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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)

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錯綜2-2-④:心の闇が交差した瞬間

予想外過ぎる問いだった。どう答えていいのか分からない。和はむしろ、**“浩太はどうして笑えるのか”**と、いつも思っていた。こちらが聞きたいくらいだ――そう思いながら、深く息を吐いた。その仕草を見て、浩太は気まずそうに慌てた。


「あ……ご、ごめん。変なこと聞いちゃったね。普通は、楽しいことがあれば笑うよね」


どこか焦った様子だった。だが「楽しいこと」とは何だろう?昔の 和は昔の自分が一体、何が楽しく禎笑っていたのかさえ思い出せない。何もなくてもキラキラしていた日、もうずっと昔々の事のように感じる。


「楽しいことなんか……」


無意識に、言葉が口を突いて出た。


「え?」

「楽しいことなんて、どこにあるの?」


和は浩太をまっすぐに見つめた。その問いの奥には、**「あなたにはあるの? 本当に?」**そんな言葉が浮かぶ。


「ど、どこって……」


浩太の困惑に、逆に問い詰めたいという思いに突き動かされる。


「上條君は、楽しいの? 何が?」


「何って……そりゃ、色々……」

「“色々”って、どうして?」

「どうしてって……別に理由なんて」


和の中で、言ってはいけない、そう思っているある言葉がこみ上げる。


「私、知ってるよ」


浩太の動きが止まった。


「知ってるって……何を?」

「上條君の家族のこと」

「家族…?」


その瞬間、浩太の瞳に影が差す。こんな事言うべきじゃない、そう思っているのに言葉が勝手に口から飛び出す。


「上条君のお母さん……殺されたんでしょう?」


何を口走っているのか――そう思っても、表情には出せない。もう、心を隠すことが癖になってしまっていた。いつも仮面被っているような感覚。


「ど、どうしてそれを……」


浩太は立ち上がり、和を見下ろした。明らかに動揺していた。その顔には、怒りも混じっていた。当然だ、誰にだって触れられたくない過去はある。それを一番わかっているはずなのに……。


(言うべきじゃなかった……)


そう思っているのに、後悔は態度にならない。


「どうしてって……私……」


元々知っていた。でも、それに加えて、ネットで調べた、なんて言えない。浩太は、沈黙の中で和を見ている。もしかして気づいたのか。自分が昔、サッカーで対戦していたあの少女だったと――。だが、浩太は視線を逸らした。やはり気づかない。


(私……何を期待しているんだろう……)


気付いてほしいのか、そうでないのかも分からない。和は視線を落と、軽く溜め息を吐く。


「何でもない……余計なこと喋ってないで、さっさと片付けましょう」


浩太にとって、あの頃の記憶なんて、もうどうでもいいのだろう。そう思った。


「余計なこと……?」


浩太が眉をひそめる。


「ええ」

「そういう……」


何かを言いかけている。怒っているのだろう。


「ごめんなさい。言うべきじゃなかったわ」


和が素直に謝ると、浩太は言いかけた言葉を飲み込んだ。握りしめた拳に力入っているのが見て取れる。


「で、でも……どうして君が……」


どうして和が、その事を知っているのか、そう尋ねたいのだろう。でもニュースになった事件だ。あの頃の浩太を知らなくても、事件を知っている人間がいてもおかしくない。そうは考えないのか。いっそ、サッカーチームの事を話してしまおうか。でも、和の中には、浩太に思い出してほしい気持ちがあった。自分から明かすのではなく――なんて矛盾した思い。


「ただ……覚えていただけよ」


視線を落としたまま言う。


「覚えていたって……?」

「記憶力がいいのよ、私は。あの事件の被害者の名前、憶えてたの。苗字が同じだったから、ちょっとカマかけてみただけ」

「カマって……」


当然、浩太の表情は釈然としない。いきなりそんなことを言われて、気分が悪くないはずがない。


(ああ……どうして言ってしまったのだろう)


その上、カマをかけたなんてふざけた話だ。和はきっと、浩太に苛立っていたのだ。いつまでも気づかない浩太に――何事もなかったようにしている浩太に。


「上條君が“楽しい”とか“笑う”とか言うから……ちょっと、煩わしかったのよ。でも、まさか当たるなんて思わなかった。本当のことだと分かっていたら言わなかった。無神経だった、ごめんなさい。でも、誰にも言わないから」


言い訳のような言葉を並べる和、本心を悟られないようにと無意識に饒舌になる。


「でも……上條君って、強いのね。そんなことがあっても、普通でいられるんだから」


和はあの事があってから何もかもがすっかり変わってしまった。笑う事すら出来ないのに、和に起こった事よりずっと重い荷物を背負っている筈の浩太が、どうしてこんなにも普通でいられるのかが分からないのだ。そしてその事にわけもなく腹が立つ。


「べ、別に……強いわけじゃ……」


浩太の瞳に動揺が走る。その表情に、和は少しだけ安堵する。やはり、彼も同じなのだ――と。


(ああ、そうか……)


和は自分が何を求めていたのか、やっと気づいた。


「お前に、」

「え?」

「お前に何が分かるんだよ……って、顔してるわよ」


和がそう言うと、浩太は一瞬視線を逸らした。


「お、俺は、別に……」


浩太にも、人には見せられない闇があるのだと確信する。彼もまた、平気な振りをしているだけなのだと。そしてそれは、和自身の苦しみに、どこか重なっていた。

浩太はそのまま無言で席に着き、和もそれ以上は何も言わず、そのあとは、ただ黙々とやるべき作業に没頭した。

お読みいただきありがとうございます。

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