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花と屍と獣と花火  作者: 燕子花猫丸
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自惚れ青年の自堕落な転落人生のその先に

♯1 自惚れ青年の自堕落な転落人生のその先に  

 

 天井の染みを数え始めて、何時間経っただろうか。


 そんなどうでもいいことさえ気になってしまう程に、何も浮かばなくなった。

 もう時間がない。公募の締め切りが後二日に迫っている。このままじゃヤバいということは充分分かっていた。

 分かってもいるし、焦ってもいる。頭の中では重々承知しているのだけれど、これでもかという程に何も浮かばない。

 題材は描き始める前に決めてたし、アイデアも浮かんでいる。今度こそ。今度こそ審査を勝ち抜いて、賞を貰って、大金も手にして有名人になって、今まで俺をとことん馬鹿にしてこけにして笑い者にしてきやがった奴らを見返してやる。

 二十五年間、燻りまくりながらも惨めに生きてきた俺という人間の全てを注ぎ込んだ、今世紀最大の大傑作が出来上がる……筈だった。

 筈だった。なのに、描けないでいた。描きたいのに描けない。頭の中で靄が掛かっているみたいだ。描かなければいけないというのに、俺の手がそれを断固拒否していた。

 このまま描き続けてみろ。何とも言えない中途半端な作品が出来て、絶対に後悔してしまうぞ。それでもいいのか。それでも、お前はこれを描くというのか。

 俺の手が、そう囁いていた。そう嘆いていた。悟っていた。

何を描いても満足がいかない上に、納得がいかない。その結果、下書きを描いては捨てて、描いては破り捨てての繰り返している。こんな状態が、半年以上続いていた。そして、今日も。

「……あぁぁぁぁぁぁ!! 違う違う違う違う! 前っ然違う! 俺が描きたいのはこんな糞みたいな駄作じゃねぇんだよ!! 糞が! 糞が! 糞がぁあああああああああああああ!!」

 当たり散らすように、下書きを済ませた水性キャンバスをカッターで切り付けて投げ捨てた。

 傍の卓上に置いていたパレットも、水性絵の具も、何もかもを思いっきりそこら辺に投げ散らかす。気が済むまで散らかしまくって、その場にある何もかもを壊して壊して壊して壊して壊し尽くして……そしてまた、後悔してしまうのがいつもの流れだった。

「……ぜー……ぜー……くっそ……くっそ……」

 気が済むまで暴れた後。ようやく冷静になった俺は、息も絶え絶えになりつつ、力尽きてへたり込んだ。

 ……分かっている。こんなことをしたところで、意味なんてないことは十二分に理解している。だけど。やりたいことも出来ない体たらくな自分自身に、心底嫌気がさしていた。

「……何してんだよ……俺は……」

 絞り出した声が、ただっ広いアトリエ内に虚しく響き渡る。そんなことお構いなしとばかりに天井に備え付けてあるシーリングファンは回り続けていた。

 部屋の隅に置いてあった姿鏡に写っている俺の姿は人生のどん底だと言いたげなほどに疲れ切った顔をしていた。まき散らした絵の具のせいでカラフルな返り血を全身に浴びていて、酷く滑稽に見える。

 冷静になって、ドッと疲れが押し寄せてくる。頭がガンガンするし、吐き気も酷い。

 あぁそっか。そういえば、何日も寝ていなかった。……ちょっと横になって落ち着こう。

 色々と思い詰めても仕方ない。そう思って重い腰を上げる。

 

 そして、膝からガクンと崩れ落ちてまたその場に倒れ込んだ。


 倒れる前に机を掴もうとしたけれど中途半端に掴みきれず、その衝撃で上にまだ残っていた赤い水性ペンキが零れてしまう。

 倒れてしまった俺に注ぎ込むように、赤いペンキが垂れ流されてゆく。

 ヌメヌメとした感触が、とてつもなく気持ち悪い。だというのにその場から動けないでいた。

 動こうという意思は働いているのに、四肢が全く反応を示してくれない。

 それどころか意識が朦朧としてきて、視界が徐々にブラックアウトしてゆく。

「……え? ……あ……えあ?」

 何かを口に出そうとしても、呂律が回らない。

 これはあれだ。真面目にヤバいことになってる。今まで実感したことないレベルのヤバさだ。

 言うことを聞いてくれない腕を無理矢理にでも動かして、床に落としていたスマホをどうにか掴み取り、救急ダイヤルを発信する。

 だけどそれ以上のことは出来ずに、力尽きてしまった。

 あぁ、そっか。そんなに疲れてたのか。俺は。

 段々と薄れてゆく視界の中、今更そんなことを考えつつ、瞳を閉じた。

 別にどうってことはない。きっと目が覚めたら、病院の診察室かどこかで点滴をうけているだろう。どうってことはない。どうでもいい下らない日常が、また始まるだけだ。

 とりあえず、今はちょっと休もう。ちょっと休んだら、また絵を描こう。


 何も取り柄の無い俺に出来るのは、それくらいしかないのだから。


※                                           ※


「えー、単刀直入に言いますね。……末期の肝臓がんです。残念ながらもっても一か月かと」


 目が覚めたら、三日も経過していた。

 倒れた後、発信していた救急ダイアルで駆けつけた隊員たちによって救急センターに運ばれて、処置を受けたら直ぐに集中治療室に入れられていたらしい。 

 生死の境を彷徨って、奇跡的に息を吹き返したはいいものの、診察後に通されたカウンセリングルームで、気怠そうな女医に言われたのはそんな言葉だった。 

「……は? 肝臓がん……?」

「はい。肝臓がんです。ウイルス性の肝炎も併発してしまってる上に、他の臓器やリンパ節にも転移してます。言うなれば、全身ガンまみれ状態ですね。初期段階だったらガン細胞取り除く方法はいくらでもありますし、完治する可能性も高いんですけど……言わずもがな、ステージ4ですので現時点で手術も不可能です。手の施しようがありません」

「ステージ、4……」

「肝臓は自覚症状が出にくいんで気付いた時には既に手遅れな事が多いんですよ。まぁ、ここまで気付かず放置されてるパターンは中々レアケースですけどね。ほらこれ、全部ガン細胞ですよ全部。どこもかしこもガンガンガン。ハハハっ、申し訳ないですけど、ここまできたら笑うっきゃないですわ。……一応お伺いしますけど、ここ一か月の間、身体に何かしらの不調を感じたりしたことは?」

「既に生活リズム狂ってて、体調は日常茶飯事で悪かった。ていうか……体調悪いとかそんなこと言っている場合ではなかったし……」

「なるほど、自覚はあったけど、病院行くのが面倒だったってとこですかね。 エナジードリンクとかで誤魔化しつつ安静にしてたら治るだろうという自身の慢心が招いたのがこの結末と。……あのですね、説教するつもりはないんですけど、今、あなたの身に起きていること理解してますか? 死ぬんですよ? 一か月後には。確実に。……そのこと、分かってます?」

 ジロリと睨み付けてくる女医に、思わずたじろいでしまう。ド正論過ぎて何も言えず、目を逸らすように、横のボードに映し出されているレントゲン写真を眺める。

 それには、分かりやすいように赤い油性ペンで印がいくつもつけてあった。

女医の言う通りだ。これが全部ガン細胞なのかと思うと、正直言って乾いた笑いしか出てこない。こんなん手術とか無理に決まっていた。

信じられない。信じたくない。これが現実とは思いたくない。

 まるで、この空間だけ時間の概念が切り取られてしまったようだ。周りから、何も音が聞こえない。宣告を受けた途端、外で聞こえていた雑音がスーッと消えて行った感覚に襲われた。

