海に行きたい奴隷は、隠れんぼで売却を回避する
私のお母さんは、私のお父さんだという人を殺し、私の目の前で殺されていった……
私のお母さんは溟海種という種族だった。
溟海種は水の中でも呼吸が出来て、会話も出来る。
どれだけ水の中で暮らしていても溺れる事もない種族、らしい……
そして足にはウロコ模様がある。
お母さんから産まれた私も溟海種。
水の中で暮らした事はないけど、まわりの人達にはない模様が足にあった。
まわりの人達から気持ち悪いと言われるそれは、私にとってはお母さんとお揃いで嬉しかった。
私のお母さんはとても綺麗な人だった。
だからお母さんは、この家のご主人様の一番お気に入りの奴隷だった。
ご主人様が家にいる時は毎晩部屋に呼ばれていた。
私はお母さんとご主人様との間に産まれた子供らしい。
まわりの人達がそう言っていた。
でもこの家で一番偉い人と、その偉い人のお気に入りの子供だとしても、私はこの家の中で一番偉くないものだった。
まわりの人達からの命令には常に従って、叩かれたり蹴られたりしても耐えて、寒い倉庫で眠り、朝疲れて帰って来るお母さんの世話をする……それが私の毎日だった。
いつだったか、私の胸には奴隷印というものが刻まれた。
それはお母さんの胸にも刻まれていたものだ。
命令に逆らうと胸を苦しくしてくる、奴隷である事を示すものらしい。
いくらお母さんとお揃いでも、これは嬉しくなかった。
そしてあの日……
ご主人様は私を捨てると言っていた。
お母さんに似た容姿をしていたから残していたけど、愛想が悪い上に使える年頃になったのに使おうと思えないから、遂に限界との事だ。
前々から私を捨てる話は何度もあったらしい。
その度にお母さんが必死に止めてくれていたみたいだけど、それももう無理なのだと……
そしてお母さんはご主人様を殺しに行った。
ご主人様を殺して、私と2人で逃げて、一緒に海に行くんだと言っていた。
海というのはとても綺麗で、温かい場所だって。
だけど私が見たのは海じゃなくて、ご主人様をナイフで刺し殺し、自分も刺されていたお母さんで……
「ご、ごめん、ね……あなたに、海を……見せたかった……」
それだけ言ったお母さんは、もう何も言わなくなってしまった。
温かかったお母さんの手は、どんどん冷たくなってしまって……
それからの事はあまり覚えていない。
ただ、怒られて、殴られて、蹴られて、鎖に繋がれて、知らない場所に運ばれた。
人に買われて、使われて、いらなくなったら捨てられて、また買われて、使われて……
お母さんは命を賭して私を守ろうとしてくれた。
私に海を見せようとしてくれた。
それなのにごめんね、お母さん……
私はもう、何で生きていないといけないのかが分からないよ……
私もお母さんのところに行きたいよ……
「……か?」
また鎖に繋がれて、運ばれた。
まわりはガヤガヤとうるさいし、私に何か言ってるんだろう。
逆らったら暴力を振るわれるだろうし、命令されて苦しくなるけど、もうどうでもいいや。
でもそうだな、最後に……
「うみ、みたかった……」
「……海? こちらだ」
「……ふぇ?」
何気なく呟いた一言。
その言葉を聞いた人は、私の手を軽く掴んで、私に歩くように促した。
こんな風に手を引かれたのはいつぶりだろう?
大体いつも、強い力で無理矢理に引っ張られてばかりなのに……
綺麗な家の中をその人について歩いていく。
そして扉を抜けた先の広い部屋のバルコニー。
一望できた街の様子と奥に広がる深い青色……
日の光を受けて、キラキラと光っていた。
「あれが海だ」
「……」
「聞いているのか?」
「……」
「悪いが行くのは後にしてくれたまえ。まずは食事と風呂を済ませ……聞いているのか?」
「……」
「……全く」
ここは結構高さがあって、あの海まではかなり距離がある場所だ。
それでもあそこに行ってみたいと思った。
あの青の中に飛び込んでみたいと思った。
だから行こうと、足を前に踏み出したのに、
「おいっ!」
と、前に落ちそうになった私の体は、抱きしめるように支えられたせいで、海の方へは近づけなかった。
「危ないだろう! 落ちたらどうする!」
「……」
「言葉が分からない訳ではないのだろう? いいか、ここは3階だ。落ちたら死ぬのだ」
「……うみ」
「海はここから落ちても行けないぞ」
怖い顔で私を怒ってくる……
でも何でだろう?
