+3 裏:村河 猛
人とオークとの戦い。
幾度となく行われたそれは、今回、いつもと様相を変えていた。
千を超えるゴブリンが、統率用の個体に率いられ、オークと相対する。
ゴブリンは前線を任されており、人はその後方。
人の中にも前線用の装備に身を包んだ者もいるが、基本的にはゴブリンがオークを止める盾となる。
ゴブリンは生きた壁、消耗品として前線に配置されていた。
これは人間同士の戦いではない。
口上も何もなく、戦いの火蓋は切られる。
こうして人とオークは、いつものように死体を積み上げた。
人と、オークの死体が積み上がる中。
そこに、ゴブリンの死体も加わった。
オークは厄介だった。
身体能力は人よりもやや上、知性は――多少の期待値込みであるが――人間が上。魔法に関しては大きく水を開けられている。
よって戦力的には、オーク2に対し、人は3で挑まねばならない。
被害を押さえるためにはさらに倍を用意すべきだと考えられている。
また、オークは未知の病原菌を保有しているらしく、戦った者たちの大半が病に倒れてしまう。
薬を用意することは可能だが、症状を緩和するだけで、回復には患者の体力勝負という事に加え、十分な数の医療スタッフの用意が難しいため、どうしても対応しきれない。
そのため、呼び名は“ディズ・オーク”。
災害のようなオークと言われるようになっていた。
病気をどうにかしなければ、戦闘の継続は難しい。兵士は湧いて出てくるものではない。
そこで思い付いたのが、ゴブリンの活用だ。
頭の非常に悪いゴブリンは、犬などと同じように序列を仕込めば、ある程度は使える。
戦力的には人間に大きく劣るとはいえ、多産なので数で押す戦いならなんとでもなる。
これを利用しない手はない。
人間はある程度安全な後方から支援するだけでいい。
これなら、人的被害は最小限で済む。
「チッ、頭の固い連中め」
俺、「村河 猛」が発案したこの画期的なアイディアは、軍を中心に、多くの人の賛同を得て実行に移された。
仲間を死なせずに済むのなら、補充の容易なゴブリンを利用するぐらい、気にする事ではない。
だと言うのに。
「繁殖の為に、犯罪者を使うぐらいの事でグチグチ言いやがって」
ゴブリンの繁殖速度はすさまじく早いが、それでも限界がある。
その補助に、死刑囚とはいえ人間を使うことに難色を示す馬鹿が異を唱えるのだ。
死刑囚を一人犠牲にするだけで、兵士が何人助かると思っているんだ! いや、兵士だけではなく、医者や、兵士の身内も助かるんだぞ!
死刑囚ではなく、ただの重犯罪者まで使うのなら、まだ納得しよう。
社会復帰を前提とした人間は、そういうことには使えない、使ってはいけないのは、分かる。
だから、殺すはずの命で、より多くを助けるために、貢献させるのだ。
大体、死刑囚とは人殺しと放火魔ではないか。そいつらに慮る必要がどれだけある!
そう言っても、「いつか暴走する」「ゴブリンなど使ってはいけない」と、理解し難い事を言い、代わりに兵士に死ねと言うのだ。
兵士はそれが仕事なのだからと。死んでも仕方がない、犠牲を受け入れろと言う。
奴等にとって、兵士はもう人間ではないのだろう。なんという悪魔どもだ。奴等の方こそ、人ではない外道の集団ではないか。
前線に立ち、人の生存圏を守る兵士たちに対する敬意が足りない。
彼らを助けることが、如何に平和な生活を守ることに繋がるか、想像できないのだ。
戦わねば生きられない現実。
ただ勝利しても、意味はない。明日に繋がる勝利が必要なのだ。
どうせだ。反対する連中を、最前線に連れていってやるか。
現実を知って尚、同じことが言えるか確かめてやる。