その6 お狐様、神をキレさせる!
「ところでマナって何ですか? さっき、「住んでいるだけで体内のマナを消費する」とか何とか言ってましたけどどういう意味です?」
伊織は先ほどアティラの口から出てきた「マナ」という聞き慣れない言葉に首を傾げた。そんな伊織の疑問にアティラは呆れたように答える。
「なんじゃ? そんな基本的なことまで忘れてしまったのか。マナとは体に宿るもので魔術や神術などの力を発現させるための源じゃ」
「魔術! それってもしかして、えーと、そうそう! 火を出したり対象を凍らしたり出来ちゃう不思議能力のことですか!?」
言葉が急に出てこないボキャブラリーが貧困な伊織だった。
「んむ。概ねその通りじゃ。ここの灯りもマナの力で光っておるぞ。まあ、魔術や魔道具は汝のようにマナが豊富にある者しか使えんが、マナ自体は生きし者なら大なり小なり誰もが持っているぞ。魂や生命の維持にも必要なものじゃしな」
やったぁ!と諸手を挙げて喜ぶ伊織。狐耳と狐尾も嬉しさのあまりぴんと立つ。全く、ファンタジー万歳である。
「ビバ! 異世界! で、私はどんな魔術が使えるんですか?」
「さあ? 知らんのう」
「えっ?」
「だから知らん」
「さっき、私の力を見たんじゃ無いんですか? 散々撫で回しましたよね?」
「見たし撫で回したのう。だが分かるのはその魔術の根源となるマナの大まかな量であって、それを使って何が出来るのかはぶっちゃけ汝のマナの量と技術次第よ」
つまり、鉄棒で逆上がりに必要な筋力を持っていても、それをする知能と技術が無いと出来ないと同じことであった。マナだけあっても使えないのだ。
「なんだぁ。がっかり……」
「まあ、ぱっと見たところマナの量はかなりあるようだし、簡単な魔術ならすぐに使えるようになるじゃろ」
「本当に!? やっほーい、修行しちゃうぞ! そういえばアティはどんな魔術をつかえるんですか?」
「妾か? どんな魔術でも概ね使えると思うがの。そうさな、これはどうじゃ?」
アティラは手のひらの上に団栗のような木の実を出すと、それを一度ぎゅっと握りしめ再び手を開き、種を床に落とした。
すると推定団栗は床に落ちたと同時に芽吹いたかと思うとみるみるうちにその丈を伸ばし、あっという間に天井に到達した。
「どうじゃ? なかなかのものじゃろ」
呆気にとられる伊織に得意げな表情を浮かべるアティラ。一方、伊織はというと、
「うわー、すごく邪魔くさい……。のこぎりが必要な事案だよ、コレ……」
驚くどころか見当外れな心配をする始末だ。
「他の感想はなかったのかの!」
全くこの駄狐は……とぶつぶつ文句をいいながらアティラは伸びた木に手を添えた。次の瞬間、木は一気に白化。ぱきんという音を立て、粉々になって霧散した。
それを見た伊織は、驚きの表情を浮かべ、アティラを讃えるように手を叩いた。
「すっごい! 今のが魔術ですか!? 凄くかっこよかったです!」
「え? まあ、そんなところじゃ♪ よし、妾が魔術のコツを教えてやろう!」
「わーい! お願いします!」
思いがけない賞賛に照れ照れのアティラは案外チョロかったようだ。
「汝は得意な属性、もしくは逆に全く素養のない属性はあるか?」
「得意・不得意な属性……コン……」
言葉を詰まらせ、ううむと首を傾げる伊織。
そもそも属性と言われても魔術に何の属性があるのか知らないため答えようが無い。
……妖狐と言えば何だろう。変化……だろうか? だが変化は何だか難しそうな気がするから後回しにだ。そうすれば後は……。
他にもっと簡単そうなものは何かないかと伊織は自問自答する。
「妖狐……といえば……狐火とかかなぁ……。うん、火はどうでしょう?」
