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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

普通の人々二冊。

作者: 実茂 譲

Ordinary Citizens。

少し前に神田の洋書扱いの店で見つけ、衝動買いしてしまった本の題名です。

意味は普通な人たち、のような感じでしょうか。


それは普通な人たちの顔写真がただ掲載されている本なのですが、そこにちょろっと英語で説明書きがあります。そんなに難しい文章ではないので、訳すのは簡単です。

その説明書きの一つを引用してみましょう。


エカチェリーナ・アレクサンドロヴナ・ザハロヴァ

1890年生まれ。

ヴィリャンスカヤ管区、ポリャン出身。

非共産党員。

農園労働者。

1930年11月28日逮捕。

1931年4月20日スパイ活動の罪により死刑判決。

その4日後に銃殺。

1989年名誉回復。


その写真は農家のおばちゃんのものです。

不安そうな顔で、家からいきなりしょっぴかれたのかカーディガンのようなものが肩にかかってます。

スターリンにいわせると、この41歳の農家の丸顔なおばちゃんは女スパイなのだそうです。


Ordinary Citizensは1925年から1940年くらいまでのあいだにスターリンにより銃殺された人々の逮捕時の写真集です。

ほとんどの人はその写真が撮られてから一か月以内に銃殺されています。


職業はさまざまで農民や聖職者、機械工などの労働者や学者、俳優、計画経済部局の局長、軍人。

ほとんどがロシア人でしたが、外国人もいました。

ポーランド人、フィンランド人、インド人、中国人、朝鮮人、日本人も二名。

そのほとんどはソ連にこの世の楽園があると信じてやってきた共産主義者たちでした。


だいたい180人の写真があるのですが、起訴された罪状はおどろくほど少ないです。

反革命活動に参加。スパイ。祖国への裏切り。

ひどいのは『訴因:不明』。あとで不明になるような罪状で人を死刑にしてんじゃねえよ。


歴史の本には大勢の人間が死んだ出来事の記述があり、戦争なり大虐殺なり飢饉なりには犠牲になった『名もなき人々』が大勢いるわけですが、この本はその名もなき人々のほんの一部の人々の名を蘇らせ、顔を蘇らせ、出身地と職業を蘇らせ、彼らの罪の不条理、そして、銃殺までのあまりに短すぎる時間を蘇らせました。


蘇らせて分かったのは、彼ら彼女らは理不尽な死に方をしなければいけないほどのことなど何もしていない『普通の人々』だったのです。


これを見ると、わたしたちの歴史はいかに『普通の人々』の死の上に立っているかを改めて思い知らされます。


というか、現在進行形で『普通の人々』は理不尽な最期を迎え続けています。


ただ、ここで注意してもらいたいのは『普通の人々』の虐殺を担う連中が血に飢えた残酷な野獣かというと、これもまた『普通の人々』だったりします。


普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊という本は第二次世界大戦中に占領地で38000名以上のユダヤ人を虐殺し、40000人をアウシュビッツ送りにした第101警察予備大隊の話ですが、この大隊が反ユダヤ主義で凝り固まっていたかというとそうではないのです。


虐殺者たちのほとんどは三十代から四十代で前線で働かせるには歳をとりすぎてると思われた人々です。

大隊長やそのほかの幹部将校も予備役将校で、戦争前は警察官をしていたと記憶しています。

大隊の兵士たちはほとんどがハンブルグに住むトラック運転手や港湾労働者で、ルクセンブルク人が一人か二人まじっていたと思います。


この大隊のそもそもの仕事は前線のずっと後ろの地域の治安維持だったのですが、ある日突然、司令部からユダヤ人を虐殺しろと命じられます。


大隊長は困り果て、やりたくないやつはやらなくていいと言いました。しかも、やらなかったからといって懲罰はないのです。

が、みんながやるのに自分だけやらないと言うのが難しかったのか、ほとんどの隊員はやりますと言ってしまいます。まるで肝試しです。自分一人が怖がってると思われたくなくて、つい言いそびれて、恐ろしい目に遭う。

