甘くて苦い恋の味・2〜メルラとニコル・5〜
メルラとニコル。最終話です。
長めです。
メルラの誕生日まで、あとおよそ1ヶ月というところだった。例年、国内で流行する冬の感冒が今年は例年よりも早くから王都で流行り出した。まだまだ寒いとは言えない頃からの流行りに、医師や薬師は顔色を変えた。この感冒の悪い所が、寒くなるより前に始まると、その年は重症者が多く出る傾向があった。まさに冬の寒い時期より早い事で、慌てて備えたのである。
王都で流行り出すと、各領地も少し遅れるが流行り出す。人の往来があれば、そうなるのは当然だった。
そして、運の悪い事に王都で流行り出した所へ、どうしても王都に行かなければならない用事が出来たメルラの父・レレン伯爵が向かった事から、運命は動き出した。
王都から帰った3日後に、伯爵が病を発症し、その看病で夫人も発症。3人の子ども達は移らないよう、近寄らない対応をしていたものの、メルラの兄2人が感染した。伯爵の病は症状が軽かった事と、薬が良く効いたのだろう、早くに完治し、続いて夫人より体力の有ったメルラの兄2人が完治した。夫人も徐々に良くなりかけていた頃に、大丈夫だと思われていたメルラが発症したのである。
これは油断というより、当然の結果ではあった。それまでにも執事を筆頭に感染する使用人も出たからだ。だから完治した者と感染した者とが伯爵家に居たのである。
毎年流行する感冒で有ったため、誰もがあまり重い症状にならないだろう、と考えていた。王都の医師や薬師が今年は重症化する傾向にある、と憂いている考えが各地に行き渡っていなかったのが悲劇の始まりだった。
メルラが感染した頃には、王都や各領地合わせて何人かの死者が出る程の重い症状に変わっていた。メルラもその重い症状の患者で、心配したニコルが見舞いに来ようとしていたのを、レレン伯爵家が止める程だった。完治した者は、数年はこの感冒に罹らないと言われているため、夫人が完治した頃には、レレン伯爵家はメルラと数人の使用人が完治するのを待つ状態だった。
それから程なくしてメルラが完治した連絡を受けたニコルは、改めてメルラを見舞った。病の所為で少し痩せたけれど、思った程弱っていなかったメルラを見て、ホッとしたニコルがスリレイ子爵家へ帰ってから直ぐに発症したのは、メルラの誕生日まで残り8日という時だった。
メルラはニコルの発症を聞いて、自分の所為だと責めていた。治ったと思っていたけれど、まだ治っていなかったのだ。そしてニコルに移してしまった……。後悔の渦がメルラの胸中を締め付ける。だからメルラは毎日ニコルを見舞った。一度感染しているから、スリレイ子爵家も問題ない、と判断してメルラを受け入れていた。
「メルの誕生日、祝えるかな」
辛そうな咳の合間に、熱を出しながらもポツリと零したニコル。メルラは目を瞠って笑った。
「今年は別に良いわ。来年はお祝いしてくれる?」
「分かった」
「早く治ってね」
メルラが笑顔でそう言うから、ニコルも弱りながらも笑顔で頷いた。メルラの誕生日まであと4日。ニコルの熱は中々下がらなかった。例年、この感冒は解熱剤を飲んだなら2日程で下がるものだが、ニコルが感染したのは、もしかしたら重症化するタイプなのかもしれない。まだ8歳のメルラは、その辺の判断は出来ないが、熱が下がらない事は酷いのだろう事は、気づいていた。
それから更に3日。メルラの誕生日の前日に、ようやくニコルの熱が下がり、メルラもスリレイ家も安堵した。熱さえ下がれば、安心な感冒なのである。
ーー重症化する事はようやく王都からの情報で知っても、具体的な情報は各領地には未だ入っていなかった。
「メル、誕生日プレゼント、買ってないんだ。ごめん」
「いいよ。来年は今年の分と一緒に頂戴ね」
「えー。ちゃっかりしてんなぁ。でも、うん、分かった。今年と来年の分をやる」
ニコルがだいぶ落ち着いた顔をして、メルラと話す今日がメルラの誕生日だった。嬉しくなったメルラは「うん」と素直に頷いて、それからニコルに手を取られて少し引き寄せられた。熱の所為で食べる事も出来なかったニコルは、その分痩せていた。ベッドからまだ起き上がれないから、メルラはそっとニコルの顔に自分の顔を寄せる。
