僕の器
後編
看護大学を卒業した僕は知人のつてで、精神科病院に就職した。
右も左も分からない僕の教育係を務めてくれたのは3年目のナースの鈴木さんだった。
「今日も保護室担当かぁ」
「君にはPICUはまだ早いよ。じゃあ検温お願い」
「はい、入浴の日でしたよね、順番に連れて行きます」
精神科病棟の保護室は、ベッドとトイレが付いているシンプルな個室で、入院患者がけがをしないように、壁なども柔らかい素材でできている。
もちろん分からないようにカメラもついていて、ナースステーションから患者の様子を見ることが出来る。
田村さんという若い女の方が現在入っていて、この方は意思の疎通は出来るが鬱を患っており、いろいろな点で心配だった。
ときどき、なぜ自分がここにいるのかもわからない様子でじっとしている。
「おはようございます田村さん、入りますよ」
その瞬間、僕は妙な違和感を感じていた。
まず電動式のベッドが中途半端に持ち上がっていて、田村さんがその上に腰かけてうつむいている。
そして手首から血を流したまま、ちからなくこちらを振り向いてきた。
「ちょっちょっちょっと、田村さんその手首どうしたんですか?」
「何でもないよ、ちょっと自傷してみただけ」
「いったいどうやって?」
よく見るとプラスチック製のコップが割れていて、どうやら電動ベッドを動かして割ったらしい。
そしてとがった破片で手首に傷をつけたようだった。
一気にパニックになった僕は、教育係の鈴木さんのもとに走って行って助けを求めた。
「どれどれ、静脈まで行ってないし、ひっかき傷だね。ちょっと先生を呼んでくるから待ってて」
そう言い残して鈴木さんは部屋から出て行った。
「どうしてこんなことを………」
「あのね、自傷をするとなんだかホッとするの」
「でも傷つけるのは痛いでしょう?」
「あのね、このまま死んでも良いかなと思っていて、それでも血を見ると生きているんだなって」
その後のことはよく分からない。僕はナースステーションで田村さんの看護記録をかきながら、あの時の部屋の様子がなかなか頭から離れなかった。
そんなこんなで病棟で色々な経験をしているうちに、僕は心底看護師を辞めたくなった。
僕にできる事なんて何もない。
あの時のインド人の言葉をふと思い出す。そしてそっと独り言をつぶやいていた。
「僕の器はとても小さかったんだな、そしてそもそも中に入れるものを間違えたんだ」と。
(終わり)
お読みいただいてありがとうございます。長編にするつもりでしたが、前話を前編として今回が後編の2部構成で終わらせていただきたいと思います。初めて小説を書きいろいろと得るものがありました。今はまた気が向いたら書いてみようと思っています。