 正しく晴天の霹靂だった。

 急すぎて、理解もしようにも俺の空っぽの脳がキャパオーバーで受けつけ拒否している。

 結果、急に死刑宣告を受けたところで。

「……あ。あぁ……分かってる……けど……」

 そんな言葉しか出てこなかった。

「……意外ですね。もっとオーバーな反応があると思っていたんですけど」

「いや、脳内での処理が追いついていないだけで……え、マジなんすか」

「えぇ。マジですね。至って大マジです」

「マジか……」

「残念ながら。……お茶飲みます? 少しは落ち着くと思いますよ」

「あ、あぁ……お構いなく……」

 女医は一旦席を立ってカウンセリングルームから退出する。少しして再びドアが開くと、湯気が仄かに立っているティーカップを持って、こっちに差し出してきた。

香りからしてどうやらアップルティーのようだ。

 フーフーと息を吹きかけて冷ましつつ、ズズズと口に含むと、温かくて甘い香りが口一杯に広がった。ちょっとだけ、頭の中が整理出来た気がする。

「……美味い」

「それなら良かったです。まぁそれは置いといて、色々確認事項があるんで、お聞きしますね。……えーっと、あきらさん、25歳、職業はフリーター……ご両親とは縁を切られていて、現在はお爺さんから譲り受けた別荘で一人暮らし……失礼ながら、驚きました。あの山の上にある城に、人が住んでいたとは」 

女医はパソコンに映し出されているカルテを肩肘付きながら眺めつつ、窓越しから遠くに見える小高い山に目を移す。

 海沿いに存在している街を見下ろすように聳え立っている山の頂上には、まるで中世から取り残されたかのような古城が存在していた。

 無論、俺が一人暮らしをしている住まいだ。このように驚かれるのはもう慣れていた。

 場所が場所だから人が寄り付かない上に、近づいてこないように強度なセキュリティとバリケードを施しているし。驚くのも、無理は無かった。

「昔は小さな遊園地があったみたいなんだ。城はそのシンボルとして建てられた。経営難でつぶれた後に爺さんが土地ごと買い取って、住めるように改装したみたくて。別荘として使っていたんだけど、俺が親に勘当さえて路頭に迷いかけていた時に、爺さんが見かねて保護してくれた上に別荘に住まわせてくれた。今となっては誰も寄り付かないけどな」

「お爺さんは確か、水彩画家で有名な春原修舜はるはらしゅうしゅんさんでしたっけ? 親に勘当されたあなたを引き取ったのも、あなた自身も画家を志していることも関係しているとか」

「まぁ、そんな感じだ。俺を応援してくれていたのは、爺さんだけだったし。ただ、爺さん自体が絵画にとり憑かれた変人だったから親からも疎まれていたし、親も俺が画家を目指すこと自体反対していたからな。全うな人生を送って欲しかったっつってた。でも、反発した俺が無理やり芸大の入試を受けちまったことに腹立てて、勘当されてしまって……」

「確かにいくつか噂を聞いたことありますねー。人と関わる事はないし、人を信用しないあまり、絵画にしか興味を示さなかったとかなんとか。絵画が愛人とかも言われてましたよね?」

「あー、言われてたかもそんな別称……まぁ、もうこの世に居ないんだけどな。一か月前に死んじゃったし……」

 そう。爺さんは、もう死んでしまった。どこを探そうとしても、何処にも居ない。

 絵画以外に興味を持たない偏屈ジジイでも、この世に存在している唯一の味方だった。

 死ぬ間際の顔を、今でも覚えている。最後まで、一人になってしまう俺のことを心配して死んでいった。

 その顔を思い出す度に、胸が締め付けられた。最後まで、自分の命より、俺の未来を案じていたのだから。そして、俺ももう少しで……。

「……なぁ、これから俺どうすりゃいいんだよ。もう、死ぬんだろ?」

「……そうですね。聞きたいことは粗方聞けましたし、本題に移りましょうか。あなたには、死に方を選んで貰います。出来るだけ抗って死ぬか、諦めてじわじわ死ぬか。まぁ、どちらにしても死ぬことには変わらないんですけどね」

 そう告げると、女医はデスクの上に置いていた大量の書類をこっちに寄越してきた。

 現段階で出来る抗がん剤治療や、緩和ケア、終末期医療、ターミナルケアを行う施設一覧など。事細かに記されていた。……あぁ、そういうことか。

「晶さんに残されている道は大きく分けて三つあります。一つ、奇跡に近い確率を信じて、抗がん剤治療に挑む。認可外ではありますけど、ガン治療に有効な抗がん剤が海外に幾つか開発されています。効くかどうかは定かではありませんし、大金が発生します。あまりお勧めはしませんね。……二つ目。治療を諦めて、緩和ケアに切り替える。治すのではなくて痛みを和らげる治療に方向転換するということですね。自宅でケアを行うか、専門の施設に入所するか。これが一番現実的な選択だと思いますね。私自身も、緩和ケアをお勧めします。勿論、担当医である私が献身的にサポート出来ることを約束しましょう。……そして三つ目は、全部諦めて現実逃避することです」

「……はっ? 現実逃避?」

 三つ目の選択肢が想定外で、思わず聞き返してしまった。少なくとも、医者が言うような言葉ではないと思ったからだ。

「はい。現実逃避です。まぁ、治療とかそういうのを全般的に諦めて、好き勝手に生きて、勝手に野垂れ死ねってことですよ。一番手っ取り早くて、一番下劣で下らない選択肢です。当然ですけれど、お勧めはしません。もし晶さんがこの選択肢を選んでしまうのであれば、軽蔑して一発頬にビンタかましてケツにタイキックかました上に蝋燭突っ込みます」

「いや、流石にそんなことする勇気はねぇよ……」

「ふふっ、そう言ってくれて、ちょっとだけ安心しました。逃げようとしたら本当にビンタするつもりでしたし」

 この人ならなんかやりかねないから怖い。そう思いつつ、改めて自分自身に提示された選択肢に対して思案する。正直、答えはすぐには出そうもない。

 ただ、疑問に思う事は一つだけあった。

「……先生。家族には連絡したのかよ」

「ええ。連絡は入れましたよ。出なかったので、留守番電話に伝言は残させてもらいました。……出来れば連絡して欲しくなかったとか、思っています? でも、残念ながら勘当されていたとはいえ、親なのには変わりありません。あなたがどのような選択肢を選ぼうとしても、あなたのみで決断をし、治療を開始することは出来ないんです。……今更縁を切った親と関わりたくないという気持ちは重々承知してますけど、我慢してください。誰にも言わず、誰とも関わらずに孤独なまま死んでしまうのが、一番辛いことなんですから。お爺様を看取ったあなたなら、分かる筈です」