温かく感じる気がする。
この人の手が、お母さんと同じで温かいからかな?
「とにかくまずは食事だ。こちらに来なさ……来たまえ」
今、私に命令しようとして止めた?
私には奴隷印があるんだから、何か言う事を聞かせたい時は命令すればいいのに?
また手を引かれて連れていかれた先、広い食堂にたくさんの料理が並んでいた。
私と一緒で鎖に繋がれて運ばれていた人達も、少し困ったような顔をしながら食事をしている。
「お前も食べるといい」
「……」
「どうした?」
「……うみ」
「食べてからだ」
この人、変だ。
怖い顔で怒ってるみたいなのに、叩いても、殴っても、蹴ってもこない。
それにこの食べ物は私が食べる茶色のドロドロじゃない。
ご主人様とかが食べる色の付いた料理ばかりだ。
「全く、こうも世話の焼ける者がいるとはな……ほら」
「……」
「別に毒など入っていない」
「……」
「食べ方が分からないのか?」
「……」
「口を開けたまえ、そして噛むのだ」
料理をいくつかお皿に取り分けると、私の前に差し出してきた。
受け取らない私に対して、今度は料理を顔の前に持ってきている……
「……そんなに食べたくないか?」
「っ、んっ……」
「お、おいっ! ちゃんと噛むのだぞ?」
ずっと無視する私に怒ると思ったのに、困ったような顔になった。
だから食べてあげた。
そしたら焦ったように慌てて……この人、見てて面白い。
「どうだ?」
「……」
「好みの味ではなかったか?」
「このみ?」
私は今、何を聞かれているのだろう?
今食べた料理はいつものドロドロとは比べものにならないくらいに食べやすかった。
また食べたいと思った。
だけどこのみって何だろう?
きのみならよく割らされたから知ってるけど?
「好みが分からんか……そうだな、好みというのは、お前が良いと思うかだ。それを食べて美味しいと思ったのなら、それはお前が良いと思ったという事になる」
「おいしい?」
「美味しいというのは、また食べたいと思ったかどうかだ」
「またたべたい」
「そう思ったのか?」
「……おもった」
「ならば食べるといい。好みというのは誰かに決められる事ではない。お前自身がどう思うかだからな」
今度は自分で食べるようにと、料理が乗ったお皿を渡してきた。
だから食べてみた。
どの料理も、また食べたいと思った。
これが美味しいという事なんだろうか?
「腹が満たされたのなら次は風呂だ。お前達も順番に入りに行くのだぞ」
「ふろ?」
「お前は風呂も知らんか。買い取った中では一番歳上だと思ったが、知能は一番下のようだな」
困ってる? 呆れてる?
でも、怒ってない。
「そこのお前、この溟海種の風呂の世話をしてやれ」
「……かしこまりました」
「やだ。あなたがいい」
「な、何を言っている! 私は男だ」
「……ん?」
「男か女かも分からんか?」
「分かる」
「ならば私がお前の風呂の世話が出来ない事も分かるな?」
「分からない」
「何故だ!」
「あなたがいい」
「……全く」
この男の人は、汚い私が腕にしがみついたのに、強引に振り払おうとしなかった。
でもこの女の人は、私の事を変な目で見てる。
これまでにも何度も見られてきたのと同じ目だ。
だから私はこの男の人がいい。
そんな我儘が許される事はないと分かっているけど……
「いいか? 風呂というのは裸になる。この私に裸を見せる事なのだ」
「……」
別に裸くらい、これまでにもたくさん見られてきた。
そんな事がダメな理由なのか?
自分が汚れるとか、疲れるとかじゃなくて?
「旦那様、後は私が代わりますよ」
「あぁ、頼む」
「やだ! この人はやだ!」
「旦那様を困らせるのはやめて、さっさとこちらに来なさい!」
「うっ……」
「いや、いい。行かなくていい」
命令に逆らっていたから胸の奴隷印から苦しいのが襲ってきた。
でもすぐに男の人が命令を解除したから、苦しくなくなった……
「気をつけるようにと言っただろう!」
「も、申し訳ございません……」
「まぁいい、この溟海種は私が風呂に連れて行く」
「は、はい……」
私の我儘を聞いてくれた?
