その40 お狐様、フィロウシー様がそろそろお暇(いとま)の時間です!
「おや? そろそろ時間のようだな」
地面から復活した阿武隈が己の手を見ながら何の気なしに言った。
「時間って?」
そのあっさりとした物言いに伊織は訳がわからず首を傾げた。
「伊織様。フィロウシー様は神の世界にお帰りになります」
「ええっ! 寛、消えるの?」
「消えるって何だよw 還るんだよ、天にな」
「でも、魂って『ほかの魂と混ざり合い新しい魂となって輪廻を繰り返す』でしょ? そうしたらもう、寛という人格はいなくなっちゃうんじゃないの?」
「変な所で勘が良いなお前w だが、心配は要らないぞ。俺は特別だからジュンニャンが待っている神の世界にいくんだ」
「そっかぁ、よかった! じゃあ、またあえるんだよね!」
「……」
伊織の言葉に阿武隈は押し黙った。
「え? なんで黙るの?」
「……多分、もう会うことは無いと思う」
「どうして? ゴロハチに呼び出して貰えばいいんじゃないの?」
「それは出来ない」
「なんで? もしかしてゴロハチのマナじゃ足りないから? じゃあ、私のマナをゴロハチにあげればいい解決だよね!?」
伊織は嫌な予感を感じ取り、その予感を払拭しようと提案した。
だが、阿武隈は首を横に振った。
「伊織、そういう問題じゃないんだ」
「じゃあ、どういう問題!? 教えてよ!」
「……それは言えない」
「なんで? なんでだよ! 友達でしょ! 幼馴染みなんだよ、私たち!」
「ごめんな……」
困り顔で謝るだけの阿武隈に伊織は必死の形相で食い下がった。
誰も知り合いのいないこの世界で初めて会えた既知の友なのだ。執着するのも無理は無かった。
そんな二人を見かねてゴロハチが口を開いた。
「伊織様。フィロウシー様をあまり困らせてはいけませんよ。フィロウシー様は私を庇っているだけなのですから」
「どういうことなの?」
「ゴロハチ! 余計なことを言うな!」
「フィロウシー様、お気遣いありがとうございます。ですが、ここで誤魔化したらお二人に遺恨を残すことになります。それに大恩があるフィロウシー様の不名誉を看過出来るはずもありません。ですからここは私にお話しさせて下さい」
「ゴロハチ……」
阿武隈は苦渋の表情を浮かべ目を伏せた。ゴロハチは軽く笑みを浮かべ、伊織に向かい合った。
「伊織様。よろしいでしょうか?」
「うん、ゴロハチが全部説明してくれるんでしょ?」
「ええ。まずフィロウシー様ですが、神の世界に行かれた方は現世に戻ることも召喚することもできません。これは魂が神の世界に行くと変質してしまい、それを現世に持ってくると魂を維持出来なくなってしまい、霧散してしまうためです。神格を得て神になることが出来ればその限りではありませんが、一朝一夕でなれるものでもありませんので現実的ではありません。仮にもう一度フィロウシー様に会うとしたら、伊織様が天寿を全うしアティラ様のコネで神の世界に行く以外に無いでしょう」
「うーん? それならゴロハチはどうやって寛の魂を召喚したの? もしかして地縛霊でもやってた?」
「地縛霊なんぞやるか! あれをやると魂がどんどん劣化し、最後には輪廻も出来ずに消滅するしかなくなるんだぞ!」
「えー? じゃあ辻褄が合わないじゃん! どんな裏技使ったら魂を召喚できるの?」
「あー、それはだな……」
「それは?」
阿武隈は伊織に付け入る隙を与えた事に気がつき渋い表情を浮かべた。
当初は煙に巻いて教えないつもりだったのだ。
阿武隈がどうやって誤魔化そうか思案していると、ゴロハチが阿武隈の言を引き継ぐように口を開いた。
「特別な術法でフィロウシー様の魂を休眠状態にし、私の魂に括り付けておりました」
「おおい、ゴロハチぃ! 言うなよ!」
「えー!? ゴロハチの中に寛がずっと居たってこと!?」
驚きの声をあげる伊織。
「端的に言うとそうなります」
「なんでそんな回りくどいことを? 普通に魔術でも使って生きていれば良かったんじゃないの?」
「……それじゃあ、ジュンニャンの望みであった『共に生き共に年を取って共に死ぬ』を実現できなかったから仕方ない」