「……そうかも、しれねぇけどさ」

 正直言って、親には連絡して欲しくなかった。縁を切ったのに、今更どんな面をして話せばいいのかも分からない。顔を突き合せたら確実に喧嘩になるだろう。

 下手すれば、顔を見ただけで憎悪という憎悪が間欠泉の如く湧き出てきて、目の前で吐いてしまう可能性だってある。

 でも、女医の言っていることは正しい。正論過ぎて、否定するワードが一切出てこない。

 何を言った所で、全部切り返して論破されてねじ伏せられること請け合いだった。

 やっと落ち着きつつあった心が、しっちゃかめっちゃかに掻き乱されて、吐き気と頭痛と目まいが待ってましたとばかりに襲い掛かってくる。

 どうすることも出来ずに塞ぎ込む自分自身が、本当に惨めだった。言いたい放題言ってくる女医に対して強く反発することが出来ない自分自身に、本当に呆れ返った。

惨めなまま、どうすることも出来ないまま、抗えないまま死んでいくのだろうか。そう思ってしまうと、何も言えずに心だけが沈んでいった。

 そんな俺を気遣うように、女医は空っぽになっていたティーカップに、お茶をまた注ぐ。

「……晶さん。あなたが置かれている状況がどれだけ切羽詰まっているのかはよく分かります。いきなりあなたは一か月以内に死ぬって言われた所で、どうすればいいのかも分からないでしょう。だけど、これだけは言わせて下さい。あなたは一人ではありません。一人で思い悩まないで下さい。一人で思い詰めないで下さい。少なくとも、私はあなたの味方です」

「……でも、死ぬんだろ。俺は」

「えぇ。死にます。どう足掻いても死にますね。……だけど、すぐに死ぬ訳ではありません。だって、まだ一か月も時間は残されているのですから」

「……後一か月しかないの間違いじゃないのかよ」

「考え方を変えるんです。あなたは一か月後にはこの世にはいない。だったら、この一か月、どうやって後悔せずに生きることが出来るか。死ぬ運命が確立しているからこそ、楽しむべきなんです。死に抗い、縄に縋る思いでガン治療に励むか、緩和ケアに切り替えて、死ぬまでの時間をなるべく楽しむか、後のことを何も考えずに全部放り捨てて逃げるか。何を選ぶかはあなた次第なんですよ。そう考え方を変えると、少しは気持ちは楽になりませんか?」

「……分かんねぇよ。何が何やら……」

 どうしても後ろ向きになってしまう俺に対して、女医は悟るようにそんな言葉を語りかけてくる。こんな惨めな俺に対して、軽蔑することもせず、親身になって話し掛けてくれる。

 そんな優しい言葉に、俺は何て返せばいいのだろうか。感謝の気持ちでも述べればいいのだろうか。分からない。やっぱり分からない。俺は……。

「……まぁ、現時点で色々言っても答えは出ませんよね。一回頭を整理する時間も必要なのは確かですし。……今日の所はここまでにしましょうか。三日間、考える時間を与えます。その間、身の振り方を考えて、答えを見つけて下さい。そしてまた三日後にここに来て、答えを聞かせて下さい。その答えに、私は全身誠意で受け止めることを誓いましょう」

「……三日後、来なかった場合はどうするんだよ」

「その時はその時ですね。別に責めることはしません。それがあなたの答えなんだと納得します。だけど、私はずっと待ってますよ。だって、あなたの味方なのですから」

「赤の他人が何言ってんだよ……」

「赤の他人だからこそ、言えることがあるんですよ。そこまで深く考えなくてもいいんです。問題は、いかにして死から逃れるかではなくて、いかにして満足して死ねるか、なんですから。……まぁ、お茶でもどうぞ。冷めてしまいますよ」

 何を考えているんだこの女医は。ただのお人よしなのか、ただの偽善者なのか。さっぱり読めずに、頭の中がモヤモヤしてしまう。

 無理矢理落ち着かせるように、仄かに湯気が立ち昇っている紅茶を飲み干す。


 少し冷めて生温くなっていた紅茶の味は、俺の心を溶かすのには丁度いい甘さだった。


※                                           ※


「……はぁ……やっと帰ってきた……」


 診察を終えて家に帰ることには、既に日が暮れかけていた。

 敷地を取り囲んでいる十メートル以上の防壁扉を開けて、雑草で荒れ放題の庭園を抜けて、住処である古城の中へと入る。

 本来ならば厳重なセキュリティを施していて、鼠一匹でも敷地内に侵入したら警報が鳴る上に、常備している警備ドローンが駆けつけて侵入者を一人残らず駆除する筈なのだけれど、今日に限ってそれは作動しなかった。仕方ないと思う。緊急事態だったし。

 アンティーク調の家具で統一している城内も、その影響で少し荒れていた上に、閉め切っていたから若干埃っぽい。そして当然ながら、誰からも返事は無かった。 

 無駄に広いエントランスを抜け、リビングダイニングも通り抜けて、鬱蒼と生い茂っている中庭を横切り、奥に存在しているコテージ型のアトリエへと入る。

 十五畳ほどのスペースに、中途半端に塗りかけているキャンパスやイーゼルスタンドやら画材類がしっちゃかめっちゃかになっているけれど、そんなの全く気にもせずに押し退けつつ乱雑に扱って奥に進み、お気に入り一人掛けのソファにダイブした。

「……あー……疲れた……」

 ようやく出てきた言葉はそんな下らないものだった。

 疲れた。もう何もかも疲れた。何もしたくない。いっそのことこのまま死んでもいい。

 俺自身にまつわる何もかもが、下らないしどうでもよくなった。

 だって仕方がないだろう。……どう足掻いても死ぬ運命なんだから。

「……何のために生きてきたんだろうなー、俺……」

 それがどうしたとばかりに、天井のシーリングファンはグルングルンと回り続けていた。

 何をする訳でもなく、それをボーっと眺める。

 しばらくの間、壁時計がカチコチと秒針を刻む音と、ファンが空を切り裂く音だけが空間を支配していた。……ダメだ。モヤモヤがとれない。

 それならば気を紛らわせようと思い、リモコンを手に取ってステレオの電源を点けると同時にお気に入りのJAZZを流す。だけど、それでもダメだった。

 どんなに現実から目を背けようとも、死ぬという事実からは逃れられない。そんなジレンマが、俺の心にこれでもかという程に刻み付けられていると実感してしまう。

「……はぁ……読むか……」

結果的に諦めた。一際大きな溜息を吐きつつ、女医から貰った大量の書類の一つを手に取って仕方なく読み始める。

 そこには、これからの治療方法についてや、それに対して俺がしなければいけない手続き、死ぬ前にするべき手続きや、終末期医療を行っている施設一覧やらが諸々書き記されていた。

 それはもう、事細かく記され過ぎてて逆にドン引きしてしまう程に。

 ただ、ドン引きすると同時に少しだけ嬉しかった。

 俺のような生きる意味を見い出せずに燻っている屑相手に、こんなに真剣かつ親身になって色々と考えてくれる人物が、爺さん以外に存在しているとは思わなかったのだから。

 あの女医、あまりやる気が無さそうな雰囲気とは裏腹に、中々に熱い心の持ち主だった。

 女医の熱意に心から敬意を称しつつ、書類を読み進める。

 そして。読み進めていると、心の中に沸々とした何かが芽生えつつあった。

 一言で表すと、それは焦燥感だった。もしくは、劣等感のようなものだろう。

 彼女が言っていたことを、ふと思い出す。

『大事なのは、どうやって死を回避するのではなくて、どうやって後悔せずに死ねるか』

 俺の中に残っている心のしこりを、どうやって取り除くか。

 その方法に関しては、正直な話とっくに答えは出ていた。むしろ、これしか思い浮かばなかったくらいだ。なにせ、俺に残されている心残りなんてそれくらいしかないんだし。

 だけど、問題は、別にあった。

「……こんな状況なのに……描きたい題材が思い浮かばねぇのかよ俺……」

 死ぬまでに、自分でも納得できる渾身の絵を描き上げる。それさえできれば、いつ死んでも構わないとさえ思っていた。

 なのに。全くもって、何も思い浮かばなかった。余命宣告される前。自分の体調とか度外視して、あんなに描かなければともがき苦しんでいたというのに、宣告された途端、憑き物が取れたかと思う程に、描く意欲自体が削げ落してしまっていた。

