その15 お狐様、ハナイグチとアミガサタケを堪能する!ついでにシャグマアミガサタケに殺(や)られる!
「きのこの時間だよ!」
伊織は籠からまずラベンダーを取り除き次に籠いっぱいのきのこを敷いたござにあけた。そして今回採取してきた三種のきのこを傷んだものや虫食いが酷いものを取り除きながら手際よく選り分けていく。
しばらくしてござの上にはハナイグチ、アミガサタケ、シャグマアミガサタケの島ができた。量はハナイグチが一番多く、ついでアミガサタケ、シャグマアミガサタケの順だ。
「選り分け終了! 次は虫出し!」
伊織は一抱えもありそうな大きなたらいと大きめな木椀に水を張ると、それぞれに塩を入れた。そして、たらいにはハナイグチとアミガサタケ。木椀にはシャグマアミガサタケを入れて虫が出てくるのを待った。
わざわざ器を分けたのはシャグマアミガサタケの毒が他のきのこに移るのを心配したためである。
同じ器にしたからといって実際に移るかどうかは不明だがリスクは回避するに越したことはない。
さて、塩水につけてしばらくすると、きのこからわらわらと虫が出てくるのが見えた。
伊織はそれを取り除いたり、水に浮いた虫を掬ったりしながらまたしばらく様子を見た。
そして虫が完全に出し終わったのを見計らうと、今度は軽く水洗いをしてきのこに着いたゴミを取り除く。
それが終わるときのこを笊に移し水を切った。次は保存用きのこの処理だ。
まずはハナイグチの保存処理である。
石突きを切り落とし、すぐに料理に使う分を選り分けた後、煮立てた鍋にハナイグチをさっとくぐらす。そうして湯に通したものをすぐに冷水にさらし粗熱を取って水気を切る。
そして、塩をひいた瓶にハナイグチを敷き詰め、また塩をふり、さらにその上にハナイグチを敷き詰め塩をふる。
最後に地層のようになった瓶に蓋をして重しを置く。
これを涼しい暗所に設置してハナイグチの保存処理は終了だ。
次にアミガサタケの保存処理である。
これは簡単で虫を出し、ゴミを取り除いたものを乾いたゴザに空け天日で干すだけである。
ただ、今は夜なのでとりあえずは室内で乾し、明日改めて外で乾すことにした。
残りはシャグマアミガサタケだがお腹がすいた伊織は処理を中断しご飯を作ることにした。
腹が減っては戦が出来ぬであると伊織。
一体何と一戦を交えるつもりなのか甚だ不明だが、ただ単に採ってきたきのこを食べたいだけなので意味は特にない。
伊織はまずハナイグチを取り出すと手早く味噌汁にした。
炒めても美味しいハナイグチだが、やはりその濃い旨味を生かすには味噌汁が一番なのだ。
伊織は味を見るために一口、汁を啜る。すると口内にきのこ特有の旨味が一気に広がり、そのあまりの旨さに「はうっ……」と溜息をついた。
伊織が今まで食べてきたどのハナイグチよりも濃厚な出汁が出ていたのだ。
もしかしたらこの大森海のきのこは地元である北海道のものよりも味が良いのかも知れないと伊織は思いつつ、次にアミガサタケの調理に取りかかる。
アミガサタケも濃厚な旨味があるが、残念ながら味噌汁などのような和食では無く、パスタやスープ、バターホイル焼きなど洋食に向いているのだ。
しかし、ここにはバターやコンソメなど洋食に適した調味料がほとんど無いため伊織はアミガサタケをソテーすることにした。
まずアミガサタケを切り、ゆでこぼして毒性分を抜いた後に塩と油で炒める。するとアミガサタケの香りが台所に広がり、伊織の空腹中枢を刺激する。
我慢できなくなった伊織は炒めたアミガサタケの欠片を一つ口に入れた。すると、歯切れの良い食感の後、得も言われぬ旨味が口内を支配。伊織はうっとりした表情を浮かべまた溜息をついた。
アミガサタケの旨味と空腹がコラボレーションしたことにより、より深い旨さを伊織は感じてしまったのだ。
炒め終わったアミガサタケを木皿に盛り、アミガサタケのソテーが完成だ。
ハナイグチの味噌汁も良い頃合いになったので次は実食である。
伊織は炊いてあった北海道産最高級ゆ○ぴりかを椀に盛ると、目を細め満足げにそれを眺めた。そしていただきますと手を合わせた後、味噌汁をずずずと啜った。
直後。
「うまっ! うまっ! 味噌汁うまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!! 濃厚な出汁! 歯切れ良い食感! 完璧だよ! これぞ味噌汁の完成形やで~!」
伊織はどこかで聞いたことがあるような気がしなくもない怪しいフレーズを叫んだ。
ハナイグチの味噌汁のあまりの旨さに叫び語らずにはいられなかったのだ。
伊織は続いてアミガサタケのソテーを米と一緒に口に含んだ。
直後。
「うまっ! うまっ! お米と相性抜群のソテーうまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!! 濃厚な出汁! 歯切れ良い食感! 完璧だよ! これぞソテーの完成形やで~!」
米とアミガサタケのソテーを頬張りながら再び叫ぶ伊織。