本当に変な人だ。
「ここが風呂だ」
案内された風呂という場所は、大きな水溜まりだった。
風呂というのは体を綺麗にする為の場所なんだろう。
これまでは体を綺麗にする為にと水をかけられるだけだったけど、ここでは水溜まりに体を浸して綺麗にするみたいだ。
「ほら、服を脱いでこちらに来るんだ」
「……」
「そこに座るといい。シャワーをかけるぞ?」
「……」
「全く、何故私がこんな事を……」
ブツブツと文句を言っているのは聞こえるけど、怒ってる感じはしない。
それにこの水、温かい……
「こんなに怪我をしていたのか……」
「……んっ」
「染みたか? 少し耐えるのだ、聖水だ」
「せーすい?」
「怪我が治る水をかけている。生憎と魔術師を雇ってはいないのでな、回復魔法は使えない」
綺麗な瓶に入った水をかけてくれたお陰で、痛かったところが痛くなくなった。
絶対に高いものだろうに、私に使って良かったのかな?
「後はこの泡だ。これを自分に塗るのだ」
「あわあわ」
「そうだ」
「良い香り……私の好み!」
「そうか」
安堵したような大きなため息が聞こえた。
本当に変な人だ。
私が体に塗った泡を流してくれて、温かい水溜まりに入った。
心地よさに眠くなってくる……
「おい、寝るんじゃないぞ? それと、頭をこちらに」
「んー?」
私の髪に泡を付けて、丁寧に洗ってくれているのが分かる。
こんな引っ張る為の綱のような髪を……
「よし、そろそろいいだろう。上がるぞ」
「うん」
「これで体を拭くのだ」
「ふわふわ〜」
「遊ぶんじゃない! 拭くのだ!」
こんなふわふわな布、触るのも初めてだ。
それに用意してもらったお洋服は、とっても可愛いワンピースで……
こんな綺麗なの、これまでまわりにいた人達でも着ていなかったのに。
そういえば、足……
「あし、あしっ!」
「どうした?」
「足に模様……」
「溟海種だからな」
「溟海種だよ?」
「自分が溟海種だと分かっているのだろう?」
「分かる。あなたは溟海種じゃない。この模様、好みじゃない?」
「模様に好みなどない」
「……変?」
「変かどうかはマジョリティによって決まるものだ。溟海種達が多数いれば変なのは私のような人類種。逆もまた然りだな」
正直、何を言ってるのかよく分からなかった。
でもこの人が私の模様を気持ち悪いとは思っていないのは分かった。
それが嬉しかった。
「この部屋で過ごすといい。何かあればそのベルを鳴らすんだ」
「これ?」
「あぁ。では私はもう行く」
リンリンリンリンリンリン
「……何をしている?」
「何かあった」
「何があった?」
「あなたが行っちゃう」
「それは何かではない。当たり前の事だ」
リンリンリンリンリンリン
「何だ」
「行かないで」
「私は忙しい」
リンリンリンリンリンリン
「はぁ、没収だ」
部屋のベルは取り上げられてしまったし、そのまま部屋を出て行ってしまった。
だから勝手に着いていく。
また大きなため息は吐いていたけど、怒ってはいないみたいだし。
「何してるー?」
「仕事だ。邪魔をするんじゃない」
「どんな仕事?」
「取引だ」
「とりひき?」
「お前達奴隷を買い取り、更に高値で買い取ってくれる者へと売るのだ」
「ふーん」
部屋に置かれているのは難しい書類ばかり。
こういうのの管理は偉い人じゃなくて使用人の仕事のはずだ。
この人はこの家で一番偉い人なんだろうし、使用人もいた。
それなのに自分で管理してるんだ。
やっぱり変な人。
「そこにキャンディが置いてあるだろう? 食べるといい」
「これー?」
「甘いぞ」
棚の端の瓶の中。
カラフルな小さい塊があった。
食べていいと言われたから食べたけど……あれ?