 描きたいのに描けない状況は日常茶飯事だからまだいい。だけど、描く意欲自体が無くなったのは初めてだったから、自分でもどうするべきか分からない。

そんなことをウダウダ思っていると、書類を読む意欲さえも失せてしまって、書類を投げ出して、ソファに突っぷす。

 このまま寝てしまおうかと思ってボーっとしている中、テーブルに置いていたスマホの通知音が小さく響いた。確認すると、登録していたアプリのメルマガだった。

 果てしなくどうでもいい。誰かしらからの連絡かと少しだけ喜んだ自分が恥ずかしかった。

 そう思っていると、またスマホの通知音が鳴る。

 またメルマガかと思いつつ、何気なしに画面を見る。そして、固まった。

「……え?」


 思わずそんな声が出た。なにせ、縁を切った母親からのメール受信通知だったのだから。


 穏やかだった心が、一瞬でざわめきだって、ドクンと大きく心臓が脈を打つ。

 それがきっかけで、ドクンドクンと脈が速くなってゆく感覚に襲われた。

 全身が瞬間的に熱くなってゆき、変な汗が全身の汗腺から出て来る。

 女医が、親に連絡をして留守電を残したのは知っている。だけど、絶対に連絡なんざ来ないと高を括るっていた。

 だからこそ、想定外だった。こんなに早く連絡をくれるとは。

 大学進学以来だから、軽く七年くらいぶりだろう。わざわざ向こうから連絡をくれるなんて。

 縁を切ったとはいえ、息子が末期がんで余命宣告を受けているのだから、そりゃ連絡の一つは寄越してくるのは当たり前なのだろうか。

 とはいえ。素直に嬉しいと思っている自分自身がそこに居たのは事実だった。

 なんか、まるで志望校の選考結果通知を目の前にする受験生みたいな気分だ。

 色々な想像を駆け巡らせながら、ゴクンと生唾を飲んで受信ボタンをクリックする。

 そして、再度固まった。柔らかくなった表情筋が、一気に固まって素に戻ってしまう程に。

 画面に映し出されたのは、こんな文面だった。


『拝啓、春原晶様。

 ようやく日差しが暖かくなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 晶が県外の芸術大学へ進学を決めた際、猛反対をして縁を切ってから早七年も経ったことに、驚きを隠しきれません。月日が経つ早さを実感しています。

 そして。お医者様から直々に連絡を受け、知らない間に晶がそのような状況に陥っている事実に大変驚きを隠しきれませんでした。

 いきなりのことで、晶も大変だと思いますが、自分を見つめ直すいい機会だと思います。心を強く持って、残り少ない人生を悔いのないように謳歌してください。


 しかし。晶がどんな状況にあった所で、私にとっては全くもって関係ありません。


 心底どうでもいいのが事実です。

 この報告を受けて、まず思ったことは、あぁ。そう。という感嘆句だけでした。

 そもそもの話。大前提として、あなたとは七年前に親子の縁を切っています。

 その時点で、あなたと私は赤の他人です。

 赤の他人から、実は末期がんなんだって言われた所で、へぇ大変だね頑張って位しかかける言葉が見当たりません。

 あなたが私に何を求めているのかは知りませんが、これを期に、親子の縁を戻したいというのであれば、お門違いも甚だしい限りです。

 確かに色々と大変かもしれませんが、勝手に死んでくれて一向に結構です。

 残りの人生、勝手に頑張って下さい。勝手に悩んで下さい。

そして、二度と関ってこないで下さい。非常に不愉快です。

最後になりましたが、あなたが亡くなった後、あなたが住んでいる別荘は即競売にかけさせて頂きます。敬具』


 正しく、絶句だった。言葉が出てこない。熱が、一気に冷めてゆく。

「……ははっ……はははっ……」

 乾いた笑いが出た。こうなると、もう笑うしかない。

 少しだけ期待していた自分が馬鹿だった。一喜一憂してしまった自分が恥ずかしくなった。

 そして思い出す。そういえば、昔からこんな人だった。頭がガッチガチに固く、自分が一度決めたことは二度と曲げないほど、凄まじく頑固だった。

 そんな元親に、俺は何を期待したんだか。馬鹿だ。馬鹿々々しい。馬鹿々々しすぎて自分自身に沸々と怒りがこみあげてくるのだった。


 そして、痛感した。俺は、一人ぼっちだということに。


「っそがああああああああああああああああああああああ!!」

 どうしようもない怒りを、罪のない自分のスマホに押し付けて、床に叩きつける。

 ガチャンという衝撃音が床に響き渡り、スマホはどこか遠くに滑って消えた。

 親には見捨てられた。周りを拒絶するあまり、友人なんて存在は持ち合せていない。

 芸大時代の同期は、画廊で賞を取ってデビューしたり、大手デザイン会社に就職して人生を謳歌している中、俺はまだ燻ったまま、何も成果も出せないまま、死に絶えようとしている。

 馬鹿みたいだ。何のために絵を描いていたんだ。二十五年間の間、俺は何をして生きてきたんだ。馬鹿みたいだ。本当に馬鹿みたいだ。もがきにもがいた結果、この結末だ。もう笑うしかないだろう。

「あああああああああああああああああああああああああああ!!」

 叫んだ。笑いながら叫んだ。何故かは分かんないけど、涙が止まらなかった。悲しい気分でもないのに、涙が溢れて出て仕方がない。涙で滲んで前がよく見えない。

 結果的に、泣きながら辺りの物という物に八つ当たりをしていた。

 数分後、元々なかった体力の限界があっという間に訪れて、ゼーゼーと荒い息を立てながら、その場にへたり込む。

 地獄絵図のアトリエ内に残されたのは、イーゼルスタンドに立てかけられた、中途半端な絵画一枚だけだった。どうってことない風景画だ。

アトリエの奥に広がる開放的な窓から見える景色を、ただ意味もなく描いていただけで、途中で飽きて放置したものだった。何となく手に取って、ボーっと考える。

 ……何もかもに裏切られて絶望しきっている今だからこそ、描ける絵があるかもしれない。

 机の上に散乱した画材をかき集めて、イーゼルスタンドを前に置いて真っ白なキャンパスも持ってくる。

「……はははっ……描けるわけねぇだろ馬鹿かよ俺はあああああああ!!」

 スタンドごと蹴飛ばして、また八つ当たりしようとしたけど、それは寸でで止めてへたり込んだ。どんなに八つ当たりした所で、何も解決しないだろう。

 どんなに八つ当たりしようとも、画家としての魂だけは投げ捨てたくなかった。

 描けもしないくせに、変なプライドだけが、自分の邪魔をする。

 涙が止まらなかった。情けなさ過ぎる。愚か過ぎる。

 もういい。もういい。このまま死んでしまえばいい。

「……もう、こんな世界……ぶっ壊れて消えてしまえばいいのに……」

 ふいに、そんな言葉が出た。本当にどうでもよくなった。

 

