5-15 僻地の宿にて②
テルは湯の入った桶を2つと手ぬぐいを渡され、一回外で体を洗ってくるようにと言われた。
「まだ日も昇っていますから、今のうちに体を洗ってください。そのあいだに、寝床を用意しますので。床にそのまま寝るより、少しでもマシな状態にしておきます。
ああ、そうだ。家から森の方に道が伸びていますが、そちらには行かないで下さいね。ちょっと困ったことになってしまうので」
「そうか。分かった」
湯を浴びることができるなら、その方がいい。
テルは疲れた体に気合を入れて、屋外で全裸になると服を洗い、体を拭いた。
服や体の汚れはかなり酷く、渡されたお湯の片方が泥や汗で一気に汚れてしまった。
そのあまりの汚さに、「こんな汚い男を家に置きたくはないな」とツイの要求に苦笑した。体を綺麗にする前に横になられたら、それだけ家が汚れてしまう。
体を綺麗にし終えたテルは、最後に綺麗な方のお湯を浴び、スッキリとする。
服の方はそのままではすぐに乾かないので、搾って水気を切るがそれだけでは何ともならない。
「おじさん、使って」
「いいのか、じゃねぇな。ありがとうよ、嬢ちゃん」
ただ、いつの間にか少女が現れ、たき火を用意してくれていたので、これで乾かす事になった。
焚き火の煙は小さく細く、ちゃんと乾かした薪を使っているのが分かる。
テルの頭には勿体ないだろうという思いが浮かんだが、すぐに考えを切り替え、感謝の言葉を述べた。
少女は無言で頭を下げると、そのまま家の中に戻っていく。
なお、ここまでテルは全裸のままだったが、少女が気にした様子はない。
訪れた時とは見違えるほど小奇麗になったテルは、そのまま夕飯を頂き、眠りについた。
そして窓から射し込む朝日で目を覚ますと、朝食を取り、帰る事となった。
帰り際、テルはすでに払ってあった1万円に加え、もう1万円をツイに渡す。
「御代はすでに貰っていますよ?」
「心付けって奴さ。こっちは家の中で寝させてもらえればそれで良かったんだがな。湯と飯、寝床の準備には感謝している。ありがとうな」
テルは1万円をツイの手に無理やり握らせると、そのまま元来た方角へと帰っていった。
できれば森の方に行きたかったが、と言い残し、それでもそちらに行こうとはしなかった。
引き換えしたテルは、山で一泊することになったが、翌日には近くにあった糸貫という村に入った。
そこまで動いて、ようやく緊張から解放された。
「まさか、あんな化け物がいたとはな。
なるほど、あいつ等だけじゃ勝てねぇわけだ」
あの場所に居たツイという男。
あれがおそらく、テルが探していたハジメだろう。聞いていた外見と一致する。
テルは自分の半分ほどしか生きていない男を思い出し、ブルりと体を震わせた。
もしかしたら本人ではなく、仲間なのかもしれない。
だが、それはどちらでも変わらない話だ。あの場で戦っていたら、テルは間違いなく殺されていたと断言できる。そしてそれは堀井組の兄弟を連れて、数を頼みに攻めても同じ事だろう。テルの直感が、それでも無理だと言っている。
「問題は、親父になんて言うかだな」
この情報は、確実に伝えないといけない。
そしてそれを前提に動かないと拙い。
家族の命がかかっているのだ。失敗は許されない。
テルは無駄死にを選ばず、ケツをまくって逃げるという無様を晒したが、それ以上に己の命の使い処を間違えない。
プライドよりも家族の命を優先するのだった。