「先程の食事に毒は入っていなかったがね、それには毒が入っているのだよ」
「ど、く……」
「眠くなる毒だ」
「なん、で……」
「仕事の邪魔だからだ」
薄れていく意識で聞こえた冷たい声。
そして力が抜けて倒れそうになった私を支えた、冷たさとは正反対の温もり……
「……ん、うぅん?」
目が覚めた時、私はふかふかなベッドで寝ていた。
辺りを見渡して見ても誰もいない。
あの変な人もいない。
……ベルもない。
「あ、あなたは……」
部屋から出ると、おじさんに会った。
この人はさっきの人が仕事をしていた時に手伝っていた人だ。
「旦那様を探しているのですかな?」
「そう」
「あなたに行かれては困るのです。どうぞ、そちらのお部屋でお休みを」
「やだ」
「それは困りましたね」
本当に困っているみたい。
なんか、悪い事をしている気分だ。
「じゃ、じゃあ、あの人の名前、教えてくれたらいいよ」
「旦那様のお名前ですか? お教えしたら、お部屋に戻って下さいますか?」
「うん。今はね」
「今だけですか……まぁ少しでも戻っていただけるのならいいでしょう。あのお方は、カーター・モーガン・グレイス子爵です。このサンクート国でグレイス領を治める領主様であると共に、モーガン商会という大きなお店の会長でもあります」
「カーター?」
「はい」
難しい事はよく分からない。
でもカーターっていうんだ。
「教えてくれてありがとう。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいませ」
おじさんとの約束通り、部屋に戻ってもう一度ベッドに入った。
ふかふかなベッドにふわふわな布団。
これで私は寝てもいいんだ。
……
コンコンッ!
「おはようございます。朝食の時間です」
女の人の声で目を覚まして、部屋から出た。
他の部屋からも昨日まで私と同じで鎖に繋がれていた人達が出てきてる。
「朝食会場にいきますよ。着いてきて下さい」
昨日命令してきた女の人だ。
ちょっと視線が鋭くて怖いけど、言われた通りに着いていく。
案内されたのは昨日食事をしたのと同じ場所。
昨日と同じで色んな料理が並んでる。
……でも、カーターがいない。
「ねぇ、カーターは?」
「なっ! だ、旦那様はお忙しいのです。あなたは早く食事を」
「カーターと一緒に食べたい」
「なんて事を……」
この人は冷たい目をしているし、頼んでもカーターを連れて来てはくれないだろう。
だったら自分で探すからいい。
「あっ、ちょっと!」
なんか叫んでいるのを無視して、ご飯のある部屋から飛び出した。
カーターは昨日の仕事の部屋かな?
あの部屋は多分こっちで……
「……あぁ、そうだ。夕刻にフィールが来る手筈になっている。至高のコーヒーの用意を忘れるな」
「いつも飲まれないではありませんか」
「香りを嗅がせるだけでも十分に価値があるのだよ」
「左様でございますか。そういえば、あの溟海種も売るのですか?」
「当然だろう?」
「……左様でございますか」
部屋に入る前、カーターとおじさんの話し声が聞こえた。
多分だけど、夕方フィールという人に私を売るという話をしていたんだろう。
昨日も奴隷を買って、もっと高値で売る仕事だとか言ってたし。
……だったら、売られないでおいてやる!
バーン!