 次の瞬間。とてつもなく眩い光に包まれると同時に、目の前に何かが思いっきり落ちてきた。


 経験したことのない凄まじい轟音と共に衝撃波が走り、抵抗することも出来ずに飛ばされてしまう。数十メートルはぶっ飛んで、受け身も取れずに地面に投げ捨てられた。

「……いつつ……んだよ……一体……」

 思いっきりぶつけた頭をさすりつつ、どうにか立ち上がる。ぶっちゃけ死ぬ覚悟をしていたものの、何故か生きていた。体中無茶苦茶痛いけど。

 辺りは、先程の衝撃のせいか土煙で覆われており、とてもじゃないけど何も見えないでいた。

 真面目に何が起きたのだろうか。何かが落ちてきたことだけは分かるけれど……。

 突然の出来事に混乱しつつ、恐る恐る立ち上がって土煙の中を突き進み、何かが落ちたであろう墜落現場へと向かう。

 そして、目の前で繰り広げられている惨状に思わず唖然とした。

 アトリエが存在していたそこには、ポッカリと大きなクレーターが出来上がっていた。

 だけど、問題はそこじゃない。


 クレーターの中心部に、見たことの無い物体が鎮座していた。

 

 それは、巨大な黒いひし形の箱だった。多分、高さ十メートルくらいはあるだろうか。

箱が定期的なタイミングで色んな色に点滅を繰り返していて、うねうねと不思議な幾何学模様が表面を忙しなく動き回っている。

慎重に近づいて、恐る恐る触れてみると、ぐにょりとした気色悪い感触とともに、触れた部分だけが変色する。

ぴょいんという変な効果音と共に、幾何学模様も呼応してグネグネ動いていた。

「なんだこれ気持ち悪っ……」

 てっきり材質がガッチガチの鋼鉄製だと思いきや、スライムみたいにぶよぶよだった。

 いきなり過ぎて何もかも意味が分からないのだけれど、この謎の物体が空から落ちてきたことは紛れもない事実だった。


 そして、これも事実だ。確実にこれ、地球に存在している物体じゃない。


 後、隕石でもないだろう。こんな隕石みたことない。てか石じゃないだろこれ。

となると、宇宙船とかそういうの乗り物だろうか。そういうのには見えないけど……。

 パニック状態の脳でどうにか色々と推測していると、一つ嫌な予感が頭を過ぎった。


 ……こんな謎の物体が乗り物だとすると、乗ってきた何かが存在しているのでは。 

「……まさか……エイリアンとかそういうぇえ!?」

そう思った時には、既に遅かった。

 気が付いたら俺は背後から急に襲われて、思いっきり地面に圧し付けられていた。

 全身に鈍痛が駆け巡り、骨が軋む感覚に襲われる。下手すりゃ幾つか折れたかもしれない。

 そんなこと全く関係ないとばかりに、襲ってきた何かは俺の手足を拘束して、頭を押さえつけてきて身動きが取れなくする。

 どうにか逃げ出そうにも、凄まじい力で押さえつけられていて、身動きが全くできない。


 ただ、問題はそれだけじゃない。押さえつけている何かが、明らかに人ではなかった。


「sagrgerdfvfdz……:;.;:.,l,mvclkdfjfijvfvnvf…!!」

 獣のような荒い吐息が絶え絶えと聞こえてきて、涎なのか分からない謎の分泌液がボタボタと容赦なく顔や体に滴り落ちてくる。極めつけは、聞こえてくる何語とも取れない謎の言語だ。

 高音でもなくて低音でもない。ラップ音というか超音波というか何とも言えない言葉が幾重にも重なりあっていて途轍もなく気持ち悪いことこの上ない。

「djifjiefjunj、demicmnjefdcusjdjij」

「mkm! Mckjdn! Nfcejcnfdjncvdfj!!」

「fjekdcj!!」

 別の声がもう一つ聞こえる。何を言っているのか全くもって分からない。

 それが何者なのか確認しようにも、全体的に拘束されてるからか、動くこともままならない。

 だけどこれだけは分かる。……未確認生命体だ。確実に人間じゃない。未確認生命体だ。宇宙人だ。UMAだ。信じたくはないけれど、物的証拠が揃い過ぎていた。

 どうしよう。こんな状況望んでもないぞ。てか何がどうしてこうなった。マジで何が何やら分からないでいる。

 叫んで喚こうにも、口元も押さえ込まれているからか喋る事も出来ない。

 混乱しまくっている中、俺を押さえ込んだ何者かは、何か言い合いを繰り広げていた。

 どうすることも出来ないまま、時間だけが過ぎていく中、急に拘束が解けて、身体が不意に軽くなった。

 同時に、間髪入れずに首根っこを掴んで持ち上げられて、背後にあった壁に思いっきり叩きつけられるのだった。

 凄まじく痛い。全身に電流が走ったかと思う位に痛い。だけど。やっと、俺に襲いかかってきた何者のご尊顔がようやく拝見出来た。 

 そして、思考が見事に停止した。

「dmncjndjncuencue。Nvjfdjnvjdfvn? nvnfjnvfjvidjd」

 言語とも取れない何かを発しつつ、それは俺に問い掛けてくる。

 一方は、ハリネズミとグリズリーを足した巨体に、食虫植物を掛け混ぜた新種の化物。

 もう一方は、全身を茨のような蔦で覆われた鎧姿の人型の何かだった。茨が生物のように蠢いていて、右腕が異質なほどに肥大化していて仕込み銃のような形をしていた。

 まるで、鎧自体が自我を持っているようだった。顔もフルフェイスのヘルメットのような兜に覆われていて、全く見えない。そもそも顔があるのかどうかも定かではない。


 言わずもがな。どこをどう見ても、地球外生命体だった。


 こんな生物、地球に居る筈がない。居てたまるかこんな化物。

 正直、変な汗が止まらないでいた。顔にかかった化物の涎が、すっごい生臭い。何を食ったらこんな匂い醸し出せるんだよ。

 これから俺がどうなるかとかより、そんなどうでもいい疑問ばかりが頭を支配していた。

 脳内が大混乱している俺をそっちのけで、謎の二人組は言い合いを続けている。すると、人型の方がやれやれと言いたげなジェスチャーを見せて、おもむろに近づいてきて俺の眉間に銃の形をした右腕を突き付けてきた。

