我が季節9
「わかってないですね雪さんは…」
優しく抱きしめへたり込む枢に雪は一瞬固まったが、即座に我を取り戻す。この前急接近された時は固まったまま動けなかった。進歩した。
「ああああああのっ!!たたたた助けていただいてありがとうございますっ!あのっあのっ!!!枢さまのお着物が汚れてしまいますのでっ…!」
「洗えばいいので大丈夫です」
慌てふためく雪とは対照的に、枢は落ち着いたまま、ぎゅうっと顔を雪の肩に埋めて、小さく答える。すると雪の身体がビクッと撥ねた。だが枢は気付かない振りをする。
「わかってないですね、雪さん。着物なんて、幾らだって代えがききます。でも貴女は、お1人しかいないのですよ…?この前だって、妖が騒ぎを起こしたばかりなのに…」
静かに話す枢に、雪は顔を真っ赤にしながらも、ついっと視線を枢の後頭部に寄せた。白銀の御髪が、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
(綺麗…)
そう、綺麗。凡庸な自分とは、全く釣り合わない。枢も、田神も、あの親戚だという女性も。皆が皆、美しい。
「く、ろろ様…あの、私落ち着きました…。離して頂いても宜しいでしょうか…?」
グッと息を飲み込み、雪はゆっくりと言葉を吐いた。だが。
「私の話を聞いていましたか、雪さん」
「っ!」
枢は雪を開放するどころか、更に腕に力を込め、強く抱きしめた。
「わ、私の代えなど幾らでもききます!枢さまは大変お美しく聡明でいらっしゃいますからっ…」
「私の美醜なんてどうだっていいのですよ」
そういって枢はバッと伏せていた顔をあげた。その視線はしっかりと雪を捉える。咄嗟に視線を逸らそうとする雪の顔を両手で柔らかく包み込み、枢はちょっと苦笑しながら軌道修正した。
「私の目を見てください、雪さん」
何度呼ばれたか分からない名前に反射するかのように、雪は初めて枢に視線を返した。そして「あ」と呟く。今まで気付かなかった。枢さまの目は、普通の方と一緒、深い黒目だっだんだ。吸い込まれそうな、真っ黒な瞳。
「初めて目が合いましたね?雪さんは私の事が、恐いですか?」
まだ困ったような顔をしたまま、枢が首を傾げて問う。その台詞にハッとした雪は、目を伏せ、固定された頭を出来る限りで横に振った。
枢さまは勘違いしていた。自分が不死だから、私が恐がったのだと。
違う、違うんです枢さま。私が、どうして枢さまを不死だからって恐れる必要があるのですか。枢さまが私達のために、全ての命が平和に生きていけるように、いつも粉骨砕身してきたことを、知らないものなど居ましょうか。
一向に視線を合わせられない私に優しくしてくれた貴方を、不死だからと、厭うわけがあるでしょうか。
そう、ただ恥ずかしかった。凡庸な私が、枢さまのような麗しく尊い方に見られることが。
だから私は、畏れた。
「私の美醜なんてどうだっていいのですよ」
同じ言葉を繰り返した枢に、雪は自分が無意識に考えを口に出していたのだと気付く。頬が上気して、バッと視線をあげると、そこには枢の笑顔があった。
「なんだ、そういうことなら、早く聞いていればよかった。ふふ、田神の言っていたことも、あながち嘘ではありませんでしたね」
『雪さんも女性なのですから。貴方の顔に反応しないとは限らないでしょう』そう言っていた田神の顔が思い出される。たまには的を得たことを言うことがあるようだ。
にこにこ笑って、顔を固定していた手を離し、右手で頭を撫で始めた枢に、雪は目をパチクリさせながら困惑していた。あ、頭を撫でられている…?
「貴女は気付いてないのでしょうか?貴女はとても可愛らしい女性ですよ」
いきなり掛けられた褒め言葉に、雪は絶句した。視線を外すことも出来ず、ジッと枢を見つめる。
頭を撫でていた手が、ゆっくり頬に下ろされる。雪の頬は、まるで林檎のように真っ赤になっていた。
「初めて貴女に会った時、私は貴女に目を奪われました。これが一目ぼれというのでしょうね?お恥ずかしながら、暫く言葉を失ってしまいました」
彼は嬉しそうに言葉を続ける。そう、あんなに可愛いと思った女性は初めてだった。艶やかで真っ黒な長髪、白磁のような美しい肌に大きい瞳、少し上気して桜色に染まる頬。可愛らしい、可愛らしいあの子は、一体誰のものなのだろう、と。
「貴女が私を見て恐れた時、凄く、悲しくなった。そして思いました。『この子に私を見て欲しい』と」
だがすぐにその感情に気付かない振りをしてフタをしてしまった。自分は恐れられている。だったらこれ以上溝を深めるべきではないと。でも、彼女が、私のことを。
「私のこと、不死だからと恐れないでくれてありがとうございます。大分気にしていた事だったので、凄く嬉しいです。この不死は、私にもどうにも出来ないものでしたから」
不死をおそれられているのではない。彼女が恐れているのは、畏れているのはこの容姿。だったら、この感情に、フタなどしなくていいのではないか。どんな恋愛とも、同じ開始地点に立っているのではないか。
「貴女が私を畏れる理由がこの顔容ならば、これを壊してしまえば、ずっと側にいてもらえるのでしょうか」
その物騒な言葉に、雪は驚き、思わず枢の胸元に掴みかかる。柔らかい布が、くしゃりと皺を寄せた。
「なっ何をおっしゃるのですか!!!枢さまにそのようなことっ…!」
泣きそうになる雪を見て、苦笑しながら、枢は掴みかかった雪の手を解き、両手で包み込んだ。
「聞いてください雪さん。
今は貴女にとって私はある意味顔の恐い、只の当主かもしれません。でも、私は貴女を好いています。だから、私に機会をくれませんか?」
「こんな短期間でいうのもあれですが、」と枢は少し恥らって言葉を続ける。
「貴女が好きです。側にいてください。1人の女性として」
雪は息を呑む。
この美しく優しい人に愛される人は、どれだけ幸せなのだろうと考えたことがあった。そのときは、分不相応にもそんなことを考えてしまった自分を恥じたが、これは、現実だろうか。
困惑する雪を見て、枢はくすりと笑った。そして、悪戯っぽく笑って、
「それとも雪さんは、色んな人から恐れられて寂しい私を放って帰ってしまうのですか?」
とのたまった。
尊敬する当主、憧れを抱く男性にそんなことを言われて、どうして拒否できるだろうか。しかし、問題がある。
「わ、私!す、すぐに異性として接することが出来るかというと、あの、その…。あ、違うんです!枢さまにそういう魅力がないとか言っているわけでは…!枢さまとご一緒できるだなんて、思いもせず…!えと、その、私まだ枢さまを直視できませんし…!えっと!枢さまは、えと、私…!!!」
混乱しながらわたわた話す雪をみて、枢は「あはは!」と笑い出した。
「あははっ、雪さんたら。ほら、落ち着いてください」
ぽんぽんと雪の頭を撫でる。
「ゆっくりでいいんです雪さん。ゆっくり私のこと、当主としてではなく、1人の男として知っていてください。私も頑張りますから、ね?」
綺麗な笑顔で笑いかけるその男に、雪は堪えていたものがついに崩壊し、また固まってしまったのであった。