始まりは衰弱と吐き気
ぼくが最初に目を覚ましたのは薄暗い水路の中だった。
水路、というのは些か表現が柔らかすぎるかもしれない。何しろそこは生活排水が流され悪臭の立ち込める場所。物々しく言えば閉水路、かっこよく言えば暗渠。
要するに下水道、ドブだからだ。
意識がはっきりしたと同時に顔の半分を汚水に突っ込んでいたため激しく噎せる。鼻から喉までを刺激する特有の嫌な臭いにえずいた。
涙目ながらなんとか回復して周りを把握する。
一本の太い水路を挟んだ左右の通路に、総じてみすぼらしい格好をした人達がまばらに座ったり、虚ろな目でふらふらと歩いたり、下卑た笑い声を響かせて何やら話したりしているようだった。
外の様子は知らないが、どうやらここは貧困街のようなものらしい。全てを諦めたような、退廃的な雰囲気に支配されていた。
かなり切羽詰まった感じで体が空腹と乾きを訴えているので立ち上がろうとしてみる。
しかし足に力が入らずまたその場にへたりこんでしまった。
仕方ないのでとりあえず現状、特に自分のことについて考えよう。
ぼく、という一人称からもわかる通りぼくは男のようだ。そして手のひらの大きさ、目線の高さから考えて六、七歳といったところだろうか。
獣の耳や尻尾が生えていたり、翼があったりもしない。水は濁って自分の姿を映さないので仕方無くむしって確認すると髪の毛は傷んだ茶色だった。
淡々とした、まるで俯瞰視点からのようなぼくの思考は不自然だと自分でも思う。
不自然だと思う自分のことも不自然だと思う。
なぜぼくはこのような状況で冷静に自己分析などできるのか。
それは、なぜか知らないがぼくには他の人の記憶と知識と経験があるからだ。
それが前世なのかもしれないし、今流行りの(この場所がもとの時間とも世界ともつかない以上不適当な言い方かもしれないが)転生というやつなのかもしれない。
だがそれはないと思う。この記憶は確かにぼくに知識を与えてくれるけども、それは夢のように曖昧なもので、この記憶の持ち主とぼくは考え方が違うようだからだ。
基礎経験みたいなものはこの記憶に基づくけれど、それはぼく自身とはばらばらに分離したものなのだ。
しかしぼくは不自然に思う。
こういう風に確固として自分とこの記憶の乖離を意識できるということは、それに抗えるだけの、乗っ取られないだけの自身の記憶があるはずなのだ。そうでなければこの記憶を自分自身のものであると考えるに違いないのだから。
しかしそれがない。
ぼくには最低六年はこの世界で過ごしたはずの、自分自身の記憶がすっぽりとぬけおちているのだ。
ぼくの自我は、自信はどこから来るのか。
その存在を否定してしまうと、記憶に乗っ取られてしまいそうで……怖い?
……どうでもいいけど六歳児(?)にしては不自然すぎるほどに小難しいことを考えていると思う。
ここまで不自然不自然いってることよりも遥かに。
とりとめもないことをつらつらと考えているうちに飢餓感で死にそうになってくる。これは洒落にならない感じだ。
歩けないので這いずってドブの水を口にする。飢え死によりはましだと思う。
飲んだ。
おえっ。
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流石に下水を口にするというのは浅慮が過ぎたかもしれない。しかし人間、本能にはそう抗えないものだと思う。
絶賛腹痛なう。後悔している。それはもう。
栄養摂取不足に加えて腹痛まで賜ったらそろそろ命の臨界点が見えてくる。
ぼくの苦悩も雲散霧消する。あんまりだ。
朦朧とした意識でたった数十分の人生を嘆いていると、目の前に茶色いパンが放られた。
この世界にもパンがあるようだ、素晴らしい。
そんなことを思う間もなく無我夢中でかぶりつく。
それは固くて味気無く口内の水分を容赦無く奪うものだったが、飢えが満たされることの喜びの方が遥かに勝っていた。
食べるって素晴らしい、とか感激しつつ手に付いたパンくずを舐め取っていると、腹に重い蹴りが叩き込まれた。衝撃に体が少し浮くくらいだった。
「がっ!!……ッはぁっ………!」
ぼくの初台詞をよくも。
折角目覚めたときも台詞を消費しないよう気を遣ったというのに。これでぼくの名言キャリアへの道が閉ざされてしまったかもしれない。許すまじ。
内臓にダメージを負ったときの体の芯をねじられるような鈍痛に耐えていると、この世界のよくわからない言語で怒鳴られ、痩せ細った腕をつかまれ引っ立てられた。
この扱いからしてどうやらここではお互いに助け合い、いたわりあうなどというのとは無縁のようだ。
かなり危惧していたことでもあるのだが、目の前の汚い男の言葉が全くわからない。
しっかりしろよぼく、せめて一般教養くらいは備えてろよ、とか思ったがまあ多くは望むまい。
ここまでで何が恵まれているのだ、とか思う者も少なくないだろう。というか圧倒的多数だろう。
捨てられ浮浪児のぼくの何が恵まれているのか。
まず基盤となるのがこの"記憶"だ。これがなければ言葉の通じぬ哀れな捨て子だ。
"記憶"からもたらされるものは第一に状況を整理し理解できる判断力。
これは先々で役に立っていくことだろう。先があるかはこれからの運と努力次第だろうが。
そしてその記憶にある体の動かし方、脳の使い方と同じだということだ。
そんなことかと馬鹿にするなかれ、この一致がなければ"記憶"の優位性も無効化され、意識も無と化すことだろう。
他にもここが異世界だったとして、気が付かないような当たり前の恩恵があるだろうが、保証されているのは今までの行動でわかったことだろう。
お腹が空くこととか、足に力を入れれば立てることとか、食べれば飢えを凌げることとか、殴られれば痛いということだろうか。
むせるのは多分呼吸をしていてそれが必要だからだろう。なぜ必要なのかはまだわからないけど。
もしかしたら魔力とか吸ってるのかも知れないし。
大体はこんなところだろうか。
つまりはこの記憶の情報を存分に発揮できるということだ。
ここまで恵まれているのだ。言語の不理解、死にかけスタートなど大したことではない、甘んじて受け入れるべきものなのだ。
……と強がっておく。
さて、男の言葉は相変わらずわからないが、恐らくは食べた分は働けということだろう。
ふらつく足で引き摺られるように歩いていると、何やら周りが騒がしくなってくる。まばらだった浮浪者が何人も密集しているようだ。
向こうから手前に流れる澱んだ水路が、妙な濁り方をしている。
なにかを上流で垂れ流しているかのような。
目を凝らすとそれは『赤』に近い。
疑うまでもなく赤色なんだけれど…物騒だ。
上の世界の―もしあればたが―誰かが大量の塗料を無為に棄てでもしない限り、それが意味するのはおいそれと限られてくる。
これから自分がやらされることを朧気に自覚してしまったためあまり関係のないことで気をまぎらわせようと思う。
わかるのは、生き物の血は赤いということから、もしかしたらぼくのいるろくでもなく物騒な世界と、この記憶の平和な世界が同じものかもしれないということだ。
だがその期待とも予想ともつかないものは、容易く裏切られることになる。
その先でぼくを待ち受けていたのは、醜悪で巨大で、およそ常識はずれな人喰い蛇だったからだ。