだと本末転倒過ぎるデス。……彼には、彼自身の目的を優先すべきデス。残された時間はわずかなのに、後悔を残してこの世から去ってほしくないデスし、彼自身もそれは望んでいないデスから」
どこか自分を無理矢理納得させているかのような口振りには聞こえるものの、その言葉に嘘偽りは無かった。
そして、私自身も同意見だった。……この真実を伝えてしまうと、確実に絵を描く所じゃなくなるだろうから。何せ。……この星の存亡にも関わってくることなのだから。
「……で、何か用デス? 頼んでいたものはもう終わったのデス?」
「えぇ、終わったわよ。とっくに。……あまり芳しくないデータしか取れなかったけどね」
元々の目的を思い出して、ポケットに入れていたデータチップを彼女に渡した。
ラボで行っていた実験の検証結果が、その中には入っている。
「……被検体の様子はどうデス?」
「別に、何も変わりはないわよ。色々刺激与えてみてるけど、反応自体が無いもの。生きているのかどうかも分からないわよ。全身が岩で出来てるから判別も出来ないし」
「なるほど……被験体自体に宿っていた魂はとっくに抜かれていてもぬけの殻になっている可能性は高いデス。ただの自立式の人形のようなものデスかね」
「……はぁ? 魂ってあんたそれ本気で言ってんの?」
「推測でしかないデスよ。でも、そのデータを確認すれば自ずと判明する事実デスけどね」
正直何言っているのか理解に苦しんでいた。そもそも、その被験体自体の正体もまだよく分からないでいる。
なにせ、見た目は謎の鉱石で構築されたゴツゴツしたゴーレムなのだから。
誰が作ったのか、何のために作ったのか、どうしてこの星に存在しているのか。
遭遇して迎撃して捕縛した後、造譲獣達を使役してラボに持ち帰ってからというものの、簡単にではあるけど色々聞いたはいいものの、まだ信じられないでいた。
「……さて、私はそろそろラボに戻って分析の続きをするとしましょうかね。タイムリミットがくるまでに、なるべく解析を進めておかないと」
「ねぇ。……本当に、その被験体が原因で、地球が滅亡してしまう可能性があるの?」
どうしても気掛かりだったことを訊ねると、彼女の動きが止まり、振り向く。
「……滅亡しますよ。でも、それは簡単にさせないデス。誰でもない、私自身の責務を全うしてでも、防いで見せます。それが自分のためでもあって、あの偏屈な重病人のためにでもなるのですから。そのためにはまだ準備が必要です。あなたには、もう少し手伝って貰うデスよ」
「そんなにヤバいんだ。あんたが、本腰入れて研究に没頭してしまうくらいに」
「ジュリアが思っている何十倍以上もヤバいと思ってくれたらいいデスかね」
「……あんた、死ぬ気でしょ」
「愚問デス。ヴァルハラも、死ぬ気で絵を描いているんデス。いつ死ぬか分からない不安に苛まれながらも、絵を描き続けている。だとしたら、私も命を賭けるべきだと思うんデスよ。そうじゃないと、彼に失礼だと思いますし。ジュリアはそう思わないデス?」
その返事は、すぐに返すことが出来なかった。
素直に驚いていたからだ。彼女らしからぬ思いやりが見えたからかもしれない。
彼女にも、まだ心が残っていたといことか。
「……そうね。邪魔してごめんなさい」
「では、私は戻りますね。また何かあったら呼びます」
そう告げて、彼女はラボへと後にする。後ろ姿を見て、私はつくづくこう思うのだった。
……アキラも、アウルドルネも。命を削ってでも一つのことを成し遂げようとしている。
あのチビッ子でさえも、酷過ぎる境遇を目の当たりにしても、必死に生きようとしている。
きっと、ヴェネティもそうだ。飄々としているものの、きっと色々と考えを巡らしている筈だ。多分、ワンタンもだろう。犬だから何考えているのかさっぱり分からないけど。
だからこそ、私には何も無かった。何もかもを失った私に、何ができるのだろうか。
答えはまだ見つからない。見つからないまま、一人になったエントランスで、椅子に座って天井を眺める。
「……私、思った以上に何もないな……」