「dsijdjnn。Nnnuhncj、jfjujuhuhuhu」

 顔は見えないし、不協和音にしか聞こえないから何を言っているのかさっぱりだった。

 獣型の化物は、人型に一任したような形で、一歩下がってそれを様子見している。

 ……名乗りを上げてるか、脅しているつもりだと思う。予測しか出来ないけど。

「……えっ? ごめん、何て?」

 やっと口封じが取れて自由になったのはいいけれど、何言ってるのかさっぱりだった。

俺の反応に納得いかないのか、人型は首を傾げつつ、もう一度俺に向けて不協和音をぶつけてくる。いや、繰り返し言われても対処しようがないんだけど……。

「mmihfuhd? Njhufhuh」

「jjuhnfjndj! njnjuhvfuh……」

 後方で様子を見ていた獣型が、人型に何かを告げる。それに納得したのだろう。人型は右腕を一旦下ろして、懐から何かを取り出した。……ビー玉状の種子のようなものだった。

 すると、いつの間にか傍に居た獣型が俺をまた拘束して、何故か口を思いっきり掴んでグワっと広げられる。

 突然過ぎて反応が遅れてしまった。てか顎が外れるかと思った。体中ボロボロなのだけれど、顎の痛みが勝った程だ。

 そして、同時に嫌な予感が脳裏を過る。これまさか……俺の口の中に入れるつもりなのでは。

「お、おい! 止めろって! おい! 聞いてんのかよ! おい! おい!? ちょ、おい!」

 案の定、そのつもりだった。ジワジワとこっちに種子のようなものを近づけてきている。

あんな得体の知れない異物を入れられたどうなるかなんて、どう考えてもBADEND一直線だった。

 体中に得体の知れない何かが駆け巡って俺の思考を支配するか、異形の化物になってしまうか、もしくは耐えきれずに膨張して肉の塊になって最終的にびちゃぁってなるか……考えるだけで吐き気がした。例え一か月で死ぬ運命だとしても、そんな死に方流石にお断りだ。

 だけど、獣型の力が強すぎて、逃げ出そうにも逃げ出せない。結果的に、得体の知れない謎の種子を避けることが出来ず、無理矢理口の中に突っ込まれた上に飲み込まされるのだった。

 とにかく不味い。道端に落ちてるどんぐりの方がまだ美味しいレベルで、不味い。

 人間が食べてはいけない何かが体内に入り込み、細胞の一つ一つがオセロのようにひっぺり返してゆく。当然ながら、凄まじい程の激痛だった。内側から内臓の一つ一つを捻り潰された上にミキサーに突っ込まれてグチャグチャにされた気分だ。

 脳内の何もかもがシェイクされて、気を保っていられるのもやっとの状況だった。

「なあああxさあcsdcさdかsdcdさcdさcscだc!!」

 叫びにもならない叫びが、口から勝手に吐き出される。叫びだけじゃない。胃の中にあった何もかもがリバースされてゆく。

 全てが、黒になる。俺の中に残っている何もかもが塗り替えされて、黒になってゆく。

 何だこれは。何なんだこれは。誰だよ。おい。誰だよ。答えろよ。おい。おい!

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い何だお前誰だお前こっち来るな来るな来るな来るなやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ。

「やああああああああああめえええええええええええろおおおおおおお!!」

 

「……安心するデス。君は無事、順応に成功したのデスよ。さぁ、その目をこじ開けてこっちを見るのデスよ」


 悶え苦しんでいると、聞き覚えの無い澄んだ声が聞こえてきた。

 気が付いたら痛みも静まっている。ゼーゼーと息を荒げながら顔を上げると、フルフェイスの人型と、獣型の化物がこっちを覗き込んでいた。……え、えーっと……えっ?

「……あれ? 聞こえてなかったデス? もしもーし? おーい? ……ヴェネティ。これっててもしかして、順応失敗しちゃったデス……?」

「失敗はしとらんのとちゃう? 失敗した時の波長がそこの小僧から感じ取れんし。失敗しとったら真っ先に襲いかかってくるやろ」

「んじゃあどうして無反応なのデス? ……あっ、分かりました。分かっちゃいましたよ私! 彼は恐れ戦いているのデスね! 私自身から溢れ出ている凄まじいプレッシャーに圧倒されて、発言したいのに出来ない状態なのデスね! いっやー、照れますねー。グフフフフー」

「いや、いきなり空からドーンって落ちてきた謎の存在に話し掛けられたら普通こんな反応になるやろ。勘違いも甚だし過ぎるわ。お前みたいなチンチクリンからプレッシャーが溢れ出る訳ないし自意識過剰にも程があるやろ。自覚しろ自覚を。ほっんまにしょーもな。しょーもなさすぎて欠伸が止まらんわ。恥をしればええ」

「ちょっ、酷くないデス!? 一応、ヴェネティは私の眷属獣なのデスよ!? もうちょっと敬って欲しいんデスけど! ちょ! 何言ってんだこの馬鹿みたいな表情しないで下さいよ!」

 置いてけぼりを食らっている俺を放置して、謎の二人組は妙に軽いやり取りを続けている。

 とりあえず、謎の種を食わされたら、二人組が喋っている言語が理解出来るようになったのは分かった。

 それ以外の変化は今の所特に無い。外見がぐちょぐちょに変化されてたりとかも無さげだ。

 何にせよ、すっごいシュールだった。UMA二人組が軽快なトークを目の前で繰り広げているのだから、そりゃもうシュール過ぎる。

 獣型の喋り方が何故かエセ関西弁なところも余計にシュールさに磨きをかけていた。

 だからこそ、困惑していた。……なんだこの混沌とした状況。

「なぁ。おい。その、お前ら一体……」

「おいボス。例の小僧が困っとるみたいやぞ。せめて説明してあげたらどうや」

「あ、そうでしたそうでした。いやー、すいませんね異界の住人さん。説明不足でシタ。……えーっと、どこから話せばいいデスかね。私達の言語は理解出来てますよネ?」

「出来てなかったらこんな反応しとらんのとちゃう? それくらい当たり前やろダボが」

「ヴェネティは大人しくしてるのデス! 全く、隙があれば私に文句ばかり言って! 今日の晩御飯抜きにするデスよ!」

「すんませんでした!」

「普通に謝るのかよ!」

 漫才みたいなやり取りに、思わず突っ込んでしまった。

「どうやら理解は出来ているみたいデスね。種子の順応も完璧デスし。良かったー。ザウロネス星に存在する生命体以外に順応する確率三パーセントくらいだったから半ば諦めてたデスよ」

「なぁ、恐ろしい情報聞こえてきた気がするんだけど気のせいかな。もうほとんど失敗する前提じゃねぇかよ。てかザウロネス星って何だよ。おい」

「あっ、そうでしたそうでした。私、他の惑星から来たのデスよ。この惑星から三千光年程離れたウルヌス銀河系に存在する惑星ザウロネスからデス。知ってます? ザウロネス」

「知らねぇよ! 全然知らねぇよ! 知る訳ねぇだろ! もう何なんだよお前ら! てか目的を教えてくれよ目的を! マジなんなんだよ……」


「あ、それもそうでしタ。では、簡潔に申し上げるデスね。……我々は、この星を乗っ取りに来たのデス。手始めに、ベース基地を作りたいからこの土地の所有権を寄越すデス。ちなみに拒否権はないデスよ。拒否行動を起こした場合、あなたの脳を弄りまわして意志を持たない労働人形にするのであしからずデス」


「……ゑ?」

 急すぎて思わず聞き直してしまった。さっきと雰囲気が真逆過ぎる。

 人型の方が銃をこっちに向けているし、獣型も変な動きをしたらすぐにでも襲い掛かってくること請け合いなほどに威嚇している。

「聞こえんかったんか。とにかく大人しくここの土地明け渡せってこっちゃ。意思を持ったまま服従するか、意志を持たないおもちゃになるかどっちかや。まぁ、後者はお勧めせんけどな」

