プロローグ
縁側に腰掛けながら、膝の上の黒猫を抱く。喉を撫でると、猫は気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いた。
ふと視線を猫から庭へと移すと、はらはらと桜の花びらが舞い散っている。
この季節が巡ってきたのは一体何回目だったろう。もう自分で数えるのも面倒くさくなっていた。
どうせ田神が数えてくれている。彼に任せておけば、自分の正確な年齢も忘れる事は無いだろう。
「可笑しいね、生まれた時は人間だったんだけれど」
誰に言うでもなく独り笑う彼は、美しくも儚かった。
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それは今から十年程前。
黒い猫っ毛のセミロングを揺らした隻眼の客人が、豪勢な家屋の一番奥の間に足を踏み入れると、その部屋の主がゆっくりこちらを振り返った。
「おや、いらっしゃい」
艶やかな声音が凛と部屋の中に響き、客人を迎え入れる。大抵の女なら、その女性のような美しい美貌と、すっきり後ろで纏められた輝く白髪に思わず溜息を零すだろう。だがそんな色香に騙され流されるような客人ではない。
「呼び出しておいて出迎えもなしか」
左目だけしかないというのに、客人の眼力は鋭い。無いほうの目を隠していない事も一つの理由だろうか。その目に睨まれたら大抵の人間は竦んでしまうだろう。だが主はそんな事には微動だにせず、あはは、と笑って「すまないね」と謝るだけだった。軽く受け流す主に溜息を突き、客人は「一体何の用だ」と吐き捨てる。すると主の表情がぐらりと崩れた。
「…枢〈くろろ〉…?」
思わず名前を呼ぶが、枢は弱く笑んだまま。
「おい、お前…」
「灰〈かい〉…」
名前を呼び返されて、客人、灰は思わず口を噤む。枢は言葉を続ける。
「私はね、もう少し側に居れる、と…」
言い切らない内に、枢の身体がグラリと揺れた。
「枢っ!?」
ガタンッと大きい音を立てて、枢が床の間に倒れこむ。慌てて灰が駆けつけ、大丈夫かと叫ぶ。
だけれどその声も段々遠のいていく。意識が消える直前、最後に聞こえたのは屋敷の者を呼びつける、灰の焦りの含まれた叫び声だった。
ー灰、私は彼女を、幸せに出来ただろうか
私は彼女にとって、大切な人に成れただろうか…-
初の投稿となります。お手柔らかにお願いします(汗)
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