「火か? ふむ。まあ火の属性の素養はありそうじゃし、初めてでも火の術初級、通称『ファイアフラワー』くらいならいけるじゃろ。やってみるかの」
「はい、お願いいたします!」
「では、体内に巡るマナは感じ取れるか? 感覚としては……そうじゃな、心の臓あたりにぐるぐると回る熱と言えばわかりやすいかのう」
「心臓の周りの熱?」
アティラの言われたとおり、伊織は胸中を意識する。すると、体内に滾った奔流を感じとることが出来た。
「コン! 感じられました!」
「おおっ、なかなか筋が良いのう! では次に腕を胸の高さで曲げ掌を上に向け、その上に熱を集めるよう意識してみよ」
「手のひらに集めるように……」
伊織は言われるがままに手のひらを上に向け力を集めるように集中する。
「なんだかじんわりしてきました!」
「うむ。上出来じゃ。最後にその状態のまま掌に集められたマナを言葉に乗せるように呪文を詠唱するのじゃ。この場合だと汝の言う『狐火』または『ファイアフラワー』じゃな。さすれば掌の上に小さな火種が揺らめくはずじゃ。汝が火の属性の素養が全くない限りな。そもそも厳密に言えば詠唱と言うものは魔術発現の基本的にはトリガーに過ぎ込ず、本当は魔術における具体的なイメージ……一般的に術式と呼ばれているものに発動に必要な量のマナを込めることで魔術は発現するのじゃ。だから必ずしも呪文が『狐火』でも『ファイアフラワー』でもある必要はないし、実のところ詠唱しなくても術式を完全にイメージできてそれにその魔術に必要なマナに乗せれば術は発動するのじゃ。これが所謂、無詠唱魔術であるな。じゃが、こればかりは一朝一夕で身につくような代物では無いし、詠唱した方がはるかに簡単に発動に必要な具体的なイメージが構成できるため、結局のところ詠唱は有効という寸法よ。ちなみに魔術のイメージ構成は高位なものほど複雑になり、必要なマナの量も膨大となるため高位な魔術ほど使い手は少ないはずじゃ。他には神の領域というものもあるが、これは基本神だけが使える術式のことじゃ。魔術の発動には地面に魔方陣を描いて使う方法もあるようじゃが詳しいことは妾も知らん。どうじゃ魔術をイメージ出来たかの?」
「えぇーと、つまりは手のひらの熱に火を乗せるようイメージして……詠唱……ですね……?」
伊織はアティラの御高説の後半部分をあっさりと聞き流し、最初の言葉のみを繰り返した。
そんなに長々と説明されても伊織の頭では理解できるわけが無いからだ。
伊織はアティラの最初の言葉のみをぶつぶつと呟きながら言われたとおりに火をイメージ。すると伊織の頭の中にゆらゆらと揺らめく炎が浮かび上がった。
そして伊織はその火のイメージをマナに乗せるべく唱えた。
「狐火!」と。
刹那。伊織の手のひらから「ごうっ!」という轟音と高温の炎柱が勢いよく立ち上がった。
炎柱は伊織の前髪を軽くローストしたかと思うとあっという間に天井に到達。そのまま天井を炭化させた。
「……あれ?」
伊織は炎の威力に目を白黒とさせながら首を傾げた。
てっきり灯火のようなものが手のひらの上にぼうっと出現するのを想像していのだが、それとは大違いであった。
伊織はばつが悪そうにおそるおそるアティラに視線を向けた。するとアティラも呆然として伊織を見つめていた。
二人の間に重苦しい空気が漂う。そうしてしばらく無言で見つめ合っていた二人だったが、アティラがふいに視線を上に向け天井を見上げた。
炭化した天井がアティラの瞳に映る。そして……、
「ああーーーーっっ!! 妾が焦げているぅぅ!!!! 何してくれるんじゃあ、ボケ!!」