出てきたのは、そんなどうでもいい独白だった。何もない。考えるだけ、時間の無駄だ。
だけど、後悔だけはしたくない。後悔だけは。そんなことを思いつつ、外の景色を眺める。
……やるしかない。私にも何かできる筈だ。なぜか、少しだけ気が楽になった気っがした。
※ ※
車内は、凄まじく重苦しい空気が流れていた。
原因は分かっている。十中八九俺だ。有無言わさず無理矢理波留を連れ出して車に乗せたせいか、見事に怯え切っているのだから。
喋ろうともしない上に、こっちを見ようともしない。それどころか今にも泣き出しそうだ。
でも、そんなの全く関係ない。というより、余裕が全く無かった。具合が悪すぎる。
全身をぶっ刺すような痛みと、倦怠感と目まいがとにかく酷い。まっとうな思考が出来ないでいる。今にもぶっ倒れてしまいそうだったけれど、歯を食いしばって、運転を続けていた。
最早、どうしたいとかどこに行きたいとか何を喋ればいいとかそういう世迷い事は関係ない。
ただ俺は、俺の自己満足のために突き進むだけだった。
「……おじさん」
「ケホッ……なんだよ」
「……おじさんは、ハルのこと、きらい?」
「どうしてそうなる。一言も、そんなこと言ってねぇだろ」
「だって、ハルのこときらいな顔しているもん。近所のおばちゃんも、おじちゃんも、セレモニアの人たちも、ハルのこときらいとかじゃまって言ってた。きらいって顔してたもん。だから、おじさんもきらいなの? ハルのこと、じゃまなの? ……おじさんも、ハルを捨てるの?」
その言葉に、すぐに返答することは出来なかった。邪魔ではない。捨てるなんて言語道断だ。
ただ、煮えくり返っていた。怒りの感情が、心の中でぐつぐつと煮えたぎっている。
こいつが背負っている業が酷過ぎるということもある。だけどそれ以上に何も助けにもなれない俺自身に腹が立っていた。……他人を思いやる余裕なんて無いというのに。
問いに答えることはせず、その怒りを動力源に変えて、更にアクセルを踏んで加速させる。
その後、一切の会話は無く、車は寂れた山間の道を突き進んでゆく。林道の間から差し込む木洩れ日が、スポットライトのように照らしていた。
導かれるように車は峠を越えて、下り坂へと差し掛かり、三叉路へと差し掛かり、道幅の細い獣道へと逸れて更に進む。
そして、道なき道を突き進んでゆくと、ようやく目の前に目的地に到着した。
車を適当に止めて、一つ大きく息を吐いてシートベルトを外す。
「……着いたぞ」
「……ここ、どこ?」
「……俺の、お気に入りの場所だ」
それだけ告げて、先に車を降りる。
そこに広がっていたのは、広大な湖畔だった。
当然ながら誰も居ない。いつもなら小鳥の囀りやら虫の鳴き声やらが聞こえてくるのだけれど、今となってはそれも聞こえない。
鬱蒼とした林に囲まれている上にそこへと続く道路自体が舗装されていないからか、近づかないとこの場所に気付くことは出来ない。
数年前、いい作品が出来ずにむしゃくしゃして、やみくもにドライブをしている中偶然見つけた時から、何か嫌なことがあったら車をかっ飛ばしてここに来るようにしている。
まさしく、俺だけが知っている秘密の隠れ家だった。
よかった。そこまで被害は出ていなかったのは嬉しい誤算だった。
空気も澄んでいる上に、誰も邪魔してこない。目の前に広がる壮大な大自然を目の当たりにして、俺に続いて車を降りたハルも、言葉を失ってしばらくボーっと見入っていた。
「……こっちだ」
立ち尽くしているハルに声を掛けて、伸び放題の雑草群を掻い潜って、畔へと進んでゆく。
少し進むと、ボロボロの桟橋と、コテージのような建物が目に入った。
そこに置いてある二人掛けの木製ブランコに腰掛けると、後を追ってハルもチョコンと隣に座ってくる。まだ怯えているらしい。間を開けて、離れて座っている。
しばらく、そこから見える湖畔の景色をただ眺めるだけの時間が過ぎてゆく。
それだけで、ささくれていた心が洗われるような感覚だった。とても心地いい。
最悪だった体調も、なんとなく良くなった気がする。
