18-26 幕間:暗い暗い檻の中
“彼ら”は創を観察していた。
ニャルラトホテプとも呼ばれる“彼ら”の遊び相手というのは、数が少ないのだ。
だから長く遊び相手になってくれるだろう貴重な相手と、次は何をして遊ぼうかと計画を練っていた。
他にも遊び相手はいるのだが、そんな事は関係なく、今の“彼ら”は創のことを考えていた。
“彼ら”の遊びはいつも迂遠で、成功率はそこまで高くない。
だが、失敗するにしても痛み分けのような失敗が多く、大体は相手が大きく何かを失う。完敗と呼べる結果は久しぶりなのだ。
負ける事はそこまで悔しい事でもない。
逆に自分を負かす相手がいる方が、“彼ら”にとっては喜ばしい。
「次はどんなことをしようか」と頭を悩ませることは、停滞の微睡にいる“彼ら”の数少ない娯楽なのだ。
しかし、そこで思いもよらぬ光景を目にする。
創が大垣市を去り、神戸町からも距離を置こうとする姿を。
それは、“彼ら”が仕掛けた、失敗してしまった謀略が成功したかのような光景だった。
悔しかった。屈辱だった。
遊び相手でもないただの駒が、指し手の顔をして盤面に出てきたようで。
その打ち筋が、自分よりも優れていると言われたようで。
自分のやった事も上手く利用したのだろう。だが、斎藤というあの男はそれが無ければ別の方法でどうにかしたと思えるほど、あっさりと創を動かしていた。
その上で自分が壊した関係も修復してみせるなど、創を動かすのは簡単だと言わんばかりであった。
憎くなった。消してやろうと思った。
だから次の遊びで、あの男を使う事にした。
――お前など、私にとってただの駒でしかない。
美濃の国の国主、斎藤は、“彼ら”の事を意識して動いたわけではない。
いや、創を“彼ら”をどうにかする駒のように考えていたが、“彼ら”に対抗してそんな事をしたわけではない。
ただの偶然である。
その偶然で、彼の運命はまた大きく狂う。
“彼ら”が不幸を振りまくのは、単純な話で、生き足掻く誰かを見たいからだった。
幸せの湯に浸かった人間は面白くもなんともない。
理不尽に与えられた不幸に抗うからこそ、人は輝くのだ。
それが、理不尽を呪う声を聴くことを理由にしたのはいつの事だったのか?
彼らの苦悶の表情に歓喜したのはなぜだっただろうか?
彼は、“彼ら”になった彼は、何故それを楽しいと思うのだろう?
出雲の国の奥深く。
古くに封じられた魔物の胎の中。
生贄となった子供が一人、まだ生きていて。
封じられた魔物は、自分の胎を愛おしそうに撫でていた。