「メル、目ぇ閉じて」
ニコルに言われて素直に目を閉じたメルラの唇に何かが触れた。驚いて目を開けたメルラの顔にニコルの顔がかなり近づいていて、ニコルの唇がメルラの唇と合わされていた。それに気付いたメルラが離れると、ニコルがニヤッと笑う。
「に、ニコ⁉︎」
「好きだよ、メル。誕生日プレゼント」
メルラは顔を真っ赤にして、心臓がバクバク鳴っていて、何も言えない。少し遅れて、ようやくキスされた、と気付いた。
「ニコル」
恥ずかしくて顔を伏せたメルラは「可愛い」なんてニコルに言われて、更に真っ赤になっていた。
「これから先もずっと一緒に居るんだから、これくらい、いいじゃん」
ニコルが笑うから、「もう!」と言いながらもメルラは「そうね」と頷く。
「私がおばあちゃんになっても一緒だもんね」
「そう。オレがじいちゃんになっても一緒。オレが元気になったら、お祝いするから、寂しいって泣きそうなカオするなよ」
どうやら気持ちがバレていたらしい、と知ったメルラはまた恥ずかしくなった。それでも「うん」と頷いて、ニコルが完治するのを待っていた。
だから。
その日の夜にニコルが重症化するなんて思わなかった。
ニコルは、熱が下がったから大丈夫だと油断していた。夜になって、また急に寒くなった所為もあるだろう。容態が急変し、翌日から目を覚さないで眠り続ける。メルラは毎日少しの時間、見舞ったが、ニコルが目を覚ます事は無くーー。
メルラの誕生日からおよそ3週間後。ニコルは、その生涯を閉じた。
あまりにも呆気ない死。
メルラは信じられず呆然とする。
治ったはずではなかったのか。
熱が下がれば大丈夫では無かったのか。
両親に暴れ回る程、癇癪を起こして泣き叫んだ姿を見せ。
しかし、ニコルの葬儀の頃には、メルラは逆に大人しくなった。その表情はまるで人形のような無、だった。
その胸中に渦巻くのは、メルラがニコルを感染させた、という9歳の少女が背負うには重い事実。
スリレイ子爵夫妻は、メルラの所為ではない、と言い聞かせていた。実際、スリレイ子爵家でも感染者がいたのだから。
しかし、メルラには、スリレイ子爵夫妻の声もレレン伯爵夫妻の声も耳を擦り抜けて、心に届かず。ニコルの葬儀終了後から、自室に閉じ篭もった。
メルラは3日も閉じ篭もりっぱなしで、それを憂えたレレン伯爵夫妻に強行突入されていた。3日間、食事すら拒否していたメルラを両親と兄達が心配するのも当然だった。
「ニコルの所へ行きたい!」
その叫びに、家族は胸が引き裂かれる思いだった。だが、彼らもメルラを失いたくなかった。無理やりメルラに食事を取らせ、湯浴みをさせ、なんとか気を引いて生きることを考えさせようと必死だった。
その現状を救ったのは、ニコルの死をなんとか受け止めていたスリレイ子爵だった。
「ニコルはきっと、メルラちゃんが自分の分まで生きて、おばあちゃんになってから死ぬまで待っててくれるよ。その時は絶対迎えに来てくれるから」
大好きなニコルの父に諭され、ようやくメルラはニコルの死と向き合った。ニコルが死んでから10日以上が経った寒さが緩んだ日の事だった。
ーーこの日より、メルラ・レレン伯爵令嬢が纏うドレスの色は、黒になり、王家主催のお茶会でも黒一色。後々貴族であるなら避けられないデビュタントでは、通常白と決まっているドレスを、灰色に替えて(黒は祝い事には向かない色だから)出席する程の徹底ぶりで、ニコルの死を悼んだ。
現在(17歳)まで続く、死神令嬢の渾名が生まれたキッカケであった。
メルラがニコルを忘れられないのは、ニコルが好きな気持ちと、罪悪感と、両方です。
お読み頂きまして、ありがとうございます。
次は、レオナルド・リクナルド・マクシムの視点でお送りしますが、少し、間を置きます。……どう書こうか悩んでるので。
公開は早くても、6/1以降になるかもしれません。ここまでの5話の公開は5/28〜ですが、現在、5/22なので。読み直して誤字脱字をチェックする期間を設けるために、公開日を5/28にしています。現在、上記3人の話を書こうとは思うものの、どう書こうか悩んでる最中です。