……それはさておき、どうするべきか。正直言って、アウルに乗せられて、その場のノリと勢いだけでここまで連れてきてしまった。
波留のことをどうにかしないととは思っていた。思っていたものの、良い対処法なんて全く思いついていなかった。
結果、何とも言えない沈黙が充満していた。……どうしよう、変な汗まで出てきた。
「……おじさん。ありがとう。ここに連れてきてくれて」
どうするべきか色々焦っていると、黙っていた波留からまさかの話を掛けてきた。
驚いて振り向くと、いつの間にか怯えた表情は無くなっていて、クリっとした大きな目でこっちを見つめていた。
……この景色を目の当たりにして、少しは落ち着いたといったところだろうか。
「お、おう。……落ち込んだ時は大自然の中でマイナスイオンを浴びるに限るからな。むしゃくしゃした時とかここに来るとまっさらな気持ちになれるんだよ」
「おじさんはなんか不思議だね。こわいけど、やさしいんだね。……でも、大丈夫だよ。ハルは大丈夫だよ。ハルは、強い子だから。パパも、ママも言ってたもん。ハルは強い子だから、どんなことがあってもがんばって生きていきなさいって……だから、大丈夫。ハルは大丈夫だよ。頑張らないと、パパとママに怒られちゃうもん」
「……そうかよ」
自分に言い聞かせるように、波留は呟く。まるでそれは呪文のようだった。
無理やり自分を奮い立たせて、他人に心配を掛けないように、笑みをこっちに向けている。
それだけで、こいつが背負っている禍々しい物の大きさが垣間見えた。
当然ながら、気分が悪い。本当に、こんな小さい子供に背負わせるようなものンじゃない。
当たり前のように受け止めて、自分自身を押し殺しているこいつ自身にもイラッとした。
「……なぁ、波留。聞きたいことがあったんだけどよ。お前、どうしてあのショッピングモールで倒れてたんだよ。しかもワンタンと一緒によ」
「パパと一緒に、買い物に来てたの。でも、ドーンって大きな音して、バーッてなんか降ってきて、みんながおかしくなっちゃった」
「え、パパと来てたのかよ」
「うん。あそこでたくさん色々買って、ママの所行って、一緒に逃げるつもりだったの」
「……あ? 一緒に?」
「うん。パパ言ってたよ。ママと一緒に、ずーっと遠くに逃げようって言ってた」
知らなかった真相を知って、絶句してしまった。何だよそれ……。
「なぁ、だったらどうして俺が見つけた時、パパ居なかったんだよ」
「パパとはぐれっちゃったの。お店の中でワーってなっちゃって、ハルも怪我しちゃったんだけど、ワンタンが助けてくれたんだ」
「……ママは、自由に行動出来なかったのか?」
「ママは神様だもん。勝手に出たら神様じゃなくなっちゃうって言ってた」
「……神様じゃなくなっちゃう? なんだそりゃ」
「近くに居たおじちゃんとかおばちゃんが言ってたの。だから、おっきな部屋から出れなくてずっと一人ぼっちだった。おじちゃんたちからいいよーって言われないと、会えなかったもん」
「あー、そういうこと……パパは、我慢できなかったんだな」
「うん。それに、ママの誕生日だったの。ずっと遠くに逃げて、パーティーしようってパパ言ってた。久しぶりだったから楽しみにしてたの……だけど……うん……」
俺の質問に、色々と思いだしたのだろうか。少し寂しそうな笑みを浮かべて、尻すぼみに声が小さく鳴って、落ち込むように目を伏せる。
その姿を見て、見事に心が締め付けられたのは言うまでもなかった。
ママと会えることを楽しみにしていたのだろう。パパと一緒に、楽しくプレゼントを選んでいた姿が目に見えて映る。……波留と逸れた父親も、必死になって探していたのだろう。
その後、感染してゾンビになってしまった後、意識を乗っ取られつつも、波留と住んでいた家に辿り着いて、そこで息絶えてしまったのだろう。
……最後まで、きっと波留に逢いたかったに違いない。母親に逢いたかったに違いない。
その母親も、神として崇められつつ死んでしまっていた。
……聞かなければよかった。本当に聞かなければ良かった。