「地質調査を行ったところ、ここ周辺の地脈がザウロネス星の地質と合致したのデス。ここなら我々の能力も最大限に発揮することが出来る筈。なので、あなたにはこの土地を譲渡して欲しいと、言ったのデス。もし抵抗せずに譲渡して頂けるのでしたら、生きている間は乱暴な扱いは致しませン。むしろ上客として扱いうことを保証しまス。どうでしょうか。悪い話ではないと思うのデスが」

「言っとくけど保留とかそういう下らんのは却下やからな。こちとら時間が無いんや。即刻決断してもらうで。ほら、さっさと答えんかい小僧」

 二人は徐々に距離を詰めてきて、決断を促してくる。

 正しく略奪者そのものだった。その口振りからするに、百パーセント冗談抜きということは明白だった。本気で地球を侵略しに来ていた。選択の余地なんて全く残ってない。

 ただ、不思議と少しだけ安心している自分がそこに居た。理由は単純だ。どんな形であれ、こいつらの目的がはっきりしたからだ。

 周りのことなんざどうでもいい。とりあえずここを支配するから、お前は配下に着け。拒否権は無い。正しく、悪の権化が目の前に居た。

 清々しい程に邪悪だ。こっちの言い分なんて無視する辺り、本当にに清々しい。

 重苦しい沈黙が、辺りを包んでいる。さっさと答えをいえとばかりに、両方からずっと鋭い視線を送られている。……ただ。俺の答えなんてとっくに決まっていた。


「……別に、勝手にしろよ。どうせ俺死ぬし」


 ぶっきらぼうにそう呟くと、ピリッとした空気が少しだけ和らぐ。何故か分からないけれど、二人共キョトンとしていることは確かだった。

「……えーっと、あ、いいんデスか? その、地球侵略しちゃって……凄いあっさりデスけど」

「勝手にすればいいだろ。お前らの目的はそういうことだろ。なんでそんな戸惑ってんだよ」

「……えっ、ええんか? 小僧。この星奪おうとしとるんやぞ? 普通反論とか追及とかするんちゃうんか? そりゃ素直にどうぞって言われたら助かるけどやな……」

「いいぜ。ここも勝手に乗っ取ればいいだろ。どうせ俺、一か月足らずで勝手に死ぬし。そんなことさせるか的な正義感なんざ持ち合わせてないし」

「……だ、そうやで。なんか思ってたんと違うけれど、まぁええんちゃう? ギャーギャー泣き喚いて暴走してくるよりか遥かにマシやし……ボス?」

 俺の不貞腐れた態度に、襲い掛かって無理やり従僕にさせる気満々だった獣型は、主人である人型に意見を求める。

 しかし、人型は銃を取り下ろして、腕を組んで少し黙り込んでいた。相変わらず顔が見えないからどんな表情をしているのかは分からない。

 だけど、どこか納得いっていないのは雰囲気的に何となく分かった。

「……一応お伺いしますネ。どうして、自分自身が死ぬ運命だって分かっているのデス?」

「医者から余命宣告受けたんだよ今日。……あー、宇宙人だからがんとかそういうの分かんねぇか。……体中病気だらけで、治療の施しようもねぇんだよ。どう足掻いても一か月後には死んじまう。だからだ。お前らが何しようが心底どうでもいい。侵略したけりゃすればいい。支配したけりゃすればいいんじゃね? 別に俺には関係ねぇことだし」

「成程。死を宣告を受けたのデスか。それは、ご自身にとっては残念だったのかもしれないデス。辛かっただろうし、悔しかったかもしれない。……しかし、どうして抗う事をしないのデスか? どうして、これ以上生きたいと思わないのデスか? 死にたくないと思わないのデスか? 私はそれが納得できません。まるであなたは、自らの生を自らの手で手放しているようにしかみえないのデス」

「あ? だってどう足掻いても死ぬって分かりきってるんだぜ? 抗う以前の問題だろうがよ。生きたいとか死にたくないとかそんなわがまま通用しないレベルでもう手遅れなんだっての」

「分かりきっているから、自ら手放す、デスか。……でも、どうしてそんなに吹っ切れることが出来るのデス。あなたが命を絶つことで、悲しむ存在が居る筈なのでは?」

「いねぇよ。親との縁も切ってるし、友達も親戚も幼馴染もご近所もいねぇ。唯一の味方も死んじまった。一人ぼっちなんだよ」

「……では、何かやり残したこととかはないのデスか? 思い残したことも無いと」

「ねぇよ。……あったけど、譲れないものはあったけど、もうねぇよ……何もねぇ。てかさっきからなんだよウダウダウダウダ言いやがって! 悪あがきしたいとかそんなのどうでもいいって思っちまってるんだよ俺は。むしろ好都合だって思ったよ。勝手に地球侵略しちまえよ。地球ぶっ壊しちまえよ。全人類ぶち殺しちまえよ勝手に。てかむしろこの場で俺を殺してしまっても全然構わねぇぞ。もういっそのことグッチャグチャにぶち壊してしまえばいい。そうしてくれた方が俺もスッキリするしな。ほら、さっさとやれよ。すんだろ? 侵略。ほら。やれっての。俺が生きる意味なんてもうねぇんだからよぉ!」

 心底どうでもいい。勝手にすればいい。どうせ死ぬし。

 俺が心に残っている思いの丈を全部ぶちまけると、人型はまた黙り込む。

 そして、自分の顔を覆っているフルフェイスヘルメットの後ろ側に手を伸ばした。

「お、おいおいボス。星の掟に反するのはヤバいやろ流石に。契りを結んどらん奴の前に素顔を晒すのはご法度っちゅーもんやないか」

「うるさいデスよヴェネティ。三日間飯抜きにされたいのデスか」

「すいませんでした」

 制止しようとした獣型を飯抜きで従わせると、ヘルメットの右耳部分辺りに触れて何かのスイッチを押す。

 プシューという空気が抜ける音がして、同時にヘルメットが勝手にガチャガチャと分解し始めた。スイカを何等分かしたみたいにパカーンと開いて、隠されていた顔が明らかになる。

 そこに居たのは、ゆらゆらと煌めく白銀の長い髪をなびかせた、絶世の美少女だった。

 翡翠色をした大きな瞳、小さい鼻に、薄いピンク色の唇、そのパーツの一つ一つがあり得ない程に美しかった。ほんのりと汗ばんでいで、頬が少し明るんでいるのが余計に際立っている。

 ただ、人間じゃないことを証明するかのように、額の部分には小さな種子が埋め込まれていて、頭頂部には大き目の花のつぼみがアホ毛のようにこんにちはしていた。

 人間じゃないことは確かなものの、度し難い程の美女が、表情を一つも変えずに俺を見つめ続けていた。その美しさに圧倒されて、思わず少しだけ緊張してしまう。

「……ふぅ、やっと解放されたのデス。このヘッドギア、頑丈なのはいいデスけれど、蒸れちゃうのが難点なんデスよ。あ、そういえばあなたの固有名を伺っていませんでした。もしよろしければ、伺ってもいいデス?」