「カーター! おはよー!」
「なっ!」
「これはこれは……」
「一緒に朝ご飯食べよー」
部屋の扉を勢いよく開けて、カーターを誘ってみた。
驚いている顔だ。
「私は忙しいのだ! お前は向こうで他の者達と共に食事をし……」
「やーだー」
「……全く」
「ねぇ海はー? 海行こうよー」
「海は、夕刻だ」
「約束だよ?」
夕方私を売るのに、夕方に海……
この短い時間だけでも、カーターが嘘を言わない人だというのは分かっていた。
だって昨日の毒入りキャンディも、奴隷を売ってるのも本当だったから。
だからきっと、フィールという人に買われれば、私は海に行けるんだろう。
ずっと行きたかった海。
お母さんが私に見せたいと願ってくれた海。
あの青くて、キラキラしていて、私を迎えてくれる優しさを感じる海……
でも私は、海よりカーターがいいと思った。
"好みというのは誰かに決められる事ではない。お前自身がどう思うかだ"
そう教えてくれたのはカーターだ。
私の好みは海じゃなくてカーターだ。
そうと決まれば私のやるべき事は1つだけ。
カーターを適度に困らせつつ、朝食も昼食も美味しいものを食べた後の夕方、私は隠れた。
カーターやおじさん、あの怖い女の人も、皆が必死になって私を探していたけど、私は見つからなかった。
そしてフィールという人が来た。
フィールは頭に角がある、綺麗な女性だった。
カーター達のような人類種じゃなくて、魔力が多く、身体が頑丈だという魔神種だ。
多分私とそんなに歳も変わらない、もしくは歳下だと思う。
凛としていて、格好いい……
フィールはコーヒーが好みらしく、カーターはフィールにコーヒーを勧めていた。
それに私には怒った顔や困った顔しか向けてこないのに、フィールには優しく笑っていた。
ちょっと嘘くさい笑顔ではあったけど、それでも笑っていたんだ。
カーターは、ああいう女性が好みなのかも……
フィールは私の他にいたカーターが買った奴隷達を転移魔法で転移させると、カーターにお金を渡して消えていった。
フィールが帰ったのなら、私はもう売られない。
もう隠れてなくてもいいはず。
「お、お前っ!」
「……」
怒られるのは分かってた。
折角のフィールとの取引の邪魔をしたんだから。
でもカーターは、
「無事だったか……」
と、私を見て安心していた。
怒ってこなかった。
「……海は?」
「はぁ、何故いなくなった?」
「ねぇ、海は?」
「お前がいなくなったから、海に行けなくなったのだ」
「カーターは、あの魔神種……」
あの魔神種はカーターの好みなのかを聞こうとしたけど、聞けなかった。
もし好みだって言われたら、どうしたらいいのか分からないから……
「魔神種は分かるのか」
「……」
「あの魔神種は、お前を海へと連れて行ってくれる」
「……カーターと海に行く」
「私は海へは行かん」
「やだ」
「魔神種が怖かったのか? あの魔神種はお前を傷付けたりしない。お前に美味しい食事や美しい服を与える」
「もうカーターからもらった」
「私が渡したものは一時凌ぎに過ぎない。あの魔神種はお前が故郷に帰る手伝いもしてくれる」
「こきょー?」
「そうだ。海に帰りたいのだろう?」
「……海は、帰る場所じゃない」
「……そうか」
カーターは私の頭にポンと優しく手を置くと、そのまま仕事の部屋へと入って行った。
「あの、溟海種さん。お部屋に夕食をご用意しますので、旦那様のお邪魔にならないようにお願いしますね?」
「……分かった」
それからも何日かこの家で過ごした。
カーターに抱きついてみたり、ちょっとだけ仕事の邪魔をしたり、カーターの部屋の布団に潜り込んだり……
私が何をやってもカーターは怒らない。
ううん、怒ってはいるのかもしれない。
でも殴ったり、蹴ったりしない。
そしてまた、カーターはたくさんの奴隷を買い取ってきた。
私が初めてここに来た日と同じように、皆に食事をさせて、お風呂に入らせてる。
聞き耳を立てていたら、またフィールが来るというのも分かった。
そして今度こそ、私をフィールに売ろうとしているのも分かった。
だからまた隠れてあげた。
「お前は……」
「えへへっ、カーター!」
「何度も言っているだろう。あの魔神種を恐れる必要はないと」
「怖くないよ。でも私はカーターがいいの!」
「……全く」
カーターは困っているけど、私は楽しい。
カーターを困らせるのは楽しい。
だからこれからももっと困らせるんだ。
隠れるのなんて簡単だ。
元々音を立てるなってよく怒られていたから、じっとして静かに過ごすのは慣れている。
それに私は耳がいい方だから、カーターやおじさん、フィールの足音も聞き分けられる。