どうして、赤の他人なのにこんなに心を締め付けなければいけないんだ。俺には関係ない。俺は、絵を描ければいい。……描ければいい……んだけれど。
「……波留。お前、これからどうしたいんだ? パパもママも、もう居ないんだろ」
締め付けられる心をどうにか落ち着かせ、一番聞きたかったことを聞いたはいいものの、すぐには答えてくれなかった。
何かを考えているのだろうか。何かを悩んでいるのだろうか。まだ、踏ん切りがついていないのだろうか。はたまた、俺の危惧していたとおり、死ぬつもりだったのだろうか。
どちらにせよ、はっきりしておかないといけない。こいつの、未来に関することなのだから。
どれだけの沈黙が、流れただろうか。
よく分からない鳥の鳴き声が、湖畔に反響する。ブランコが風で軋む音が、ギシギシと聞こえる。ただ、それだけの緩やかな時間が流れていた。
そして、やっと決断したのか。顔を上げて、こっちを覗く。
「……おじさん、ハルね、何がしたいのかまだわかんないや」
「……はぁ? 分からないってどういう……」
「ハルね、パパとママと会えたら、それだけでよかった。だけど、もう会えないって知っちゃったから、もうわかんなくなっちゃった。お部屋の中でずーっと考えてたけど、なにもわかんなかった。……だからね、ハルわかったの。わかんなくってもいいやって」
「……どういうことだよ」
「わかんないのはわかんないもん。なんかつかれちゃった。だから、かんがえるのやめたの」
「……それが、お前の出した答えなのか?」
「うん。たぶん、パパもママもそうしたらいいっていうとおもう。……それに、いまはわかんなくっても、生きていたら、何かしたいかもわかってくるかなって」
はきはきと答えたその言葉に、嘘偽りはなかった。
とはいえ、答えというより、ただ考えるのを辞めただけないかとも思ってしまった。
それでいいのだろうか。答えを先延ばしにしているだけじゃないかとも思ってしまった。
だけど、それと同時に、こいつらしい答えとも思った。なにせ、その決断した顔が、どこか憑き物が取れたかのようにすっきりしていたのだから。
きっと、波留なりに、考えて考え抜いたのだろう。……だとしたら、俺は。
「……そうかよ。お前がそう言うんだったら、それでいいか。じゃあ、どうする。今はまだ、仮で住まわせてやってるだけに過ぎないんだけど……このまま、俺の家に居てももいいんだぞ。お前がそれを望むなら、だけどな」
「……ほんとう? いいの? めいわくじゃない……? おじさんも、ジュリアねぇちゃんも、ヴェネッちも……アウルねぇちゃんも」
「迷惑じゃねぇよ。てかもう諦めた。それに、俺は絵を描ければいい」
「やった! じゃあ、みんな家族だね!」
「……家族?」
「うん! 家族だよ! 家族! いまから、おじさんとハルは家族だね! やったぁ!」
「……そうか、家族……か」
家族という言葉に、どこかもどかしさとこっ恥ずかしさと温かさを覚える。
その言葉に、全くもって縁が無かったからだろうか。少しだけ嬉しさもあった。
嬉しそうに笑みを浮かべて抱き付くハルを見たからかもしれない。……全く。俺もちょろくなってしまったらしい。でも一番嬉しいのは、こいつ自身の問題がどうにか解決したことだ。
これで、懸念材料もきれいさっぱりなくなった。絵をかくことに集中できる。
そう思うと、少しだけ心も晴れやかになった。
ワクワクしてきて、インスピレーションも続々と湧きあがってくる。
「……よし、そうと決まればさっさと帰るぞ。飯だ飯」
「うん! ハル、オムライスがいい!」
「おう、オムライスか……ジュリアに頼むか」
「やったー!」
純粋に喜ぶ波留に、俺も素直に笑みが零れた。……家族か。いいかもしれないな。その響き。
よし、帰って頑張るか。これならいい作品が描けそうかも。
「成程、いいね。いいよその展開。心の無い青年が、純粋無垢な少年を心を通わせて、失っていた大切なものを思い出す。いやぁ、素晴らしい。素晴らしいよ本当に。最大級の賛辞を贈ろうじゃないか」
そしていつの間にか、俺達の目の前には見知らぬ男が拍手をしながら立ち尽くしていた。