ただ将校の一人がやりたくないとはっきり言ったのを覚えています。その人は予備役将校で戦争前はハンブルクの材木会社の社長でした。


生々しい本です。隊員はそれまで人を撃ったことのない人ばかりです。

軍医が訪れて、返り血を浴びない人の撃ち方を教えますが、首の後ろから延髄を撃てば一発で死亡し、返り血も浴びずに済むらしいです。


で、その日がやってきます。

農村から駆り出されたユダヤ人たちを『普通の人びと』が射殺します。

反応は様々でした。いざ人を撃つ段になって怖気づきやめた人もいれば、一人撃ち殺して震えが止まらなくなりやめた人。何人か撃った後に耐え切れなくなってやめた人。撃ち方を間違えて返り血をもろに浴び、呆然とした人。

そして、最後まで撃ち続けた人。


子どもが撃たれたのも印象的でしたが、あるユダヤ人の老人が第一次世界大戦で戦ってもらった勲章を見せながら、なぜだ?と問うようなシーンがあったと思います。


ヒトラーの反ユダヤ人主義のスタート地点は第一次世界大戦にドイツが負けたのはずるがしこいユダヤ人がドイツが戦争に負けるように後ろで小細工をしたという『匕首論争』です。

そこからユダヤ人は世界征服を企んでいるとかユダヤ人の銀行家がドイツを破壊しようとしているとか、いろいろヨタを飛ばすわけです。


じゃあ、第一次世界大戦で命をかけてドイツのために戦ったユダヤ人はどうなるんだ?という話です。


老人が震えながら見せた勲章はヒトラーの主義が破綻の上に成り立っていることを示しています。


ちなみにアンネ・フランクの父親も第一次世界大戦に従軍していて、弾着観測官をしていたそうです。

前線から10000メートル離れた位置から撃った大砲の弾が当たったかどうかを確かめ、もうちょい左手前、とか電話で連絡する係です。

この弾着観測官がいなければ敵の大砲は当たらないということで弾着観測官は見つかると、銃ではなく大砲で地形ごと吹き飛ばされます。

ヒトラーが第一次大戦時にやっていた伝令よりもずっと危険でずっと貢献度の高い仕事をしてドイツのために戦って、彼がドイツからもらったご褒美は愛国心から戦債をたくさん買った実家の銀行の破綻と強制収容所送り、そしてすべての家族との死別でした。


アンネ・フランクの視点から見ると、ナチス・ドイツの軍人は野獣です。


が、『普通の人びと』では実は彼らはハンブルクのトラックの運ちゃんや沖仲士であり、警察官で、ほんとは占領地でお巡りさんの真似事してたのをいきなりユダヤ人虐殺部隊になってしまったというところから『普通の人びと』がいかにして野獣へと転落していくかを描いています。


そのうち『普通の人びと』は慣れ始めてしまうのです。ユダヤ人虐殺のジョークや自慢話ができるくらいに慣れてしまいます。

またはじめは参加しなかった兵士たちが、虐殺をした兵士たちから仲間外れにされ、その重圧から虐殺に加担してしまうケースもありました。

でも、ここで注意してほしいのはやらなかったからといって懲罰はないのです。


じゃあ、自分が第101警察予備大隊にいて、自分は絶対やりませんと言えるのか?

自信がありません。『普通の人びと』になってしまうかもしれない。

すごく難しい問題です。


ただ、絶対にやりませんと言える人間になるのに『普通の人びと』なだけでは足りない何かがあるのは確実です。


ふと思ったのは、第101警察予備大隊が初めてユダヤ人虐殺をするとき、お前たちの家族にその姿を見せてやれ、と条件がついたら、どうなっただろうと思うのです。


自分の愛する人たちに自分が無抵抗の人間を後ろから撃ち殺す様子を見せる。


それに耐えられる人間は何人いるだろうかと。


足りない何かのこたえは案外そのあたりにあるのかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 興味深く拝読致しました。この虐殺だけは世界的にマズイとされ、やった人らが悪魔みたいに言われるのはナゼか、ナゾでした。愛する人に。あーそうか。身内ならまだ「敵をやっつけてくれて」強いとホメられ…
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