はんぎゃくのせんどうしゃ
瞼の裏の暗闇。
ぴしぴしと足の皮膚が引き攣る。
―――あれ、ぼくは死んだのではなかっただろうか。
ああ、そうだ。
あの時ぼくは声を聞いて……。
助かったんだろうか。あの人は誰なんだろうか。何の為なんだろうか。
何故ぼくなんだろうか。
背中に圧迫感がある。
ぼくはどこかに寝かされているようだ。
ひどい怪我をしているはずだ。
身体を動かすことはできないだろう。
段々と、感覚が戻ってくるはず。
相当に痛いだろう。
心構えをしておく。
……いつまでも痛みは襲ってこない。
左足の、毒牙に引き裂かれた箇所すら少し痒みを訴えるだけだ。
痛覚を感じる機能が破壊された、ちぎれている、やっぱり死んでいるなどというのではないなら。
まさか、治っているとでもいうのだろうか。
ゆっくりと目を開けてみる。
美しい妙齢の女の人が、満面の笑みでぼくの顔を覗き込んでいた。
さらり、と黒髪が揺れる。
―――ふふ、驚かせてしまいましたか?
―――そんなつもりはありませんでした。許してください。
―――怪我の調子はいかがですか?出来る限りの処置は施したはずですが、まだ痛むかもしれませんね。
ぼくはこの世界?の言語がわからない。けれど彼女からは意思のようなものの、イメージが流れ込んでくる。
あの時響いた声と同じように。
―――なにぶんダイオウトラヘビの毒は強力で、全身の打撲や骨折よりも完治が遅れてしまいました。
―――しかし後遺症は無いようにさせましたので、数日リハビリを行えば完全に動けるようになるでしょう。
―――傷が癒えたら私のために、言葉や教養、戦い方を学んで貰います。
何故?とぼくは尋ねる。
漠然とした問いかけでも答えてくれると確信していた。
―――ふふ、私は無償の愛でもってあなたを助けたのではありません。勿論代価を頂きますよ?
―――あの時のあなたと同等の価値と、これからあなたに差し上げるものの価値を、戦って返してもらいます。
―――なぜあなたなのか。そのことに理由はありません。
―――そこにいたのがあなただったと言うだけ。当たり前で、偶然で、どうしようもなく理不尽な、それだけのものです。
やはり、その程度のことか。
心もとない、頼りない運命だ。
―――ふふ、でもそれはきっとお互いにとって幸運なことだったかもしれませんね。
―――あそこであなたは遠からず死んでいました。
―――すさまじい因果を抱えながら、矮小な引力に引き摺られて、潰えるのみの存在でした。
―――しかしそうはならなかった。
―――あなたと私は出逢い、それは防がれた。
―――それすらもあなたの抱える因果の流れの一つなのかも知れませんが、たとえ決められていたとしても幸運であるというのは変わらないと私は信じます。
……。
―――ふふ、脱線してしまいましたね。
―――私は久方振りにとても感動しているのです。あなたとの出逢いに、絡まる私とあなたの因果に。
因果?
それのために戦っている、ということなのだろうか。
―――少し、違いますね。
―――私は何と戦っているのか。改めて考えればそれは少し形容しづらいものですね。
―――強いて言うならば、ふふ、この世界と、とでも言いましょうか。
―――この世界の存在はいまだ変わらず、懲りも後悔も改心もせず、ただ本能にしがみつくことしかしないのです。
―――しがみついている、という意識もないのかもしれませんね。生を謳歌し、死を受け入れ、幸福を求めて、それを拡大し継続しようとする。
―――ただそれだけ。誰も外れることはできない。
―――私はそれに抗いたいのです。人の、命の、物質の、存在の果てにたどり着きたい。
―――それが、私の望み。そのために私は戦うのです。
よくわからない。
―――ふふ、やっぱり抽象的な話になってしまいましたね。
ぼくのようなひろいもの一つ一つに話をしているのだろうか。
―――本来、私の"軍勢"一人一人にこんな時間も機会も設けたりはしていません。
―――分担した指導の係の者に任せて、最初に数分一度きり、後は演説の時に。という形になっていますからね。
―――それでもあなたたちに選択の余地はありませんし、わざわざ元の場所に戻るような者を選ぶこともありませんし……。
その通りなのだろう。
―――おっと、生憎そろそろのようです。
―――折角たくさん時間を用意したというのに皆さんにしていることが後回しになってしまいました。
するべきこと……。
―――では、"契約"をしましょうか。
ふふ、と笑って。
寝ているぼくの上半身を起こす。
お互いの両手の指を絡めて、吐息がかかるくらいの距離まで顔を近づける。
―――改めて問います。この私、マナ=アースフェルトの為に、その可能性を賭して戦ってくれますね?
あの時と変わらない。ぼくに選択肢など無い。
―――よろしい。では、あなたの名前は…ユウ、です。
黒髪の人、マナは夜空のような瞳を開ける。
ぱちぱちと星々が煌めく。
それがぼくの瞳と乱反射して。
ぼくはマナの"軍勢"に加わった。