アティラは急に頭を抱え取り乱したかと思うと、まなじりをつり上げ伊織を批判した。自身が焼かれたことに憤慨したのだ。
生命を司る世界樹様は案外、気が短いらしい。
「不可抗力! 不可抗力なんです! てか、教え方が悪いんであって私が悪いわけじゃ無い! 大体、いい歳したロリババアなんですから、ちょっと焦げたくらいで取り乱さないで年相応の余裕を持つべきだと思います!」
一方、伊織も負けじと反論だ。もちろん自分の行為は棚にアゲアゲである。
外国では謝ったら負け。全責任を負わされるという話をふいに思い出したのだ。
なお、ここは異世界であって外国では無いのだが、伊織の頭の中の世界には日本とそれ以外という分類しかないため、外国≒異世界の論理で何も問題はないのである。
「貴様ぶち殺す!! 月の輪!」
そんな非を認めない上に無駄に煽る伊織に完全にぶち切れたご様子のアティラ様はどこからともなく、小型の円月輪を10本の指すべてに召喚。
「死ね! 駄狐! あの世で妾にわび続けろ!」
両腕を思いきり振り抜き、伊織に向かって投擲した。
「ひぃ!」
伊織は真っ直ぐ向かってきた円月輪を寸でのところで回避。円月輪は伊織の尾の毛をかすめつつ、カカカッと後ろの壁に10枚の刃が刺さった。
「ほほう、逃げ足だけは一人前の様じゃな!」
「何するんですか! 逆ギレ反対! 暴力はよくないと思います!」
「問答無用! さっさと逝くがよい! 月の輪!」
アティラはそう言うと再び10枚の円月輪を召喚。間髪を入れず投擲する。
だが、伊織はそれも何とか回避。そしてアティラに向かい合うと、びしりと指を突き付けた。
「アルマカマル(笑)は見切った! もう、アティの攻撃は通じません! もしこれ以上続けるのなら、私の狐火柱(自称)がまた炸裂しますよ! いいんですか!?」
ぶっちゃけ通じまくりではあるが、これ以上続けられるとインドア文系だった伊織の少ない体力が持ちそうに無いため、こちらはまだ余裕があるとブラフを挟むことで事態を好転させようと考えたのだ。
我ながら策士だと心の中で自画自賛する伊織だが、世の中そう甘くは無かった。
「ええい、舐めおって! これならどうじゃ! 土の手!」
アティラがそう叫ぶと伊織の足元から土の手が出現。そのまま伊織の手足を拘束した。
伊織は慌てて振り払おうとするが、がっちりと足を掴まれ身動きが取れない。
「コン!? ちょっ、ちょっと! 卑怯です! 卑猥です! 緊縛プレイ反対!」
「チェックメイトじゃな。なに。心配するでない。その素っ首を一撃で刎ね落としてやろう」
アティラが指で首を掻っ切るジェスチャーをしながら微笑む。
「安心できる要素が皆無ですよね、それ!」
「汝の尾は抱き枕に。首は杯に。体はちゃんと妾の栄養にしてやるから安心して逝くがよい♪」
「取って食わないっていったじゃないですかぁ! 嘘ダメゼッタイ!」
「辞世の句は終わったかの? では殺るとするか。日の輪!」
「コン! 人の話をまるで聞いていないよ!」
アティラは伊織の言葉をあっさりと流すと左手に一際大きな円月輪を召喚。腕を持ち上げ投擲体勢に入った。
伊織はぎょっと目を瞠り、慌てて制止を試る。せっかく転生したのにやりたいこともままならず第二の人生も終わりでは死んでも死にきれない。
「待って、待って下さい! 話せばわかるがあいこと――」
「じゃあの!」
しかし、アティラは伊織の制止を完全に無視。そのまま腕を振り上げた。伊織の首に円月輪が迫る。こっちに来るなと念じたところで現実は変わらない。伊織は万事休すとぎゅっと目を瞑る。
そして次の瞬間、鋭利な刃物が何かを切断する音が響き、それに続いてごとりと首が転がり落ちる音が部屋の中に響いた。