なお、語りが前文と完全に一致である。ボキャブラリーが貧相なことを期せずして証明だ。
だが、そんなことは今の伊織には関係が無い。美味すぎるきのこ料理により最高にハイな気分でアゲアゲなのだ。
「どうしよう! 美味しすぎてオカしくなっちゃうぅぅぅ!!!!」
どうしようも何も既にオカしくなっているので何も心配は無い。
こうして、一心不乱にそれらを貪り、時折奇声をあげる伊織。
あがる奇声に居間でくつろいでいたアティラは何事かと台所をのぞき込む。すると、そこには飯を掻き込みながら幸福と恍惚を足して2で割ってさらに得たり顔を掛けたような表情をした伊織が存在していた。
そしてそれは非情に見苦しかった。
「……さて、寝るかの」
アティラはそんな伊織からそっと目を背け、何も見なかったことにしてその場から立ち去った。
それはアティラの数少ない優しさだった。そしてそんなことも露知らず伊織は一人饗宴を繰り広げるのであった。
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異常ともいえる晩餐を終えた伊織は満足げに膨れたお腹をさすりながら、食器を洗おうと岩のシンクに近づいたところ、笊の中に残ったままのきのこに気がついた。
シャグマアミガサタケだ。
伊織はそういえば処理がまだだったと思い、それを一つ手に取りまじまじと観察する。
どどめ色をした脳状の傘に白い柄が付いている姿は非情にグロテスクでいかにも毒がありそうな様相である。
事実。シャグマアミガサタケにはギロミトリンという猛毒が含まれていた。
しかも煮炊きすると加水分解でモノメチルヒドラジンというこれまた猛毒の有機化合物に変化するというおまけ付きだ。
なお、このモノメチルヒドラジンはロケットエンジンの燃料(又は推進剤)に使われていたりもする。
この毒を摂取すると、嘔吐・下痢・腹痛・痙攣・昏睡・肝機能障害・脳浮腫などの症状を引き起こし、死に至るという経過を辿るのだ。
そんな猛毒を持つシャグマアミガサタケである。普通なら食べられないだろうと思うだろう。
伊織も昔はそう思っていたが、実は食用になることをきのこの本で知ったのだ。
しかも本によると北欧フィンランドでは普通に食されており、学名の『Gyromitra esculenta』を日本語訳すれば『コイツ食えるよ!』(意訳)になるという折り紙付きだ。
無毒化の方法は案外簡単で煮沸を数回繰り返し(毎回水を替え、その都度大量の水でさらす)で毒が抜けるらしい。
らしいというのは伊織自身、シャグマアミガサタケを今まで取り扱ったことが無いためである。
まず、見た目がグロテスクで日本においても食す文化が無いため、きのこ採り名人の父もこれを採取してきたことが一度も無かったのだ。
では、なぜ伊織はこれを食おうとしているのかというと、本やネットでこのきのこが(危険だが)とても美味しいという情報を得ていたからに他ならなかった。
これがもし、食べられるけども味はいまいちであったら中毒のリスクを勘案し手を出さなかっただろうが、美味いとなれば話は別である。
きのこ好きの伊織にとって、美味いきのこは見た目がどうであろうがジャスティスなのだ。だからシャグマアミガサタケを食するも必然であった。
早速、シャグマアミガサタケの無毒処理に取りかかる伊織。
大きめの鍋に水をたっぶり張り竈にかけ、そこにシャグマアミガサタケを放り込んだ。すぐに水はぐらぐらと煮立ち、それに伴い煮汁がどどめ色に色づいていく。野性味溢れる薫香が伊織の鼻孔をくすぐる。
沸き立つ期待を抑えながら鍋を覗き込む伊織。
確か本には5分以上煮沸するよう書いてあったので、念のため10分くらいは煮ようかなと考えを巡らしていたとき変化が起きた。
急に吐き気が襲ってきたのだ。
「う……うぇぇぇぇ…………気持ち悪い……」
伊織は急いでシンクに直行すると、先ほど食べたものを吐き出す。
「……何が原因なの? ……うぇぇぇぇ……」
一体何が起きているのかわからず、ゲーゲーと吐き続ける伊織。また、吐き気に伴い悪心と眩暈も発生。そのまま床に倒れ込んだ。
言うまでも無く原因はシャグマアミガサタケだった。
伊織はこのキノコの毒抜きについて肝心なことを見落としていたのだ。
確かにシャグマアミガサタケは煮沸を繰り返すことで無毒化する。
ここまでは間違いではない。ただし、その無毒化の過程に落とし穴があったのだ。
実は加水分解によって生じる猛毒成分のモノメチルヒドラジンは沸点が約85℃と低く、揮発しやすい性質だったのだ。
そのため処理するときは風通りの良い野外で処理するか、室内であれば換気が十二分になされることが必須となるのだが、普段から本を斜め読みする癖のある伊織はその情報を華麗にスルーしてしまっていたのだ。
正に生兵法は大怪我の元を地で行く有様である。
つまり、伊織は鍋からもくもくあがる猛毒ガスを吸って中毒したという顛末であった。
「……ぁぁぁぁ……もう……ダメポ……」
そんなシャグマアミガサタケの毒にやられた伊織は、意外と余裕がありそうな譫言を残したまま意識を失った。