腰まで伸びた黒髪で、上半身裸のムッキムキのハーフ顔の男だ。
当たり前ながら、知らない男だった。……誰だこいつは。
「……お兄さん、だれ?」
「なんで俺はおじさんでそいつはお兄さんなんだよ……誰だ。いつからここに居た」
「あぁ、ごめんね。……僕は、イヴァンさ。ずっと昔から、ここらへんに居たんだよ」
「……ずっと? ずっとってどういうことだよ」
「ははは、そのままの意味だ。君がこの世に生を産まれたずっと前から存在しているんだ」
「いや、はぐらかされても……」
爽やかな笑みを浮かべているイヴァンとやらを前にして、正直言って疑心暗鬼になっていた。
波留も、いきなり現れた謎の男を警戒しているらしい。いつの間にか俺の後ろに隠れて怯えている。……怪しすぎる。こいつ、マジで何者だ。
「なぁ、おい。お前マジで誰だよ……てか、どうしてゾンビ化してないんだ」
「ん? それは愚問だね。だって僕は……」
「はぁ……はぁ……アキラ! 間に合った……」
瞬間、後ろから聞き覚えのある声がした。……ジュリアだ。息を乱して、必死の形相でこっちを捉えていた。そして、謎の武器を構えて俺達に銃口を向けている。
「あ、どうしたんだよジュリア……」
「いいから……いいから早くそいつから離れなさい!」
「はぁ!? いやだからきちんと説明しろって!」
「いいから! 離れなさい! そいつは、アウルドルネの故郷を滅ぼした元凶よ!」
「……は?」
意味が分からなかった。だけど、それと同時に、胸元辺りに鋭利な衝撃が走る。
……心臓の部分を鉱石で出来た刃で、貫かれていた。
一瞬で、意識が遠のく。どういうことなのか分からず、その場に倒れ込む。
「……そこの女性の言う通りだよ。僕は、この星を支配する存在だ」
倒れ込んだ俺を覗き込むように、いきなり現れたイヴァンは告げる。
段々と、声が遠くなる。返事が出来ない。息が出来ない。身体から何もかもが奪い取られてゆく。死ぬ。その事実だけが、俺の脳を猛スピードを駆け巡る。
嫌だ。まだ死にたくない。まだ、絵を描けていないのに、死にたくない。
抗いたいのに、抗えない。これが、死だった。
色んな声が、遠くなる。もがく力も無くなる。
最後に見えたのは、泣き叫ぶジュリアと波留の姿だった。
♭ ♭
「おじさん! おじさん!! ねぇ! 起きてよ! おじさん!」
絶望。正しくそうとしか言えない状況が、目の前で繰り広げられていた。
アウルドルネ以上に警戒すべき生命体が、一番守らなければいけない対象の心臓を貫いていたのだから。そんな彼を、返り血で血塗れになっている波留が半泣きの状況で体を揺さぶっている。そんな残虐なことをした当の本人が、その場とは不釣り合いな爽やかな笑みを浮かべていた。……くそ、ギリギリ間に合わなかったか。
「……そいつらから離れなさい。さもないと撃つわよ」
「ほう、得体も知れない僕に対して躊躇もせずに武器を向けるんだね。まだこの星には面白い存在がいるもんだ。頭のネジでもぶっ飛んでるのかい?」
頭に血が昇っていた。腸が煮えくり返っていた。目の前のこいつが誰だろうとどうでもいい。
大切な存在を傷付けられた。大切な何かを手に入れようとしていた少年が、何もかもを踏み躙られて、それだけで、私の心はもうグチャグチャになっていた。
許さない。本当に許せない。ただ一番許せないのは、彼を傷付けてしまった私自身だった。
そんな私を嘲笑うかのように、そいつは余裕そうな笑みを浮かべている。
「……さっさと離しなさい。本当に撃つわよ」
「フフフッ、嫌だと言ったら?」
「言ったでしょ。ケチョンケチョンにぶち殺すだけよ」
もう交渉の余地は無かった。アウルから授かったギアを取り出して、躊躇せずにトリガーを引く。そして、起動音と共に小型のブラックホールが発生し、空気が圧縮されると同時に、凄まじい勢いで波動砲が放たれるのだった。
受け身をとる事も出来ずに、彼は笑みを浮かべたまま、どてっぱらに大きな穴をあけると共に吹き飛ばされる。
捕まっていたアキラと波留も同じく吹き飛ばされてしまう中、慌てて落下点へと入り、お姫様抱っこをする形でどうにか取り戻した。
