錯綜2-1-⑤:迫りくる恐怖の実態
「実はな、俺は本当はお前の母親みたいに“女女”してるのより、お前みたいなタイプのほうが好きなんだ。いや、別に男色ってわけじゃない。ただ、お前のように、まだ“女”になりきっていない……そういう、熟れてない実がいいんだ」
岳は、いつしかそんな言葉を平然と口にするようになっていた。和にとっては、ただただ気味の悪い存在でしかない。
「小学生でも、やたらに着飾って、お洒落に必死な子もいるだろう? でも俺は、ああいうのには興味がない。……わかるだろう?」
笑いながらそう言って和を見下ろす岳の目に、和はゾッとする。得体のしれない恐怖。近寄っては危険だと、本能が告げていた。
和は何度も母に、岳に出ていってもらうよう訴えた。彼がどんな言葉を投げかけてくるかも話した。だが、母は取り合おうとしなかった。
母の前での岳の態度は実に殊勝で、まるで「理想の男」のように振る舞っていた。母はそんな岳をすっかり信じ込んでいるように見えた。或いは、どこかで疑っていたのかもしれない。だが、疑念よりも「信じたい」という思いのほうが勝っていたのだろう。母は、和の言葉に耳を貸してはくれなかった。きっとこのときの母は、「母」であることより「女」であることを選んでいたのだ。
三月になり、岳がこのアパートに住み始めて三ヶ月が過ぎようとしていた。卒業式も終わり、春休みに入ると、日中は岳と二人きりで過ごさねばならない時間が長くなる。
和はそれを避けるように、区の図書館で毎日を過ごした。もともと勉強や読書は嫌いではなかったし、サッカーをやめてからは自由な時間もできた。夜は八時まで開いているので、和は母が帰ってくるギリギリの時間まで図書館で過ごした。特に岳が来て以降、その図書館が、今の和にとって唯一の「避難所」となった。
受付にいる女性は母と同じくらいの年齢だったが、いつも穏やかで優しかった。春休みに入り、和が一日中ひとりで図書館にいると、時折話しかけてくれたり、手作りのクッキーを差し出してくれたりした。彼女は子どもがいないそうで、来館する子どもたちと話すのが楽しみなのだと言っていた。
あるとき「こんなに遅くまでいたら、おうちの人が心配するわよ」と言われたが、「うちは父がいなくて、母は仕事で遅いので、一人なんです」と答えると、彼女は優しく微笑んでこう言った。
「そう……なら、仕方ないわね。一人で家にいるよりは、こうして誰かと話すほうが、心強いものね」
和は、その言葉を聞いて、ふと「こんな人が母親だったら」と思った。
春休みも終わろうとしていたある日。和は、いつものように朝から図書館へ向かった。だが、その日は運悪く休館日。春休みで曜日の感覚が鈍っており、月曜が休館日であることをすっかり忘れていた。
図書館が閉まっている日は、近くの公園でスケッチをして過ごすことが多かった。ただその日は図書館に行くつもりだったため、スケッチブックを持ってきていなかった。和は仕方なく、アパートに一度取りに戻ることにした。
部屋に入ると、岳が奥の部屋でビールを飲んでいた。
「よう、今日はずいぶん帰りが早いな」
「すぐに出かける」
和はそっけなく返した。
「そんなこと言わずに、たまには二人でゆっくりしようじゃないか。これから“親子”になるんだし」
「親子……?」
「そうさ。俺が仕事を見つけたら、籍を入れようって、お母さんと話してたんだ」
「仕事する気なんか、あるの?」
和には、岳が真面目に働こうとしているとは全く思えない。
「もちろんさ。俺だって、いつまでもこんな暮らしを続けるつもりはない。いい父親になってやるさ。お前だって、そうなれば嬉しいだろう?」
そう言いながら、和の体を上から下まで、じろじろと舐めるような目で見てくる。ぞわりと背筋を這う嫌悪感。
「……“お父さん”なんて!」
和は思わず声を荒げた。こんな男が父親だなんてあり得ない。この先ずっと一緒にいるなんて、想像しただけでゾッとする。
「なんだ?」
「あんたが父親? 冗談じゃない! 私は、絶対に認めない!」
和が叫ぶと、岳は一瞬だけ顔をしかめた。だがすぐに、それは気味の悪い笑みに変わる。その表情の変化に、和は反射的に一歩後ずさった。
「な、何……?」
「わかってるよ。お前が俺を“父親”として見られないのは。俺を“男”として意識してるからだろう?」
「は……何言ってるの……?」
その言葉の意味が、全く理解できない。
「俺も、お前のこと、娘なんて思えない。俺も同じ気持ちだからな」
「やめて……言ってる意味、全然わかんない!」
じわじわと近づいてくる岳に、和はとっさにドアへ向かおうとした。だが次の瞬間、岳が和の腕を掴み――そのまま力ずくで床へ引きずり倒された。
「離してっ!!」
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