「……春原、晶……だけど」

「えっと、ヴァルハラ……アキラ?」

「ヴァルハラは止めろ。嫌な過去思い出すから止めろ。お願いします止めて下さい」


「それは申し訳ありませんでした。……では、アキラ。正直に結論を告げますね。……あなたの提案を、私は却下します」


「……あ? 却下ってどういう……」

「そのままの意味デス。あなたは死にたいと言った。しかし、勝手に死ぬのは私が許しません。決めたのデス。……あなたには、私達がこの星を侵略する過程を全て見届けてもらいます」

「い、いやいやいやいや、意味分かんねぇって! この星侵略するけど、お前は死ぬなってどういう神経してんだよ! 殺せよ! 俺を生かす意味なんて無いだろ!」

「アキラを生かす生かさないではありません。そんなこと、些細な問題デス。しかし、アキラのその腐りきった考え方が気に喰わない。言われるがまま殺したところで、私が納得しない。なぜ抗わない。なぜ、歯向かわない。なぜ、自ら死を選ぶ。ただそれだけの話なのデス」

「気に喰わないとか……はぁ!? 余計意味分かんねぇって! おいそこのハリネズミも言ってくれよ! お前のボスなんだろ!」

「……ハリネズミが何なのかは知らんけど、わいにボスの言動を止めることは出来んからな。諦めるんや。それに、わいも貴様の考え方は気に喰わんし」

「いや、そんなこと言われても……」

 想定外過ぎる答えだった。想定外過ぎて、何言っているんだと素直に困惑してしまう。反論してみるものの、全く聞く耳を持ってくれなかった。真面目に何考えてんだこいつらは。

「……では、予定通りに始めましょうか。ヴェネティ。地脈を捕捉して、同調の準備を」

「はいよー。んじゃ坊主。そこ一歩も動くんやないで。一歩でも動いたら巻き込まれるからな」

「い、いやだから俺は何も許可してな……」

「大丈夫デスよ。巻き込まれないように私が守っておきますから」

「いやだからそうじゃなくって!」

「いいから小僧は黙ってみさらせ! 地脈(アナ)解析(ヴァンズ)同調(コード)開始(アライザ)!」

「人の話聞けってのってうおわ!?」

 俺の抵抗は華麗にスルーされて、獣型は両腕を天に翳して何かのエネルギーを貯めて、思いっきり振り下ろして地面に突き付けた。

 その瞬間、蛇口から思いっきり水がひねり出されたかのように地面がぐらぐらと粘土のごとく脈打ち始める。

 そんな現実ではありえない現象が、中庭の敷地を囲うような極小範囲で巻き起こった。

 まるで現在進行形で地中に植物が根を張っているような感覚だった。しばらくするとこの現象に地中が耐えきれなくなり、暴発する形で地上に何かが隆起を始める。

 その正体は直ぐに分かった。……巨大な根っこだ。

 そして。奇怪な現象を巻き起こしている獣型の目の前に、もっと奇怪な何かが地面から姿を現した。……小さな、双葉だった。

 葉っぱは段々と伸びて一本の枝となり、急速に成長して、あっという間に数十メートルもある一本の樹になった。

「……な、何だこれ……何が起こったんだよ!」

「まだまだこれからやで坊主。……ボス! 第一段階は完了や! 出番やで!」

「分かってるのデスよ。……原初の種よ! かの地に根を張り、全てを覆いつくすせ! 増幅演算機構起動ソウ・フェイザ・ラウ・ラウド!」

 女性はそう告げて銃を構えると、応じるように起動音が聞こえて、銃自体が光りはじめる。頭に存在しているつぼみも光っていて、ポンッと小さな花が咲いた。

 それを確認すると、光を放ち始めた銃を目の前に立ちはだかっている謎の樹に触れるようにして構えた。

増幅開始へイン・ヴェイド!」

 彼女の掛け声とともに、銃から巨大なエネルギー弾のようなものが撃ちだされる。

 樹はそのエネルギー弾を受けると同時に凄まじい程の光を放ち始め、今まで以上に激しい隆起と地響きが発生する。


 気付いた時には、百メートル超の大木に成長して、頂上部分には一面に煌びやかかつ面妖な黄色い花が咲き誇っていた。


 まるで、凄まじく巨大な向日葵の花が一本聳え立ったかのようだ。

 常識とかまったく無視しているようなこの状況に、俺は見事に茫然としていた。

「……は? ……はぁ?」

「ふふふ、まだまだ……ここからが本番デスよ!」

「え、まだあるのかよ! って、ちょ、えぇ!?」

 彼女がそう宣言すると同時に、巨大な向日葵の花弁から何かが発射される。

 それは、膨大な量の花粉だった。

 間髪入れずに間欠泉の如く何度も何度も発射される花粉は瞬く間に周辺の空を覆いつくし、空から一斉に雨のように降り注ぐ。

 地面に付着した花粉はそこに根を張って、小さな葉が芽吹き、同じように巨大な木々に成長してゆく。

 木々は同じような花を咲かせ、花粉を運び、また同じように新たな生命を宿し続ける。

 どうってことない日常を繰り返していた街が、謎の樹に支配されて塗りつぶしてゆく。

 何もかもを破壊する訳ではない。緑を創造して覆いつくすことで、何もかもをひっくり返している。


 俺が想定していた侵略じゃない。だけど、正しくそれは、侵略そのものだった。


 世界が、侵略されてゆく。そんな状況だというのに、俺は……。

「どうデスか。綺麗でしょう? これが、我々の侵略デス」

「……あぁ、なんかすごい綺麗だ……」

 思わず口に出たのは、そんな似つかない言葉だった。

 侵略に、綺麗もくそったれも無いだろう。だけど、凄まじいスピードで緑に覆われてゆく世界を眼下から眺めていると、一つのイリュージョンを見ているようだろう。

 侵略行為をしているとは思えない程に、目の前では美しい侵略が進行していた。

 そんなとんでもない行為をしでかした張本人はというと、とても満足したような、満面の笑みを浮かべていた。その表情を見て、俺はふとこんなことを思った。

 こいつらがやろうとしている所業を最後まで見届けるのも、思ったより面白いかもしれない。

「……なぁ、お前らの名前。聞いていいか」

 気が付いたら、そんな言葉が口から出ていた。彼女は少し驚くと同時に、一際満面の笑みを浮かべる。


「私の名は、アウルドルネ・クドォウグロイド・バルトロメヌス。脳裏にビシッと刻んでおくといいデス。私は、この星を支配するために降臨した侵略者なのデスから。あ、そこのでっかいのは、ヴェネティで、私が使役している眷属獣デス。まぁご自由に呼んで貰って結構デスよ」


「おい、わいの扱い酷過ぎひんか。流石に泣いてまうぞ」

「ははは……忘れる訳ねぇだろこんな無茶苦茶なことしでかした張本人なんざ」

 主人の扱いに苦言を呈していた獣型はスルーして、アウルドルネと名乗った宇宙人はそれはそれは楽しそうに笑い掛けた。

 今まで感じたことの無い感情が、心の中に芽生えつつあったけれど、それが一体何なのかはさっぱり分からなかった。

今日。俺は、世界が崩壊する風景を特等席で鑑賞した。

それは、例えようのない程に退廃的かつ甘美な光景だった。

とりあえず、死ぬとかそういうのは置いといて、今はこの光景をしばらく眺めていたい。そんなことを思ってしまうほどに、幻想的な光景だ。

 

 世界は衰退の第一歩を踏み出した。


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