14-9 飯マズとご近所付き合い②
料理の基本として習う、調味料の「さしすせそ」というのがある。
砂糖、塩、酢、醤油、味噌の事だ。
ただ、他はともかく、この国で砂糖は貴重品なので、あまり出回っていない。
現代日本で習う料理術は、いきなり基本の段階で頓挫するわけだ。
包丁など、調理器具もシンプルなものしか残っていない。
出回る鉄の量が少ないため、何十種類もある包丁を揃えるなんて真似は、普通の料理人はしない。いや、現代日本の普通の料理人だって自分が扱うものしか買い揃えないだろうけどね。
まぁ、汎用性の高い包丁と、大物用の包丁ぐらいしか無いのが当たり前なんだ。
その他のジャンルに関しても、金属製の物に関してはかなりの種類が消えている。竹を使い、泡立て器を自作したのはいい思い出である。
あと、現代人が欲しがる調理補助の家電。オーブントースター、電子レンジと湯沸かし器は、当たり前だが存在しない。
オーブンは焼き窯を使うし、電子レンジと湯沸かしは普通に火で温めろ、となる。村になら、電気の湯沸かし器というかIHヒーターモドキがあるけどね。構造は簡単だし。……IHヒーターの、「IH」って何の略かも知らないけどね。
そんな中で作れそうだったのが、塩レモンで味付けした牛タン焼き肉だったようだ。
自分の調理スキルとか色々考えた末の結論だったのだ。一応、考えている。
……あとはそれを用意する俺の苦労とか、そういった所に目が向けばいいんだけど。こればかりは経験の話である。
食材は少なく、調味料は高価で、道具も足りないし、家電は論外。
水無瀬少年の料理道は、登山初心者に道具だけ渡した富士山を登らせるような行為であった。しかも1合目から。
ただ、崖から突き落とす方じゃない。例えは富士山の登山なんだよね。
道順ははっきりしているし、登るのと途中で止める事だってできる。1人じゃなく他の登山客だっているので、助けだって求められる。
辛い現実に立ち向かう必要はない。
ただ、苦労して登った末にある光景は、そうやって登った者だけの世界だ。
写真で見るのとは全く違う。
それは環境の問題ではなく、ヘリで頂上まで連れてこられたとしても、同じ感動は存在しない。
苦労して登り終えた者には、それまでの経験が加味され、その光景をより美しくさせるのだ。
簡単に手に入る者に対して、人の感受性は驚くほど鈍い。苦労した物に対してだと、その苦労の対価を見出そうとするからか、驚くほど鋭くなる事もある。
真剣に料理へ打ち込めば、いずれ故郷の味も再現できると思うよ。
しかし郷愁が本気であっても、あとは歯を食いしばって耐えられる強さがあるかどうかだ。
心が弱ければ、辛い現実に背を向けて投げ出すのも人間である。諦めてしまえば楽になる。そう考えるのは珍しい事じゃない。
努力には心の強さ、芯となる支えが必要なのだ。
水無瀬少年はどちらに転ぶだろうね?