「アウル、アキラの容態は」
『バイタルは弱まってますけど、直ぐに処置を施したら大丈夫と思うデスよ。渡しておいたカンフル剤を打ってください。ウイルスの浸蝕は止まると思うデス』
「言われなくても分かってるわよ!」
「ジュリアちゃん! おじさん! おじさん大丈夫なの! ジュリアちゃん! ねぇ!」
「うるっさいわね! 男なら黙って大人しくしてなさい! 泣いたってアキラが復活するわけじゃないんだから!」
「で、でも!」
「でもじゃない! いいからあんたは大人しく私の後ろに隠れてなさい! 死にたいの!?」
泣きじゃくりながら心配そうに見つめてくる波留を無理矢理窘めて、言われるがまますぐにポケットから注射器を取り出して、弱っているアキラの腕に注射した。
すると、弱まっていた鼓動が徐々に安定してゆくのが手に取って分かった。
……良かった。ひとまずは一安心だ。
「ははは、何が一安心だって?」
ホッと一安心したのもつかの間、さっき吹き飛ばした筈のイヴァンがいつの間にか起き上がって私の目の前に立ち塞がっていた。
傷はまだ塞がっていないというのに、何事も無かったかのように笑みを振りまいている。
『ジュリア』
「分かってるっつってんでしょ!」
分かっていた。アウルに言われる前にギアを構えて、躊躇せずにトリガーを何度も引く。
銃弾が炸裂して、イヴァンの血肉やら脳漿やら内臓が飛び散った。
「言うねぇ、君は何も分かっていないじゃないか。何一つも、分かっていない、じゃないか」
何度も、何度も、心を鬼にして何度も撃ち続ける。だけど、何事もなかったかのように彼は立ち上がって滲み寄るのだった。
まるでゾンビのようだった。いや、ゾンビ以上に悍ましい存在だった。
得体が知れない。恐怖すら覚えた。だけど、そんな時間すら惜しい。
自らにまとわりつく恐怖を無理矢理振り払いつつ、ただひたすらに撃ち続ける。
「不思議なものだね。僕、いや、僕達にそんな単調な攻撃は無意味だよ。僕達が原初の焔を司る神の器と知って攻撃しているのかい? 愚策にも程があるよ。笑いが止まらない」
「うるさいわね。笑いたきゃ勝手に笑ってなさい。私はただ、こうすることが最善策だって知ってるからそうしてるだけよ。あんたが何者だろうが知ったこっちゃない」
挑発に乗ることはせず、間合いを詰めてくる彼から遠ざけるように、銃を撃ち続ける。
こいつの正体は、アウルからある程度は耳に入れていた。とはいえ、実物を前にすると聞いていた情報とは全く違うことに真面目に驚いていた。思った以上に、人に近かったのだから。
「はははっ、面白い人種が居たものだね。たまには散歩も悪くないや。薄暗い地下深くで眠ってたのに邪魔してくるもんだからなんだと思ったけど、こんなことになっているとは」
「はっ、何を言っているのか知らないけど、人を見下すのもいい加減にしたら?」
「それはこっちのセリフだよ」
挑発をしながら撃ち続けていると、その隙を縫って間合いを詰めよられて、どてっぱらに思いっきり正拳突きを喰らった。
受け身をとる事も出来ず、きりもみ回転をしながら遠くまで吹き飛ばされる。
言わずもがな、凄まじく痛かった。内臓思いっきりえぐられている。血が止まらない
「……ゲホッ、ケホッ、ケホケホ! くっそ、避けれると思ったのに……」
『大丈夫デスか? 辛そうデスよ』
「大丈夫な訳ないでしょ。大怪我よ大怪我……でも、どうにか時間稼ぎは出来たみたいね」
「……ん? どうしたんだいそんな嬉しそうな表情をして。そんな趣味でもあるのか……な?」
苦しむ私を見て、面白がるイヴァン。しかし次の瞬間、余裕のあった彼の表情が急に暗くなる。そして瞬く間に、彼の体中のあちこちから蔓やら蔦が彼を拘束するのだった。
蔦のスピードは全く衰えない。あっという間に、彼は顔だけを残してグルグル巻きになった。
それから抜け出そうと、彼は全身を発光し、青白い炎を発生させたものの、それ以上のスピードで蔦や茨が巻きつけてゆく。彼が動けなくなってしまうのも、時間の問題だった。
