混沌1-1-①:揺らぐ報せー胸中に広がる静かな動揺
第四章 混 沌
第一部
一.
「ただいま」
家に帰ると、舞奈が玄関まで走って出て来た。息を切らし、廊下を滑るように駆け寄ってくる様子から、随分と興奮した様子が伝わってくる。
「お兄ちゃん!」
「何だよ、そんなに慌てて」
舞奈は息を弾ませ、目を見開いたまま言葉を継いだ。
「今、ニュースでね……」
「ニュース?何か珍しいことでもあったのか」
一瞬、躊躇うように唇を噛み、それからはっきりと告げる。
「依智伽ちゃんのお母さんを殺した犯人が捕まったって」
「え……?」
三芳梗子を殺した人間が捕まったということか。胸の奥が僅かに軋む。浩太は靴を脱ぐのもそこそこに、急いでリビングへ向かった。テレビ画面には丁度その犯人の顔写真が映し出されている。知らない男だ。三十代半ばほどだろうか。どこにでもいそうな、印象の薄い顔立ちだった。
「誰だ?」
思わず舞奈に問いかける。
「そんなの知らないよ」
舞奈は肩を竦め、首を横に振る。まあ、確かに知っているはずもない。この男は梗子とどのような関係にあったのだろうか。知人か、恋人か、それとも別の因縁か。考えを巡らせているうちに、ニュースは既に別の話題へ移っていた。
「何て言っていた?」
「詳しいことは殆ど言ってなかった。今は被害者との関係を取り調べ中だって。痴情の縺れ、みたいなことも言ってたかな」
「ち、痴情の縺れ?」
その言葉に、思わず舞奈の顔を凝視してしまう。意味を理解して口にしているのかと疑う自分に気付き、少しだけ気まずくなる。
「何よ。私だってそれくらい知ってるよ」
見透かしたように舞奈が言い返す。その口調には、子供扱いされたくないという反発が滲んでいた。
「あ、そうか……悪かった」
舞奈は今、中学二年生だ。最近は生意気なことも平然と言う。それでも浩太にとっては、いつまでも幼い妹のままだ。成長していると分かっていても、心が追いつかない。
「どうして殺したんだろうね。さっきの男の人、梗子さんの恋人だったのかな」
舞奈は不安と好奇心が入り混じった声音で呟く。
「さあな……」
梗子にそんな人物がいただろうか。浩太のもとに梗子が来なくなってから、彼女が殺されるまで三年程の空白がある。その間に恋人が出来たとしても不思議ではない。だが梗子は浩太の父に強く執着していた。あの執着ぶりからして、たとえ会っていなかったとしても、簡単に他の男へ心を移すようには思えない。
さらに、梗子が殺された後に家へ来た依智伽は、新しい男の存在を一言も口にしなかった。依智伽が知らなかったのか、それとも敢えて語らなかったのか。梗子の性格を思えば、娘に全てを打ち明けていたとも考え難いから、知らなくても不自然ではないが。
浩太は先程の男の顔を脳裏に思い浮かべる。何となく頼りなさそうな印象だった。覇気の乏しい目元、曖昧な口元。その雰囲気が、皮肉にも父とどこか似ているように感じられ、胸の奥がざわつく。梗子があの男と父を重ねていたのなら、特別な関係になっていた、という事もあるかもしれない。
「あ、そう言えば」
舞奈が思い出したように続ける。
「その犯人、前にも梗子さんに危害を加えたことがあるとか言ってたよ」
「本当か?」
「うん。でも、ずっと前らしいけど」
それでは長い間揉め続けていたということか。過去に何かがあり、それが積み重なって今回の事件に至ったのかもしれない。だが、それなら“痴情の縺れ”という説明はどこまで事実なのだろう。警察の見立てか、あるいは単なる推測か。情報が少なすぎて輪郭が掴めない。
少なくとも梗子を殺した人間は捕まった。それは一つの区切りではある。しかし浩太の抱える問題――否、疑問は何も解決していない。梗子が浩太の母を殺したという疑い。それをどう証明するのか。胸の奥に沈殿した疑念は、時が経っても薄れない。
先日訪ねて来た検事も、その可能性を疑っているとは言っていた。ただし立証は容易ではないとも付け加えていた。祖母に着せられた冤罪を晴らすことが出来るのか。希望は僅かにあるが、道筋は霧の中だ。期待と不安が交錯し、落ち着かない感情が胸を占める。
「依智伽ちゃん、今どうしてるのかな……」
舞奈が小さく呟く。その声音には同情が滲んでいた。
「さあ……」
浩太は短く答える。
「お母さんを殺した犯人が捕まって、ホッとしてる?」
「多分な」
そう答えながらも、浩太の胸中には別の思いが渦巻いていた。依智伽の顔を思い浮かべる。強がってはいても、どこか影を帯びた瞳。普通なら、自分の親を殺した犯人が捕まれば安堵するはずだ。怒りや悲しみが残っていたとしても、一つの終止符にはなる。でも依智伽の場合は……。
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