表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
57/248

錯綜2-2-⑧:陽の当たる場所がない人生

「私は、別に上條君から問いただして知ったわけじゃないわ。偶然、知っていただけ」

「それでも……」


人間は元々、平等なんかじゃない。もし本当にこの世が公平なら、どうして和だけがこんな思いを抱えて生きていかなければならないのだろう。そう考えると、不公平だと言われても、当たり前じゃないか、と思える。


 そういえば、今日の体育祭の開会式で校長もそんなことを言っていた。あのとき、和は妙に共感したのを覚えている。「みんな平等になんて言ってる方が間違ってる」――人それぞれ、生きる環境も、与えられた運命も違うのだ。


「人生は、すべからく平等ではない」

「……え?」

「今日、校長先生も言っていたじゃない。公平を求めることに、どんな意味があるの? 人は生まれた時から不平等よ。生まれた場所が違うだけで、人生はまるで別物になる。でも、それに文句を言っても仕方ない。今いる場所でできることをやるしかない。――そうでしょう?」


そう思わなければ、生きてこれなかった。父親は女を追って出ていき、母は男を連れ込んだ。その男に襲われた末、母は――まるで当てつけのように――命を絶った。


 けれど、世の中のほとんどの人はそんな経験をしていない。両親が揃い、当たり前のように守られて育つ人間の方が、圧倒的に多い。和が彼らと「平等」だなんて、どうして思えるだろう。もっと悲惨な目に遭っている人がいるかもしれない。否、きっともっと過酷な中で生きている人だって沢山いる事だろう。でも――今の和には、他人の不幸を慮る余裕などない。ただ、背負わされたこの重すぎる過去に目を瞑って生きていくだけで精一杯なのだから。


「それは……そうかもしれないけど、それとこれとは――」


朝陽はまだ何か言いたげだったが、和はそれを無視して立ち上がる。


「じゃあ、上條君。明日のホームルーム、よろしくね」


(あなたには、こんなふうに思ってくれる友達がいて、幸せね)


心の中でそう呟き、和は教室をあとにした。言わなくてもいいことを、今日はずいぶん喋ってしまった気がする。いつもの自分らしくない。浩太の前では、どうも調子が狂う。否、それだけではない。朝陽の存在も、少なからず影響していた。


 あの天真爛漫で物怖じしない明るさ。何の屈託もない笑顔に、守られてきた過去が透けて見える。きっと、普通の家庭で、普通に生きてきた子なのだ。和には、永遠に縁のない世界。もしかしたら、朝陽と一緒にいるから、浩太は笑えるのかもしれない。朝陽という光の中で、浩太は普通でいられるのだ。和には、もう二度と戻れない「陽の当たる場所」。


 名は体を表すというが、朝陽はまさにその名のとおりの存在だった。あんなふうに、明るい未来を信じて生きられる人生を、神様はどうして和から取り上げたのだろう。例え貧しくても良かった。父がいなくてもいい。せめて、母と二人で静かに生きていければ、それだけで良かったのに――。


 叔父と叔母は優しい。和に気を遣い、できる限りの配慮をしてくれる。それは、ありがたいと思っている。こうやって引き取ってくれて、何不自由ない生活もさせてくれている。これはきっと、否、かなり恵まれている。けれど、完全に心を開くことは、どうしてもできない。叔母だって、もし和に何が起きたかを知れば、きっと心の奥で軽蔑するだろう。和を、汚れた存在だと思うに違いない。何よりも、和自身がそう思っているのだから。


この“汚れ”は、一生、消えない。


 神様に愛される者と、そうでない者がいるのなら――和は間違いなく、後者だとそう思った。


 その日の帰り、電車に乗っていた和は、ふと背中に何かが突き刺さるような感覚に襲われた。とても嫌な感じがする。恐る恐る車内を見回すが、見知った顔はない。少しホッとして、窓の外に視線を移す。


 ちょうどホームに停まっていた電車が発車しようとしたその瞬間、反対側のホームに、見覚えのある男の姿があった。一瞬だった。だが確かに見た。あの男。岳に、そっくりだった。心臓が止まりそうになる。男は、こちらを見ていた。和は慌てて視線を逸らした。


(まさか……)


電車はあっという間に加速し、ホームを離れていく。


(違う……あれは違う。他人の空似。ただの……偶然)


必死にそう言い聞かせた。でも胸の奥がざわつく。あれは、本当に他人だったのか?


 岳は、母に追い出されたあともしばらくは、アパート周辺をうろついていたという。母の会社近くにも現れたらしい。復縁を迫ったこともあったそうだ。それでも、さすがにあの母でさえ、十二歳の娘に手を出した男を受け入れることはなかった。


 だが、岳は諦めなかった。母に未練があったわけではないだろう。あの男にとって、母はただの金づるだったのだ。働く気もなくなった男にとって、母は金をくれる都合の良い女。それだけの存在だった。それに気づかず、貢ぎ続けた母。今さらながら、なんて愚かだったのだろうと思う。あの愚かさが母を破滅させた。そして和の人生も。

お読みいただきありがとうございます。

いいね・評価・ブックマーク&感想コメントなど頂けましたら大変励みになります。

今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