我が季節3
まだ女学生の身である雪が、自分の都合のつく時に枢の身の回りの世話をしだしてから、約一週間が経過しようとしていた。雪は未だに枢と目を合わせようとしないものの、流石は主席を誇るだけあり、枢が一を言えば十を把握して行動した。雪が来てから仕事が捗っているのは言うまでも無い。
「雪さん、あの硯は何処にしまいましたっけ」
「こちらに御用意してございます。先日仰っていた簪もこちらに…」
初めて会った時の動揺など見る影も無く、てきぱきと仕事をこなしていく雪は、本当にまだ十代かと疑いたくなる位機敏だった。もう一度言うようだが、流石は主席。
そんな雪が学校の後に手伝いとはいえ仕事などして、学業に支障は無いのかと尋ねたら、卒業に要する単位は既にほとんど取ってしまっていて、授業そのものが少ないとの事である。今は卒業したら直ぐにでも宵家にきちんと就職できるように、修行や慣れを兼ねての枢のお手伝いなのだ、と田神が言っていた。
だからといって長々と雪を此処に留めて置くわけにもいかない。雪の家は此処から一時間もかかる所にあり、帰るのにすら労力を費やす。人間だから、疲れるのは当然である。疲労で少女を倒れさせるなど、この地を守護する当主としてあってはならない事だ。
「今日はこの辺りで大丈夫です。お勉強でお疲れなのに、わざわざ有難うございました。送りの者を呼びましょう」
筆をことりと文机に置いて、枢は雪に向き直る。そして「おや」と首を傾げた。急に意識を払われた雪は思わず「えっ」と声をあげる。
「いえ、そのまま…動かないで下さいね」
枢がゆっくりと雪に手を伸ばす。動くな、と言われた雪は動く事も出来ず、正座したままおろおろと視線を泳がしている。そっと両手で雪の頭に触れると、枢は後頭部に付いている桜色の大きなリボンの位置を、ちょいちょい、と直した。
「これで良いです。沢山お手伝いしてもらいましたからね、少し乱れていました」
リボンがきちんと直った事を確認した枢はにっこり笑い、スッと立ち上がって「もう日が傾いてきましたね」なんてのんびり呟きながら、送りの者を呼びに部屋から出て行った。
後に残された雪は、田神が呼びに来るまでの間、身じろぐことすら出来なかった。
**
「…何かしましたか」
「…心当たりがないのだけれど」
雪が帰った後、枢は田神に問い詰められていた。家に帰るまでの間、いつもはお喋りに花を咲かす雪が一言も発しなかった、と送りの者が報告してきたらしい。
「…不用意に近づいたり、触れたりとか…」
「あ、リボン直してあげたね」
「それか…」と田神は右手で頭を抱えた。そして「あのですね、」と枢に切り出す。
「貴方のその無駄に麗しい顔を、何の前触れも無く一般人に近づけるんじゃありませんって、いっつも言っているでしょうに」
宵家に仕える者達は皆枢には慣れてしまっているからいい、だけど俗世の人間に貴方の顔は強烈過ぎる、と溜息を吐きながら田神が言った。何だかひどい言われ様だ。
「あの子は別に私の顔がどう、とかでそうなったとは思えないのだけれど」
一週間接して普通に話せるようになり、当主が普通の人間と変わらないのだと理解したものの、心の何処かで恐れている当主が急に近づいてきた、だから固まってしまったに過ぎないだろう。私の顔は悪くない。
「それでも、ですよ。雪さんも女性なのですから。貴方の顔に反応しないとは限らないでしょう。まあ本当に恐れただけなのかもしれませんが、それも頭に入れておいてください。
…いやしっかし…。顔目当てでも良いから貴方に言い寄ってくれる人が居れば、その無駄に麗しい顔も役に立つのでしょうね…」
注意をつらつら述べているかと思ったら、すぐにこれだ。マジマジと枢の顔を見詰めながら、暗に不死だから結婚出来ないのですよね、と田神は結婚を勧めるくせに嫌味を言う。初めて会った時よりは大分マシになってはいるが、それでも宵家の当主に向かって笑顔で嫌味を言う田神は何とも妖らしい。
そんな田神をじーっと睨んでいると、田神はなにやら思い出したように、「これを自室の壁にでも貼っといてください」、と半紙のようなものを手渡してきた。その半紙には『不必要な接近禁止』の文字。
一体何の嫌がらせだ。