フィールが来る日は隠れればいい。
それで私はカーターと一緒にいられるんだから。
それからもフィールが来る日は隠れ続けた。
私が隠れると分かっているからだろうけど、カーターはフィールが来る日に私に見張りの人をつけるようになった。
見張りの人は最初は門番の人で、私に"逃げるな"という命令をしてきた。
逆らった私は苦しかったけど、すぐに駆けつけてくれたカーターが命令を解除してくれて、門番の人を怒ってたから、その隙に私は隠れる事が出来た。
それからの見張りの人は、いつもカーターの近くにいるおじさんに変わった。
おじさんより私の方が足が速いから簡単に隠れられるし、おじさんが私といる日にフィールが来るのだと分かるから、私も隠れやすくなった。
キャンディを渡される事もあった。
でも最初に寝ちゃったキャンディだって分かってたから、食べなかった。
寧ろ全然寝てないカーターの口に強引に入れてあげたりして、カーターを寝かしてあげた。
起きたカーターは怒ってたけど、おじさんは笑ってたから良かったと思う。
あれからキャンディも渡されなくなったし。
「海に行きたいのだろう?」
「うんっ、カーターとね!」
「私は海へは行かない。だから私といる限り、お前は海へは行けない」
「えぇー! 一緒に海に行こうよー!」
「行かない」
「何でー?」
「忙しいからだ」
カーターが忙しいのは分かってる。
でも私はカーターと海に行きたい。
仕事を手伝ったら、私を売るのを諦めて、一緒に海に行ってくれるかもしれない。
「これ、ここに纏めればいい?」
「ん? あぁ……」
「こっちのは、あっちのと一緒に置いておくね」
「……何を基準に分けている?」
「グレイス領のか、モーガン商会のか」
「分かるのか?」
「分かるよ」
「お前の知識は随分と偏っているようだな」
文字はお母さんに教えてもらったから分かる。
カーターがグレイス領の仕事と、モーガン商会の仕事をしているのもおじさんに聞いたし、ここで過ごしている間に覚えた。
だからちょっとは役に立てるはずだ。
サッサッサッサッ……
ん?
急いでる感じの足音が聞こえる。
この足音は門番の人だ。
「カーター、門番の人が来るよ」
「門番の人?」
コンコンッ
「失礼致します! 旦那様、表に客人が……」
「表に? 何故応接室に通さない?」
「それが……」
「まぁいい。私が出向こう」
「お願いします……」
カーターが出ていったので、私は書類を纏めておく。
今日はお客さんの予定なんてなかったはずだから、きっと急用なんだ。
変な用事とかで、カーターが今以上に忙しくならないといいけど……
カツカツ……
スタスタ……
サッサ……
ザザッ……
複数人の足音が聞こえるけど、カーターの足音以外は初めて聞く音ばかりだ。
フィールが来た訳でもなさそう……
カツカツ……
スタスタ……
ん? カーターが誰かと一緒にこの部屋に帰ってきてる。
用事は終わったのかな?
カチャ……
「これだ」
「これって……」
「あ! カーター! おかえりー!」
何か話してる途中だったみたいだけど、扉が開いてカーターが見えた瞬間に抱きついてみた。
私がいるのを分かっていてこの部屋に案内した客人なんだし、私が隠れる必要はない……よね?
「あの、これってどれですか?」
「だからこれだと言っている」
「だから、どれです?」
「これだ! いい加減離れなさっ……離れたまえ!」
「えー」
カーターがかなり困っていたから離れてあげた。
カーターが連れてきた客人は、背中に翼のある少年だった。
大きく綺麗な翼を持っている、天喰種の少年。
これまでにも天喰種は何人か見た事があったけど、ここまで立派な翼は初めて見るな。
「この者は先日買い取った奴隷だ。君達の島に売ろうと思っていたんだが、フィールが来る度に隠れてしまうのだ。全く困った商品でね……」
「それで今まで島の方に来なかったんですね」
「この天喰種! あの魔神種の仲間!?」
「あぁそうだ。いい加減お前は島に行くんだ」
「嫌だっ! いーやーだぁー!」
「あっ、待ちなさ……待ちたまえ!」
私が天喰種の少年の翼を観察していると、カーターは私の紹介をしていた。
どうもこの天喰種の少年は、あのフィールの仲間みたいだ!
だったらすぐに隠れないといけないので、この場からは逃げさせてもらう。
でもある程度の距離で隠れて、様子は伺っておく。
「大変そうですね」
「……」
「グレイス子爵も、自分の思惑通りにいかない事があるんですね」
「……早々に引き取ってくれたまえ」
「本当にいいんですか? 寂しくなっちゃいますよ?」
「なるわけがないだろう!」
なんだろう?
