錯綜1-2-⑤:不自然な明るさと違和感
その横で知らん顔をしている舞奈に、浩太は囁いた。
「で、なんでお前は何もせずに、そこに座ってるんだよ」
「私がやっても、散らかるだけだもの。ていうか、これがいつもの私でしょ」
舞奈は日に日に生意気になっていっている――と、浩太はつくづくそう思う。確かに、母親が幼い頃にあんな死に方をして可哀想だとは思うけれど、こうして祖父も父親も甘やかすから、こんなふうになったのだろうと、浩太は思わずため息をついた。
「もう、できたよ。浩太お兄ちゃんも、おじさんも、テーブルに座って」
依智伽は祖父と一緒に、テーブルに朝食のプレートを並べていく。スクランブルエッグ、サラダ、トーストといった普通の朝食だが、和食が多い祖父が作る朝食とは少し違う。
「今日はトーストなんだね」
「え、浩太お兄ちゃん、ご飯のほうがよかったの?」
依智伽が少し肩を落とす。
「あ、そうじゃないよ。いつもと違うなって思っただけ」
「なんか、ホテルのブレックファストみたいで、いいじゃない」
舞奈がそう言うと、依智伽はにっこりと笑った。昨日と比べて、様子がずいぶん違うように感じる。今はどう見ても、普通の小学生――というか、母親が殺されたばかりだというのに、やけに明るく感じられる。昨日はやはり、初日ということもあって緊張していたのだろうか。それとも、今のほうが無理をしているのか――浩太は首をかしげた。
「このスクランブルエッグは、依智伽ちゃんが作ってくれたんだよ」
「へえ、すごいじゃない。まだ小学生なのに、そんなことできるんだ」
「中学生なのに何もできないやつもいるけどね」
浩太の言葉に、舞奈はギロリと睨む。
「お母さんがね――」
「お母さんに教わったのかい?」
祖父が尋ねると、依智伽は首を横に振った。
「お母さんが、“自分のことは自分でできるようにしなさい”って言ってたの。だから、本を見て覚えたの。自分で作らないと、カップラーメンかパンしかなかったから」
その言葉に、みんなが顔を見合わせる。
「お母さんは、作らなかったの?」
「お母さんは……仕事、忙しかったから……」
梗子は浩太の家に来たときは、料理をせっせとしていた。でも、家ではしなかったということなのだろうか。
「まあ、看護師さんって不規則で忙しい仕事だったしな」
父がまるで弁明するかのように、依智伽を見て言った。
「うん。でも、こんなにたくさん作ったのは初めて」
「あ、そうか。いつもはお母さんと二人だけだものね」
舞奈の言葉に、依智伽はまた首を横に振る。
「お母さんはいないの。お母さんは、いつもうちでは食べなかった。作るのは私の分だけ」
「じゃあ、いつも依智伽ちゃん一人で?」
「うん……」
「でも、お弁当とかは作ってくれたんでしょう?」
舞奈の問いに、依智伽は再び首を横に振る。
「給食だったから……」
「あ、そっか。でもほら、遠足とか運動会のときはお弁当でしょ?」
確か、梗子は“子供のお弁当作りが大変”だと言っていたことがある。あれは嘘だったのだろうか。でも、考えてみれば、彼女の料理はまったく美味しくなかった。浩太は梗子の料理を思い出し、あれを毎日食べさせられるくらいなら、作ってくれないほうがマシだと思った。
「そういうときは、近くのパン屋さんでサンドイッチ買ったりしてた。あ、でも私、パン好きだから」
「そうなんだ……」
舞奈の顔が少し曇る。もしかしたら、自分のことを思い出しているのかもしれない。
母を失った後、祖父がこの家にやってくるまで、舞奈にも似たような時期があった。
周りのみんなが凝った弁当を持ってきているのに、自分にはそれがない。父は料理などまったくできない人だ。浩太もそれまで料理らしい料理なんてしたことはない。それでもまあ、父よりはましな物が作れる。父も母がいなくなった後、しばらくは挑戦しようとしていたが、それはとても“食べられるもの”ではなかった。あれならまだ、自分で作った方が、とそう思ったくらいだ。
それを思うと、梗子と父が結婚しなくてよかったと、つくづく思う。万が一、そんなことになっていたら、毎日どんなものを食べさせられていたか……想像するだけでゾッとする。
「でもね、お母さんの料理は、すっごく不味かったから、それでよかったの」
依智伽が付け足すように言ったその言葉に、舞奈も梗子の料理を思い出したのか、「それはそうだった」とでも言いたげな顔で頷いた。
「それはそうと、依智伽ちゃん。学校はどうするの?通っていたところって、ここから遠いんじゃない?」
「大丈夫、私が車で送っていくから」
「車で? すごい!」
祖父の言葉に、依智伽は目をキラキラと輝かせた。
「車で学校に行くなんて初めて!なんか、お嬢様みたい!」
そうはしゃぐ姿は、年相応に見える。――何だったのだろう、昨夜のあの違和感は。昨日の様子とはあまりにも違いすぎる。あの大人びた感じは、今日の依智伽からはまったく感じられない。それがまた、違和感を大きくする。
「父さん、面倒かけて悪いね」
父が少し申し訳なさそうに、祖父に頭を下げた。
「何、構わないさ。できることがあるうちが花だよ」
その言葉の通り、祖父はここにやってきてから、家のことは何でもしている。
父も最初のうちは「何もしなくていい」と言っていたが、祖父が「何かしている方が落ち着く」と言ってからは、すっかり甘えている。
実際、祖父が家のことをしてくれて大いに助かっている。祖母と一緒にアパート管理をしていたから、家事は得意なようだ。父は優しい人だが、そういうことは本当にダメだ。見ていると、片付けているのか散らかしているのかすら分からない。祖母はきっと、子供の頃から父に何もさせなかったのだろう。祖母は優しい人だったが、息子である父には本当に甘かった。
溺愛とまでは言わないが、何かにつけて父の心配ばかりしていたような人だった。だから、母との間に確執のようなものが生まれたのかもしれない。夫を子ども扱いする姑なんてやっぱりウザいだろう。浩太が物心ついた頃には、すでに母と祖母の仲は良いとは言えなかった。実際に何があったのかは、推測の域を出ないが、母は、父にあれこれ言う人だったが、家事には手を抜かなかった。家はいつも綺麗だったし、料理の腕も抜群だった。父に家事を押し付けることもなかった。
――そう思うと、結局のところ、父と母は相性が良かったのではないかと浩太は思う。
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