混沌1-2-②:断ち切ったはずの縁ー突き付けられた「殺人」
また何かしでかしたのだろうか。和の胸に最初に浮かんだのは、呆れにも似たそんな感情だった。彼には前にも傷害で逮捕された前歴がある。母はその件を決定打として離婚を選んだ。浮気だけでも十分に許せない裏切りだったのに、離婚後はその女のもとへ行くつもりでいたと知り、母は強く反発していた。
ところが実際には、その女にも逃げられた。挙げ句の果てに相手を執拗に追い回し、怪我を負わせたという事実を聞かされた時、母の中で何かが完全に切れたのだという。警察に捕まったと連絡を受け、面会に行ったその場で離婚を決めたと、後に淡々と語っていた。
「何したの?また酔って暴れたの?」
和は感情を抑えた声で訊いた。怒りよりも先に、半ば諦めのような思いがあった。
「それが……人を、殺したって……。殺人容疑で逮捕ってニュースで……」
「殺……人」
言葉が空中で凍り付く。耳で聞いているのに、意味がすぐには胸に落ちてこない。
確かに父は酒を飲むと気が大きくなる性質だったらしい。結婚前にもそれで問題を起こし、警察沙汰になったことがあると母から聞かされていた。母と結婚する際には、もう酒は飲まないと約束したという。少なくとも、和が父と暮らしていた間に酒を口にする姿を見た記憶はない。
それでも、人を殺すほどの度胸があったとは到底思えない。酔って羽目を外すことと、命を奪うことの間には越えられない線があるはずだ。だが和が父と会わなくなってから、既に十年が経っている。その間に父に何があったのかは分からない。
前の傷害事件では実刑判決を受け、刑務所に入っていたはずだ。傷害と言いながら、罪状は確か殺人未遂に近かったと聞いた覚えがある。被害者の女性が「殺されかけた」と強く訴え、結果として罪が重くなったのだと、母は苦い顔で語っていた。前科者になった彼が荒んだ生活を送っていた、という可能性は多分にあるだろう。
「誰を殺したの?」
気付けばそんな問いが口を衝いていた。自分でも驚くほど冷静な声音だった。動揺しているはずなのに、どこか他人事のような感覚がある。胸の奥に一枚薄い膜が張られているようで、実感が伴わない。
「ええと……前にも同じ相手に危害を加えたとか言っていたから、もしかしたら前の事件の被害者の人と同じかもしれないわね。ニュースで名前も出ていたけれど、叔母さんは前の事件の被害者の名前を覚えていないの。もう離婚したから関係ない人だって、お姉さんも言っていたし……あまり気に留めていなかったのよ。和ちゃんは覚えている?」
叔母は言葉を継ぎ足しながら、不安そうに和の顔を窺う。
和は静かに首を横に振った。両親が離婚したのは、小学一年生の時だ。怪我させた相手は父の浮気相手ではあったが、名前など知らされてもいない。確か、母と女が言い争っていた時に和もその場にいだが、顔も名前も和の中では曖昧な影でしかない。
「そうよね……。それにしても、人殺しなんて……」
叔母の声は震えていた。
「関係ないよ。もう他人だもの。ずっと会っていないし、あの人が何をしようと私には関係ない。父親だなんて思っていない」
自分でも驚くほどきっぱりと言い切った。声が少し強くなったのは、感情を押し込めるためかもしれない。
和は踵を返し、二階の自室へ向かう。背後で叔母が何か言いかけた気配がしたが、振り返らなかった。階段を上る足音がやけに大きく響く。部屋に入ると、鞄を半ば投げ出すように机の横へ置いた。制服のままベッドに腰を掛ける。沈み込むマットレスの感触が、急に現実を引き寄せる。
(人殺し……)
頭の中でその言葉が反芻される。先程までは他人事のように感じていたはずなのに、今はじわじわと重みを持って胸に広がっていく。血の繋がった父親が、誰かの命を奪ったかもしれない。その事実は、和の知らない場所で起きた出来事であるはずなのに、完全に無関係だと言い切るにはあまりにも生々しい。
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