「そっかー……面倒なもんだね。まあ、事情は大体わかったけど、それならもう一度ゴロハチの中にいればいいじゃん! なんで今消える必要あるの? ないよね?」
「これ以上ジュンニャンを待たせる訳にはいかないし、そもそもゴロハチの中に戻ることがもう出来ないんだ」
「どうして?」
「……」
阿武隈は答えずゴロハチを見た。するとゴロハチは目を瞑り、うんと何か覚悟を決めるように小さく頷く。
そして目を開けると真っ直ぐに伊織を見つめ、声を僅かに震わせ答えた。
「それは私から説明させて頂きます。伊織様、フィロウシー様の魂を私に括り付けるためにはフィロウシー様の肉体を喰らう必要があるからです」
「――え? 喰らうって……」
ゴロハチの予想だにしない言葉に伊織は面を喰らった。
「お言葉の通りです。その体を、その肉を、喰らうのです。それも生きたまま丸呑みで」
「ええっ? 寛が死んじゃった理由って……」
「私がフィロウシー様を喰らったからです」
「や、うそでしょ……?」
信じられないという表情を浮かべる伊織。だが、ゴロハチは首を横に振り言った。
「本当です」
「ひっ、寛! 嘘だよね! 私が驚く反応見て楽しんでるだけなんでしょ!? もう、人が悪いんだから~!!」
伊織はそら笑いをしながら問いかけた。阿武隈に嘘だと否定して欲しかったのだ。
だが、阿武隈はその問いには何も答えずそっと視線を外した。それはゴロハチの言葉を肯定するものだった。
呆然とする伊織。するとゴロハチが念を押すように言った。
「伊織様。嘘でも偽りでもありません。事実なのです」
まるで諭すような声色だった。
伊織はその真剣な表情と声から、それが事実だと認識すると顔を強張らせ後ずさった。
目の前のゴロハチが人喰い熊だと知った途端に心が恐怖で染まってしまったのだ。
「あ、ああ……じゃあ、寛がゴロハチを庇ったってのは……」
頭では理解できても感情が追いついてこない伊織が、時間稼ぎのような答えがわかりきった質問を投げた。
「もちろん私が人喰い熊であるということをですよ、伊織様」
ゴロハチは包み隠さず端的に答えると、逃げる獲物を追うように一歩、また一歩と後ずさる伊織に近づいた。
「……や、こ、来ないで……」
伊織は狐耳をへたらせ、両手を突き出し近づいてくるゴロハチを拒否した。
するとそれを見たゴロハチは歩みを止め悲しそうに項垂れた。
「あっ! ゴロハチ違うの! あの……その……」
ゴロハチを傷つけた事に気がついた伊織はそれを何とか否定しようとしせんをあちこちと彷徨わせながら言葉を探す。
だが、上手い言葉が見つからず結局言い淀んだ。
「いいのです、伊織様。私は所詮畜生なのですから」
ゴロハチはそう言って笑みを浮かべた。だが、それは明らかに無理をした笑みであった。
伊織はそれを見た瞬間駆けだした。そして、
「ゴロハチ、ごめん! 本当にごめんなさい!」
ゴロハチの胸に飛びついた。
「いいい、伊織様!?」
予想だにしない伊織の行動にゴロハチは目を白黒させた。
「ゴロハチの気持ちも考えないで拒否してごめんなさい! いつも尽くしてくれていたのに、人喰い熊と聞いただけで拒否してごめんなさい! 寛を食べたのだって理由があったのに、そんなことも考えなくてごめんなさい!」
ゴロハチの胸に頭を擦りつけながら必死に謝る伊織。
普段なら疚しい打算を交えつつ謝るのだが、この時ばかりは本心からの謝罪だった。
ゴロハチの気持ちを傷つけたことに伊織の少ない良心が働いた結果だった。
そんな伊織の謝罪を呆然と聞いていたゴロハチだったが、己に抱きついていた伊織をゆっくりと抱きしめた。
すると間もなく伊織の耳に冷たい滴が当たる。
「……ゴロハチ?」
伊織が何事かと面を上げた。ゴロハチの顔が見える。そしてその双眸から熱い滴が滔々と流れ落ちていた。
「ゴロハチ、泣いているの?」
「ええ。そうみたいです、伊織様」
「ごめんなさい。悲しかったよね……」
「いいえ。これは嬉し涙です」
「嬉し涙? そっか、ゴロハチも案外泣きべそなんだね」
「そうですよ? 知りませんでした?」
「ん。いま知ったからいいよ」
「もう、伊織様ったら……」
頬を涙で濡らしたゴロハチが苦笑交じりに微笑んだ。




