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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜1-2-⑦:「いらないものは、始末しなくちゃ」

「……何を、言ってるんだ?」


依智伽の声が、浩太の頭の中で何度も反響する。意味は理解できる。だが、その意味を“現実”として受け入れるには、何かが決定的に足りない気がした。


「だから……私がお母さんを、殺したの。お母さんがそう言ってたから」

「そう、言ってた……って?」

「いらないものは、始末しなくちゃいけないんだって。始末っていうのは……この世から、消すってこと。そうすれば、すっきりするからって」


その言葉の一つ一つが、冷たく、無機質に感じられた。まるで誰かの録音を再生しているような、機械的な口調。


「お母さんは……いらないものじゃないだろ」

「お母さんは、いつも言ってたよ。『あんたなんて欲しくなかった』、『あんたなんて産まれてこなきゃよかった』って。何度も、何度も。私、自分のことを……ゴミみたいだって思うようになった」

「ゴミって……」

「だって、いらないものなんだから。私は、いつかお母さんに“始末”されるんじゃないかって、毎日びくびくしてた」

「だから……おまえ、先に……?」


そんな馬鹿な。小学生の女の子が、大人を殺す?しかも自分の母親を?

だが否定の言葉は喉に引っかかり、声にならなかった。依智伽の声音には、何の感情もなかった。淡々としていて、逆に不気味だった。もしかして、本当に――。


「……で、でも、どうやって?」


浩太は自分でも驚くほどのかすれ声を出した。喉が干からびているようだ。

梗子が殺されたと聞いたとき、死因までは尋ねなかった。むしろその時は、彼女の死により“母の真実”が闇に消えた事実のほうが衝撃だったのだ。そういえば……あの時もどこかで、梗子なら……殺されても仕方ない…と、思っていたのかもしれない。


「包丁で、刺したの」

「包丁……?」


言葉が凍る。それは、浩太の母の死因と同じだった。偶然……なのか?


「死ねばいいって、ずっと思ってた。私なんて要らない、って言い続けるあの人が、心底嫌いだった。最初はね、私が悪い子だから、お母さんはそう言うんだって思ってたの。子供ってバカだね」


そう言ってる依智伽本人だってまだ十歳の子供だ。


「バカな子供だったから、一生懸命やった。家のことも、勉強も、全部。でもね百点取っても、褒めてくれたこともない。褒めて欲しい、なんて思ってたのが子供なんだよね」


依智伽は、ふっと息を吐いた。それはまるで、長く押し込めていた“何か”を外に放つ行為のようだった。


「そして、気づいたの。お母さんは、私がどんなに頑張っても、私を嫌いなんだって。……私がいるから、浩太お兄ちゃんのお父さんと結婚できなかったって、言ったの。私が邪魔だからって」

「そんなこと……」

「邪魔なものは、消せばいい」

その言葉に、浩太は身体を硬直させた。

「……え?」

「お母さんが、よく言ってたの。邪魔なものは、消せばいいって。……お母さん、自分でも、前に“何か”を消したんだって言ってたよ」

「消した……?」

それは、まさか――。

「そう。そうすれば、何もかも上手くいくようになるって。だから、私は決めたの。消される前に、私が――」


依智伽の顔に、ゆっくりと、笑みが浮かんだ。それは笑顔と呼ぶにはあまりに歪で、底知れない冷気を孕んでいた。まだ幼い少女なのに、その笑みは、かつて浩太が見た梗子のものと酷似していた。


「私ね、お母さんが私を嫌いな以上に、お母さんのことが大っ嫌いだった。……それに、浩太お兄ちゃんのお父さんが、お母さんと結婚しなかったのは、私のせいじゃない。浩太お兄ちゃんも、舞奈お姉ちゃんも、お母さんのことが嫌いだったじゃない。ねぇ、そうでしょう?」

「それは……」


浩太は、もう目の前の少女が“子ども”には見えなかった。その声音も、目つきも、表情も。何かが、決定的に、ズレていた。喉が、さらに乾いていく。 唇が、張りつくように動かない。


「だ、だからって……」


かすれ声を絞り出したとき、リビングのドアが開いた。


「おや、二人で何しているんだ?」


祖父の声が、空気を裂いた。


「お……おじいちゃん……」

「どうした浩太。まるで幽霊でも見たような顔をしているじゃないか」

「おじいちゃん!どうしたの?」


さっきまでとは打って変わり、依智伽が“子ども”の顔で祖父に話しかける。


「喉が渇いてね。依智伽ちゃん、もう十時だよ。そろそろ寝なさい」

「はーい。ごめんなさい、もう寝ます。おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


依智伽は笑顔を浮かべ、軽やかに階段を上がっていった。その背中を、浩太は動けずに見送るだけだった。依智伽の言葉の続きが気になっても、 追いかける気力が、もう残っていなかった。否、聞くのが怖かった。


「何の話をしていたんだ? 随分と深刻な顔をしていたが」

「い、依智伽ちゃんが……」


母親を殺した、と——。そんな話を祖父が信じるはずもない。直接聞いた浩太でさえ、にわかには信じがたい。それに、冷静に考えれば不可能だ。小学生の依智伽が、大人の女性を包丁で刺し殺すなど、どうやって?いや、でも子供が大人を殺すって事件ってないこともない。やりようによっては?って何を考えてるんだ俺は、と浩太は頭を振る。


 人間を刺すのにどれほどの力が要るのかは想像もつかないが、それなりの力が必要なのは確かだろう。依智伽は、同年代の中でも小柄で、四年生とは思えぬ華奢な体つきだ。二年生だと言われても納得してしまうくらいだ。そんな彼女に、人を殺める力があるとは、とても思えなかった。

お読みいただきありがとうございます。

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