我が季節2
背後でぐちぐちと文句を続ける田神を尻目に、枢は広い日本庭園をぶらりぶらりと散歩していた。少し日が傾いて風が吹き始め、二人の着物をすくう。空には雲ひとつ無く、明日も晴れて暖かい日だと思われた。
そろそろ自室に帰って仕事でもしようか、そう考えながらも庭の花々を眺めていると、田神が「おや」と後ろを振り返って声をあげた。枢も一緒になって振り返る。
「…今度はな…」
振り向いたその先に居たのは、艶やかで真っ黒な長髪に大きな赤いリボン、白磁のような美しい肌に大きい瞳、えび茶の袴に黒の編み上げ靴の、可愛らしい女学生だった。
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「雪さんではありませんか」
田神がぱたぱたとその少女に近寄る。
「田神さまっ!」
両手を胸の前で組んで不安そうにしていたその少女、雪は田神を見てぱぁっと顔を明るくした。その笑顔がなんとも若々しい。
「こんなところで…」「すみません、迷ってしまって…」枢が雪に目を奪われ言葉を失っている間に、田神と少女は会話を始める。勝手に進む会話に枢はハッとなり、田神に言葉を掛ける。
「田神、その子は…」
枢の言葉を最後まで聞かずに、田神は「あぁ、」と返事をした。そして雪に枢の方を見るように促し、枢を紹介する。
「紹介が遅れました。雪さん、こちらが我らが当主、枢様です」
「…えっ…?」
先程まで笑顔だった雪の笑顔が硬直した。
(やはり、見た目の歳はとらずに100年以上も生きている当主など、末恐ろしいものですよね…)
彼女の硬直の理由を推測し、枢は苦笑いして挨拶する。
「初めまして…?」
にっこり笑うわけでもない当主の態度を恐れてか、雪はびくっと身体を震わして勢いよく頭を下げた。
「っ申し訳ありませんっ!御当主さまの御前に許可も無くっ…!」
「御気になさらず、雪さん。うちの当主は案外、心は、広いんですよ」
意味深な物言いで、枢に代わって田神が雪を宥める。「田神…」と小さく詰るが、本人は何処吹く風。はぁ、と溜息を吐いて雪を見遣ると、ま彼女はだ目を伏せていた。
(こわがらせて、しまったかな…)
初対面の少女にすら恐れられてしまう自分に、当主として便利とはいえども、少し胸が痛んだ。
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「あー…。彼女はですね、貴方のお手伝いさん、ですかね」
枢の自室、畳の上で正座をさせられている田神は、目を合わせずにぼそぼそと呟く。
「…田神…勝手にそういう事をするな、と何時も言っていますよね…?」
彼女と別れたあと、仕事の為に自室の文机の向かっていた枢はくるりと姿勢を変え、目を逸らす田神に正面から近づき、にっこりと微笑んだ。さっきまでの田神の覇気はすっかり失われて、蛇に睨まれた蛙のようである。
当主の仕事は当然妖関連も扱うために機密事項が多い。自分が何者か把握していない人間を側に置いて仕事をするなど、言語道断である。なのに勝手に採用してきたのか。
「出生も経歴も人柄もきちんと保障できますから、ね?ほら、お部屋での雑用のお手伝いさん、最近御歳で退職なさったでしょう。新しい人を、と気を利かせたのです、ええ」
何か歯切れが悪い言い方だ。しかし妻の話も勿論、お手伝いさんの話も田神が気にしていたのは事実。
「…はぁ。本当に信頼できる人なのですね?」
田神の視線の先に自分の顔を置いて尋ねると、田神はしっかり視線を返してきて頷いた。そして先程の歯切れの悪さはいずこやら、しっかりとした口調で切り返す。
「信頼できます。彼女はこの近くの女学院の主席で、元は宵家に仕えていた一族です。先祖が体調を崩して宵家の仕事を辞してからは随分経ちますが…」
その言葉を聞いて枢は目をクッと細め、ふむ、と呟いた。
「…では我々の仕事をきちんと知っているのですね」
「えぇ、だから彼女を推したのです。将来的に宵家で働けるという事は、元々宵家に仕えていた彼女の家にとっても名誉な事ですから、すぐにお返事を頂けました」
「そうですか」と枢は頷く。そしてしばらく考えた後、「わかりました」と返した。
「だけれど田神。そういうのは私に相談してからでもいいでしょう」
「枢様には結婚の事だけ考えていて欲しかったので」
飄々と返す田神に枢は溜息を吐く。どうしても近年中に結婚させたいらしい。そう簡単にいくとは思えないのだけれど。
「本当に君は…」と言いながらも自分の文机に向き直る枢の背後で、田神は気付かれないようにふぅっ、と肩の力を抜いた。
(本当は其れだけじゃないのですけどね…)
視線を宙に泳がせながら、田神は全てを話さなかったことを心の中で枢に謝った。と、同時に哀れみの目を向ける。
(宵家の仕事を知っているなら何故恐れられたのか、とか考えないのですかね、この人は…)
『人間離れした人間だから』、なんて妖に比べたら大した事など無いのに。どうしてこの人はこう、不器用なのだろう。