あの天喰種の少年は、カーターをからかっているように見える。
「ご存知ですか? 溟海種の方って、耳がとてもいいんです」
「ん? あぁ、聞いた事があるな」
「因みにですけど、天喰種の俺は目がいいです」
「それは初耳だ。それで、何が言いたい?」
「あそこの物陰、さっきの女性が隠れているのが見えます」
……え?
「あそこにか? 私には何も見えんが、見つけられるのなら話が早い。いつも隠れられると、見つけるのに時間がかかるんだ。早く捕まえて、連れていってくれたまえ」
「ですから、溟海種は耳がいいんですって。この会話も聞こえていますよ」
「この距離だぞ?」
「この程度の距離ですよね?」
私が耳がいいのは、溟海種だからだったのか。
そしてあの天喰種の少年は、私が隠れているのを見破っている……
「あの、俺はあなたが望まないのなら、無理矢理に俺達の島に連れて行ったりはしません。だからこっちに来てもらえませんか? その奴隷印は解除した方がいいですから」
「何を言っている? 言っただろう? あれを連れて行く事が、あの少年を引き受ける条件だと」
「でもあの人は、島に来たがってはいない訳ですし、無理矢理に連れて行ってアキナ様に迷惑をかけられるのは困ります」
「それは……」
カーターはどこまでも私を売ろうとしてる……
でも、あの天喰種の少年は多分、私を買おうとしていない。
私が望まないなら連れて行かないって。
奴隷印を解除してくれるって。
「あの奴隷印がなくなれば、あなたも喋り方に気をつけなくて良くなりますし、それを交換条件としてあの少年を引き受けて下さい」
「……」
「どうですか? ちょっとは交渉が上手くなりました?」
「いや、まだまだだ」
怒ったような声を出していたカーターと、楽しそうに思える天喰種の少年の声。
天喰種の少年はカーターに誰かを託したみたいで、カーターは私とその子を交換したかったんだ。
でも無理だと諦めてくれたみたい。
それはつまり、私はここにいてもいいって事……?
「溟海種の事は溟海種に聞いた方がいいですからね。リーナさんに話しておきますね」
「あの第3試合敗退者か……」
「また怒られますよ?」
「人は怒っている時程扱いやすい。冷静な判断が出来なくなっているからな」
「リーナさんはいつも冷静ですよ」
「ふっ、そうである事を祈っておこう」
カーターは笑ってる……
ずっと怒ってるみたいだったのに笑ってる……
私を売れない事になったのに笑ってる……
「こっちに来て下さい。俺は本当にあなたの奴隷印を解除したいだけです。あなたがグレイス子爵と共にありたいと願うなら、その邪魔はしませんよ」
「……」
嘘は言ってないと思う。
優しく笑いかけてくれている。
だから私はカーターと天喰種の少年の元に戻った。
「1つ聞いてもいいですか?」
「……何?」
「どうしてグレイス子爵から離れたくないんですか?」
「……私にご飯をくれたから」
「何度も言っただろう? 食事なら島へ行けばもっと食べれると」
「私にこのお洋服もくれた」
「衣類も島の方がある」
「私に乱暴をしなかった」
「島の誰もお前に乱暴などしない」
「私の事、人として扱ってくれるの」
「私は……お前を人だと思った事などない。お前は奴隷なんだぞ?」
「その奴隷印も今から壊れますよ」
カーターはずっと私を否定する。
カーターに売られて島に行けば、きっと私はもっともっと美味しいものが食べれて、綺麗なお洋服が着れて、怖い事もなくなるんだと思う。
でも私は、優しい笑顔の天喰種の少年よりも、困ったり、怒ったり、嘘くさい笑顔を向けたりするカーターがいい。
カーターが私の好みだから!
