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ひとつのトラジティ

掲載日:2026/04/29

九月の風はとうに過ぎ去り、遠くの海岸には鉛色の空のもとに干された烏賊がずらりと並ぶ。それを横目に私は自転車で通り過ぎた。スカートは生ぬるい向かい風をその身すべてで受け止め、パタパタと音を上げて旗めく。段差を越えるたびにカゴに入れた黒いリュックが浮いた。それを片手で抑えつつ帰路に就く。今日も学校はいつもどおりの繰り返しで昨日までのペースを守るように過ごし、入学の時には浮き立った全ても悉に日課へと落ち着いてしまった。どこで道を間違えたのか。ここには何もない。私はどこにも行けやしない。

雨がひそひそ降り始めて白いシャツを淡く透かす 。湿っぽい土のにおいが霧のようにあたりに立ち込めた。緩い上り坂はまだ遠く続き、街路樹は右も左もみんな同じ形だ。雨はどんどん勢いを増し、家に着くころになると、濡れそぼつ服は輪郭がぼんやり溶け入るように見えた。潮風で錆びついた自転車にカギをかけて家へと転げるように潜り込む。濡れた足をタオルで何度も擦り、シャワーを浴びた。ふと、水のないバスタブに丸めた身体を浸し目をとじる。雨が窓を突く音だけが聞こえて、このまま心臓が静かに止まる想像をした。何もしていないのに疲れたようで身体には痺れにも似た心地のよい痛みがじんわり巡る。このまま明日が来ないならどうしようか。いつからだろう。明日に期待しなくなったのは。どれだけ希望を孕んだ昨日にいても、その重いツケを払うのは今日の私だ。誰も私の代わりに私の責任を肩代わりしてくれない。そんな無責任な話はあるだろうか。

もし、私を形作るもの全てが、はじめからなかったように消え、全てを忘れ、自由になったらと考えたことがある。そうなったら、もしそうなったら私はどこに行くんだろう。考えても仕方のないと蓋を閉めた思いがまた雲のように膨らみ始める。

部屋着を纏い、階段を上り自室に戻る。自室の扉を開くとまず目についたのは窓だった。開けっ放しにしたまま学校に行っていた。窓のまわりの床は雨粒

が飴玉のようにコロコロ飛び散っていた。窓を閉めるために傍らに立ち、なんとなく外を覗いてみる。何軒の民家を飛び越して遠く見下ろした先の港では、干していた烏賊を急いで取り込む漁師の姿が小さく見えた。漁船はうねる波に揉まれて揺りかごの中の赤子のようだった。海は曇天を映し出し、陰鬱な風が鳴いている。雲に一つ穴が開いているのが見えた。一縷の光の筋がカーテンのように水平線を遮った。あそこは晴れているんだろうか。

窓を閉めると次はベッドへ飛び込んだ。枕に顔を沈めこみ、しばらく動かない。部屋には雨が窓を突く音しか聞こえない。

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