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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
37/251

錯綜1-5-⑤:舞奈の成長と依智伽

「え?」

「友達と竹下通りで買い物した後だったの。あれ、確かに依智伽ちゃんだったよ」

「原宿で見たの?」

「あ、ううん。買い物のあと、友達のお母さんと待ち合わせしていて。銀座にランチ連れてってくれて。そのときに」

「銀座?」

「うん、銀座四丁目の交差点。横断歩道を向こうから歩いてきたの。女の人と一緒に。たぶん、依智伽ちゃんが貰われた家の人だと思う。その人のこと、『お母さん』って呼んでたから」

「舞奈に気づかなかったの?」

「多分、気づいたと思う。ちょっと目が合った気がしたし。でも、そのまま通り過ぎていったから……私も声はかけなかった」

「そうか……」

「なんかね、すっごく綺麗なお洋服着てたの。上品で高そうなやつ。ほんとにお金持ちの家に行ったんだなって思ったよ。お兄ちゃん、依智伽ちゃんに何か聞きたいの?」

「これって具体的にはないんだけど……。当時のこと、何か覚えてることがないかなって思って。前に来たとき聞けばよかったんだけど、あのときはそんなこと思い浮かばなかったんで」

「お母さんの事件のことだよね?」

「うん。もし、梗子さんが関係してたなら……依智伽ちゃんに何か言ってたんじゃないかなって」

「でも、覚えてるのかな。まだ小さかったよ?」

「分からない。でも、もしかしたら、って……」

「そういえば依智伽ちゃん、梗子さんのこと大嫌いって言ってたね。あの人、良いお母さんじゃなかったんだよね。うちでは気持ち悪いくらいニコニコしてたけど」

「いつも、一人だったって言ってたしな」


親の罪はこの罪ではない、その事を一番よく知ってるのに依智伽を受け入れられなかった事に、少し罪悪感のようなものを持っていた。でも、今は裕福な家で幸せに暮らしているのだとしたら、結果的には、彼女にとっては正解だったということだ、そう思うと少し肩の荷が下りる気がした。


 それにしても、舞奈が梗子を疑っているとは思わなかった。あの頃の舞奈はまだ小さかったのに。いつまでも幼いままではないということだ。浩太が成長したように、舞奈もまた大人になろうとしている。自分の母親が殺されたのに、何も思うなというのは無理な話だ。どうして、と考えることの方が自然だろう。


「でも、なんかちょっと見直したわ」

「なんだよ、それ」

「お兄ちゃんって、ぼうっとしていていつも何も考えていないのかと思ってた」

「うっせー」

やっぱり一言多い。

「何か分かったら、私にも教えてよ」

「分かった」


舞奈が部屋から出ていったあと、浩太はふと考えた。——梗子と依智伽は、どんな親子だったのか。


 今まで、そのことについて深く考えたことはなかった。いや、むしろ考えないようにしていたのかもしれない。梗子が家に出入りしていた頃は、依智伽も一緒だった。当時はまだ五歳。おとなしく、ほとんど喋らない子だった。思い返せば、梗子との間でまともな会話を交わしている姿を見た記憶もない。家に来ると、いつも舞奈が面倒を見ていた。


 母がいなくなってから、梗子は母の代わりに家のことを色々とやっていた。とはいえ、母には遠く及ばなかった。梗子が家事をしている間、舞奈がいつも依智伽と一緒だったから、梗子と一緒にいなくてもそれほど気に留めていなかった。

 けれど——今思えば、あれは“親子らしさ”に欠けていたのかもしれない。でもあの頃は、そんなことに気づくゆとりはこちらにもなかった。浩太の記憶に残るのは、帰り際の依智伽の表情だった。どこか不安そうで、寂しげな眼差し。あの目を、今もはっきりと思い出せる。


 だが昨年、依智伽が再び訪れたとき、彼女はすっかり変わっていた。以前のような怯えた雰囲気は消え、内気さもなかった。母親が殺されたばかりだというのに、悲しみの色は見えなかった。むしろ、どこか楽しげですらあった。母親がいてもいなくても、彼女にはもう関係ない存在になっていたのかもしれない。


 「お母さんと食事をした記憶は、ほとんどない」と依智伽は言っていた。梗子が浩太の家に通っていた頃は、うちに来たときは食卓を囲むこともあったが、きっと家ではそういうことも無かったのだろう。父が梗子との結婚を諦め、彼女が姿を見せなくなってからは、二人はどんな風に過ごしていたのだろう。


 浩太は、梗子が来なくなったことにほっとしていた。でも依智伽のことは考えなかった。けれどもしかしたら依智伽にとって浩太の家にいる時だけが“家族”らしい空間だったのかもしれない。


 それでも、今は幸せに暮らしているのだ。過去を掘り返してまで、あの頃の梗子の様子を聞くべきなのか。彼女にとっては、忘れていたいだけのことかもしれない。何もしてあげられなかったくせに、こちらの思惑だけで今さら蒸し返すのは、自分勝手だ。しかも依智伽にとって母親である梗子が殺人を犯したかもしれないなんて、そんなこと、聞くべきことではない。それは分かっている。それでも、一度胸に湧き上がった疑念は、簡単には消えてくれない。

お読みいただきありがとうございます。

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