「カイ、今ので分かっただろう? こいつは少し優しくしてもらえた程度の事を大袈裟に捉え、勝手な勘違いをしてここに居たがっているだけなのだ。君やフィールのような甘い連中には、こいつをどうしてやる事がこいつの為なのか、分かるだろう?」
「はい。分かりますよ」
天喰種の少年の事をカーターはカイと呼んだ。
カイは私の足元に魔法陣を生み出して、集中して魔力を流してくれていて……
胸に違和感を感じる……
お母さんとお揃いでも、全く嬉しくなかった奴隷印……
それがなくなって、胸の痛みもなくなった。
「……ふぅ、これで解除完了です。どうですか?」
「い、痛くない……ありがとう!」
「いえいえ」
「ほら、この天喰種の方がお前の為にと行動する。この者について行くといい」
「いーやっ!」
「……何故だ?」
「私はカーターがいいのっ!」
「だそうですので、連れては行きません」
「な、何を言ってる!? こいつの為を考えるべきだろう?」
「もしここから離れたいと思ったら、連絡して下さい。あと、欲しい物とかの連絡も下さいね」
「うん、ありがとー」
「代わりと言ってはなんですが、俺が今日連れて来た人類種の子の面倒をみてあげて下さい」
「任せてー!」
「勝手に任されるんじゃないっ!」
楽しい、慌ててるカーターだ。
カイのお陰で新しいカーターが見れた。
カイは私の恩人だ。
奴隷印を消してくれただけじゃなくて、私がカーターといる事を認めてくれた。
カーターにも認めさせてくれた。
「では、俺は失礼しますね。残りの2人の事もありますし」
「その者達も私が解決してやろう。その代わりにこいつを……」
「まだ諦めてないんですか? あの人達はこっちで解決しますから、グレイス子爵はどうぞその溟海種さんと仲良く過ごして下さい」
「……」
「仲良くするねー!」
「はい、じゃあ俺はあの2人を連れて行きます」
「……私が見送ろう」
カーターとカイは何かまだあるみたいで、2人で歩いて行っちゃった。
私はカイに任された人類種の少年のところに行こう。
足音からして案内されたのは応接室のはずだし。
ここかな?
全然中から物音がしないけど……?
バーンッ!
「はじめましてー!」
「……」
部屋の中で椅子に座っていた少年は、ボロボロの服を着ていて、胸には奴隷印が刻まれていて、心ここにあらずって感じで一点を見つめていた。
私の奴隷印を解除してくれたカイが、この少年の奴隷印は解除していないんだから、きっと解除出来ないんだ。
何か私に刻まれていた奴隷印よりも、痛そうな感じだし……
「ねぇ、大丈夫?」
「……」
「私、あなたの事を任されたの!」
「……」
「あなたのお名前は?」
「……」
何も答えてくれない。
私が溟海種だから無視してるとかじゃなくて、何も聞こえてないみたいに……
カーターと初めて会った時の私も、こんな感じだったのかもしれない。
まわりがうるさいとは思ってたけど、自分の事を考えるのにいっぱいいっぱいで……
だから……
「海を見よう! こっちだよ」
「……え?」
少年の手を優しく引いて、立ち上がらせ、カーターの執務室へと移動する。
奥のバルコニーへと出て、少年に海を見せる。
「どう? 綺麗でしょ?」
「……うみ」
「うんっ、海!」
「……」
「キラキラしてるのー!」
「……だから、何?」
「凄いよねっ!」
「……」
お母さん、やっぱり海は凄いよ。
この少年の瞳にも、綺麗に写ったみたい。
だって話してくれたもん。
「全く、どこに行ったかと思えば……」
「カーター! 海、綺麗だよ」
「あぁ、そうだな」
はしゃぐ私と、ただじっと海を見つめる少年の頭にポンと優しく手を置いたカーターは、少しの間海を見つめてから、
「ここは冷える。部屋に戻るぞ」
と、私達の背を押してきた。
今はまだ無理みたいだけど、いつかはカーターと、この少年と一緒に海へ行って、海の綺麗さを語り合いたいなって思う。
その夢はまだ先だろうけど……
お母さん、私を生かしてくれてありがとう。
私、綺麗な海が見れたんだよ。
fin
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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本作は『奴隷の国』のサイドストーリーです。
奴隷の国では、作中に登場したフィールが主人公であり、カーターが奴隷の取引を始めるきっかけになった話があります。
カーターとフィールの関係や、カーターとこの溟海種の女性との今後を気にしていただけた方は、是非奴隷の国も覗いてみて下さい。
https://ncode.syosetu.com/n1234gm/
長篇ですので読むのも大変だとは思いますが、お楽しみいただけますと幸いです(*^^*)
※カーターが登場するのは8章です。
※本作の主人公の女性が登場するのは10章です。