あっという間に目の前には、自然で作られたアイアンメイデンが出来上がった。
それを確認して、張っていた気をやっと緩ませて、大きく息を吐いて肩を降ろした。……良かった。アウルが作り出した特製弾がどうにか効いたらしい。
『ふっふっふっ、どうデスか。ザウロネスの叡智を全てつきごんで作り出した特製拘束弾デス』
「……効能が出るまで時間掛かり過ぎじゃない? 死ぬかと思ったわ」
「まぁまぁ、それはそれデスって。それにほら、効果は覿面じゃないデスか」
「あんたがそれ言う……? ……波留、大丈夫? ごめんね。さっきは強く言ってしまって」
「う、うん……でも、おじさんが……」
離れた所で隠れていた波留の元に駆けつけて様子を確認する。波留自身にけがは無さそうだけど……確かに、アキラ自身の病態はあまり芳しくないように見えた。
止血したから血は止まっているものの、顔が赤く、息も荒い。そっと触れてみると、凄まじい程の熱があった。
「ねぇ、これヤバいんじゃ……」
『体内に注入した抗体の影響があるかもしれません、今のうちに一度ベースに戻るデスか』
その提案には賛成だった。一度戻った方が良い。そう思った次の瞬間、凄まじい爆発音が発生して、閉じ込めていたアイアンメイデンの一部分がはがれる。
「……ははは、ビックリしたよ。僕をこんな風に封じ込めるなんて。……居るんだろ。ザウロネスの生き残りが」
上半身の一部を露出した形で、イヴァンがこっちを睨みつけている。
ヤバい。まさかこの状態で拘束を抜け出すとは思わなかった。それに、私でも分かる。顔は柔和だけど、今にも虐殺されそうな程のヒリヒリとしたオーラを垂れ流している。
『……光栄デスね。まさか覚えていてくれていたとは。私の故郷を』
「覚えているとも、僕が滅ぼした星の中で一番手ごたえ(・・・・)が(・)無かった(・・・・)んだから。見事な燃えっぷりだった。抵抗する暇も与えずに蹂躙出来たんだしね。だからこそ屈辱さ。……このように、拘束されちゃっているんだからさ」
『えぇ、正しく。こっちとしてもいい様デスよ。笑顔が止まらないデス。ざまあみろとしか言いようがないデスね。これだけでもご飯何杯でもいけるデスよ』
「はははっ、……今すぐ君の頭を捻り潰して灰にしてあげてもいいんだよ?」
『やってみたらどうデスか? その状況で出来るかどうかは知らないデスけどね』
正しく、一触即発だった。今にもここで戦いが勃発してもおかしくない雰囲気だ。
手出しすることも出来なかった。しばらく重苦しい沈黙が辺りを包み込む。
「……ふぅ、まぁいいや。今回に限っては一本取られたよ。どう足掻いてもこれを抜け出すには時間が掛かりそうだしね」
『賢明な判断と思いマスよ。……ジュリア、引きましょう。今は攻め時じゃないデス』
そして、諦めたように口火を切ったのはイヴァンの方だった。
少しだけホッとして、言われるようにその場を後にしようとした。
「一つ、聞いていいかな。……ここで止めは刺さないのかい?」
『……勘違いしないで下さい。逃げるんじゃありません。こっちも本調子じゃないデスもの。それに、お互い本気でやりあった方が、後腐れも無く戦うことが出来ると思うのデスが』
「ハハっ、ハハハハハっ! それもそうだね! いや、すまなかった! 君は中々に面白い思考の持ち主だ! この際だ。名前を聞いてもいいかい?」
『アウルドルネ・クドォウグロイド・バルトロメヌス。あなたを完膚なきまでに叩きのめす名前デス。脳裏に刻んでおくデスね』
「僕の名は、イヴァンだ。ザングライド集合生命体№7785。凶星神イヴァン。また会おうじゃないか。今度は、本気で殺し合おう。ザウロネスの生き残り」
『望むところデスよ。意思も持たないただの集合体風情が』
お互い牽制をし合いつつ、その場を去ってゆく。正直、少しだけ安心した。私自身も、アキラと波留を守りながら戦うのは流石に無理があったのだから。
怖がっている波留と、苦しそうに声を上げているアキラを背負って、離れた場所に止めていた車に乗り込み、急いで基地へと戻る。
……今はただ、アキラの無事だけを祈っていた。